・・・一つ、つまらないことを聞いてもいいかい?


 つまらねぇことだったら、聞きたくないね。


 まあ、そう言わずに聞いてくれないか。折角久しぶりにこうして会ったんだし。


 ・・・・・・しゃあねぇな。何だっていうんだよ?


 新一の恋人・・・黒羽快斗君と言うんだったかな?


 ・・・・・・・・・で?


 別れろとは言わないよ。

ただ、君自身も彼も、同等に納得のいく選択をしなければならない。

それが、本当に好きな人を持った君の義務なんだからね。


 ・・・父さん・・・あんた、一体どこまで知ってるんだ?


 そりゃあ、愛する息子の事なら何でも知ってるさ。












Can you find to blindfold a secret?






    ―11―



「・・・・・・工藤君。あなたの同居人に、ポストは間違えるなって言っておいてくれるかしら?」


そう言って、志保はたまたま定期検診に珍く時間通りに来ていた新一に、徐に白衣のポケットから出した一通の手紙を手渡した。

 真っ白な封筒。開封してみると、やはり中には白のカードが一枚。


 ――怪盗キッドの、予告状だった。

『狼少年が咆哮を上げ


 クロノスが杖を振る時、


 どこまでも近い道を抜け、


 命の絶えた戦の姫君を頂きに参ります。


                   怪盗KID』


「・・・・・・・・・」

「どうしたの、工藤君?」


 眉間に皺を寄せ、些かきつい眼差しでキッドの予告状を見据える彼に、志保は訝し気に訊いた。


「・・・良い根性じゃねぇか」


 絞り出すように吐いた言葉と声は、表情とは違う呆れたような、それでいて心配するような音を多分に含んでいた。


「・・・何?もう解けたの?」

「ああ。解けた。・・・簡単すぎるんだよ、これが」


 昔の記憶と照らし合わせれば、かなり簡単に解けてしまう。そんな暗号。普通、自分に渡す時、快斗がこんな手抜きをする訳が、ない・・・。


「なあ、宮野・・・」

「お断りよ」

「でもさ・・・―――」
































 二人が予告状を挟んで何やら話し合っている時、実は快斗は米花美術館にいた。警察庁に送った予告状はまだ解かれていなかったらしく、美術館内は警官の姿も気配もなく、一般客のみで溢れ返っていた。


(まぁ、アレを瞬時に解けるっていったら新一くらいなものだけどね〜♪)


 今ごろは青筋を立てて暗号に取り組んでいるだろう警部達の姿を想像して、内心ではケケケと楽しそうに笑いつつ、表面上はしっかりとポーカーフェイスで覆い、今回の獲物を展示してあるフロアの中央に、人込みに流され近づいた。

 ガラスケースの向こうにある、明るい照明に照らされた血のように真っ赤なルビーを見詰める。シルバーの台に乗せられた、大粒のルビー。ピジョン・ブラッドとも言われているそれは、ここでは「ジャンヌ・ダルク」と呼ばれている。

 数秒、彼女を見詰めて、快斗は人波に乗ってその場を離れた。


(すぐにお迎えに上がりますよ、お嬢さん)


 白い衣を纏う、怪盗の微笑みを口元に浮かべて。






























 その夜、新一はソファに寝転がって本を読んでいた。いつもと同じで、違うといえば口煩くて愛しい同居人がいないこと。

 テレビの音量は、ギリギリ耳に入る程度に調節してある。映っているのは、夜なのに昼と殆ど変わらない光量を保たれている外の街。

 静かなリビングを少しざわついたものにしているのは、ブラウン管の向こうで叫んでいるリポーターと、今日ある盛大なショーに押しかけている観客達の歓声だ。

 しかし、そんなものは新一の耳には届いていなかった。ただ流れているだけで、彼の意識は耳に嵌めたイヤホンに集中している。


『一班、応答・・・よ。通・・・・・・・・・しろ!・・・があっても・・・こそ捕・・・・・・んだ!』


 ガガガ・・・と耳障りな音と一緒になって聞えてくる、警察無線の一部。それを途中まで聞くと、1時間前開いた時から全くページが変わっていない本を閉じ、携帯の電源を入れ、短縮ボタンを押す。

 3コールで電話の相手は出た。あからさまに不機嫌な声で「もしもし?」と言ってくる彼女に苦笑する。


「宮野、そろそろだぜ?」

『わかってるわ。・・・まったく、面倒な事をさせるわね、あなたの怪盗さんも』


返ってくるのは違う意味を含んだ苦笑。仕方がない、という、紛れもない諦めを含んだ類のものだ。


「悪いな。文句ならあいつに言ってくれ。なんなら実験体にしてもいいぜ?」


何気に酷い事を言う新一。・・・この場にいなくて、快斗は本当に良かったかもしれない。


『あら、いいわね。・・・でも、もう意味がないわ』

「・・・そうかな?」

『そうよ。知ってるくせに』


 珍しい拗ねた口調に、僅かに微笑みを浮かべながら、新一はそっと息を吐き出す。


「うん、そうだな。・・・じゃあ、頼んだ」

『ええ。じゃあ、また後で』

「ああ。またな」


言って、彼は電話を切って更に電源を切った。再びソファに寝転がり直し、視線は天井に向けて、思考は彼の怪盗に向けて、


「バーカ」


と一言呟いた。










































「至って順調、順調っと♪」


 いつも通り、派手なパフォーマンスを繰り出して、鼻歌を歌いながら軽快な足取りで美術館の非常階段を上る。その衣装は未だに警察の制服だが、変装用のマスクは既に外されている。

 しかし、屋上の扉を開けた姿は、確かに今宵の闇を支配する怪盗キッドだった。

 白いマントが生温かい夜風にはためく。肥えた月を群青の目に映し、手にした彼女に軽く口吻ける仕草をしてニヤリと笑った。


「今日は白馬もいなかったし、楽勝だったなっ!」


 楽しそうに笑い、屋上の縁の近くに進み出る。白馬はいてもいなくても、玩具で遊ぶ程度だが。怪盗キッドであっても黒羽快斗であっても、本気で真剣勝負に望めるのは、工藤新一ただ一人なのだから。

 手にしたルビーをやや緩慢な仕草で月に翳す。落胆を想定しながら、やはり期待する気持ちを捨て切れない。

 じっと見据える先、柔らかい赤の色彩に満たされている戦の姫君からは、求めていた禍々しい輝きは見出せず。


「―――ハズレ」


とキッドは落胆を表に出さずに呟いて、無造作にそれを懐にしまうと、軽く跳躍して屋上の縁のフェンスに上り、軽く反動をつけて、静かに、緩やかな風に任せて飛び立った。

 ―――風に乗せてハンググライダーを操縦し、目的の場所へと急ぐ。・・・今日の相手は、待たせては後が恐いのだ。

 静かに、しかし正確な速度で運んでくれる風に感謝の念を抱きながら、目的地に立つ姿に笑みを浮かべた。

 月明かりも届かない場所に立つ彼女の前に、わざと気配を消さずに降り立つ。今纏う装束ゆえのポーカーフェイスを保ちながら、微笑んで軽く礼をした。


「ご機嫌麗しゅう、お嬢さん?」

「意外に早かったのね、怪盗さん?でも残念ね、こんな時間にこんな所に呼び出されて、麗しい機嫌なんて保てる訳がないわ」

「それはそれは・・・申し訳ありませんね」

「どうでもいいけど、その口調何とかならないのかしら?私にとって、その気障ったらしい口調は無意味なものでしかないの」


 どこまでも冷静な目で見据えられて、返される冷たい口調に、キッドはガックシと肩を落した。「怪盗キッド」では有り得ない仕草だ。そして、ついでに言うなら口調までも元の黒羽快斗に戻った。


「志保ちゃんが冷たい〜〜〜」

「あら、そんなの今更のことじゃない?」

「う〜〜そんなにハッキリ言わなくったって・・・」


 益々情けなくなっていく怪盗の口調に、更に眺める目を冷ややかなものにしながら、志保は手の中にあるボールペンらしきものを軽く振って見せた。


「工藤君から伝言よ」

「新一から!?」


叫んでぱっと顔を上げるその姿はまるで飼い犬。しかも大型犬。だが。


『このバカイト!』


という怒鳴り声がボールペンの形をしたボイスレコーダーから発された途端、志保にはピンと立っていた耳がペタンと垂れた―ように見えた気がした。

 新一からの伝言とやらはまだまだ続く。


『お前、警察組織を甘く見過ぎなんだよ!何なんだよあの力の抜けきった予告状は!あんなんじゃ自分はここにいるから殺して下さいって言ってるようなもんだぞ!?まだまだお前の方は潰せてないんだからな!』


 組織に命狙われてるんだからな!と怒鳴る彼の言葉と声に嬉しくなる。そんな様子を見て取ったのか、志保は眉を顰めて新一からの伝言に聞き入っている快斗を眺めていた。

 怒鳴るだけ怒鳴ると、ちょっとは落ち着いたのか、軽い溜め息と共に、今回の暗号の「答え」がボイスレコーダーから流される。


『狼少年が咆哮を上げ


 クロノスが杖を振る時、


 どこまでも近い道を抜け、


 命の絶えた戦の姫君を頂きに参ります。


                    怪盗KID』

という今回の暗号は、先程の新一の言葉と、志保がこの場に現れているということでも解るように、新一にとってはかなり簡単なものだったらしく、不満そうな声色で淡々と答えが語られた。

 ――狼少年は嘘、咆哮は狼の咆哮を表す時の満月を表し、クロノスは時の神で、その杖を振る時は過去を、近い道は一番近いということ。

 嘘と過去は、共に彼等が初めてエイプリルフールに会った杯戸シティホテルの屋上を逃走経路に選ぶ事を意味し、咆哮と近い道は予告状を送った時から一番近い満月、つまり今日のことを意味する。命の絶えた戦の姫君は、美術館に四日間だけ展示される「ジャンヌ・ダルク」を示す――・・・

 ボールペン越しに語られる言葉に、自然と微笑みが浮かんだ。簡単な暗号。それでも正確に読み取ってくれる彼の明晰な頭脳が嬉しい。謎を解いてくれる彼が、愛しかった。


「・・・ご名答」


 どうにも収まらずに、低く小さく呟いて、なんとかして高揚感を隠した。今日彼女をここに呼んだのは自分自身だが、彼が今ここにいて欲しかった、なんていう我侭なことまで考えてしまうからだ。呼び出したくせにそんなことを思っていたら、目の前の彼女に薬を盛られかねない。


「・・・そのままなのに、どうして警察の人達は気付かないのかしらね?」

「・・・さあ?」


 ニヤリ、と楽しそうな笑みを浮かべ、キッドは歌うような口調で告げる。


「敢えて言うなら、過去と現在は違うってことかな?」

「あ、そう」


 完全に呆れた口調で志保は言い、少し間を置いてから続けられる新一の言葉に、改めて耳を傾けた。紡ぎ出される声色は、完璧な探偵の声で、実際の新一の声を聞きたくなったが、何とか今にも飛び立ってしまいたくなる自分の心を必死で抑えた。


『今回、俺は何があっても現場には行かない。だってお前はこの俺にこんなに簡単な暗号を作って渡す訳がない。明らかに暗号を解き明かさせることとは違う意味を持たせた。・・・人を呼び出したかったんだろう?阿笠博士の家のポストに予告状を入れたのだって、今日の相手は俺じゃないからだ。お前の今夜の話し相手は・・・』


カチリ。スイッチを止める。その後に続けられる筈だった名を持つ彼女が、無表情にこちらを見ていた。


「私でしょう?今日の御指名は」

「・・・アタリ」


 ニヤリと纏う空気をガラリと変えて、キッドは口元に笑みを浮かべた。そこには先程まであった如何にも大型犬の気配は微塵も残されていない。


「志保ちゃんに、いくつか聞きたいことがあるんだ」


 口調は黒羽快斗でも、そこにある雰囲気は、黒羽快斗が持つとされるものを大きく裏切る程の真剣さを湛えていた。


「あら、何かしら?」

「・・・・・・新一のことだよ」


 誰よりも愛して、どんなものよりも大切で、掛け替えのない人。


「工藤君のこと・・・ね」


 冷たい目、冷たい表情でこちらを見上げる姿は、どこか自分が責められているようで。よく見れば、彼女の目の奥や、ちらりと掠める表情の下には、何か不可解な感情があるようだった。

 どうしても、居たたまれない気になってくる。


「ねえ、志保ちゃん」

「何よ」




「新一と志保ちゃんは、何を隠してるの?」




 じっと彼女の何かが変化しないかを見つめる。


「あら、何も隠してないわ」


 絶妙なタイミングで返される答え。彼女の感情の変化を探ろうなどという試みは、結局は失敗に終った。彼女は鉄壁ともいえる無表情を全く崩さなかったのだから。

 彼女がその無表情を崩すのは、どんな時でも大抵新一自身が関わった時くらいだ。無理に突っ込んで聞いても、


「もしそうであったとしても、教えない。あなたが気付かないのが悪いんだもの」


こんな風に、意地悪に返されるだけなのだ。


「あなたが・・・」

「何?」


皮肉気に笑った彼女が突然切り出す。


「・・・あなたが工藤君の家で住む時に、私としたあの約束・・・」

「覚えてるよ、勿論」

「ならいいわ。・・・もう一度言うけど、あの言葉・・・約束。もし破ったら、一生あなたを憎むわ。でも、ちゃんと弔いだけはしてあげる」

「それはそれは・・・有り難いね」


ニヤリと笑って、返した言葉には、何故か皮肉というよりも自嘲に近い笑みが返ってきた。


「でも・・・そうね、ヒントだけはあげる。私の約束を守るためのヒントだけど」

「え、ヒントくれるのっ?」

「あら、いらないならいいわよ?」


 意外すぎる言葉に、目が点になった。それがありありと表情に出てしまったのだろう。志保は可笑しげな、それでいて意地悪そうな微笑みを浮かべる。・・・危険だ。


「いるいるっいりますください!」


 大慌てになって叫ぶ。これでは「怪盗紳士」だとか「月下の魔術師」とかいう肩書きなど見る影もないが、命をこの上ない危険に晒すよりはましだ。ヒントをもらえないのも―情けないことだが―非常に困る。


「新聞よ」

「へ?」


またもや予想の範疇にはない答えに、思わず間抜けな声を出した。それに構わず、志保は言を続ける。


「あなたが何かを探したい時・・・工藤君に関係する何かを調べたい時。新聞を真っ先に調べればいいわ」

 何故、とは問わなかった。それ以上は言わない、とハッキリ彼女の目は語っていたから。しかし、彼女が向けてくる視線の真摯さを見ると、きっとそれは嘘ではないだろう。

 新聞。これは何の記事で、何を指すのだろうか。記憶を掠める何か。珍しいことに、しばらく考えても思い出せないことがある。新一に痴呆かとでも言われそうだ。

 少し興味を持って、調べようとしたものがあったはずだ。

 ――あれは一体何だったか。


「!?・・・・・・」


 ピリリリリリ、と細かくて微かな、しかしこの場では良く響く着信音がした。哀の携帯だ。着メロは入れてないらしい。彼女らしいと言えば彼女らしいが。


「もしもし?」


 こんな時間にかけてくるのだから、阿笠博士か新一だろうか。


「・・・わかったわ。ええ、じゃあ」


 表情を全く変えずに、彼女は簡単に電話を終らせた。阿笠博士に心配でもされたのだろうか。それとも・・・?


「誰から?博士?新一?」


 どうにも気になって、聞いてみる。志保は冷ややかとも言える目でこちらを見つめ、さっさと踵を返した。


「さっさと逃げることね。・・・来たわよ」


 残念ながら、後半の部分は聞えなかった。彼女が屋上の重い扉をバタン、と閉めた直後に、キッドの背後にサーチライトが浴びせられたのだ。ヘリはやはり警察のもので。

 組織の物でないだけましだが、やはりとっとと帰りたいと思っている今の自分には邪魔なものでしかない。


 遊んでやるつもりはない。


 キッドは振り返って、怒鳴っている中森警部にいとも優雅に微笑んでみせて、ある程度引き付け、突入してきた警官隊に閃光弾を投げた。













 夜中、月の下で見ると、お化け屋敷と近所の子供に言われた屋敷が、更に不気味に、しかし荘厳な存在感を持ってその場に佇んでいる。

 そんな工藤邸のベランダに、キッドは静かに降り立った。中に入ってみても、部屋の中の気配は希薄で、静かなところを見るとどうやら眠ってしまっているらしい。

 彼が起きる気配はなく、安らかな寝息を立てて、ゆっくりと胸を上下させて眠っていた。・・・自分の帰りを待ちくたびれたのか、それとも唯単に眠くなったのか・・・。

 今夜の警部は、いつも以上にしぶとかったように思う。もう円い月が南の空から沈もうとしている。


(お、起きるかな・・・?)


 そう考えながら、既に怪盗キッドの衣装を解いた快斗は、ギシリ、と新一が横たわっているベッドに膝をつき、彼の頬に遅いオヤスミのキスをした。

 起こさないように、そっと囁く。


「ただいま」






































 パタン、と扉が閉められる。枕元にある、甘い香りに微笑んだ。


「おかえり」


 誰もいない部屋の中、新一は静かに囁いて、再び目を閉じた。


(やっと眠れる・・・)


 ――部屋には、枕元に置かれた薔薇の匂いとはまた違う、甘い匂いが漂っていた・・・。




 ずっと一緒にいたいと思うのはワガママな事ですか?


 どんな君でも一人占めにしたいと思う自分は子供ですか?


 こんな我侭も独占欲も、


 全てすべて、君がいるからこその事――。









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