眠りの中で見るものは何か

甘美な夢か 囚われた過去か

それとも――






怨嗟:壱:


コン、コン、コン・・・屋根の桟から水の落ちる音がする。遠くまで耳を澄ますと、それは雨が降っている所為ではないことが解る。

網を被せられたような、逃れがたい冷気が降りていた。肌の細胞の一つ一つが逆立ち、縮こまるような寒さであった。
雨戸を閉めず、障子だけで隔てた外側では、もしかすると霜でも降りているのかもしれない。

目が冴えていた。

決して柔らかいとはいえない布団に包って寝転がっている彼女は、未だに見慣れぬ天井を眺めながら闇の中でその水音を数えている。

夜気によって凍えた指は、外からの風で障子が揺らされる度に、僅かに力が篭ってぴくりと震えた。







心なしか曇っているような気もする、しかし晴れた空の下。冬も間近な空は高く遠く、道場から荒々しくも激しい竹刀の音と罵声が澄み切れていない空を叱咤するように響いている。
そして一番大きな罵声は、男ではなく、なんと女が発しているものだった。


「こらぁちんたらちんたら振ってんじゃねぇよテメェらの上腕筋はただの錘かァ!?皮剥けてないガキでももっと早く動けんだちゃんばらやってんじゃねぇんだ竹刀じゃ死なねぇんだからせめて殺す気で行きやがれ鈍足筋肉共がァ!」


腹の底から迸るよく響く低音が、道場の床板に這い蹲る男たちに向かって叩きつけられる。初対面に既に片鱗を見せられていたすばらしい肺活量と言葉遣いであったが、淑やかさや上品なんていう詭弁をどこぞへ落っことしてきたらしい彼女は、今日は相当機嫌が悪いらしく、竹刀を持ち時折それを振るいさえしながら息も切らさずブイブイ飛ばす。

昼稽古が始まって半刻ほどで道場の者たちに(半)強制的に(脅し挑発して)勝負させ、その弱点を指摘しながら容赦なく突きまくり、色んな意味で敗北感を与えていったのだ。

いつも通りの鬼畜な指導っぷりを発揮しつつ、彼らの半数と床との仲介人を務めた土方は我関せずを決め込んで、残り僅かとなった門下生に向かっている。
しかし機嫌が悪いのが雰囲気で解るのか、不幸にも生き延びてしまった門下生たちはすっかり顔色を悪くしていた。
かなり哀れだ。助ける気はさらさら無いが。

そんな様子を、原田・永倉・藤堂の三人組と一緒にのんびりと眺めていた総司は、お茶を啜りながらこきりと首を傾げた。


「斎早さん、今日も飛ばすねぇ〜」
「なんか、イライラしてねぇ?」
「そうかぁ?いつもあれくらい厳しいだろうよ」


一応稽古着に着替えてはいるが、地獄のようなシゴキの中に入っていく気は当然無い三人組は、至極暢気に傍観者として評言している。妙に薄暗い混沌と化している道場の中で、ここだけ部分的に安穏としていて和やかであった。

傾げていた首を元に戻した総司は、真っ直ぐになった視界で捉えた斎早を注意深く見つめながら、もうちょっとで出てきそうな永倉の疑問に対する答えに、くっと眉を顰めて呟いた。


「イライラ、というか――」


何かの発散、というか。


「や、それがイライラっていうんじゃねぇの?」
「なァんか、しっくりこないんですよね〜」


とん、とんと指先で床板を叩きながら、自分の過去の経験と合わせて彼女の様子の違和感の正体を探っていく。イライラ、と言うのではきっとないのだ。何かを隠しているような感じである。


「ああ!」


ぽんっと手を叩き、ようやく合点のいった顔で頷き、同様に「あ!」と声を上げた永倉に視線をやった。


「・・・疲れてる?」

それも、相当。

「ええ、体のだるさを誤魔化しているように見えます」


かなり、無茶して。

答え合わせのように自分たちの見解を確かめ合って、二人は立ち回りを続けている斎早を見据えた。


「うぇ、そうなの?」
「よく判んなぁ〜二人とも」


あくまでも傍目には気づけない変化に気づき、明確にして見せた二人に、藤堂と原田は意外そうに聞いて、話の的を見つめる。


「オラオラやる気も根性も足りてねぇんだよ、だれてねぇで立ちやがれ!糸に引かれねぇと動けもしねぇのか木偶共が!」


絶好調だ。

寧ろ、いつもより罵詈雑言の礫がでかくて、発射速度も格段に速い。彼女は確か、今日も誰よりも早く起きて朝餉を作り、朝稽古に励んでいて、その時土方相手に一戦交えていたはずである。

改めて思い返してみると、彼女は夕餉の片づけが終わって夜酒を飲んだ後の時間以外は、休む間もなくくるくると動き回っている。日頃道場だけでなく畑仕事でも鍛えられている野郎共より、余程体力の化け物だった。

しかし、そんな彼女が本当は疲れているのだとしたら・・・


「・・・何に追い込まれてんだ?」
「・・・早さんは、まだ謎な人ですから・・・」
「謎めいたトコがまたいいんだけどなーv」
「疲れても腕は鈍らねぇんだなぁ」


先程の総司と同じ様に、眉を寄せながら疑問を口に出す永倉に、苦笑交じりで解らないのを残念そうに告げる総司。謎の部分に反応して、神秘的な妄想をしながらにやける藤堂と、若干視点がずれている原田。
発言は四人四様であったが、それぞれの言葉に気遣いや心配が含まれているのは明らかである。

そうして道場の片隅で話していると、身を起こそうとする者達がいなくなったところで土方が稽古終了の合図を出した。彼らは声を掛けてみようかと視線を交し合ったが、話題の主はと言うと、実にきびきびとした動きで真っ先に道場を飛び出してしまった。彼らが行動を起こす暇も隙も一切無い。


「・・・行っちゃいました、ね・・・」
「何しに行ったのか・・・」
「昼飯作りに行ったんじゃね?」
「・・・あー最近斎早サンが作ってるもんねー」


あれは、美味い。と嬉しそうに四人は頷き合う。近藤の義母・ヨネの料理も確かに美味いのだが、どうしても江戸の味付けは西方出身の原田や永倉には慣れないものだった。だが、どんな裏技を使っているのか、日本の各地から来ている食客たちをも唸らせるほどに、彼女の料理は美味いのである。しかも、


「なんか斎早サンの飯になってから体の調子が良いんだよなー」
「そういや俺も」


妙に体の調子が良い。元々丈夫であったが、更に体が軽いし、動きのキレも良くなったし、酒が次の日には抜けるのである。時々二日酔いに悩まされる永倉にとっては、嬉しい変化であった・・・が


「たまに大量の草抱えてどっかから帰ってくるよな」


一体何を入れてるんだ。
原田の疑問の一言で、ふと浮かんだ謎に気づいた二人は、怖くなっていささか青ざめた。良いことも素直に喜べない。喜ばせてくれない人なのだ、多分。

美味しい物を食べられるのは大歓迎なのである。ただ、彼女の場合は、隠し味と称して何か入れてそうなのである。この前なんか何か細長いものを楽しそうに捌いていた気が・・・


「・・・ぱっつぁん・・・おれ、飯食うの怖くなってきた・・・」
「だっ、大丈夫だ、平助!毒じゃないのは確かだろうし!」
「美味いんだからいいんじゃねぇ?」


話に聞く、食材に使えるゲテモノ類を思い出しながら、藤堂はぶるりと肩を震わせ、その胸倉を掴んで揺さぶりながら永倉は不吉な考えを振り払わせようとし、至って楽観的な原田がカラリと締めた。

実際に良くなっている体調をお互いに確認しあったばかりである。毒が無いのは確かであるが。

結局は彼女の料理を食べるにしても、肉体的だけでなく精神的にも健康な状態で相伴に預かりたいと思うのはわがままだろうか。

怖い想像に浸りそうになっていた永倉と藤堂は、原田のあっけらかんとした発言に小さく溜息を吐きながら、それもそうだと思い直して頷く。

そうして、線の無い想像をやめて、彼女が作っているであろう昼餉を食べに、すっかり人気の少なくなった道場を出たのであった。







その日の昼餉は、ワカメの様な何かコリコリしたものと、菜っ葉と豆腐の味噌汁に、玄米ご飯、それから焼き魚だった。それらを膳に盛ってくれたのはヨネで、作った本人は何処かに出かけたらしかった。


「これ・・・何だと思う?」


先程あんな話があったばかりなので、ついつい見知らぬ食材には目が行くものである。
好奇心と怖いもの見たさで、汁物の中の黒い物を箸先でつまんで藤堂が聞くと、菜っ葉の臭いを嗅ぎつつ永倉が不安そうに


「これなんか嗅いだことの無い臭いが・・・」


と汁物の中を見つめる。原田はと言うと、そんな二人を横目にずるずると熱い味噌汁を旨そうに飲んでいた。そして一言。


「食感は面白いけどなー」

実に素直な感想である。


「左之、この黒いの食っちゃったのかよ!?」
「だって腹減ってるし」


単純で簡潔で解りやすい理由である。しかも、恐る恐る食べたそれらはやはり美味いのである。
そうやってぐずぐずと躊躇っていた彼らであったが、後片付けの為に残っていたヨネが何時までも食べ始めない二人を睨みつけているのに気づいて慌てて玄米ご飯を掻き込み、咽た。

飛び散る米粒に彼女が盛大に顔を顰めたのは言うまでも無い。


昼餉の後、三人は庭の端にある菜園の手入れの手伝いをしたり、市を冷やかしに行ったり、とそれぞれの時を過ごしていたが、結局斎早の姿を見た者はおらず、彼女は夕稽古の時間まで帰ってこなかった。





次項

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