・・・ちょっと話をしないか?


 どんな話ですか?


 ・・・新一の事について、少しね。・・・君は、あの子を愛してくれているかい?


 愛してます。心から。この命に代えられるくらい、新一を愛してます。


 ・・・・・・そうか・・・なら、良かった・・・


 ・・・話って、もしかしてそれだけですか?


 いや――快斗君。新一は、何があっても君を嫌う事はないと思うよ。


 確証があるんですか?


 自信がないのかね?


 まさか!!それだけの努力はしてますからね♪












Can you find to blindfold a secret?






    ―14―



 雨の中、快斗は走っていた。ただひたすら先程までいた家から遠ざかろうと、半ば必死になって走った。

 たった今新一に言われた言葉の数々が、頭の中をぐるぐると渦巻いている。

 見上げる空は暗い。青かったそれを冬の厚い雲が覆い、降らされる筈の陽光を遮って、代わりに冷たい雨を降らせている。

 その雨に、急激に体温を奪われながら、快斗の身体の奥は熱かった。


「・・・・・・・・・なんでッ」


 何故。どうして。先程から繰り返される自分の中の疑問。これほどまでに直視したくないと思える現実に直面したのは初めてで――どうしても、自分の中に答えは見出せなかった。


『別れねえ?』


 改まった感じなど全くしない、世間話を持ちかけるように言われた言葉。一瞬何を言われたのか理解できなかった。彼の無表情で、冷たい目で、凍ったような声で語り掛けてきた言葉が何度もリフレインしている。



『なんで?理由はあるだろう、それこそウンザリするぐらい』


『今までの状態に、お前は何の違和感も持ってなかったのか?』


『俺が探偵だと解ってて、今の状況で本当に安らげるとでも?』



 酷薄な笑みと共に告げられた言葉。切り付けられたナイフ。近づきたくても、彼は全身で快斗を拒んでいた。そう感じるのを否定できない雰囲気が彼を包んでいて。



『飽きたんだ』



 そういった彼の言葉が、心臓に直撃した。躱しようもなく、鮮やかに。

 本気かと聞けば、アッサリした肯定が返ってくる。最期に言った彼の言葉が、一番脳裏に染み付いて、離れない。




『バイバイ、黒羽』




 明らかな拒絶。既に決定された別れの言葉。


(嫌だ、嫌だ、いやだ、しんいち・・・!!)


 走りながら、さっき新一の前では言えなかった言葉を心の中で吐き出す。

 身体の奥が熱い。小さな種火が燻っているような、今にも爆発しそうな熱が快斗の走る足を更に速めさせた。

 雨が顔に痛いくらい当る。全て、信じたくなかった。今起こった事も。聞いた事も。自分の目から滲み出て、箍が壊れたように流れ続ける滴さえ。

 ・・・・・・全て、認識し難い、否、したくもない現実だった。

































 鍵が掛かっていたドアを、鍵を持っていなかったので持ち前の能力で簡単に開け、快斗は驚きの声を掛けてくる母には一切答えずに二階に駆け上がり、ドアに鍵を掛けて濡れた服のままベッドに沈んだ。

 ぶるり、と自分の体の余りの冷たさに震え、それでも構わずにそのまま布団を被って丸くなる。

 呼吸を整えて、目を閉じる。自分の心音を聞いていると、幾分か昂ぶっていた気が収まってきた。得体の知れないものに脅えた子供の様に、身を縮こまらせて自分自身を抱くようにして思考を巡らす。

 ――信じたくなかった。

 信じたくなかったからこそ、先程新一に言われた言葉を否定するものが欲しかった。どんな些細なことでもいい、ただ・・・嫌われていると考えたくなかった。縋れるものが、欲しかったのかもしれない。


『新一は、何があっても君を嫌うことはないと思うよ』


 じっと考え込んでいる間に、ふっと思考を掠めていった言葉。あれは確か、この前ロスへ行って新一の両親に会って、日本へ帰る前日の夜に、優作氏に言われた言葉だ。

 あの時、自分はそれが当然のことだと思っていた。しかし、現実は違ったのか?・・・それとも、あの言葉が本当なのだと信じていいのか?


『珍しい、花なんだ』


 赤い色彩が脳裏を過ぎる。夏の初めだったか。梅雨が始まる前の時期、珍しく涼しい夕方の天気と気温に、新一を散歩に誘ったことがあった。

 あの時、彼に教えてもらった花の名前は何だったか・・・あの時の、新一のやけに悲しそうな顔が、頭から離れない。



 ・・・あの花は、何と言う花だった?



 一度思考に引っ掛かると、どうにも気になって仕方が無かった。

 仮にも新一に関する記憶なのに、少しでも忘れてしまった自分に信じられないと思う。名前が分からないなら、分類などで調べられるし。

 とりあえず、快斗は部屋に常時置いてあるパソコンを立ち上げた。着替えるのも忘れて、濡れた服のままで。




 あの時、新一は何と言っていた?




『キンポウゲ科の花で、名前は――』




 名前は、何と言うものだった?




 冷たくなって感覚の無くなった指でキーを叩く。覚えていた『キンポウゲ科』で検索して・・・じっと、画面に映し出された赤い花を見た。


 やはり、椿にも開きかけた薔薇にも似ている。しかし、それよりも儚く美しく――あの散歩の時と、全く同じ感想を持っている自分に対し、訳も無く自嘲の笑みを浮かべる。



『ヒントだけはあげるわ――』

『私の約束を守るためのヒントだけど』

『新聞よ。あなたが何かを探したい時・・・工藤君に関係する何かを調べたい時。新聞を真っ先に調べればいいわ』



 頭がぼんやりとしてきた。志保の言葉を思い出し、キーワードに『新聞』を追加して検索してみる。・・・一件だけ引っ掛かった。彼女は、一体自分に何を示唆していたのか。

 何故だかは知れない。しかし、それが答えなのだと、理由のない確信が快斗のなかにはあった。

 本格的に意識が朦朧としてきた。冷たい雨に打たれ続けて、体も拭かずにこんな事をしているのだから当然の結果かもしれないが、どうしても今、彼女が言った彼の真実を知ってしまいたかった。

 思考が危うくなってきた。本格的に熱が出てしまったらしい。霞む目で必死になって画面の字を読み取ろうとするが、上手く行かない。

 何度も目を擦った。じっと、睨む様に画面を覗き込む。



『・・・後悔しても、知らないからな?』


『私は、彼が望むままに生きさせてあげようと思ってるわ』


『調子良いぜ?心配すんな』


『あなた、どういうつもりで彼の傍にいるの――?』



 いくつもの、いくつもの言葉が、ガンガンと頭痛がする脳裏を掠めて、瞬く間に形を潜めていく。何とかして読み取ろうとするが、体は強烈な精神的ショックと高い発熱に、回復のための睡眠を欲していた。

 最後の一瞬。一瞬だけ晴れた視界に目に入った文字に思考を働かせる余裕も無く、快斗は急速に眠りの中に引き込まれていった。







































 深い、深い眠りに沈み、どれだけ経ったろうか。快斗は随分前の・・・新一と暮らし始めた頃、たった一度交わした志保との約束を夢現に思い出していた。


『あなた、どういうつもりで彼の傍にいるの?』


 そう切り出した彼女の目は冷ややかで、じっと自分の発言を睨み付けるようにして待っていた――


『俺は、新一の傍にいたいんだ。それだけで、俺はもう幸せなんだよ』


 本当に、それだけが本当の自分の幸せだった。長く、長い間待ち望んだ存在に認めてもらえて、受け入れてもらえた頃だった。


『・・・・・・あなたは、本当に工藤君を大切に思ってるのね?』

『モチロンだよ』

『じゃあ、一つだけ言うわ。彼から決して離れないで。どんな事があっても、例え命の危険に晒されても、多くとも3日以内に彼の元へ戻りなさい』


 これを呑まなければ、彼と同居することは認めないわ、と彼女は言った。・・・逆に言えば、それさえ呑めば、目の前の彼女は認めてくれるということで。


『・・・どうして、3日なの?』


唯一の疑問をぶつけてみても視線だけで流されてしまって、まぁいいや、と快斗はそれ以上強く理由を問うことはしなかった。


『いいわね?これだけが、私の出したい条件よ』

『・・・・・・わかった。呑むよ』

『・・・・・・もし破ったりしたら、私はアナタを殺すわ』


 過激なことを言うな、と思いながら、それぐらい新一が大切なんだなと判断して、落ち着かせるように笑って言った。


『心配ないさ。破る気なんかない』


 言葉に嘘はなかった。どんな事があろうとも、離れるつもりなど微塵足りともなかった。


『・・・そうね。一応その言葉、信用しようかしら』

『・・・助かるよ』


そう。そう言って、確かな笑みで彼女に返した、返事。


 彼女は、何故そんな条件をあの時出したのだろう?

























 ・・・落ちた時と同じ様に、急速に浮上する意識の中で考え・・・快斗は頭痛も何もしない状態で、目覚めた。

 風邪の為のだるさはもうなく、快斗は熱が冷めた後の目覚めにしてははっきりしている頭を働かせ、取り敢えずはパソコンの電源を入れて、履歴から一番最後に開いていたあのページに飛んだ。

 そして、探していた項目を見つけ、ビクリ、と硬直する。思考する暇もなく、部屋を駆け出していた。

 頭の中をグルグルと駆け巡る文字。たった今見つけた、恐らく哀が示唆していたモノ。・・・先程、自分が感じた衝撃なんかよりも、信じたくないこと・・・。


 画面に在るのは、赤い花と短い文章だった。



『ラナンキュラス』


『6万年前、人類が最初に利用した花の一つ――』


『――化石人骨が出土。そのそばで花粉が見いだされた』





『死者に花を手向けたとされる』





『キンポウゲ科の――、――八重咲きで、バラの――』


 歯を食いしばって、階段を駆け降りる。


「快斗!?」


 母親が呼び止める。聞いている時間はなかった。


「あんた、大丈夫なの!?何日も寝たきりだったのよ!!」


 こんなにも彼女の声が遠くに聞えたのは初めてだった。驚いている母親の目の前を通り過ぎようとして、腕を掴まれた。


「母さん!!・・・離してくれ」


 早く早くと気持ちは急かすのに、体は何故かついていかない。風邪の所為だろうか。まだ熱が残っているのか。


「先日、女の子がお見舞いに来てくれてね、絶対にこれは見せるようにって言われたの。この花と、カードよ」


 怒鳴り付ける息子に戸惑うことなく、彼女は慌てて取って来たらしい一輪の花と一枚のカードを快斗に押し付けた。

 花を見て硬直し、快斗はカードを開く。




There is nothing tomorrow.


 明日は、ないわよ・・・








目の前が、真っ赤になった――。









 抱き締めていたかった。


 抱き締めていて欲しかった。


 一緒にいられるだけで、幸せを感じさせてくれる君に。


 だけど、


 もう、会う事も叶いませんか・・・?




NEXT

BACK

Can Top