初めて会った時さ・・・


 ん?


 初めて会った時、俺、な〜んか運命みたいなもんを感じたんだよね〜新一に。


 運命、ねぇ・・・。


 そう!俺にはこいつしかいないッッ!て思った。


 似てたからか?


 違〜う!!直感だよ直感!!フィーリングっ!












Can you find to blindfold a secret?






    ―16―



 早く。はやく。早くあの家へ行きたかった。どんなに拒絶されても良いから、新一の顔が見たかった。靴を履く時間さえもどかしい。

 派手な音を立てて玄関を乱暴に閉め、凍り付くような気温の12月の空の下を、母親が止めるのも聞かずに駆け出した。

 実家から工藤邸への道のりが、こんなに長く感じられたのは初めてで、もっと、もっと早く、と心の中で念じながら、快斗は赤と緑のイルミネーションや明るい金の電飾に飾り付けられる賑わう街中を、実家に帰った時よりも早く全速力で駆け抜けて行く。

 一瞬見上げた空は、一面に冬特有の真っ白で厚い雲に覆われていて、それにより顔を見せない太陽のために下がる気温にも、ひたすらに走り続ける快斗には関係なかった。

 ただ前を見て、彼の元へ行く事だけを考えて。まだ愛し続けている彼のことを想って。



 快斗は再び工藤邸の門を通った――。




























 来た時の勢いとは裏腹に、数日前のあの日に返し損ねた合鍵を使って扉を開ける。家の雰囲気は、いつもと違ってかなり寒々しく、人がいないような静けさだった。


「・・・ただいま」


 試しに言って足を踏み入れてみるが、返ってくる声はない。・・・彼の気配のしない、家・・・。

 靴を脱いで、まずはリビングに向かうが、いつもソファに寝転んで本を読んでいた彼の姿はない。次はキッチン。次は洗面所・・・一階は粗方見終わって、最後に残っていた書斎の扉を開けるが・・・やはり、彼はいなかった。しかし、


「やっぱり、誰もいない、か・・・?」


 そう呟いた途端、本棚と本棚の、丁度入口からは死角になるところから気配を感じて目を向けると、そこには探していた彼・・・ではなく、かなり疲れた顔をした志保がいた。


「いるわよ、ここに。視力は確か?」

「・・・勿論」


 視力検査してあげましょうか?と冷たい眼差しで言いながら、志保はゆっくりと近づいてくる。快斗は部屋の電気を点け、室内に入って彼女に向き合った。


「・・・志保ちゃん・・・新一は・・・」

「あなたに工藤君に会う資格はないわ。・・・警告したのに」

「志保ちゃん?どういうことだよ!?」


 あと数十歩のところで立ち止まる彼女に近づこうとするが、その前に逃げられてしまう。そんな彼女の行動に、問い詰めたいのに嫌な予感が先に来て、喉が張り付いたように声が出なくなった。


「あなた、本当に解ってないの?工藤君に振られた日、本当に何も違和感を感じてなかったの?」

「・・・・・・俺は、新一に嫌われたんだ」


 甦るのは数日前の記憶。突き刺された言葉のナイフ。考えない様にして逃げていた矛盾した自分達の関係。突きつけられた絶対の拒絶。・・・何も考えられずに、この家から逃げ出した、あの日。

 違和感なんて、全く感じなかった。あれが、彼の本気なのだと思った。


「・・・そう・・・・・・・っ」


パンッ!!と小気味良い音が書斎に響いた。音を聞いて、その次に認識したのは頬のジンと痺れる痛み。


「本当にそんなことを信じているんだったら、それは完全に彼への侮辱だわ」


 冷ややかで、微かに震える声で志保は言った。右手で打たれた右頬を押さえながら、「志保ちゃん・・・?」と訊ねると、彼女はきつく睨み付けてきた。


「どうしてあなたはいつでもこんなに遅いのよッ!!?あんなに早く届けたのに!どうしてもっと早く来ないの!?あんなに約束したじゃない!工藤君との約束とは違うのよ!私との彼のための約束だったのよ!!・・・どうし、て来なかったの・・・!?」


 何の説明も無しに激昂して怒鳴る志保を、半ば呆然として快斗は見る。・・・自然と体を襲う震えは止まらず、目一杯目を見開いた。






 まさか、そんな。






 予想は付いていたことだった。送られてきたラナンキュラス。与えられてきた数々のヒント。一緒になって、幸せを感じていた日常に折り込まれた言葉。

 不意に、鼻に付いた匂いの元に目をやると、そこには一輪の、赤いラナンキュラスがあった。一度だけ嗅いだことのある香り・・・そう、確か一度、志保を呼び出した時に入り込んだ新一の部屋で、同じ香りを嗅いだのだ。


「・・・志保、ちゃん・・・?」


 信じたくない。信じたくない。信じたくない。快斗はどこか焦点の合っていない目で志保を見詰めながら訊ねる。否定の言葉が欲しい。「バカね、そんなことあるはずないでしょう?」と彼女独特の口調で言って欲しかった。


「私が出したのはたったあれだけの条件だったのに。工藤優作氏からお墨付きまで貰ったくせに、何を不安がっていたの?どうして彼から何日も離れたのよ・・・!」


 返されたのは激しい否定の言葉だった。ヒステリックというのとは違う、悲痛な慟哭にも似た、涙を見せずに流しながらの叫びに、冷え切って感覚が麻痺した手に痛みが走る程きつく拳を握り締める。


「3日。なんで私が3日なんて中途半端な数字を提示したと思ってるの?知らないのは知っているけど、あの約束が唯一の条件だったのよ!・・・彼は、望んでいなかったけれど」


 彼女の、滅多に見せない激昂した語調は、最後には力が抜けたように萎んでいった。その彼女の様子からも、今の状況からも解ってしまった事実。香ってくるあの花の香りが、その事の象徴のようで、不意に、快斗はその甘い香りに吐き気を覚えた。

 言い終えて、昂ぶった気を精一杯鎮めようとしていた志保は、ゆっくりと呼吸を整えてから真っ直ぐに快斗を見つめた。目の奥には僅かな憎悪と、消えない哀しみと、根底に漂う哀れみのような感情があった。


「・・・しんいち、は・・・」

「・・・あなたを殺してやりたいわ、今すぐに。でも、できない・・・しないの。あの人がそれを望まないから。・・・許すことも、しないけど」


 でも、これを貸してあげる。

そう言って、彼女は快斗の質問に答えず、ただ何も書かれていない真っ白な封筒を快斗に突きつけた。


「全部、読みなさいよ。彼は強制したくないみたいだったけど、途中で逃げるのは私が許さないわ」





 あなたには、真実を知る義務があるの。


そう言って、彼女は静かに部屋を出ていった。










































 あの手紙を渡されたのは、初めて新一が倒れた、キッドの予告日に出向いたあの日から数日後のことだった。唯一二人きりになる検診の時間に、聴診器を当てようとする志保の手を遮って、新一はあの真っ白な封筒を彼女に渡したのだ。

 倒れたあの日、わざと暗示させるための花を使って作った香を彼の枕元で焚き、あの部屋を立ち去ってからも、隣家からきっと眠っていないんだろうなと思いながら彼の自室の窓を見守り、白い鳥が舞い下りたのを見届けてから漸く眠った。・・・悔しくて消えない熱に翻弄されながら。

 それから数日。彼はなんとか軽い発作をやり過ごし、ゆっくりと恋人への態度を冷めたものへと変えていった。その後の計画を成功させる下準備のために。

 冷たい反応をされて傷つく快斗を見ながら、新一も随分と傷ついた筈だった。なのに、彼は「これは、俺の我侭だから」と言って、静かに笑うだけで。

 そんな彼を知っているから、差し出された封筒を見ても、内容は前々から告げられていただけに受け取りたいとは思わなかった。


「・・・彼、きっと泣くわよ?後を追うかもしれないわ」

「・・・うん、知ってる。でも、後は追わせないさ」


 これは、俺の体の問題なんだから。受け取りながらぽつりと言った志保に、新一は志保の手元にある手紙を見詰めながら、心ここに在らずと言った体で返す。


「・・・そうね。知ってるわ」


 紛らわせた?あの香で。

 手紙をしまいながら訊ねると、静かに微笑みながら新一は「ああ」と頷いて、


「悪いな、志保」


と謝る。志保は聞き飽きてしまったそれを否定するように首を横に振る。


「私は良いのよ。随分と細かい手回しが必要だけど、私は良いの。・・・謝らないでちょうだい」


 半分非難するように視線を向けると、新一は苦笑して、言い直した。


「・・・ありがとな、志保」


そう言って笑う彼はどこまでも優しくて・・・何よりも奇麗で、危ないのだと感じた。












 笑顔に危険すら感じていた。貰ったのは「黒羽快斗」への手紙なのだと知っていたから。

 彼は、自分の限界をすでに悟ってしまっているのだとその時漸く解った。・・・そして、延命しようとする志保の手を拒もうとする潔さに、苛立って怒鳴り付けたくなった。


 生きろと貴方は言ったのに、貴方は諦めてしまっているのなんてずるい、と。


 結局、それを言うことはなかったが。


 あの香と同じ花を送り届けたのは前日のこと。手を施し様もなく、そして手を施すこともさせてくれない彼が言った言葉に、彼との約束を一つ、破ることにしたのだ。


『There is nothing tomorrow.』


 メッセージを添えて、あの花を自らおくった。あの花をおくれば来るという確信は在った。しかし、打撃を受けた快斗が意味に気づかずに放っておく可能性も考えて、期限ギリギリになるようにカードまで添えた。

 ずっと、彼は快斗に会うことを拒んでいた。別れを告げたあの日から。本音を洩らしたのは3日前だ。

 その日に近づくにつれて、彼の吐血量は日に日に増していった。意識を失うことも多々あり、彼が、人が味わう最後で最大の孤独と向き合っていた書斎には、彼の血臭を消すために焚いたあの花の香の匂いが漂っている。

 ゆっくりと、志保は快斗を甘い香りが漂う書斎に残してリビングへ移動した。コーヒーを煎れる気も起きない。ただ、大切なものを失ったという喪失感と虚脱で、なにをする気も起こらなかった。


 思い返すのは、青白い顔をしてベッドに寝ながら、微笑みを浮かべる彼の顔。


 最後の・・・彼が死んだ、その日のことだった。












































 胸元に押し付けられたものを大事に受け取って、快斗は丁寧に糊付けされた封を切った。静かに部屋を出て行く志保の気配を感じながらも、ソファに座り、緊張に震える手で何枚にも渡る「手紙」を開き、冒頭に書かれた言葉に、志保の言葉通り逃げ出したくなった。


『    遺書。

 快斗へ。こんな形で告げることになったのについて、許して欲しいとは思わない。何だったらこの手紙を破いてくれても構わないし、燃やしてくれても良い。

 俺はお前に嘘を吐いたこともお前を騙したこともなかったけど、ずっと、隠していたことがあった。俺の・・・早まった死期について。』



 整った流麗な文字で綴られているのは、新一の、真実の告白だった。










































 夕闇が窓から彼の眠るベッドに射していた。窓も開けず、適温に保たれているはずなのに、部屋の中はどこか寒々しくて寂しかった。

 今までにない大きな発作が彼を襲って、粗方血を吐き出した後、彼は苦しい筈なのに穏やか志保に微笑みかけた。


「・・・悪いな。もう、限界みたいだ」


 ベッドに横たわったまま向けられる笑顔は、こっちが泣きたくなるほど奇麗で、思わず志保は込み上げてきた熱を咄嗟に堪えながら言った。最後なのだから、と前置いて。


「言いたいこと、あるでしょう?ずっと隠してきたんでしょう?言ってしまいなさいよ、重荷になってしまったら、貴方は成仏もできないわよ」

「・・・・・・・・・俺さ、ずっと幸せだったんだ」


 随分と躊躇した上で、吐息と共に吐き出されたのは言葉通りの響きの言葉。幸福だったのだ、と言う彼の顔には、ただただ儚い微笑みが浮かんでいた。


「快斗がいて、志保がいて、父さんも母さんもいて、阿笠博士もいたし・・・本当に幸せだった。これ以上は贅沢だって思えるくらいに、皆に優しさを貰ってさ」

「・・・工藤君?」


「だから、お前が負い目に思うことはないんだ」



 静かに語る彼の目には、死への絶望でも志保への責でもなく、今まで生きてきた自分の有り様や周囲のものを思い返しているようで。


「・・・黒羽君には?」


 言わない様にしていた名前。しかし、これ以上黙っていると、目の前の彼は周囲への感謝だけで終わらせてしまいそうだったから。

 吐き出してしまいなさいよ。数日前にも思ったことを、もう一度志保は心の中で唱えると、新一はそれを読み取ったかのように微苦笑し、一度瞼の奥にその瞳を隠し、次に開いた時には白い天井を見上げた。


 彼は、穏やかな・・・哀しい目をしていた。

 後悔の色こそないが、確かに遠くへと思いを馳せていた。



「最後に・・・快斗に、会いたかったな・・・それで、一言だけ言いたかった」



 全てがニアミスから始まる出逢いだったし、この感情も全くのニアミスから始まったものだったけれど、それでも。




 ありがとう・・・と。




「俺さ、嬉しかったんだ。ずっと手が届かないって思っていたやつなのに、戻ってからの短くて・・・長い時間、一緒にいられたのがさ」

「・・・・・・・・・」

「突き放せばよかった。でも、できなかった・・・俺の甘えの所為であいつを終わらせたくなかった。・・・それでも、離したくなかったんだ」


 矛盾している言葉の数々。しかし、整然と並べ立てられるより、そちらの方が余程彼の真実を窺わせた。彼の感情は、どこにあるんだろう?思いながら、ゆっくりと自身の心のことを探りながら話している新一に、無言で先を促す。・・・たった一言を。それを理由にして、自分は動けるから。


「・・・・・・快斗が・・・好きだった。どうしようもなく、好きだったんだ。――・・・・・・快斗に、会いたかったな・・・―――」


 次第に途切れ途切れになる言葉。起き過ぎていたことからの疲れから、新一は静かに瞼を落した。静かに眠る彼。鼓動は弱々しく、しかし確かな時を刻んでいる。

 志保は、小さな注射器を取り出して、彼女がこの時に備えて必死で作った薬を静かに注入する。唯一、彼の命をほんの1日だけ伸ばす薬。それ以上は毒にしかならない、紙一重の薬を彼に投与して、急いで席を立った。

 そして、あの花を渡しに行ったのだ。「光輝を放つ」だとか「晴れやかな魅力」だとかの花言葉の他に、もう一つ。偶々新聞で見つけた逸話から思い付いて、ヒントまで出して答えまで導かせた花。ラナンキュラスを。

 帰って来た時には、ベッドに横たわって苦笑のようなモノを浮かべている新一がいて・・・






 ――快斗に会えて、良かった。



 自嘲の笑みと共に洩らした彼の言葉の奥には、懐かしさも込められた幸せがあるような気がした。



 そして、彼は・・・翌日の夕方。月が天に昇らんとする頃に、眠るようにして、過ぎるほど静かに逝った。









 お前に会えて良かった。


 今ではそれしか言えないけれど、でもこれだけは言えるんだ。


 一緒に過ごしてきた、長いようで短かった時間。


 俺は、確かに幸せだったんだ。




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