諦められないものって何だと思う?


 ・・・・・・知らねえよ、そんなもの。


 なあ、何かないの?


 ねえよ、そんなもの。


 俺はあるけどな〜。


 勝手に言ってろ。


 うん♪勝手に言ってる〜♪












Can you find to blindfold a secret?






    ―6―


 その日の夜空は明るかった。雲一つない、とはこういう事かと実感してしまう程、漆塗りの闇には霞がなく、人が狂い出すというにも頷ける満月は 煌々と明るく、星はそれに負けじと輝いていた。

 薄いカーテンを閉め、静かにベッドに身を横たえて、ぼんやりと天井にかかる仄かな光を眺める。小さく開いた窓から入ってくる夜の冷えた空気に、僅かに汚れた白いカーテンが揺れる。

 電気は点けない。仄かな月明かりを楽しみたい気分だった。

 ダークグレーの闇に浮かんだ明かりを眺め、どれくらい経っただろうか。

 1分?30分?1時間だろうか。思考が空白に埋め尽くされようとした時、見上げていた天井に、1つの見慣れたシルエットが翳りを作った。

 突然の訪問。影はそのまま立ち去ろうともせず、逆に窓を静かに開けて、室内に侵入してきた。やはり見覚えのある―――白。


「よぉ、名探偵」

「・・・キッド」

 目の前にある姿は本物だろうかという疑い半分、これは浅い眠りからきた夢なのではないかという気持ち半分で、彼は物音一つ立てずに屋敷のベランダに舞い下りて侵入してきた怪盗の名称を呼んだ。どちらにしても、この存在には疑惑の念しか浮かんでこない。・・・そういう奴だから、仕方ないのだが。

 一方、名を呼ばれたキッドはいつものポーカーフェイスが剥がれた、いかにも嬉しそうな表情をしてシルクハットを取って一礼し、ゆっくりと新一が起き上がったベッドに近づいて言う。


「久しぶり。それとも初めまして?・・・こんばんは、でいい?」

「そんなことどうだっていい!!・・・不法侵入、だろ」


 よりにもよって自分の居場所に。


「・・・今更じゃない?にしたって、折角の再会にそんなこと言う?」


 崩れたポーカーフェイスを直そうともせずに、ベッドの端に腰掛けるキッド。いつもの不敵な笑みとは少し違う微笑みに小さな戸惑いを覚えて、新一はベッドの背凭れにクッションを立て、そこに背中を預けて吐息と共に訊ねた。


「・・・どうして来た」


 こんなところに。自分のところに。言外にそう含め、真っ直ぐにキッドを見つめる。キッドの方は、シルクハットを取ったことで露になった片目を僅かに細め、彼を見詰めて言った。


「会いたかったから」

「通報されると思わなかったのか?」

「名探偵はそんなことしないでしょ」


自信満々といった体でキッドは新一の顔を覗き込みながら言った。


「・・・・・・・・・ぃだ」


ぼそり、と対する彼は小さく小さく呟く。


「ん?何、名探偵」


良く聞こえなかったので、キッドは聞き返した。


「お前なんか、大嫌いだ」


しっかりとキッドを見詰め、新一は言った。

 ――一瞬、キッドが息を詰めたのが解った。




 突然の新一の発言に、一瞬息を詰め、キッドは何度かゆっくり瞬きして、即答した。


「嘘でしょ」


 キッパリと。沸き上がる不安を何とか取り除いくようにして言い、まだ少し不安で新一の唇に口接けた。拒まれないことにほっとして、目の前にある妙に楽しそうな笑みにまた不安を覚えた。


「ふ〜ん・・・・・・」


そう言って、新一は唇を掠め取られたにも関わらず、悠然と笑っているのだ。


「・・・何、名探偵」

「悪くない答えだな」


 クスリ、と笑って言う新一。キッドは訝しんで尋ねた。


「・・・どういうことさ」


 ・・・しかし、


「別に?」


と柔らかな微笑みを向けられて簡単に流された。その様子に、きっと答えはくれないのだろうと解って別の言葉を告げる。


「・・・俺は、名探偵が好きだよ」

「・・・・・・・・・」

「名探偵は、俺が嫌い?」


 不安になりながら、彼の頬に手を寄せて、真っ直ぐに見据えてくる目を見詰め返す。・・・何度見ても、曇りのない・・・美しい蒼だと思った。


「そうでもあり、そうでもない」


 ぽつりと言って、新一は困惑したキッドの心情を読んだのか、「お前は、怪盗だしな」と付け加えた。


「・・・俺を、好きになってくれない?」


 望みはないのだろうか、と賢明に新一の表情を探るが、彼は変わらず静かに微笑んでいるだけだった。


「さあ?」


 悪戯っ子のような光が目に宿る。


「・・・・・・名探偵。もしかして、俺を揶揄ってないか?」

「さあね。わからないか?」


憮然と訊ねると、同じ微笑みをキッドに向け、新一は質問に答えず、逆に質問を返した。


「何を?」


首を傾げる。新一は一つ溜め息を吐くと、クッションに更に体を沈め、目を閉じて言った。


「・・・・・・・・・・人の気持ちは、複雑なんだ。―俺は、お前に対する感情を正確に見出せずにいる。」


 そう語る彼の顔色は月光に照らされて、白にも蒼にも見えた。どちらにせよ、いいと言えることは百万に一つもない。

 何故か寒そうな印象があって、抱きしめたい衝動に駆られるが、蹴られるのが目に見えているから何とかそれを押さえつける。


「でも、俺は名探偵が・・・」

「新一だ。今の俺は探偵なんかじゃない」


 キッドの声に重ねるようにして新一は言った。その声に含まれているのは、哀しみだろうか。それとも・・・?


「パジャマ姿の探偵なんて、サマにならないだろう?」


 訝るキッドに、新一は苦笑して言った。いや、彼の場合、どんな姿でも様になっていると思うのだが。余計な事を言うと怒られそうな気がして、キッドは


「そういう問題じゃないと思うけど・・・」


と返すと、「そういう問題なんだよ」と彼は笑った。その微笑みに暫し見蕩れ、そして、自分の告白が、何だかさり気なく流されてしまったような気がして、慌てて言葉を重ねた。


「どっちにしても!俺は名・・・新一が好きなの!それだけは、わかっといてよ」

「・・・認識だけがしてやるよ」


 軽く流そうとしていたらしく、新一は軽く溜め息を吐いて言った。一応、受け入れるまではいかないが、ほんの少しでも近づけたような気がして、キッドは自然と微笑みを浮かべた。


「うん。・・・ありがと・・・」


 そんなキッドの様子に、新一はまた溜め息を吐いて、言った。


「・・・どうでもいいけど、お前、口調崩れてるぞ」

「これ、俺の素なんだ♪」


サラリと答える。キッドは、自分の正体をこの探偵に明かす事に、実は全く躊躇いはなかった。どちらかというと、知って欲しかったのだ。


「・・・・・・その格好のまま素で話すの、凄い違和感あるぞ?」

「元に戻ろうか?」


 いっそ、この場で彼に自分の正体を明かしてしまおうか。変装をといて。元の自分になって。しかし、そのどこか希望めいた提案は、当の新一本人に首を振られて却下された。


「いや。・・・そんなにカンタンに言っていいのかよ」


上目遣いに見上げられ問われる。その姿は、彼がキッドの身を案じているようにも見えた。


「新一だからね」


答えると、


「探偵でもあるさ」


と先程彼自身が否定した事を口にする。


「今は「新一」なんでしょ?」

「・・・勝手に呼び捨てにすんな」

「クン付けして欲しいの?」

「・・・・・・やっぱいい」


憮然と言いながら、新一の視線はキッドから離れる事はない。拗ねているような顔が可愛かった。






「ね、昼に会いに来てもいい?」


 そこで、漸くキッドは本日のお題とも言うべき台詞を言った。きっと、この一言を言うためだけに、仕事もないこんな真夜中のこんな場所にこんな目立つ格好でやってきたのだ。

 ・・・正直言って、新一は馬鹿だと思ったが、今のこの性格では、嘘でも本当でも泣き付かれてしまいそうなので、口には出さないでおく。


「キッドとしてか?」

「勿論、元の俺で」

「・・・活動してる昼の俺は、探偵だぜ?」


 どうせ通用しないと解っていながら、半分本気で脅しめいた口調で言う。それに、キッドは軽く笑った。


「夜じゃない昼の俺は、一般人だよ」


と。


「父親が警官、なんて言ったら笑ってやる」

「残念。親父はマジシャンだよ。世界で最高の」


 明日には解る答えの、小さなピースをキッドは新一に落とした。


「お前もそうか・・・?」


 聞いたのは、気紛れの感が大きかったが、本当は確信していた。だって、キッドは仕事の度に、自分が赴く度に、華麗なマジックを目の前で披露して、文字通り風の如く去って行くのだ。


「・・・・・・今日、会いに来るから。俺の取っておきを見てよ」

「わかった」


答えらしき答えをもらって、新一は頷く。キッドは満足したらしく、


「俺、帰るね」


と言って、律義にシルクハットを胸に当てて礼をして、窓に手をかけた。ベランダに下り、白い羽を広げ、ひらりと屋敷から飛び立つ。


「新一、好きだよ・・・おやすみ」


という言葉と、優しい笑みを残して。


「・・・おやすみ」


 もう誰もいない窓に向かって、囁いた。声は短い旋律となり、未だに煌々と明るい月に融けて、ただの余韻となって消えた。窓は細く開けたままにされていて、そこから入り込む空気はやけに肌寒く感じた。

 ・・・知ってるよ。知ってたよ、ずっと。心の中で呟く。キッドには暴露ていただろうか。大丈夫だろうか、と少し不安になり、またすぐにそれを打ち消す。人の心が読める訳じゃないのだ。考えても仕方がない。

 新一は、クッションを枕の位置に戻し、動かすのも億劫な体をベッドに横たえた。じっくりと、脳から足の先までの感覚を辿っていく。

 今日はやけに疲れた。ひどく長く感じられたキッドとの会話を、何度も思い出しながら、否応のない眠りに落ちていった。








「俺、黒羽快斗っていうんだ。よろしくな、新一♪」


 そういって、自分と似ているようで全く似ていない男が、彼に挨拶するのは、それから十五時間後のことだった。




 一緒にいるのが楽しかった。


 ただずっと一緒にいたかった。


 現状ではとても満足できなかった。


 だってほら、もうこんなに囚われてる自分がいる。




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