・・・なあ、キッド。


 どうしました?名探偵。


 お前、何があっても、今の目的を忘れんじゃねえぞ?


 何を今更・・・


 いいな?絶対だからな?


 ・・・新一・・・。


 どんな敵に遭っても、どんな危険に身を晒しても・・どんな異変がお前の周りに起こっても、絶対に。


 ・・・しんいち・・・?


パンドラを壊すっていう目的と信念だけは、捨てるな。


 ・・・うん。分かったよ。・・・今、この時に生きてる俺の命に掛けて・・・あの空の月に掛けて、誓うよ。


 ・・・ああ。












Can you find to blindfod a secret?






    ―8―



 体の奥を流れる静かな血流を感じる。静かだけれど熱い熱いそれは、体中を廻って命が息ずく源の臓器を巡り、また全身に押し出される。自分の中に神経を向けている時、毎日数万、数十万回は繰り返されているであろうその生命活動の律音を、眠りながら静かに聞いている。

 真っ白なシーツを敷かれたベットの上の手が、ピクリと動いた。覚醒が近いのだと、自分の事のクセに傍から見ているような節のある自分に、一種の自嘲の笑みを浮かべる。

 先程動いた手が、今度はベットの上の、自分の隣に当たる所を探す。・・・が、いるはずだと思っていた温もりがないのに気がついて、短く嘆息し、彼は気怠く瞼を上げた。自分の中に確かにある青の存在が、自分の側にいない事が酷く不安だった。

 シングルサイズだとはとても言えない広さのベット。先程も確認したように、そこに焦がれる温もりを感じられないと、少しばかり寝呆けた頭で再確認して、また、長く溜め息を吐いた。・・・こんなに寝起きの悪い朝を迎えるのは、これで二十日目だ。

 新一がいなくなって、今日で二十日目の朝になる。

 一応、世間一般の夏休みに入るので、大学の方は支障はない。時折、気紛れに入った得体の知れない研究会だとか、どうやったらこんな無駄なものに予算を組ませてもらえたのか、と不思議で妙な部なんかに顔を見せに行くだけだ。

 新一は、あの毒薬―APTX4869の解毒剤を服毒した所為で、大学に行こうとはしなかった。

 第一、組織は壊滅させたといっても、元の姿のこの体に、いつ如何なる異変が起こるか分からない。だから、せめて良好と言わずとも、安全圏に入っていると分かるまでは・・・と志保にドクター・ストップをかけられたのだ。

 彼女らしい、賢明な判断といえよう。

 もっとも、そのお陰で、自分は大学に行っている間、新一に会う事ができないのだが、それはそれだ。心情的には「仕方がない」などでは済まないが、自分の欲と新一の体の事を考えるなら、自分の欲など太平洋に投げ捨てたっていい。

 ・・・ただ、今の状況は、ハッキリ言って寂しかった。

 なんてったって、このだだっ広い主もいない屋敷に、たった一人きりで、愛しの人を待っていなければならないのだ。

 取り敢えず顔を洗って歯を磨き、確りと自作の朝食を摂ってから、いつも新一が読書する時に寝転がっているソファに座る。ぼんやりと座ったまま外を眺め、快斗は盛大な溜め息を吐いた。その手には昼間から缶ビールが握られている。


「暇だなぁ〜〜〜〜」


 なにも、することがないのだ。ビッグジュエルが次に来日するのは9月半ばだって決まってたし、得体の知れない研究会だとか不思議で妙な部の方には、先日顔を出したばかりだったので、これから数日行く気はない。実家にもちゃんと顔を見せた。
 分かってはいたけれど、新一に会えずにいることがこんなにも不安なんて。辛い、なんて。

 今までそんな感情を抱いた事がなかったからそれは嬉しい事なのだろうけど、快斗にしてみれば、新一がいないこの家は寒く、そして時間は酷くゆっくりした速さで暇という空白を作り上げていくのだ。


(新一と一緒にいる時は、全然平気なんだけどなぁ〜〜)


というか、新一と一緒にいて「暇だ」と言える人物を見てみたい気がする。西洋人形さながらのどこか儚さを持った雰囲気を纏う完璧に整った容姿に、強く人の心を射抜く眼光。圧倒的な存在感。そして、自分だけに垣間見せる、様々な表情。

 どんな彼でも見逃したくない。そんな欲求が体中を巡るのだ。だから、暇なんてあるはずがない。


「・・・暇、だなぁ・・・」


と一人呟いて、快斗はソファの上で静かに息を吐き出した。

 第一に、新一がいない生活なんて片鱗も思い浮かばなかった。その彼が、今はいないのだ。

 はっきり言って、かなり辛い。

 やっぱ無理矢理―できるわけがないが―アメリカだろうがどこだろうがついて行けば良かったなぁ〜と快斗は溜め息を吐き、ぐいっとビールを呷った。

 自棄になって、自分で用意したつまみをぱくついていると、リィィィンという音が響いた。今時、見かけが古いダイヤル式の、しかし性能だけは良いという外見と機能が合っていない電話の音だ。有希子の趣味であるらしい。

 快斗は緩慢な動作で立ち上がり、廊下にある電話の所までのろのろと移動して、やはり緩慢な動作で受話器を持ち上げた。顔にはうんざり、と傍で見ていても分かるくらいにでかでかと書かれている。が。


『遅いっ!!』


不遜極まりない受話器越しの声に、快斗の表情は一変した。その理由が、


「ど、どうしたの、新一!!!」


 今まで片時も忘れなかった愛しい恋人の声だったら尚更。沈みきっていた目は輝き、荒んでいるといっても良かった表情には明るい日が射している。ちなみに、昨日も彼はこんな調子だった。つまり、ここ3週間、ずっと新一が入れる電話一本を待ち、新一が掛けてくれれば気分が浮上する・・・という行動を続けていたのだ。

 そんな快斗に呆れたのか、嬉しかったのか―快斗としては、当然後者が良かったのだが―受話器の向こうの新一は微かに苦笑して、


『速達、届いたか?』


 速達。そんなものはあったろうか。快斗は今日一日、昨日、一昨日・・・と記憶を反芻してみて、どこにも言われた存在がないのを確認し、


「なかったよ」


と正直に告げる。新一は『そうか・・・』とだけ言って、少しの間沈黙した。


『じゃあ、速達が来たら、すぐに動いてくれ。6時の飛行機に間に合うように。衣装もってさ』


 衣装。その言葉を聞いただけで、快斗は目つきを鋭く一変させた。彼が言う衣装とは、怪盗キッドの衣装に他ならない。それに、「飛行機」と組み合わせる。ビッグジュエルはしばらく日本に来日しない。そこから分かる答えは一つだ。

 つまりは、海外でのキッドとしての仕事。速達の中身は、新一の言葉からして飛行機のチケットだろう。


「わかった」


 真剣な面持ちで、快斗は答えた。対して新一は


『お前の行き先も同封してあるから、タクシー使って行けよ』


と言い、じゃあな、とだけ告げて新一が電話を切った。ツー、ツー、ツーという音を耳にする前に、快斗は受話器を戻し、慌てて玄関へ向かった。丁度タイミング良く、インターフォンが鳴ったのだ。外から「速達でーす」という呼びかけの声が中まで聞えた。


「はいはいは〜〜い!!」


 快斗は玄関の扉を開け、サンダルをつっかけて配達員が待つ門へと向かった。こういう時、この家は本当に広いんだとつくづく実感する。


「判子お願いします」


という声に、どこからともなく判子を出して、快斗は伝票に印を押した。ど〜も〜と赤いバイクに跨って去っていく配達員にさっさと背を向け、家に入りながら名前を確認して丁寧に封筒を開いた。

 中に入っていたのは、やはり飛行機のチケットと、新一が言っていたどこかの住所が記されたメモ用紙一枚。

 何気なく飛行機の時間と行き先を見て、快斗は嬉しさと焦りで赤くなったり青くなったりした。

 アメリカ、ロサンゼルス行き、5時45分――残り、僅か2時間半。空港まで、タクシーを飛ばして行っても2時間少しはかかる。時間がなかった。

 快斗はリビングのテーブルにチケットとメモが入った封筒を置き、大急ぎで二階へ駆け上がって、クローゼットの奥からスポーツバックを引っ張り出した。

 キッドの衣装を綺麗にたたんで底に入れ、モノクルとシルクハットも同様に入れる。それから、下着とラフな着替えを集め、ついでに小道具も放り込んで財布をジーンズのポケットに捻じ込んだ。一応簡単に荷物を確認し、パスポートを取ってまたバックに放り込む。

 やる事は色々あった。一階と二階の戸締まりの点検や、干していた洗濯物を取り込んで、タクシーを呼ぶ。「至急」と言われて飛んできたタクシーに飛び乗ったのは、 3時35分。ぎりぎり、といったところだろうか。

 戸締まりは完璧。家の方は阿笠博士に頼んできたし、パスポートもチケットも、あのメモもちゃんと持っている。唯一心配だったのはビザの方だが、驚いた事に、それはパスポートの間に挟まっていた。

 正直に、嬉しかった。ロスと言えば、新一の両親―工藤夫妻の自宅があるところで、新一自身もそこにいるはずなのだから。




 スムーズに国道を抜け、快斗は無事に空港に辿りついた。荷物チェックも身体チェックも難なく潜り抜け、今朝よりも落ち着いた気持ちで離陸時間の数分前に、ゆったりとしたシートに身を預けた。


(向こうにキッドの服持って来いてことは、やっぱ仕事絡み・・・だよな。今向こうにめぼしいビッグジュエルなんかあったっけ・・・?)


 浮かんだ疑問に、記憶を探ってみるが、特にそれらしい物の覚えがない。それを、たった今感じている新一に会えるという幸せに浮かれて、快斗はあっさりと。


(いいや。新一に会えるんだしV)


と考え、実に幸せそうな微笑みを浮かべて目を閉じた。楽しい予感と期待と、心の端に引っ掛かる僅かな疑問に身を浸らせて。











 ――飛行機から下りて、ゲートを出てタクシー乗り場に直行する。新一から送られたメモを運転手に見せ、そこへ行くように頼んでから快斗は今の時間をタクシーにあったデジタル時計で確かめた。朝だったが、人の家を訪ねてももう許される時間帯だ。

 そこは空港から近く、巨大な屋敷が並んでいる区域の片隅にあった。土地面積は気が遠くなるほど広く、良く手入れされていると一目で分かる前庭を挟んだ向こう側の屋敷は、周りの家々と負けず劣らず大きい。

 そこの私有地と道路を隔てる塀はそう高くなく、塀に沿ってポプラやイチョウの樹が植えられており、門を挟んだ反対側には青々と茂る桜などが植えられていた。

 快斗は門の脇の柱にあるインターフォンを押し、少し緊張した面持ちで誰かが出るのを待った。


『はい』


と応えた声は、低いテノールで、落ち着いた感を見せていた。・・・日本語だ。


「あ、あの・・・黒羽快斗と申しますが・・・」


 初めは何と言ったら良いのか分からず、丁寧な口調で名乗ると、回線の向こうから歓喜としか思えないような声が上がった。


『今開けるから、どうぞ』


 入りなさい、とあくまでも強要じゃない口調に好感を持ちながら、快斗は誰の手に開けられるのでもなく、重い音を上げて自分の前に開く門を感心して見詰め、中に足を踏み入れた。押さえ切れない期待を胸に抱いて。




 たったこれだけの時間なのに、


 君と離れているのは耐えられなかった。


 一分、一秒でも長く、


 できるならいつまでも、この命が続くまで一緒にいたかった。


 君なしじゃ、もう呼吸すらできない。



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