あなたは孤独が好きなの?


 ・・・そういう訳じゃ、ないけどな。


 じゃあ、何故・・・・・・?


 これは、俺の言葉じゃ表せないよ。こうしたい・・・ってだけなんだ。


 ・・・やっぱり、あなたはワガママだわ。


 自覚してるさ。アレ、頼むな?


 分かってるわ。・・・解ってる。


 ・・・・・・サンキュ。












Can you find to blindfold a secret?






    ―10―


 長袖のハイネックシャツに、ジーンズ。暗色の闇に紛れるような服装を纏う彼の肌は白く浮き立つようだった。

 深夜の闇に隠れるようにして、彼はその路地を淡々と進む。

 ――相変わらず、治安が極端に悪い区域だ。狂乱した叫び声が微かに聞え、閉じられたままのシャッターは乱雑な落書きが施されぼこぼこに窪み、用途の分からない木材が積み上げられ、動くとも知れない黒ずんだ塊が微かに上下している。それは、良く見なければ解らないが、人だった。

 ここには片手で数えられるくらいしか来ていない。彼のような人間にとってはそれが普通なのだろうが、彼の親友とも呼べる人間が、この路地の最奥に住んでいるのだ。

 夢を合わせてこれが5回目の訪問となる。彼の足取りは慣れたもので、狂暴な視線を送られてもものともしない。それは一重に、彼が首から下げている「お守り」の所為でもあった。

 コツコツ・・・と靴音が響く。それは相変わらず硬質で、薄ら寒いこの場所の雰囲気のままを表していた。

 長い一本道を進むと、闇の中に怪しげにある、目立たない薄紫色の看板があった。目線を上げると、何度見ても奇妙な造りの店があり、彼は慣れた調子で分厚い布を捲って、内をも染める闇の中に入る。

 以前来た時と何ら変わりのない、薄暗くランプの灯る廊下を歩き、一番奥の、行き止まりで足を止め、迷う事なく表に掛かっていた物と同じ様なデザインの分厚い布を捲って中に入った。

 その中には、数年前と全く変わらない女が、数年前と同じ格好をして座っていた。黒のフードで目元は見えないが、口元には微かに笑みを刷いている。


「久しぶりだねぇ・・・待ってたよ」


 変わらず、少し掠れた声でレイと名乗った彼女は言い、彼に自分の正面の椅子を勧めた。


「久しぶり。元気だったか?」


 その椅子に腰掛けるようにして、彼は微笑みかけて言った。それに彼女は肩を竦め、


「モチロンさ、アンタはどうなんだい?」


と変わらない口調で言った。まあまあだな、と答えると苦笑が返ってくる。


「最悪、の間違いじゃないのかい」


 深刻な気配も、同情も干渉もない。ただ彼が意図的に隠した事実を彼女は述べた。覚悟していた彼は、ふうと溜め息を吐き、先程の彼女と殆ど変わらぬ笑みを見せ、


「知ってんなら聞くな」


と何の気負いもなく肯定の言葉を吐き出す。


「言わなきゃあアンタは言えないじゃないか」


 彼がここを訪れる以外全く接点を持たない彼女は、彼が言い出さない限り、彼のプライベートに口を挟む事はない。

 それは彼にも言えて、二人で交わす会話といえば、世界に散らばる小説の話しだとか、一般人では普通立入る事など出来ない警察内の事情だとか、最近起こった政治事件だとか、おおよそ学校などの「お友達」では通用しない、専門用語がびしばしと出てくる類の話なのだ。

 初めて会った時からそんな関係だったから、彼女が自発的に彼自身の事を聞く事はなく、彼も聞かない。しかし、言いたいと本人が思っていても言わないということがあるから、今回ばかりは彼女から確めた。


「まぁな。それが解るなら、その先に言いたい事も解るだろう?」

「わかるけどね。でも、依頼は自分の口で言うもんだよ」


 独特のイントネーションで言う彼女は、どこか苦々しげで、哀しそうだった。・・・彼女には、もう見えているはずなのだ。自分の未来が。

 実際彼女は、彼がここに来るということを知っていたのだし。


「・・・解った。俺が欲しいのは、今から7年の星の動きと、紅い月が落ちる時と――」


淡々と、彼は言った。彼女は眉を顰める。


「7年。そんなに長く知って、どうすんだい?」

「保険、とも言えるな。・・・せめて、猶予をやりたいんだ」

「紅い月・・・なるほど、アレだね?」>


「紅い月」という、暗号めいた言葉が示すものを、彼女は正確に読み取っているようだった。彼も、それを承知した上で頷くと、


「・・・物好き」


という半ば呆れた言葉が返ってくる。

 それにも苦笑を返し、先程からコロコロ変わる彼女の表情に、小さな安堵を覚えた。変わらない人間がいるということは、ある意味彼にとっての平安の一角だからだ。


「仕方ないさ。運命みたいなもんだ


 ・・・それはある意味で、変わらない感情があるということを、肯定しているようにも思えたから。


「・・・死ぬ、と言っておいたはずだよ」


 過去に向けられた、命の選択。彼女は自分を「気に入った」と言ってくれた。だからこそ、彼女のやはりどこか掠れた声は、哀しそうだった。


「それも、仕方ないよ。運命みたいなもんさ」

「・・・頑固者」

「俺の性だしな」

「…・・・・・・で?アタシにそれを?」


 占えっていうのかい?諦めた声音。仕方ないねえ、と言う言葉に含まれた商売の色に、彼は姿勢を正した。

 ・・・彼女が商売の―「占い」の話しを持ち出すと、彼女を纏う空気が一瞬にして変わる。コロコロと変化に富んでいたそれは、冷涼な多大な圧力を凝縮したものへと変化するのだ。


「ああ、占って欲しい。できないなんて、言わねえよな?」

「言わないよ、出来るから」


 7年の未来。

 それを見ることが出来る。ハッタリなどではなく、確かな事実としての重みが、彼女にそんな事も無げな発言をさせた。しかし、そこで彼女の言葉は止まり、どうしようかねぇ・・・と悩んだ風に首を傾げた。


「・・・報酬のことか?」


 試しに聞いてみると、他に何があるんだい、という答えが返ってきた。値段を聞くと、普通の人間が聞けば必ず絶句するであろう値段が提示される。だが、彼は簡単に頷いた。


「いいよ、払う」

「・・・アンタ、金持ちだったっけ?」

「高いってのは前から知ってたし。・・・だから来る前に・・・な」


 悪戯っぽく笑ってみせる彼に、彼女はケラリと笑って、「なにをやったんだか!」と楽しそうに言った。そこには先程までの哀しげな雰囲気はない。


「企業秘密としか言えないぜ?」

「わかってるよ、そんなこと」


 肩を竦めてみせる彼女。金銭の問題が解決したら、もう仕事は終ったも同然なのだという事を、彼は彼女自身の口から聞いていた。


「・・・なあ、あんたの力はどのくらいまで有効なんだ?」

「・・・アタシにとって、宇宙は有限の膜を張られた球体に見える。その中でも地球は唯一の星なのさ。アタシには、この地球の中の出来事までしか見れないからね」

「そっか・・・なあ、今から占って、月が落ちる前に帰りたいんだけど、できるか?」

「・・・難しいけど。そうだね、前からの仲だからね」


 無茶な注文に、苦笑しながら彼女は彼の手を握って、ゆっくりと目を閉じた。


「・・・・・・サンキュ」


極々小声で囁くように言った彼の言葉に、彼女はクスリと微笑んだ。




 じっと、彼女が目を閉じた顔を見る。人の過去や未来を見詰める時の彼女の顔は、とても穏やかな無表情だ。ただ、静かすぎて、何を考えているのか時々解らなく なる。

 時折、彼女の手に重ねた手が、強く握られる事があった。それは微かな力だが、彼は敏感に気づいて軽く握り返してやると、彼女は肩の力をゆっくり抜いた。占いをし ている間、それを何度も繰り返す。

 楽しい事ではないだろう、人の過去や未来を見るという事は、他人のこと全てを暴いていると言っていい。それは彼女自身が選んだ職なのだから、同情や馬鹿げた蔑みを口にするつもりはないが、彼女は話しの判る友人なのだ。

 そういえば、シキと名乗る彼は、彼女に未だに本名を明かしていないことを思い出した。きっと、自分の名前など彼女は聞くまでもなく知っているのだろうが、なんとなくそれではいけないような気がした。




 じっと、手を握られ続けて1時間が経った。魔女がゆっくりと目を醒まし、彼を見詰める。そこには隠し切れない確かな疲労の色があった。


「・・・なあ、レイ」

「・・・なんだい?」


 骨張った手を包み込む。


「俺の本名さ――」

「―ああ、知ってるよ、それくらい」

「うん、わかってる。俺も知ってるし」


 そっと手を放す。小さな沈黙が降りた。居心地悪くなるようなものではなく、心を落ち着かせる類のものだ。彼は肩の力を抜いて静かに微笑み、


「・・・頼みがあるんだ」


彼女に告げた。













 都心にある美術館より少し離れたビルから飛び立つ白い影。それは、愛しの恋人が待っているはずの静かな高級住宅街へ、ハンググライダーで一直線に目指していた。・・・信じ難いものを見るまでは。


「し・・・!?」


(新一!?)


 ハンググライダーを操り夜景を眺めていたら、その中の明るいとは言えない通りに、存在自体が奇跡のような、見えない光を放つ彼が、そこにはいたのだ。

 時間帯で言えば、既に深夜を廻っている。普通の人なら寝静まっているような時刻に、こんな所をうろついているはずのない彼が、軽快な足取りで薄暗い如何にも怪しい通りを歩いているのだ。

 これが驚かずにいられるだろうか。いや、無理だろう。

 夜間の外出なんて事件以外で滅多な事ではしないのに。しかもあんな所をこんなに遅い時間に。


(ど、どうしたのかな?まさか脅迫!?それとも・・・!?)


と本気で考えながら、キッドの格好をしていてもすっかり中身は快斗に戻ってしまった彼は、ハンググライダーを操り、下降させた。

 勿論、眼下に見下ろせるところを歩む、新一の処へ。











 ・・・静かに。静かに現れた気配に、口元に自然と微笑みが浮かんだ。

 振り返ったそこには、見慣れた白い魔術師がいた。・・・少しばかり、不機嫌そうな。


こんばんわ、名探偵」

「ん。・・・成功したみたいだな?」


その様子にクスリと笑って、新一はゆっくりと歩き出す。


「元に戻れよ、キッド。ここじゃあお前の格好は目立ち過ぎる。通報される事はないけど、身包み剥がされるぞ?」


という言葉に、キッドは半ば慌てたようにその目立つ衣装を解き、黒羽快斗という個人に戻った。彼は、歩みを止めない新一の隣に並んで、横から彼の顔を覗き込む。


「・・・新一。どうしてこんな所にいるの?」

「ちょっとな。野暮用だよ」

「え〜〜新ちゃんもしかして浮気〜〜?」


と快斗はさめざめ泣く真似をするが、


「・・・・・・」


新一はそんな恋人に対して冷た〜い目を向けた。そして思い切り睨み付け、半分怒り、半分呆れてふんっと鼻を鳴らしてズンズンと大通りの方へ歩いていく。


「わわわっっ!!新ちゃんゴメン!!うわ〜〜ん許して〜〜〜!!!」


そんな新一に、大慌てで快斗は後ろから駆け寄り、抱き付いた。


「わっ、コラ、離れろ快斗!こんなところで・・・」

「ええ〜〜ダメ〜〜?」


 今度は新一が慌てて押しのけようとしたが、快斗はへばりついて離れない。拗ねた声でつまらなそうに言う快斗に


「ダメだ!!!」


と両断して、ついでにギッと上目遣いで睨み付ける。しかし、その表情は余りにも可愛くて、快斗が内心では思い切り頬の筋肉を緩ませていることを、幸いにも新一は知らない。

 深夜。眠らない街の中、快斗と歩む。そんなことは滅多にある事じゃない。帰ったらきっと、待ち構えていた志保に色々小言を言われてしまうだろうが、先を考えるよりも、新一は今、この時を大事にしたかった。




 緩やかな時が続けば良いと思った。


 昼の光のような輝きを持つ笑顔を


 なにがあっても失いたくなかった。


 この幸せを打ち壊したくなかった。



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