新一、好きだよ
・・・なんだよ、急に。とうとう頭がわいたか?
んな訳ないじゃん!!大好きだよ、新一vv
――で?なんでイキナリそれなんだ。
ん〜〜新一にも好きって言って欲しいなっって思ってv
・・・冗談は顔だけにしとけ。
え〜いーじゃん言ってよ〜!それとも新ちゃん俺の事キライ〜?
・・・言ったら有り難味がなくなるじゃねえか。
う〜〜言ってくれないの?
・・・じゃあ、快斗は俺の気持ち疑うのか?
っんな訳ないじゃん!!
Can you find to blindfold a secret?
―15―
眠りから目覚める。家のどこにも、自分以外の気配がしない。
慣れ切っていて、完全には慣れられなかった寒い空間。自分のたった一つの居場所。
怠い体を無理矢理起こす。体の痛みをやり過ごして、パジャマのままガウンだけ羽織って一階に下りた。
――誰もいない、空間。
快斗がいない場所。驚くほど寒くなってしまった家。空気。気配。
快斗に別れの宣告をして、傷をつけられるだけ付けて、自分の前から突き放した。泣く事も出来なかった自分を嗤いながら眠りについたのは、実はほんの数日前。・・・もう、数年も時が経ってしまったようだ。
洗面所に立って、顔を洗って歯を磨く。髪は手櫛で撫で付けて、父親の書斎へと足を運んだ。朝食を摂る気は毛頭無かった。・・・もう意味が無いから。
暖房で暖められる前の書斎は身震いするほど寒く、それでも新一は苦手な寒い空間に身を委ねる。
あっという間に消え失せていく感覚。痺れもなく麻痺していく身体に軽く苦笑しながら、適当に数冊の本を棚から選んで作業用のデスクの他にポツンとある長椅子に転がって、パラパラとページを捲った。
つい昨日までしていたものと同じ行動に、一人自嘲の笑みを浮かべ、断続的に痛みを訴える心臓の鼓動の音を聞きながら、頭に入らないのを分かっていて文字の羅列に目を滑らせた。
殆ど終らせてただひたすら待っている今は、今までとは打って変わって退屈で、暇だった。時々来る要請も体調不良だと言って断り、電話口で推理を組み立て、助言するのが精一杯だ。
表に出られないのは、いい。もうそんな気は微塵も起きなかったから。
ただ、ひたすら待ち続けている。全神経で、自分の背後から堂々と寄ってくるモノを追う。キリキリと、心臓が痛んだ。
(こういう時って、酒飲むんだっけ?・・・ああ、煙草か)
ふと考えた事に笑う。残念ながら煙草は吸えないが、昔の人は上手い事を考えたものだ。
ぼんやりと、天井を眺める。自らの心臓の音を聞きながら、少しずつ荒くなっている自分の息を感じながら目を閉じた。
ドクンッと心臓が強く。強すぎるほど荒く、脈打った。
ドサッと今まで持っていた本が床に重い音を立てて落ちる。
「っ・・・ク、ぁ・・・ッ!」
身体の中で一番に役目を果たそうとする臓器が暴走しているのを全神経で感じた。思わず心臓の位置を服の上から掴む。次第に鼓動が激しくなってきて、喉元から胸辺りまでを痛痒い痺れを伴う程強く掻き毟った。
何度も味わった骨の溶けるような感覚はない。しかし、心臓は今にも破裂せんばかりに貧弱な体内で暴れている。痛みよりも寧ろ不快感を催す鉄錆の味が、口内一杯に広がった。
「ぐっ・・・ゲホッ、ゴホッ・・・ク、ゥ・・・!」
フローリングの床に蹲って、その場で食道だか気管だかを傷つけ破壊してせり上がってきたモノを、咳にのせて吐き出す。何度も、何度も。
鮮やかな赤が、床を広く染め上げた。
口元を手で覆っていても、何の意味も成さない程多量な血液が、全身の流れに逆らって迸る。目の前が、赤い。
過度の激痛が続く。脳の奥がジンと痺れるのを感じた後、新一は、漸く濡れた床に手をついて、何とか失わずにおけた朦朧とした意識の内でソファに凭れ掛かって座った。
はあ、はあと荒く息を吐き出す。床に広がる血溜りを見遣って、後で拭いとかないと、とか本に血がつかなくて良かった、とか妙に現実的な事を考えて、まだ意識を失わないからマシ、と自己分析して軋む身体を無理矢理動かす。
思考が霞もうがはっきりしてようが、今となっては手後れの事だが。自暴自棄になった訳ではなかった。既に、彼自身が終わりを予知していたのだ。昔出会って、そして別れを告げてきたあの魔女のように。
咽返るような血臭に、吐き気がした。吐いている時は気付かなかったが、一時的に嗅覚が麻痺していたらしかった。
あの日、別れを告げて本当に良かった。志保は目安をその翌日に置いていたが、それでは駄目なような気がしたのだ。予感は当たった。自分の体の事は、きっと自分が良く知っている。主治医の見識まで騙してしまう、自分の体。
志保の腕は確かだ。彼女の実力は認めている。しかし、常に変調する彼自身の体調や死期については、人知の範囲内ではある程度目測出来るだけでも上出来なのだ。
闇の中に咲いている女王だけは、殆ど見誤らなかったが。
こうなる事は、ずっと前から知っていた。それこそ元の姿に戻った瞬間から。
だから、ついに来たんだな、という程度の感想しか抱けない。涙も出ない。心も痛まない。望みも、持たない。
鎮まっていく鼓動を、じっと血臭が漂う室内で天井をぼんやりと見上げながら他人事のように聞いている。治まると言っても、完全には治るはずも無い柔な心臓。生きているのが虚しくなる位。
いい加減、吐き気も我慢の限界がきそうで、まだ痛む体を引き摺るようにして部屋を出る。トイレよりも近いところにある洗面所に辿り着いて、堪えていた吐き気を解放する。
出るのは胃酸ばかりで、舌と喉の奥が痛い。胃内容は・・・と調べてみるが、胃液しかない。ずっと何も食べていないのだから、当然といえば当然の事だ。
「今まで生きてきたのが不思議だよ」とまで自分の食生活について快斗に言われた事を思い出し、微かに微笑む。・・・確かに手の中にあった、幸せだった日々。
もう思い出す事しか叶わない、手の中から確実に零れ落ちていく今までの時間。
癒されていた。涸れた心に安らぎを与えられていた。虚しかった真実の意味を教えてくれた。・・・もう、充分だった。
感傷に浸っている自分に苦笑して、手近なタオルを水で濡らして書斎へと戻り、手早く、出来るだけ跡が残らないように血を拭き取り、体が動くうちに、とタオルをゴミ袋の中に捨ててしまって、洗面器を持ってきた。
名付けて血吐き用。そのままだし、はっきり言って冗談にもならないが。これでいちいち床を汚す事も無くなるだろう。
わざわざ移動する気にもなれず、書斎の長椅子に沈んで、本を読む気にもなれずに目を閉じた。
志保は暗い玄関に立って、今すぐにでも引き返したい衝動に駆られた。驚くほど、生の気配がしない家。
快斗一人の違いだけで、この場所はこんなにも変わるのだ。新一の中を占める黒羽快斗という存在の大きさが、ありありとこの家に表されている気がする。
外から見ても、この屋敷に電気は一切点いていなかった。ということは、まだ起きていないか、書斎にいるかのどちらかだ。
速やかに靴を脱いで、真っ直ぐに見当を付けた書斎に行こうとし・・・途中の洗面所で、志保は足をピタリと止めた。そこから漂ってくる強烈な匂いに、ギクリと体を硬直させる。
血の臭いが、したから。
「っ・・・・・・!?」
一瞬息を止めて、早足だったのを今度は駆け出した。彼がいるであろう、書斎へ。
焦りとは反比例して、注意深く目的の場所の扉をそっと開ける。その途端に嗅覚を刺激する咽返るような血臭に、志保は口元に手を当ててじっと吐きそうになる自分を必死に押し留めた。
素早く彼に近寄って脈を取り、息をしているか確認して、生きている事に取り敢えず安堵して、彼の酷い顔色と安らかに眠る面の余りにもアンバランスさに涙が出そうになった。
自分が泣いていい事ではないと分かっているのに、胸が引き絞られて、目頭が熱くなるのは抑えられない。
ギリギリと唇を噛み締める。目を閉じて滴が流れそうになるのを堪えた。自分には、その資格が無い。
快斗と別れてから、ますます細くなった身体。白を通り越して青白い肌。薄く青みを帯びた唇、隈に模られて、痩せた顔に一層大きく見えるようになった澄んだ蒼い目・・・全て。全てが、彼の肉体の衰退を表し、彼が刻む最期の時を示している。
儚いなんてモノじゃない。痛々しいと哀れむのは彼が許さない。お願いだから生きて、というには――自分の犯した罪は大きすぎた。
「・・・っ・・・工藤君・・・」
極力小声で彼を呼ぶ。眠りから覚めてもらわなければ、寝ている時に診察しても意味が無い。診察に来た意味が無いから。
一瞬でも長く、彼の命を繋ぎたかった。
根気良く呼び続け、軽く頬を叩いていると、漸く新一は頑なだった瞼を上げた。ほっと、息をつく。目が開けられる瞬間こそ、彼が生きている証拠なんだとその時その時に確信するのだ。
「・・・・・・宮野・・・ああ、診察か?」
「そうよ。起きてちょうだい」
なるべく冷たく聞えるように言い返す。とにかく起きて欲しかった。起きて、生きていると言うことを確認させて欲しかった。
彼はパチパチと瞬いて、のんびりとした動作で起き上がる。第一ボタンだけを外したシャツに手を掛け、まだ寝呆けているらしい動作でボタンを外していく。そこには警戒の欠片もなく・・・
「・・・もう、諦めてしまってるの?」
そう聞きたくなる衝動を抑えられなかった。
警戒の無さは、同時に生への諦めをも含んでいるような気がしたから。・・・露になった肌の白さが哀しかった。細く、一回りも痩せてしまった体を見ているのが辛い。彼は、何故こんなに平気そうに振る舞えるのかが不思議だった。
「・・・いや・・・諦めるって問題じゃないんだ。ここまできたら、もう逃れようが無いって解ってるだけだ」
「・・・受け入れてるのね」
自分の身に起こる、全ての事を。
暗にそういうと、新一は志保に静かな微笑みを向けた。全てを悟ったような笑みに、ギリッと唇を噛む。
「あなたは・・・あなたはもっと、私を責めていい筈よ!?」
「・・・俺がお前を責める理由なんて、もうねえよ。・・・全部、終わったんだから」
新一と志保、そして快斗の手によって齎された組織の壊滅。自分が元に戻る事になった切っ掛け。それと共に、彼は「お前の罪はもう全部抹消されたんだから、忘れろよ?」と言ったのだ。優しすぎる言葉に、思わず涙が出そうになったのを覚えている。
「・・・・・・・・・」
「・・・志保、アレ―頼むな?」
「・・・他にもっと言うことはないの?」
「ずっと付き合わせて、ごめんな」
「他には?」
本当は聞きたくなかった。こんな、遺言染みた言葉。だけど、今自分が聞いとかなければならない事を知っているから、志保は一つ一つに確りと頷く。・・・今は、それくらいしか償う方法がないから。
「気付いてたけど、返せなくて悪い」
「いいわよ、わかってたもの。他には?」
自分の気持ち。それは途中から、彼を守り抜きたいという願いに変わった。それを、彼は知っているだろうか。
「・・・父さんと母さんにもごめんって伝えて」
「それから?」
「俺の・・・」
「それはいいから。他には?」
彼の本心が出てくる様子がなくて、半ば苛々しながら先を促す。彼が軽く首を傾げて「もうないけど」なんて言った時には、本当に平手打ちでもしようかと思った。
その、余りのもどかしさに。
「肝心な事があるでしょう!言いなさいよ!!」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
短い沈黙。彼の目には自嘲と表すのがピッタリな色が宿っている。
「・・・・・・・・・ごめん・・・」
ふっと顔を背けて、新一は目を閉じた。言えないのだ、と。・・・言わないのだと。
静かな空間に聞えてくる寝息に、志保は肩の力を抜いて、ずっとここに置いてある毛布を掛けて、その場を立った。
彼はずっと、たった一言を快斗に言わないでいる。ずっと自分の中にまるで戒めているように押し込めて、言わずにいることで何かを耐えているようにも見えた。それは、志保にとっては見ていて痛いものでしかなくて。
どうしても、そのたった一言を引き出したいと思った。
静かに、足音を立てない様な滑らかさで夜が過ぎていく。それと同時に、刻々と彼の時間も迫っていた。
心に偽りはなかった。
胸に仕舞った言えない言葉は、紛う事無き真実。
ただ、縛りたくはないとだけ思った。
それだけが、望み全てだった。
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