俺の昔の好きなやつ?


 そ♪


 ・・・・・・聞いても楽しくなんかねえぞ?


 何言ってんの♪新一のことならなんでも聞きたいんだよ。


 自分のことはあんま話さないくせに?


 ・・・・・・・言ったら教えてくれる?


 そこまでして聞きたいのかよ?


 聞きたい!


 ・・・仕方ねえなぁ・・・。


 教えてくれるの!?


 お前が先に言ったらな。












Can you find to blindfold a secret?






    ―19―



 おはようを言ってもおやすみを言っても返してくれる人は居ない。

 新一の死を本当に自覚したのは、彼の住んでいたこの家で、再び目覚めた時だった。

 半分しか覚醒していないような状態で目を醒まし、ベッドの隣に手を這わす。

 そこには当然のようにあった温もりはなく、指先は朝の冷気に冷えたシーツの上を掠めるばかりだった。

 快斗は思わず、ぎゅっと布団を抱き締めて、幾度目かに込み上げてくる寂寥を必死で頭から追い払い、それからゆっくりと起き上がって彼がいなくなった部屋の天井に向かって小さく、それでいて愛しげに囁いた。


「・・・おはよう、新一」


 返ってこないのは解っている。そんなこと、今までずっと彼との生活をおくってきたのだから充分に解っているのだ。


 それでも。彼との記憶を少しでも多く留めておきたかったから。


 忘れる、なんてこと、何があっても絶対にできない。


 生きている事。自分が今、ここにいることは、全て新一という存在と一緒にある事で可能となっていたことなのだから。・・・勿論、ここから離れるつもりもなかった。



 ・・・だからこそ、会いに行こうと思ったのだ。



 快斗は新一の日記と彼からの手紙、それから志保から譲り受けた黒曜石を大切にデイバックの中に入れて、肩に掛けた。

 中に入っているのは数日分の着替えとそれらだけで。


「・・・行ってくるよ、新一」


 快斗は『彼』に一時の別れを告げて、一枚の飛行機のチケットを握って日本を飛び立った。







































 一度だけ来た場所だった。彼がいた夏。彼と一緒にいられた夏。たった4,5ヶ月前の話なのに、もう何年も経ったような気がする。彼が死んだ今は、それはもう積み重ねる物ではなく、遼遠の宝箱にしまわれた思い出。

 何度見ても大きな屋敷に、今度は圧倒される事なくインターホンを鳴らし、応答の声もなく自動で開かれた門に、躊躇う事なく中へ入って行った。

 期待に胸を膨らませて歩いた前庭。離れていた彼と会えるという至福に、踊り出さなかったのが不思議なくらいで、平常心平常心と念じながらも頬の筋肉が緩むのが抑えられなかった。


 ・・・何も知らなかった方が、幸せだったかもしれない。だけど、それではもう、足りなくなってしまっているのだ。

















 気温はかなり低く、空はからりと晴れていて、そして飽きれるほど高い。冷たい風に吹かれながら、こんな日に死ねたら、自分のタマシイとやらも新一の元に着く事ができるんじゃないだろうか、なんて馬鹿な事を考えては頭の中で否定した。

 前庭は相変わらず美しく整えられているが、それらに心を動かされる余裕を、今快斗は残念ながら残していなかった。

 真っ直ぐに玄関まで歩み寄ると、もう一度インターホンを鳴らす前に扉は開かれた。

 あの日と同様に、しかしあの日とは違い、黒いスーツを身に纏った工藤優作の手によって。












 扉の向こうに立っていた優作は、柔かい笑みで快斗を出迎え、真っ直ぐにリビングに通し、硬い表情の快斗をソファへと座らせ、自分はキッチンに向かう。

 有希子は今は買い物に出かけていておらず、濃いブラックと、息子に良く聞かされていた通りの甘いカフェオレを煎れた。

 正面からまじまじと見たのは夏に会話したあの一回だけで、彼との接触は殆どなかったが、新一が自覚ナシに惚気て話すその内容に、自分の愛息子を任せる事を決めるのは難しくはなかった。

 新一以外に彼の死期を正確に知っていたのは、自惚れでも何でもなく自分であったと優作は理解している。・・・何故なら、自分も「彼女」と知り合いだったし、あの薬で小さくなった彼を見た時から、そんな予感はしていたのだ。

 そして、息子自身からの相談もあった。





































「なあ、父さん」

「なんだい?新一」


 軽い口調で声を掛けながら、いつもは仕事中なら滅多に入ってこない書斎に入ってきた息子を、優作は笑顔で迎えた。あの日。彼が15の夏、勝手に家を抜け出して夜中に帰って来た日。彼の胸元には大振りの黒曜石が揺れていた。


「俺さ、結構近いうちに死ぬんだって」


 そう、彼は本当に何でもないように言ったのだ。むしろ、これから何しようかなぁ、なんて気楽な言葉まで付けて近づいてくる。


「・・・・・・どうして、そう思ったんだい?」


 手を伸ばして彼を引き寄せ、小さい頃よくやったように自分の膝に座らせて正面から目を合わせて聞く。


「魔女がさ、言ったんだ。・・・予言、かな?避けられないんだってさ。俺の性質からして」


 くすくすと笑う彼は、自分の性質を熟知していた。昔から。だから、好奇心を隠そうともせずに、時折赴く殺人現場にも有希子が止めるのにも関わらず、自らついてきた。やりたいように行動して、責任は自分で取って。


 昔から、強い子だったのを覚えている。


「・・・受け入れてるのかい?」


そう訊ねると、彼はニヤリ、と笑って頷く。


「むしろ、これから何を楽しむか、選択肢が多くなって嬉しいぜ?」


と言って、がばっと抱き着いてきた。


「・・・・・・・・・そうか・・・」


 無言できつく抱き締めて、優作は静かにその耳元に理解の意思を囁く。彼の言葉を否定するのではなく、彼の意思を尊重する決意を表す意味を込めて。

 肩口がゆっくりと濡れていくのなんて気にもならなかった。後で書斎から彼が去って、漸く気づいたほどだ。

 抱き締めた彼は、小さく、本当に小さく肩を震わせて泣いていた。不安を、まだ漸く15歳に満ちた精神で受け留めて押し殺し、唇を噛み締めて。

 音も立てず、心の中で慟哭を上げて、静かに泣いていたのだ。







 あの時間。新一を抱き締めていたのはほんの数分の事だった。たったそれだけのことでも、彼の強さやプライドから、どんなに辛くても、後にも先にも彼が涙を見せたのはその時だけで、新一はすべてをやり抜き、全ての責任を取って逝ったのだ。

 あの日以来、彼が自分と話している時にその事を話題とすることはなかった。

 どんなに不安だったかしれない。死と言う漠然として鮮烈な終わりに、恐怖しない者はいないだろう。だけど、この夏に訪れた時、彼の表情に全く不安はなかった。15の時の不安を押し殺したような微笑みではなく、何かを吹っ切ったような笑みを見せたのだ。


 まるで、全てを諦めてしまったように。


 言葉を交わしてみて、全部を終わらせた後なのだと知ったのは、彼の死を聞かされて死体を取りに言った時、彼と共に渡された遺書によって明確になったことだった。





『父さん、母さん、ごめん。ありがとう・・・俺は後悔してないから』




 そう括られた彼からの手紙に、有希子が静かに泣き崩れた姿を見て。彼がもう知っていたのだと知らせなかったことを後悔したが、優作は墓場まで持っていこうと思ったのだ。

 志保から渡された手紙は2通あった。

 新一が両親へ宛てた分と、優作一人へ宛てた分だ。優作に宛てられた分には、あの15歳の時にすべてを明かしたことの内容も含めて、彼の魔女との話や彼の自分自身の死への見方などが、淡々とただ事実を語るだけのように綴られていた。





















「・・・優作さん」


 突然、背後から掛けられた声に、思考に耽っていた優作は初めてキッチンの入口に快斗が立っていたのに気づいた。

 目の前で、カタカタと音を鳴らす――生憎、ケトルはついていないが――薬缶に、自分がどれほど思考に熱中していたのかに気づいて苦笑しながら火を消した。


「どうしたんだい?すぐにできるんだから、リビングで待っていてくれて構わなかったんだよ?」


 はっきりいって良好とは言えない精神状態だったが、それでもにこやかに笑いながら沸かしたての湯を今朝挽いた豆にゆっくりと軽く染み込むように細く落していく。


「・・・・・・はい」


 じっとその仕草を見ていた快斗は、はっきりと不本意と顔に書いて、優作に背を向けた。

 それを見送って、豆の色彩が濃くなっていくのを眺めながら、湯を湿らせる手を止め、ふむ、と優作は顎に手を当てて考え込んだ。


(さて、どうするべきか・・・)


 墓場まで持っていこうと思った手紙の内容を打ち明けるか、否か。多分、快斗は新一の死を受けとめるためにここに来ている。そして、乗り越えてすべてを終わらせるために。


(自分で決めたことを曲げるのは本意じゃないが・・・)


 快斗ならば良い。そう思えた。愛息子の新一が、最後まで信じ抜き最期まで思い抜いた彼ならば・・・と。



































 快斗は苛々していた。本当は、今すぐにでも聞きたいのに、キッチンへ引っ込んでしまった優作は一向に出て来る気配を見せないのだ。

 自分は全てを知りたいのだ。優作の頭の中で考えられ選出されたことではなく、全てを。

 しばらくはおとなしくリビングで優作を待っていたが、遂に痺れを切らしてキッチンへ赴くと、そこには普段見せる油断出来ない人を食ったような表情ではなく、深く哀しみを湛えて何かを振り返っているような、そんな顔をした優作が立っていた。


(この人でも、こんな顔をするのか)


とある意味失礼な感想を抱きながら、快斗は「優作さん」と声を掛けると、ポーカーフェイスの下で明らかに驚いているであろう優作が顔を上げ、すげなく追い返されてしまった。

 そういえば、記憶の中の優作の新一に対する態度は、溺愛と言うのにピッタリなほどだった。勿論、愛妻の有希子もそうだったが、彼のあの二人への異常なまでの愛情は、一体どこから来たのか。


(・・・それが・・・今から解るのかな?)


 全部が、今明らかになるのか。


 本当は、他人の手によって目の前の箱が開かれていく様は、怪盗である以前に新一の恋人でありたかった快斗にとってはかなり屈辱的なことだった。彼自身の言葉で、直接聞かされていたかったのだ。


(でも、手段なんて選んでられねえよな・・・)


 たった一人で耐えて、自分を突き放してまで苦しむ姿を見せまいとして逝ってしまった彼はどんなに辛かったろうか。

 それに比べれば、自分のプライドなんてどぶに捨ててしまっても良いのだ。自分はただ知りたい、というそれだけだった。

 ふいに、優作がコーヒーカップを器用に片手で二つもってリビングの扉を開けた。渡されたコーヒーカップを受け取りながら礼を言って、小さく「いただきます」と言って口をつけ・・・自分の好みにピッタリなことに驚いた。

 前に来た時は、飲み物は大抵有希子の好みに合わせた紅茶だったから、優作は自分の好みを知らないはずなのだ。

 1対1の割合でコーヒーとミルクを入れ、更にスプーンに4杯のの砂糖が入った、既にコーヒーとは呼べない甘々に仕上げられたもの。これを知ってるのは、自分と、幼馴染、母親、志保・・・それから、新一だけの筈だった。


「・・・・・・新一がね、教えてくれたんだよ」


 静かに笑いながら、優作は快斗の正面のソファに腰掛けて、自分のブラックコーヒーを啜りつつぽつりと言った。

 はっとして彼を見ると、そこには新一からよく「タヌキ親父」と聞かされていた工藤優作が、完璧なポーカーフェイスの笑顔を浮かべていた。


「・・・さて、何を聞きたいんだい?」


 彼によく似た、挑戦的な目を真っ直ぐに見つめて、快斗は告げた。






「全てを――」



と。



































 急ぎ足で、真夜中の裏通りを歩く。闇に溶けるような漆黒の服に身を包み、胸元にはあの黒曜石を揺らして、快斗は逸る気持ちを抑えるように手に硬い握りこぶしを作って、ひたすら教えられたその店に急いでいた。

 身が凍えてしまいそうなほどに空気の冷え切った裏通り。昔、新一も通ったであろうそこと同じ道を、快斗が今彼の形見と預かり物を持って辿っている。・・・なんて皮肉な巡り合わせだろう。

 ずんずんと昏く歪んだ空気を抜け、周囲の気配が一瞬清浄なものになったのを感じ、ふと目をやったところにアートのような奇妙な作りの店があった。

 薄紫の看板には、剥げかかった紫のペンキで、辛うじて読める程度に雑な「fortune-teller」の文字が綴られている。

 その店のどこか圧倒される雰囲気に呑まれまいと深呼吸して、快斗は入口であるだろう、掛けられた複雑な織り目の分厚い布を捲くると、そこには直接地下に続く階段があり、迷わずその闇の中に身を投じた。

 暗い地下への階段。暗色の壁。等間隔に設置されたアンティークなランプが心地良く、しかし些か不気味な雰囲気を漂わせていたが、これはこれでレトロな感じがして面白い、と快斗は思いながらも奥へ奥へと進んだ。






 コツン、コツンと硬い靴底が立てる硬質な音が廊下に反響して鼓膜を震わせる。夜目が利く目で周りを注意深く見回しながら、快斗は堅ろうな石造りであるそこを淡々と踏み歩いていき、あっという間に突き当たりに当った。

 よく目を凝らして周囲を見遣り、怪盗の勘というやつで見当を付けて壁に手を這わせ、注意深く探り、表に掛けてあった分厚い布と同じ色の見事に壁に溶け込んだそれをバサリ、と捲くり、素早く中に入った。



 そこにいたのは、





「――待っていたよ?」



と言いながら微笑む、黒いローブを頭からスッポリ被り、薄手の紫色の手袋を嵌めた「魔女」だった。



 魔女と呼ばれる存在を、快斗は知り合いに一人知っていた。漆黒の髪に漆黒の瞳。両方とも吸い込まれそうなほどに強い引力を放ち、快斗以外のクラスの男達を根こそぎ虜にした美貌の魔女。紅子と呼ばれる彼女に血縁はいないはず。

 なのに、目の前の女からは、紅子と全く同じ種類の人間の匂いがした。

 闇に生き、闇を操り、全てを見透かす力を持つ。彼の魔女と同じ、魔女独特の気配と雰囲気が、確かに彼女からは伝わってくるのだ。


「・・・待ってたってことは、俺がここに来ることが既に解っていたのか?」


 僅かに信じられなくて、快斗は勧められた椅子を引き、試すように彼女の正面から睨み付けるように凝視しながら問う。一切の表情の見落としがないように。・・・しかし、


「そういうことになるね。・・・正しくは、4年も前からの話さ。はっきりと確定したのは、5ヶ月前だ」


と彼女は顔色を変えずアッサリと言ってくれた。4年前は、新一が初めてここを訪れた時。5ヶ月前とは、夏にロスで再会し、一度だけ離れたあの日のことだ。


「・・・・・・証拠は?」


 彼女にそんな物を要求することは愚かだと、無駄なことなのだと頭でも理性でも感情でもなく本能が告げて知っている。何より、彼が魔女と呼び、優作氏までもが認めた者なのだ。

 証拠、といわれた彼女は、些か外見とは似通わない子供っぽい仕草で首を傾げ、「そうだねえ〜」とやけに達観した声と口調で呟きつつ証拠とやらを考えていたが、快斗は敢えてそれを中断した。


「・・・いや、いい。忘れてくれ」


 今は、本当にそれを聞きたかった訳ではないのだから。

 今自分が欲しいのはたった一つ。工藤新一が残した、糸の切れたネックレスのようにバラバラになってしまった謎という名の彼の秘密の答えだけ。

 初めから全て分かっている、とでも言うように、彼女は静かに笑い、ゆったりと深く椅子に身を沈ませ、まるで眠りにつくような穏やかさで聞いた。


「・・・・・・さて、何が聞きたいんだい?」


 漸く差し出された質問に、快斗はじっと射るように彼女を見つめながら唇を吊り上げ、優作氏に告げたことと全く同じことを同じ様に告げた。






「全てを――」




彼に関すること全て。それ以外は今は要らない。





 魔女は静かに、そして穏やかに語り出す。

 それは暗号めいた響きを以って。そして、何よりも確かに、定められたこととして紡がれた。


「・・・そう、あんのボウヤ・・・シキが初めて現れたのは、やけに大きな月が出ていた良く晴れた夜の帳・・・まだ西の空が赤く染まっていた頃だった。丁度、夏と秋の境目の季節さ」


 シキ。そう名乗った彼の名前を、本当はずっと前からアタシは知っていたんだよ、と静かにレイと名乗る魔女は笑う。二人だけで決めた秘密の名前に、快斗は僅かに嫉妬しながらレイの語る言葉に静かに耳を傾けた。


「初めはシキもアタシの言うことを疑ってたよ。でも、ちゃんと証明したのさ。彼の3日間を「予知」することで」

「・・・予知?」


 予想していたようで出来ていなかった言葉に、快斗は思わず鸚鵡返しに聞き返すと、レイはイタズラっぽく微笑んで頷く。年齢も解らないが、そういう姿もやけに彼女にしっくりくるから不思議だ。

 時折見せる表情や雰囲気は、老婆のものであったり少女のものでもあったり、艶やかな女のものでもあったりして、彼女という確かな像が掴めない。


 まるで、そこにいるはずなのに視界が故意に暈かされているような感覚がした。


「アタシの予知はほぼ100%の確立で当るもんだよ。・・・そう、シキの恋人になる人間は男だってこともその時には知っていたのさ。・・・当ってるだろう?」


 小さく身動きしてレイは笑う。しゃら、と小さなフードの衣擦れの音がした。テーブルの上に置かれたランプの火が小さく揺らめく。


「・・・・・・大当たりだよ。それはいいんだ。俺は俺達がそうなるってことを出会った瞬間から確信してたから。・・・俺が知りたいのは、もっと先のことだ」



 ・・・何時、新一は自分が死ぬことを知った?確信した?自分にそれを隠し通そうと決めた?



 知りたいものは全て新一に関することだけだ。彼の恋人のことは、ずっと前から自分だと決定していたと快斗は傲慢でも何でもなく思っている。出会った瞬間から惚れ込んで、絶対に口説き落としてやると決めていたのだから。


「せっかちだねえ・・・そうそう、シキの恋人候補には実はアンタ以外に3人いたのさ」

「3人?」


前に進もうとせず、少しだけ興味を引く話をしだすレイに、先を促す。


「一人は彼の幼馴染。もう一人は共犯者の少女。もう一人は・・・」


 ニヤリ、と妖しく笑う彼女に、気になってじっと見つめていると、彼女は茶目っ気たっぷりに笑って内緒だよ、と答えた。


「なんだよ、それ!」


 まるで自分の母親にあしらわれる時と同じ様な言い草にむっとすると、彼女はまた表情を変えて静かに笑い、軽く両手を組んで少しだけ遠くを見る目をしてから続けた。

 そこには先程の少女のような無邪気な雰囲気はなく、ただ清涼さも感じられる穏やかな空気に摩り替わっていた。


「・・・シキが彼の死を知ったのは、シキが15の時だよ。創造者に聞いただろう?あの子は思い出話を語ってくれたはずさ」


 創造者とは工藤優作氏のことだろうか。しかし、彼すらも「子」をつけて呼んでしまえるこの貫禄は、やはり魔女である所為なのかと考える。

 確かに、優作氏は新一について彼の持つ全ての記憶を自分に託してくれたと思う。だけど、彼の言うところでは何かが抜けている気がしたのだ。

 全てが計算し尽くされたシナリオのように仕掛けられ、進み、終えてしまった新一のたった一人での計画は、優作氏の記憶だけでは語り尽くされていないようだった。


「あんたの・・・記憶は?」


 自らの望みのままに、快斗はレイに訊ねた。他人の話を聞きに来たのではない。彼女の話を聞きに来たのだ。


「・・・初めてシキを見た時、なんて厄介な子なんだろうって思ったもんだよ。なんて厄介な運命を背負ってるんだろうってね」

「じゃあ、もしかして、彼が来た時から全部知ってたってことか・・・?」


 思い付いたことをそのまま言ってみると、どうやらアタリだったらしく、彼女の唇が何とも言えず皮肉なものなっていた。口では肯定も否定もしなかったが。


「朧気なもんさ、人の心なんて。アタシにも人の心は霞んでしか見えない。そう・・・7月の終わりの話をしようか・・・やっぱりよく晴れた日だったよ。世間じゃあ急に届いた怪盗の手紙に困惑しながら興奮していたあの時さ」


 その話を聞いて、怪盗キッドの予告日だと快斗はすぐに分かった。やはり、あの時新一が会っていた昔からの友人とはレイのことなのだと確信できた。


「あの時、シキは最後のお別れを言いに来たのさ。そして、一つの仕事をアタシに頼んできた」

「仕事・・・って、予言の?」


 彼女の言う予言とはどんなものか良く分かっていないが、先程の口振りからしてもレイは他の呼び名などで呼ばれるよりも予言と呼ばせたいらしかったので、快斗は敢えてその言葉を使った。

 魔女は黙ったままに頷く。彼女の周りの空気はあくまでも穏やかだ。しかし、ほんの少しの衝撃ででも崩れてしまいそうな危うさを持っていた。


「依頼内容は、7年の星の動きと、紅い月が落ちる時・・・そして、彼が死ぬ正確な日時だった。星は地球を指すけど、この場合はあんたが対立してきたあの組織の動きのこと。紅い月はアンタの探し物・・・そして、正確な日時は彼の計画のために・・・シキはこの三つのことを予言して欲しいって言ったんだ。自分が死んだ時、もしもアンタがここに来た場合のみ手渡せるように・・・中身を見ようともせずにね」


 そういいながら、魔女は椅子の肘掛けの引き出しを薄く開け、中から小さな封書を出して快斗に差し出した。

 それを受け取り、快斗はじっと中を透かし見るように凝視した。にわかに、たった今魔女から聞かされた言葉が信じられなかった所為もある。・・・新一は、死ぬ寸前まで快斗のことを思っていたと志保は言っていた。

 目の前の未来を透かし見てしまう魔女に会い、全てを決断した彼がとったのが、自分を生かすための封書を遺すためだったのか?

 あの時、冗談でも疑ってしまった自分を今更ながらに後悔する。そして、新一に突き放されたあの日、離れてしまった自分に酷く憎むほど後悔した。



 もう、遅いことではあるけれど。



 糊付けして封蝋まで施されている封筒を丁寧に開けて、中の紙を開くと、そこには無数の文字がびっしりと並んでいた。書いたのは明らかに新一ではなくレイなのだが、その手紙は新一の途方もない優しさで溢れているような気がした。


「・・・・・・す、げ・・・」


 正に喉から手が出そうなほどに欲しい情報の山がそこには重積していた。

 ざっと目を通していると、レイは小さく呟くように言った。


「・・・シキは、初めから全部を決めていたようだったよ。そう、彼がアンタと会って、結ばれて、一緒に暮らし出した時から。シキは言っていただろう?本当は好きになるはずじゃなかったんだってね。アタシにも言っていたさ。自責の念を抱いているようにも見えた。・・・でも、満足そうだったよ」


 アンタと一緒にいて、幸せなんだと惚気られちまったさ。と彼女は苦笑しながら言う。まるで母親のような思いが込められているようだった。静かな口調だった。どんな感情を彼女が彼に抱いていたのかは知る由もないが。

 ぱっと目の前にいるレイを振り向くと、物哀しそうな、それでいて満ち足りた目にであった。しかし、たった一度の瞬きでレイはその哀しい気配を消し、ニヤリとまた悪戯っぽく笑う。


「さて、こちらのカードは全部見せたよ?」


 アンタはどうする?


 そう聞かれ、快斗はフッと不敵に笑った。

 自分の未来はもう決まっているのだ。その為だけに今を生きているといっても過言は全くない。それがなくなれば、自分はこの世に生きている意味も全て捨て去ることが出来る。


「モチロン、―――」








































 じゃあ、と背を向けた快斗を、レイは静かな目で見送る。4,5年越しで「友人」という位置にいた少年と、同じ様な顔をした全く正反対な相反する心を持つその恋人を初めて見たのだ。


 感想は、ああナルホド、としか言い様がなかった。


 シキと名乗った彼は結構な面食いだった様な気がする。それは彼の過去を見ても未来だった時期を見ても、彼の周りには類は友を呼ぶ、とも言うけれど随分な美形が揃っていた。

 それに、カイトは本当にシキのことを好きなのだと充分に解ったのだ。

 だから、話す気になれたんだと思う。親しみを覚えた古馴染みの彼の頼みということでもあったが。


 パラリと快斗は掛布を捲った。振り返り、自分の胸元の黒曜石を指して聞いてくる。


「これ、返した方がいい?」


 そういう律義な快斗に一瞬吹き出しそうになりながら、レイは「持って行きな」と言いながら軽く手を降った。また必要になるかもしれないから。

 あの石はこの店に来るためのお守り。あの道は危ないから、あの石を付けた者は絶対に危害を加えてはいけない、という暗黙の了解がこの辺り一帯には有るのだ。

 そして、外に出ようとした彼はもう一度何かを思い出したように振り返り、ずっと仕込んでおいたマジックで、涸れてやしないかとそれ心配だった一輪のそれを出し、ピンと指で弾くと、それはレイが肘を置くテーブルにストンと降りて倒れた。その花は――





『今日、花の女王に会ってきた。彼女はずっとその部屋から出ないのだという。ならどうして外の様子が分かるんだ?と聞いたら、内緒だよとまた例の笑顔で答えられた』





 新一の日記の一文。夜でもなく街でもなく花の女王という言葉に、彼女の名前のヒントが隠されていたのだ。

 美しい蝶の羽のような花弁を持つ、切り花にされた紫色の美しい花・・・

 小刻みに震える手でそれに優しく触る様子を見て、快斗は「ありがとう・・・」というか細い声を聞いてから外に出た。


 テーブルに置かれた花は、カトレア。花の女王ともいわれ、「優美な女性」、「魔力」などの花言葉を持つ花だった。







































 カチコチという大きな掛け時計の秒針の音を聞きながら、彼はソファに腰掛けて目を閉じ、静かにその時を待っていた。

 閉じられた瞼には闇しか映らないが、その分聴覚や感覚が冴え、ピンとしているが張り詰めるでもない空気がその書斎にはあった。

 ほんの僅かに空気が流れるのに気づいて、目を開く。音もなく窓が開くのを見て、優作は穏やかな笑顔で入って来た彼を迎えた。


「・・・こんばんわ」


 漆黒の服を纏い、素顔のままで小さく頭を下げる彼にソファを勧め、自分はその正面に座って訊ねた。


「彼女には会えたかい?」

「・・・会えましたよ」


 それは良かった、と優作は思う。快斗は知らないだろうが、彼女は自分が気に入った者にしか会わないから。流石は彼の子供だと思う。


「それで、どうするつもりなんだい?」


 ここが一番肝心なこと。・・・だが、優作には彼がどうしたいのかが手に取るように解る気がした。彼の表情や心の有様、存在意義などから・・・確信できた。



 彼は、死に急いでいる――と。



 快斗は優作の正面のソファに腰掛け、じっと探るような目で見つめる優作に、ほんの少し・・・それでもとても満ち足りたように笑う。それは、優作の予想を肯定するような微笑みだった。


(やっぱり、彼の息子だね)


 優作も彼に向かって微笑み返す。黒羽盗一氏とは、随分昔から交友があった。酒を酌み交わしたことも有り、あの最後のショーをする前に会った時の彼も、丁度こんな顔をしていたように思う。























 硬い表情の優作に、もうきっと知っているだろうな、と思いながら快斗は告げた。


「俺は、定められたことは最後までやろうと思ってますよ・・・新一との約束ですから」


 一つ残らず覚えている新一との約束。全てを終えたら。そうしたら・・・


「・・・心は、決まってるんだね?」


 否定するでもなく、肯定するでもなく。ただ受け入れる姿勢をとる優作に、有り難いと思う。罪悪感も傷も負わせずに送り出そうとしてくれるのが解ったから。

 母親にはもう告げてある。志保は既に解っているだろう。引き戻そうとするのではなく、逆に背中を押すのでもなく、見守ってくれる彼等に、快斗は心から感謝している。

 引き返すことはない。過去を振り返ることもない。


「はい」


頷く。確固とした意志を持って。





 これから、全てが終わるのだ。













 拾い集めたカケラ。


 全部集めて、抱き締めて。


 だけど、そこには君がいないから。


 全部全部終わらせたら


 君に会いにいってもいい・・・?





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