嵐襲来:弐:





「この時世に名を馳せる男共を導く女よ」

ざわり、風が大きく流れる。睦木斎早(むつぎときはや)と名乗った彼女の背を押すような追い風に、長い髪がふわりと靡いた。

この上なく堂々と宣言した彼女に、彼らは虚を衝かれたような間抜けた顔をして、門下生達が弾ける様に笑い出した。哄笑とか失笑ではなく爆笑である。
彼女は只腕を組み、冷ややかな目でそんな彼らを見つめた。

「へぇ、笑えるんだ、そんなに」

指示語は勿論、彼女の放った言葉だろう。
田舎の百姓道場に来て名を馳せると豪語し、女の身でそれを導くと大言を吐いたのだ。百姓が武士になることすら夢のまた夢だと思っている(わかっている)者にしてみれば、何を馬鹿な事を、と笑うしかない。

そんな弱気な思いを――本人たちは現実的な見解だと言い張るだろうが――透かし見た彼女は、首筋にちくちくと刺さる視線を感じて目を向けると、案の上といおうか、土方が険しい目で睨んでいた。
窟のような黒目がその奥でぐるぐると忙しなく思案しているのを見て取った彼女は、ニヤリ、と笑われている身で挑発的に口元を歪めた。

「そこまで笑うくらいなら、私の力でも見てみなさいよ」

まさか、女に向かえないなんて言うんじゃないわよねぇ?

周囲の爆笑に怒るでも泣くでもなく、冷静に透る声音で抉る様に皮肉った。
男の自尊心を傷つける言葉を発した彼女は、その一瞬前に眉を顰めている土方に対して見ていやがれと睨み返す。しかし、その険しい表情もすぐ余裕の微笑みに取って代わる。

 じっと彼女の表情を見ていた沖田は、くるくると表情の変わる人だなぁと半ば感心しながら、にこにこ微笑んで局面の行方を眺めていた。彼女は至って余裕の笑みで紅唇をゆっくりと開く。先程からの雑言から鑑みた次の発言が何となく想像できて、密かに門下生達の輪から一歩離れ、更に彼女の姿が見える位置まで退がった。

「こんの、腰抜け共が

腹の底から押し出されたと解る低い、低―い声が、高くなってきた日の熱を篭らせた地面を勢い良く這っていった。先程の様な怒りを含まない声から漲るのは、抑制しようともしない侮蔑であった。

 火事と喧嘩は江戸の華、とよく言うが、同じくらいこの時世の男達に根差しているのは、男の面子は死んでも守れ、という心意気である。ある意味彼女の発言は、悉く彼らの面子を踏み拉いて泥を塗りつける様なもので。

「女のクセに粋がってんじゃねぇッ!!」
「ナメんなクソアマぁ!!」
「あらやだ差別発言はんたーいっっ。ってかナメるわけないじゃない汚いわね」

挑発通りに火の点いた男達を前にしても余裕な態度を崩さず、叫ばれた言葉に適当な突っ込みを入れながら左手を如何にも退屈そうにぷらぷら振った。
まるっきり邪魔な蠅を追い払う仕草である。

そうしながら、彼女は土方・近藤両名の傍から二歩ほど後退し、肩に担いでいた木刀をだらりと体の横に下ろした。
四方から自前の竹刀を手に手に向かってくる男共には見向きもしない。

地熱と陽光に挟まれて、心地よい暖かさを伴った風がふわりと眠気を誘う。穏やかな日和にはこの喧騒こそが不似合いだった。
バサバサと木の枝を揺らしながら小鳥たちが飛び立つ。
葉の擦れる音と羽の撓る音が合わさり、鳥影がなだらかな婉曲を描いて小さくなっていく――
ざわり、風が動いた。

カッ、ガガガガガガッ!

何かを弾く音に続いて鈍い音が立て続けに起こり――見つめていた彼らが気づいた時には、彼女に向かっていた者達は倒れて呻き声を上げていて、一向に立ち上がる気配を見せない。

木刀とはいえ、一体どんな力で、しかもあの細腕で打ったというのか。

ぞっと背筋に走ったものを感じた者達は、無意識の内にも一歩一歩後退っていく。
が。そこに、また。

「あら、逃げるんだぁ?女相手に」

弱火に油。

「そぉんなに縮みきって不能な××なんて不要なモノなら切り取ってあげようか?」

更に爆竹。

この時世の男達は・・・(以下略)であるので、完全に頭に血を上らせた野郎共、特に門下生達の大半は、先程の出来事も忘れて奇声を上げながら彼女に向かって行った。・・・が。

「あーらら・・・」

見る見る見晴らしの良くなっていく前庭。その奥の道場の近くで佇んでいる大・中・小の一番小さい男が、妙に間の抜けた、呆れの混じった声を上げた。

「やったら強ぇな、あの女・・・」

ばったばったと倒されていく門下生たちを眺めながら、人垣の向こうからでも頭一つ分の上背で十分に見物できていた一番大きい男が、楽しそうな声音で大きく笑う。
見通しが良くなっているのは勿論、垣根を作っていた人が崩れて低い人山が築かれているからだ。
爆竹の花火は触れれば熱くて痛いが、避けてしまえば勝手に消えるだけだ。

「あの(ひと)、あそこから一歩も動いてないよな?」

目を輝かせて珍しい入門希望者を見つめていた真ん中の男が、小首を傾げて呟く。
言われてみれば確かに、次から次へと竹刀を向けられる中、彼女は一度引いた左足を軸にして一歩も立った位置から動いていない。
足元を良く見れると、一分の乱れも無く右足できれいな円が描かれている。

「門下生じゃぁ相手になれそうにねぇなぁ」

体力底なしと豪語できるくらいには鍛えている筈の男達が、何故か一撃を食らっては起き上がれないでいる。彼らが抑えているのは、臑や顎の下や脇腹、鳩尾・・・といった所謂人体急所ばかりで。

「手加減されてるよな――」

ばったばったと引っ切り無しに打ち倒しながら、人山の中心にいる本人は息一つ乱していないのだ。体力の底は兎も角としても、技量の優劣の程は推して知るべし。

「もう我慢できねー行ってくる♪」

飛び跳ねるようなうきうき気分を撒き散らしながら、自分用の木刀を引っ掴んで真ん中の――藤堂平助が正門前まで駆けて行った。

「とっきはっやさーんvv」

いきなり名前呼びである。

「はァ?あら、いらっしゃいv」

丁度一片付け終わったところで嬉々として呼ばれた自分の名に、珍しく自分が虚を衝かれたかたちで振り返った彼女は、人山を軽々と越えて突進してくる男を見止めて艶やかに微笑んだ。
それは正しく馴染みの客を迎える老舗居酒屋の女将の貫禄である。
カンカンッ
弾ける様な当たりの音がして、競り合いになる前に素早く二人ともが離れた。初めて彼女は自身が描いた円から出されたのだ。
間合いを取り、双方が正眼に構える。

「北辰・・・藤堂平助?」

剣先の向きや構え方から流派を見取った彼女は、試衛館・北辰・相手の容貌からすっぱりと相手の名前まで弾き出した。
一歩、藤堂が前へ出る。そこはお互いの間合いの半歩前である。ざりっと彼らの足元で軋んだ砂が潰れた音を立て――更に一歩、彼女が踏み込み、攻防が始まった。

「よく知ってるねー俺ってもしかして有名人?」
「アタシの情報網は広く深く正確にがモットーなのv」

軽口を叩き合っている間も、彼らはお互いの隙を狙っては合間なく打ち合っている。相手の力を見極め、打ち込み、返し、と木刀を合わせている様は遊んでいるようにも見えるが、その実は決め手を探っているのである。

「俺の初太刀で動いてくれるなんて、光栄だねぇ。姐さん、そこの流派?」
「やぁねぇ、女の隠し事を暴こうなんて野暮のすることよ、ボ・ウ・ヤ♪」

彼女の相手をした者たちが抱いていた疑問に切り込んだ藤堂に対し、暗に敢えて言ってやらないのだと嘯いて、坊やという意外な言葉に虚を衝かれ、一瞬の隙を見せた彼の懐に大胆に踏み込み――
カッ、ガンッ!

「いッッッッ・・・!」

藤堂の木刀を打ち払って、その額に容赦の無い一撃をくれたのである。いくら死なない程度といえど、木刀で打たれた藤堂は余りの痛みに最初の「い」から先の言葉が出ない様子で、片手で額を押さえ、もう片方の手では痛みを別の所に振分けて紛らわそうとしてか、地に着いた膝をばしばし叩いている。
見ている者たちにも、痛みが移ったように思わず額を押さえる者が出る程の悶え様だ。
木刀といっても死人が出ていないのが不思議である。

「次は俺だぜィッ!」

豪気な声を上げてその巨躯に似合わぬ素早さで躍りかかって来たのは、先程まで遠方で眺めていた原田左之助であった。平助に先を越されたこの男、実は彼らが打ち合っている間中、今か今かと終わる時を待っていたのだ。
勿論、

「藤堂クンが負けるのを待ってたの?」

という訳ではない。
左之助は面白そうに首を振り、風を唸らせて木刀を振り下ろした。

「あいつが勝ってたら、探し出してでも手合わせしに行ってたっ!」

ガツッ

「ッ・・・・・・」

重い一撃を初めて受けた彼女が、小さく堪えて息を呑む。
高い所から垂直に振り下ろされた木刀を避けようと、横に躱した所へ、横薙ぎの払いに変わった攻撃を間一髪で防いだのだ。





「・・・燕返しなんかできたんだ、左之・・・」
「いんやぁ?あれは本能じゃない?」

漸く痛みから意識を戻した平助の独り言に返したのは、いつの間にやら木刀を手に輪の中近くまで来ていた永倉新八であった。彼は座り込んでいる平助の近くに片膝を着いてにんまりと笑って見せるが、眼は一部も逃さずに原田と打ち合う彼女を追っている。
(因みに、燕返しとは剣術の手の一つで、ある方向に振った刀の刃先を急激に反転させて斬る方法である。決して雑誌違いの某白黒王子が使う返し球ではない)

「ぱっつぁん、出る気マンマン?」
「ま、ね。どうだった?」

ニヤッと悪童の笑みを向ける平助に同じ笑顔で返しながら、眼を逸らさぬまま彼の見解を訊ねる。聞く中身は、勿論無謀と思われた“女の剣”の技量だった。

「かぁなり強いよ。ってか速い。こっちが手加減してた以上に逆に力量見られてた」
「へぇ・・・?」

力有る者には遊びのようだと解る打ち合いの中、平助が手加減していたのは解るが、それ以上に手を緩めていたとは。それは打ち合っていた本人にしか解らない感覚だった。

「それに、打っても打っても空回りしてる感じ」
「空回り?流されてるってコト?」
「や、寧ろ倍返しされてるみたいな・・・」

カンカンッ!

打ち合ったときの自分の感覚を思い出しながら平助が首を傾げて答え悩んでいると、不意に彼らの目線の先で原田と話題の主の木刀が高く音を立てた。





横薙ぎの強襲を防いで素早く飛び退いた彼女をぴったりと追い、原田は踏み込んでは大きく打ち込む。それを紙一重でかわしつつ、ふと目を眇めて彼女は自分が躱した刃先に指を滑らせた。

「ねえ、力が余って刃先から溢れてるわよ?」

くすり、小さく微笑んで、彼女は踏み込んだばかりで引く体勢に戻っていない原田に対して逆に踏み込み、ぶつかる寸前でその巨躯の鍛えられた大腿を踏み台にして軽がると跳躍した。
おいおい、軽業師かよお前は。
見ていた者の中の数名の内心でこんな突込みが入ったが、相変わらず表に出ていない文句は知ったことではない。聞こえていても眼中に無いだろうが。
目の前で標的に消えられた巨躯は前につんのめり、駄目押しとばかりに脳天を木刀で強かに打たれて顔から倒れ込んだ。非常に痛そうである。

「次は得意な獲物で来なさいねv」

原田、左之助クン。

スタッと身軽に降り立った彼女は上機嫌に笑いながら地面に沈んだ左之助に言い放った。原田左之助、確かに彼は剣術よりも槍術を得手とするが、それを彼女が短い打ち合いの中で見極めたのか、はたまた先程漏らした彼女の情報網とやらで元から知っていたのかは定かではない。

一度倒れてやっと復活した者や、輪の外で見入っていた門下生達のどよめきがじわりと熱く熱した空気に湧き出してくる。
二人共、それぞれの流派や術を会得し、その腕を買われてこその試衛館の食客であり、対外試合でこの道場の者として出ることもある程の力の持ち主である。
それが、あっさりとは行かずとも、突然現れた正体不明の女に叩きのめされるなど、凡そあってはならないことであった。





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