俺はな、お前を好きになるつもりなんてなかったんだ。
ど、どうしてさ?
だって、お前は怪盗だし。気障野郎だし。
ぅうっ。
ナンパ男だし。
ちょっと!それは聞き捨てならないよ!!俺はナンパ男なんかじゃないって!出会ってからずっと新一一筋なんだからね!
その前は?
・・・・・・・・・・・・・・。
な?
・・・・・・なんか、巧くはぐらかされた気がする・・・。
Can you find to blindfold a secret?
―18―
ぼすん、と柔かいソファにしては大きな音が立つ。暫く掃除をしていなかった所為で溜まっていた埃が宙を舞うのを、志保はやけに冷めた目で見ていた。
「その手紙、返してくれない?処分するから」
そう言われた直後、快斗は条件反射の如く素早く、志保の首に冷気で冷えた指を巻き付けていた。
「・・・放して、くれる?・・・苦しい、ん、だけど」
言いながら見詰めてくる彼女の目は驚くほど穏やかで冷静だ。自分が「殺気の篭もった手で首を絞められている」なんて全く感知していない様に、ただ静かに首に埋まっていく手の先にいる快斗を見詰めていた。
「・・・許せない」
許せない。志保の一言によって、押し込めていたどす黒い感情が溢れ出す。手にかけた細い首に指が埋まっていくのを、快斗は何でもないことのように見詰めた。
「・・・何が?」
聞き返す彼女の顔に苦悶の表情はなく、その目の奥には波一つ立たない静寂さが閉じ込められているように見えた。
「知らない。・・・でも、許せないんだ。多分、全部が」
「・・・全部・・・」
ふっと彼女の表情が陰った。手を掛けたままの首筋から伝わってくる血の脈動は速く、そして熱かった。・・・まるで、何かに耐えているように。
全部って?と目だけで促してくる彼女に、激しい怒りを覚えた。何故・・・どうして・・・
「志保ちゃんはどうしてそんなに冷静でいられるんだよ!?新一が死んだんだよ!!?死んだんだ!もう会えなくなったのに、何でそんなに落ち着いていられるんだ!!?」
唐突な激昂にも、彼女が動揺した様子はなかった。ただこちらを見詰めてくるだけで、何の抵抗も示さない。
「・・・・・・」
「ちっとも気づけなかったんだ!!全然知らなかった!!新一があんな体だったなんて・・・あんなに毎日一緒にいたのに・・・」
語尾がどんどん小さくなっていく。唇を切れそうなくらいにきつく噛んだ。
何よりも許せないのは、こんな状況で冷静な志保ではなく、何も言わずに逝ってしまった新一でもなく、ずっと一緒にいたのに悪くなっていく彼の容体に気づけなかった自分自身なのだ。
何もかもが許せない。そんな理不尽な怒りの中で、快斗は自分自身が一番許せなかった。
「・・・それだけ?」
自責の念に駆られていくのに対し、無言でいた志保は漸く口を開いた。
「俺は俺が許せない。・・・これだけあれば充分だよ」
「そう・・・・・・ひとつ、だけ・・・言っておくわ」
苦し気に白い息を吐いて、志保は一度目を閉じて、快斗を見据えて言った。
「・・・彼が死んで・・・私が後悔しなかったとでも思ってるの?」
「!・・・っ」
掠れた声で告げられる言葉に、快斗は目を見開き彼女を見た。相変わらず、彼女の表情は冷静さを保ってる。しかし、それは「見かけ」のことで・・・ほんの数時間前のことなのに、すっかり記憶から消えていた。
この部屋に入って来た時、彼女は激昂していたのだ。怒りや哀しみ・・・深い後悔の念を抱いて、「約束を破った」という理不尽にはならない怒りだけを快斗にぶつけた。
・・・どうして忘れていたんだろうか。彼女はあのAPTX4869を不本意の内に作り出した本人なのだ。その彼女が、後悔しない訳がない。
あの薬が大半の原因での新一の死に、辛くならない訳がないのだ。
「・・・ごめん」
言いながら、快斗は彼女の首に埋めていた手を放した。志保が辛くない?冷静過ぎる?そんなもの見かけだけに決まっているのだ。もし本当にそうだったとしても、見かけでも取り繕えるようになるまではどんなに辛かっただろう。
けほっと志保は何度か咳き込みながら、ゆっくりと抑え受けられていたソファに起き上がった。息も正常なものに整ってくると、快斗が持っている新一の「遺書」に目を向けて指差し言った。
「それ、私はいらないから。あなたが勝手にしなさい」
「・・・・・・志保ちゃん?」
・・・もしかしたら・・・否、もしかしなくとも、彼女は元々自分からこの彼からの手紙を取り返す気はなかったのだと気づいて、快斗は再び「ごめん」と謝った。
何度も謝罪を繰り返す快斗に、志保は呆れ、それと同時に泣きたくもなった。
(やっぱり・・・あなたも私を責めようとはしないのね・・・)
しかも、それどころか彼の死の原因があの薬からきているのを重々承知していながら、志保は被害者なのだ、とでも思っている快斗の心理は容易に推測できた。
私に優しすぎるわ、と志保は何故か泣きたい気分になった。罪を責めたりしない。それどころか庇う姿勢さえ見せる二人に。
少し皺が寄ってしまった白衣のポケットを探ると、硬い感触があった。「知人から貰った物」とだけ言って渡されたそれは、大きく、無駄なくカットされている黒曜石。
これの使い道は、何も言われなかった。・・・だから。
「・・・これ、あげるわ」
快斗に渡してしまおうと思う。本当は、何も言われずに渡されたから、黙って形見代わりに持っておこうかと思ったのだが。・・・きっと、自分が持っていても役には立たないし、この石も望まないだろう。
「・・・これは?」
受け取った快斗は、彼の宝石を月に翳すのと同じ仕草でその石を掲げ、吸い込まれるように凝視した。
「・・・・・・・・・工藤君が遺した物よ。知人から貰ったものって聞いたわ」
じっとそれを見詰め、なにかを考え込んでいる快斗に志保は心の中だけでそっと呟いた。
明かされたこと。彼が遺したもの。沢山の事実と、もう明るみには出ないであろう彼しか知らない真実。
(本当は・・・あなたは全部、手に入れられるのよ?黒羽君・・・)
彼は・・・全てのヒントを与えている筈だから・・・。
手渡された、ずしりと重い黒曜石を見つめながら、快斗はどこか見覚えのある石についての記憶を探っていた。
何かが記憶に引っ掛かっている。手の中にある、革紐を付けられた黒曜石を見た時からずっと燻っている、といった方が正しい。自分は、これを見たことが・・・ある?
そう、あの花・・・ラナンキュラスを見たときと同じ既視感・・・自分は一体、どこでこれを見たんだった?
――青味がかった滑らかな黒・・・首にかけるには少し大振りで、闇に溶けようかという黒はそれでも確かな存在感を持っている。確かに見覚えのある、と確信できる石。・・・前にこれを見たのは・・・。
「・・・夏の・・・・・・」
仕事や学校以外で、唯一自分が彼から離れたことのある、あの期間。あの時・・・
「・・・・・・ロスの、裏通り・・・」
無意識の内に言葉に出してしまっている快斗は、じっとソファに座って彼を見上げている志保に気づかない。その目が、確信に彩られていることにも。
気づかないままに、快斗は思考を続けた。
新一に呼び出されて、ロスで仕事したあの夜。彼は「一般人」なら絶対に入らないような、暗い裏通りにいた。
その彼の胸元で、この石は揺れてなかったか?
あの時は、装飾品は一切付けない新一が珍しいものだとも思って、それだけだった。でも、今は違う。この石の持ち主である彼は死んで、今自分の手元に「遺品」としてあるのだ。
その、意味は・・・?
「・・・新一は、この石をどうして欲しかったのかな・・・?」
ポツリ、と呟く。
あの時、新一は「野暮用」と言い、その後「昔からの友人に会ってきた」と言ったのだ。
なら、「昔からの友人」とは、誰だ?
カタカタと、胸中で小刻みに何かの突っかえが揺れている気がした。
もしかしたら、彼の隠してきたことが解るかもしれない。
彼からの手紙をもらった今でも、沢山の疑問は尽きない。全て解った訳ではないのだ。・・・全てを明かされた訳ではないのだ。
『どんな敵に遭っても、どんな危険に身を晒しても・・・どんな異変がお前の周りに起こっても、絶対に。パンドラを壊すっていう目的と信念だけは、捨てるな』
キッドの姿で帰って来たその日、告げられた言葉を思い出す。あれは、夏に入る前のことだったか。仕事で負った掠り傷が治療されていくのを、痛ましそうに見ながら真剣な目で交わされた約束。
『俺がいなくなったらお前はどうすんだ?絶対に手の届かない場所に行ってしまったら・・・俺が今の場所から逃げ出してしまったら・・・』
かなり最近聞かれたこと。返した返答は、前に交わされた約束を元にして取り消されてしまった。・・・・・・彼は、こうなることを知っていたのか?
「・・・新一は・・・いつから知っていたんだ?」
本当に、近々自分が死んでしまうことを。
思い返してみれば、彼は全てを知っていたような気がするのだ。それこそ、出会ったその日から。再会したあの時も。雨の日、現場まで迎えに行った時も。散歩に連れ出したあの時も。
手に持った黒曜石に吸い込まれるようにして思考に更に沈もうとして・・・それを止めたのは、不覚にも存在をすっかり忘れてしまっていた彼女だった。
「・・・・・・自分で・・・全部自分で調べなさいよ?」
溜め息と共に吐き出された言葉に、はっと我に返る。
「・・・・・・志保ちゃん?」
「はっきり言っておくと、彼はあなたに彼自身のことを知られたがらなかったわ。・・・彼に近づく死を、あなたに悟らせないために」
変わらずに淡々とした口調で言う志保を見つめ、快斗は次の言葉を待った。・・・彼女がどこまで知っているのか。それは自分自身のためにも知っておきたかったから。
「・・・沢山のことを隠して、隠し抜いて死んだんだもの。後から暴かれたとしても、彼は何も言えない筈よ」
・・・彼も、沢山の秘事を暴いてきたから。きっと責めようとはしないはず。・・・彼の生き様を暴く者が居ても。
考え、あることに気づいたように黙り込んでしまった快斗を見上げると、彼は青くなったままの顔を漸くこちらに向けた。
「・・・・・・幾つか聞いて良いかな?」
「そうね、答えられる範囲なら答えてあげる」
「あのね・・・・・・」
ドサリ、と快斗はベッドに倒れ込んで、ゆっくりと息を吐き出した。
「本当に、何もないんだな・・・」
彼がずっと生活していた部屋。今では殆どの調度が運び出されてしまった部屋で、唯一残っていたベッドに快斗は顔を擦り付けて思い切り息を吸った。
僅かに残る新一の匂いを身体に取り込んで静かに浸っていると、無償に切なさが沸き上がってきた。
ベッドを残してあるといっても、それ以外は全てなくなっている部屋はがらんと広くて、本来そこにあるはずの物がない状態はやけに空々しい。
涙ももう存分に流してしまった。後は、自分に残されたことを成すだけなのだ。それでも。
一つ、一つとそこにあった物を思い出しては記憶に刻み直していく、そんな自分は滑稽で、それでも彼の影を追おうとして・・・びっしりと沢山の本が並んでいた本棚があった場所を眺めて、ふと違和感に気づいた。
ずっと棚があって気づかなかったが・・・壁紙が微妙にずれている気がするのだ。
「・・・なんだ・・・?」
どうして気づかなかったのか。認識してしまえば更にありありと見えてくる違和感に、快斗はガバッと起き上がって、その壁に近づいた。
近くで見てみると良く分かるが、細い筋が走っているような壁紙の筋が少しだけずれているのが解り、その境目のところに指を這わせ、軽く押す。すると・・・
「・・・・・・FD・・・?」
正方形にも見える四角い板状のディスクがそこに姿を現したのだ。快斗は慎重にそれを取って、じっと眺めてから、志保に借りたノートパソコンでそれを開いた。
「・・・新一の、遺体はどこに行ったの?」
まず、初めに聞いておきたかったことだった。甘い香りで消されているが、今二人がいる書斎には、濃厚な血臭が漂っていて・・・ここで、彼はどれだけ苦しんだのだろうと思うと、また涙が零れそうになった。
でも、残っている血臭がこんなに濃厚なのに、この家に入った時、死臭は全くしなかったのが不思議だったのだ。
もしかしたら、彼の死に顔は見れるかもしれない、と淡い期待を抱いたのかもしれない。
「・・・もう、ここにはないわ。工藤君がが死んだ日に、彼の両親に引き取ってもらったの」
それは、簡単に崩れ去ってしまったけれど、快斗はめげずにまた質問した。
「新一がいつ頃から自分の死を知っていたのか・・・わかる?」
「知らないわ。私には彼の心が殆ど読めなかったもの」
「・・・そっか・・・最後に、一つだけ・・・・・・」
快斗は先程までとはうって違って、極々静かな声色で訊いた。
手近なファイルを開くと、膨大なそれは全部文章のファイルらしく、好奇心よりも半分「義務」というような感覚で一つ目を開けて初めの数行読み・・・ブツン、と小さく音をさせて電源を落した。
「・・・・・・なんで・・・」
どうして、こんな所にこれが?と思わずにいられなかった。
『4月1日。エイプリルフール。邂逅日。気障な怪盗に呼び出された。奴にとって、今日は「記念日」ということになっているらしい。本当は行くつもりはなかったけど、件の米花シティホテルへ行って、数度目の対峙を果たして、後悔する。後で考えると、どうして呼び出しに応じたのか・・・』
一番初めのファイルの中身。そのFDに入っているのは、全部彼の日記だった。これを自分が読んでいいのか?その疑問が頭に浮かんだ。
他人の目に触れないように隠されたFD。これを見つけたのは、きっと偶然だ。彼の遺書によると、新一は彼の死について探って欲しくなかったようだった。
でも、この中には、自分の疑問の答えがある。そう確信できた。
「・・・新一・・・新一、ごめんね?」
と謝りながら、もう一度快斗はパソコンを立ち上げた。
「新一は・・・幸せだったのかな?俺といて。・・・幸せ・・・だったのかな?」
一番、不安だったこと。彼は哀しみの中に逝ってしまったのではないか。本当に、自分は彼を幸せにできていたのか。・・・本当に、自分は嫌われていなかったのか。
不安というよりも、怖かった。
彼が哀しむのは、何よりも自分の本意じゃないから。
じっと見つめる自分に、目の前の彼女は今日初めての笑顔を見せた。
「工藤君が幸せじゃないって言うなら、この世には幸せな人間なんて誰一人としていないわ」
そう、言われて・・・思わず泣いてしまったのは無理もないと思う。確かに、思われていたのだ。工藤新一という、史上最強にして最上の恋人に。
実感できて、溢れ返ってくる愛しさに。もう伝えることのできない現実と、失ってしまってからひしひしと沸き上がる空虚と、二人の優しさに。
「っ・・・ありがとう・・・ありがと・・・・・っ」
(ごめん、二人とも、ほんとに、ごめん・・・・・・・)
快斗は、なんども心の中で謝罪の言葉を繰り返し、なんども礼を言いながら――声を殺して泣いた。
彼が死んだのは、たった二日前・・・
街中にクリスマスソングが流れて賑わう、
「聖夜」の前日のことだった。
ずっと知らなかったことを知ったよ。
クリスマス、お祝いしようって言ったよね。
あの時、はっきりと頷けなかったのは、こうなる事を知っていたから?
怒るかな、君は。
君の真実を最後まで暴こうとする俺を。
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