それは紛うことなき真意

荒涼の中で捧ぐ誠意

束縛の元でも揺るぎ無い忠誠

魂すら擲つに値する威の前に、跪くことを許される優越















<4>






幼いときから才能を発露している子供は、一体どこまで成長することが可能だろうか。

空気自体は焼け付くような夏の熱気をはらんでいても、吹き込んでくる風は清涼な心地さえする残暑の夕べ。
息の詰まるような猛暑を通り過ぎ、漸く過ごしやすさを感じられるようになってきた9月の初めのこと。

クイーンに肉薄していたナイトをルークで倒す白い手を見ながら、ロイドは目の前の子供の奇異を思う。

カラン、持ち手に心地よい大理石でありながら、不釣合いなほど軽い音を立てて盤上からナイトが退けられる。
精緻な細工を施された馬の顔を睨み、盤上に視線を戻したロイドは、感嘆にも近い溜め息を吐く。

――本当に、お強い。

科学者であるロイドは、特別チェスの腕がいいわけではない。しかし新しいものを創作する奇抜な発想力と、物事を客観的にとらえる計算能力を合わせ、相手の強さを測れる程度の腕は持ち合わせていた。
数をこなしているわけではないので基準などははっきりとしないが、とれでもこの少年はとび抜けて強いと感嘆できる。

クイーンを始めとする主要な駒に守られながらも、黒のキングは確実に敵陣へと進出しており、かといってそちらにばかりかまけていると、忍び寄るポーンが脇からチェックをかけにきている。
陽動・奇襲・不意打ち・・・狡猾で緻密な知略を組み合わせながら、この皇子は確実にこちらの力を削いで(キング)を獲りにくるのだ。

今だって、黒のキングを頭にした鳥のような布陣で、クイーンの嘴が迫る傍ら、ひそかに羽の一部(ポーン)が白のキングににじり寄っている。

自陣への後退を強いられながら、ロイドが相手の戦力を落としにかかる方法を考えても、クイーンを叩く方法を考えても、なかなかいい道筋は浮かばない。
時間にして数秒、しかし思考はフル回転させて、ロイドはすいと白のルークを手に取り、自陣の中に入り込んでいたポーンを落とした。
そして、間をおかずに小さな手が盤に伸び――

キングの危険を察知して僅か5手。長いのか短いのか…少なくとも、それ以上抗うには厳しすぎる采配で、


「――・・・チェックメイト」


小さな世界の終止符が打たれた。

































「ほんと〜〜〜〜に、お強いですねぇ、ルルーシュ様」


盤上の駒の配置、今までの彼の戦術、穏やかなまでに進軍し整えられる布陣。考えられるだけ考え、ふと息をこぼしたロイドは、盤上に集中するため前のめりになっていた背をドサリとソファに預けた。
すっかり冷めてしまった紅茶を、それでも一気に飲み干すことはせずに少しずつ味わう。
白磁の陶器に揺れる、まろやかな色の琥珀は、小さな皇子の手で淹れられたものだ。

――先の一戦、抗ったとて、あと10手もあれば完全に詰んでしまうゲームだ。
現実世界ならば、すべての駒をフル活用してキングを逃がすべきところだが、盤上の遊戯ならば降伏で十分と思える局面。
そう思っての敗退だったのだが、そこに何を思ったのか、じっと盤上を見たまま何かを考え込んでいる風だった皇子は、不意に顔を上げてまろい頬をふんわりと笑ませた。


「…ロイドさんの戦法は、思った通り興味深いです」
「どこがお気に召しましたぁ?」
「あの、ポーンを取った一手…」
「ああ、ルルーシュ様は伏兵を潜ませるのがお上手ですよねぇ〜・・・でも、ポーンを取らなくても結果はきっと変わりませんでしたよぉ」
「あなたには…それで十分だったのでしょう」


ほんの、一手分の猶予で。
一人掛けのソファで肘掛を指先で叩き、皇子は年不相応な思慮深い声で囁くように呟く。

今日一日で行った対戦を思い返しているのだろうか、艶やかな黒髪と同色の睫が緩やかに瞬く。
そして、伏せていた視線をこちらに送られる、その優越に内心で震えるものを感じながら、ただロイドはにんまりと笑って見せた。
真意を見せぬ、道化師の笑みで。

奇人と呼ばれる軍人は白衣の腕を伸ばし、そうっとナイフよりもペンを握る方が遥かに多い己の節張った手で黒のキングを取り、貴族らしい流れる動作で唇を寄せた。
つるりとした側面にキスを落とし、黒のナイトの隣に並べる。

――勝利など、必要ないのだ。

(今は、黒のキングがいとおしい)

悪戯混じりに視線を合わせると、小さな皇子は紫水晶(アメジスト)の瞳を揺らして返されたばかりのキングを手の中に収め、慌てた様子で視線を逸らした。


「――っ、再来週、シュナイゼル兄上が帰還されるそうですよ」
「へぇ〜・・・今回はいやにのんびりでしたねぇ」


いつも冷静に見える彼の、やや強引すぎる話題転換は、仕掛けたロイドから見ると非常に微笑ましい。
話題の向かった先は、あまり好ましいものではなかったが。


「あちらの宦官は兄上好みの方々だったそうで、少し手を加えてから帰ると…」
「確かに中華は領地としてはそこそこ魅力的ですけどぉ」
「人的資源は底しれませんし、何故か父上がご執心なのが気にかかるのだとか」


皇帝が気にしているものを見に行く、というのは次期宰相として必要な行動だろう。上位継承権持ちとして生き残るためにも、先読み鋭いシュナイゼルが蒔く種としては理解できる。
しかし、その話題をここで自分に振る彼は――


「ルルーシュ様はこないだみたいにどこかに行ったりしませんよねぇ?」


なにかしら企んでいるらしい腹黒の行動より、ロイドにすれば目下正面に座る子供の今後の動向の方がよほど重要だ。

見聞を広めに再び兄の元(中華)へ。などと言われたらたまらない。
ルルーシュがいない9日間で最低限の実験にしか手を付けず、溜りに溜まった書類仕事を片付けるのにかかった2日間だって、相当悶々とした時間を過ごしたというのに、また会えなくなるなんて辛すぎる。

そんなロイドの心情を知ってか知らずか、細い指で黒のキングを手遊びしている皇子はなんとも曖昧にほほ笑んだ。


「遠出はしませんが、秋からは”武闘会”に行くんです」
「”舞踏会”ぃ〜!?お、お相手は・・・っ?」
「え?そんな、僕は参加しませんから、相手なんていませんよ」

そんなに焦らなくても。

「へぇ?」


一体どこのご令嬢と踊るのだ、と慌てたロイドだったが、勘違いと知って数度瞬く。

コン、黒のキングが存在感を示して盤上に上がった。


「……武闘会、ですかぁ?」
「はい、春と秋は、毎年できるだけ武闘会に行くことにしているんです」
「でもぉ…ルルーシュ様は、争い事はお嫌いじゃありませんでしたぁ?」
「嫌いですよ。・・・でも、必要なことですから」


――そう言い切る瞳の迷いのなさは、一体なんなのだろうか。

新しいお茶を淹れてきますね、と席を立つ小さな背中を見送り、ロイドは盤上の白のクイーンを手に取る。

先程の対戦では、一度も動かさなかった自分の切り札(ワイルドカード)と“武闘会”――“舞踏会”と勘違いした時以上の焦燥が、じわりと指先まで侵食してくる。
早く――

手の中にある王女を握りこみ、音も立てず盤上――黒のキングの真横に下ろした。

急がなければ。






















それは、何年か前。彼の家が後見を務める皇族家の長子が、5歳の誕生日を迎える直前の初秋のこと。
肌を焼く日差しが陰り、ひんやりとした空気や雨の匂いとともに、落ち着かないざわめきが王宮内を包む頃。忍び寄る夜の気配に紛れて密やかに密やかに、彼の子供はルーベンの元を訪れた。

安全な領域であるアリエス(鳥籠)から一人出歩くには幼すぎる主人を、アリエスの主人(彼の母親)にすら連絡も入れずに人知れず邸内へ通すのは、不測の事態への対応としては浅慮であったといえるだろう。それが、本人の希望でなければ。
そうして、彼に差し出すお茶を使用人に頼もうとするのすら止められ、密室の中、勧められた席で投げかけられたのは。


「アッシュフォードは”母上の”こうけんなんのですよね?」


幼い子供の口から発されるには、思いがけない類の問いだった。
それも、確認のような、断定のような口調。硬質になりきれぬ、稚い柔らかさをまとう声音で紡ぐ言葉は、かろうじて表に出さずに済んだとはいえ、伯爵家の当主の度肝を抜くには十分なものだった。
まさか、自分の十分の一も生きていない子供に、己の立場を改められるとは誰も思うまい。

普通であれば、子供の素朴な疑問にも見えるのに、彼のそれは、ただの5歳の子供が紡ぐ本能的な直感とは一線を画した深慮を伺わせていて――口先だけの誤魔化しなどは元より、大人として外聞良く装った詭弁を晒すことなど到底許されぬ緊張こちらに強いたのだ。


「――いいえ、アッシュフォードは”ヴィ家”の皆様の後見でございます、ルルーシュ様」


子供の存在を改めて確かめるように慎重に名を呼び、どこまでも透明に、自分の内心まで見据える紫水晶へ偽りなき笑顔で本音を告げる。
噛み締めるように自分の内側を探って晒した言葉を吐くときには、この小さな皇族を子供であるとほんの僅かでも侮る心は完全に消し去られていた。


「あなた方は、僕を…我々を、個人としてあつかってくださいますか」
「もちろんですとも。あなたの頼みであれば、母君に命じられたとしても覆したりいたしません。時折、個人的なわがままを申し上げることはあるやもしれませんが」


それは、ナナリー様とて同じでございます。

寸分の詭弁も体裁も織り交ぜないむき出しの忠誠を差し出し、ソファに腰かけたままの子供の前で膝を折って礼を取る。ルーベンの答えが彼の中の正解に当てはまったのか、満足げな微笑で応えた主人は、稚い声で更にルーベンを驚かせる言葉を紡いだ。


「そうですか…では、誰にもないしょで……」


私のとも(・・)をしてくれませんか、闘技場まで。





















幼い主人と交わした約束は、あれからずいぶん経った今でも忠実に守られている。
ヴィ家の名を持つ主たちの価値を同一に、公平に見る精神も、理由は問わず内密のまま闘技場までの供をするという行動も。


息の詰まるような喧噪。耳鳴りを引き起こす緊迫感。醜悪な欲望と正常な精神を毟り取るような熱狂が蠢く闘技場の中、ルーベンはかつてより遥かに成長した、しかし未だに幼いといえる子供の斜め後ろに控えていた。

体の五感から熱が侵食してくるような空間で、子供は鋼の剣を交わす闘士たちを静かな目で見つめている。
いつかの未来、誰かの騎士になるやもしれぬ者を品定めするのでも、肥大する国を支える武力の礎を垣間見る厭わしさでもなく、感情や思惑を一切悟らせぬ静謐さで、熱狂の裏に引かれた糸の上で戦う闘士たちを視ているのだ。

この、殊更チェスを好む子供は、盤上の戦略に内面の苛烈さを見せるのに反して、その実直接的な暴力を嫌う。
それは、例えば、上流階級にありがちな下級階級への侮蔑や不当な虐待、虐殺……ブリタニアの皇族がそれを義務とさえ位置づけている他国への侵略。

直情的な正義感や薄っぺらな博愛などからではない、ただ他者に対する理不尽を、反面は感情的に嫌悪し、反面で客観的な観点から非効率だと断じているのだ。

為政者に似た冷酷さと本人の人間味を絶妙にブレンドした主張を、この小さな体に抱えているのだと、この今の位置に控えるようになってからずっと細い背を守ってきたルーベンは気づいていた。

しかし、そんな心根にはとても似合わぬ、血と策略の臭気が立ち込めるこんな場所に、皇族の立場として以外で定期的に赴くなんて――そう、余程のことでなければ、有り得なかったろう。


「ルルーシュ様?今日は……」


内心ため息を吐きながら、ルーベンは渋々と主に問いかける。
ルルーシュの今日の目的を、最小限にでも知っておくために。

――ルルーシュのおとないを受け入れたあの日、詮索はしないと確約した。誰にも漏らさないとも誓った。
ただし、必要最低限の情報だけは教えてほしいというルーベンの願い(わがまま)は、初めてこの場に二人で訪れた時から続いている。


「ああ…ジルハット子爵が来てるな。彼もチェスを好むらしいと一昨日聞いたよ」
「一昨日というと…フライメルに?」
「そう。彼もなかなか良い手筋だったから、次の約束も取り付けてある。その時に」


フライメル伯爵からジルハット子爵に繋ぎを取る連絡を入れる確約をもらったから、あまり表に出ないジルハットとこの場で会えるのだと。
社交界では偏屈で有名な子爵を闘技場の対面に見出し、ルルーシュは上機嫌に笑う。その子爵の別な面も聞き及んでいるルーベンは、内心で主を引き留めるための文句を探したが、大岩を丸呑みするような苦しさでもって口を噤んだ。この場で起こるであろうことを予測することも、主の行動を妨げることも、その身を慮ってのことであっても許されていないのだ。だから、


「……そうですか…では、私はまた後ほどお迎えに上がります」

くれぐれもお気をつけて、と今すぐ連れ帰ってしまいたい衝動を抑え、ルーベンは目立たぬように礼を取り、ほんの一時の別れを告げる。
本当に一時…短ければ半刻にも満たぬ間とはいえ、もしもの時のことを考えると非常に恐ろしい半刻だ。
――第一に、このような場所で幼い主から目を離すことこそ、本来ならば論外なのだ――
だというのに、これから焦燥を味わうこととなる付き人に対して、聡明な子供はいっそ酷に感じられるほど落ち着いた笑みを見せた。


「大丈夫だよ、フライメルから十分に釘を刺されているはずだから」
「はい…存じ上げております…」


彼の気遣いに触れ、眺めるだけで受け取ってはくれない主に、一抹の寂しさと諦めを紳士用のステッキと共に握りしめたルーベンは、再度恭しく一礼し、混雑する中を慣れた様子ですいすい遠ざかる小さな背中を見送った。

これから行く先で子供が何をし、どんな言葉を交わすのか――ルーベンは知らない。




























貴族の子息に、手飼いの傭兵、または軍人たちが剣を交わす様に見入っている人波の中を、己の存在に気付かせることなく進んでいく。
これから向かう先…VIP用の応接室への道は、いつだって違うルートを使っており、わざと人波に紛れるように進んでいるので、万が一誰かに尾行けられても撒くのは容易だ。

わ―――――――っ!!

「………………っ!?」


不意に、周囲から歓声が上がる。普段なら気にしない雑音だったが、それに混じったある種の視線に、ルルーシュはたった一人が佇む闘技場を一瞥して、その視線の出所を探した。

そうして、その視線の元にいる小さな人影に思わず目を細める。
太陽に近い色彩と、僅かに湧き上がった興味故に。
――そう、ルルーシュが視線の主を知っており、その出自も理解しているからこそ。


(暇があれば相手してみるか…あの家の権威は悪くないからな)


ただし、当主の力量にもよるが、と内心で苦笑を零し、ルルーシュはその存在を一応脳裏に留めることにして、呆気なく視線を外し前を見据える。

先を読もうとフル回転する思考には、後回しにした決定事項を構っている余裕は無かった。













ひとこと>
オリキャラ登場・・・・・そしてまだまだサブで一杯出る予定、だったりだったり。





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