おや、どこへ行くんだい?
ちょっとな、散歩だよ。
ついていかなくても平気かい?
子供じゃねえんだから、大丈夫さ。
そうか・・・じゃあ、気をつけて行っておいで。
うん、行ってきます。
Can you find to blindfold a secret?
―5―
大通りから一つ奥へ入った路地。コツコツと、硬い足音を響かせながら、石畳を敷かれた通りを歩いていくと、薄暗い一角に入り込んだ。
寒くはない時期だった。ただ、夜には薄着している事を後悔してしまう程度には涼しい場所での、夏の気候は、少し厚手の上着を着て散歩に出るには丁度良い。
虚ろな目つきの女性や、目が血走っている男や、地面に直に寝転がっている老人や、少年達の間を抜け、ツンと鼻の奥を突くような匂いに柳眉を顰めながら、あからさまに雰囲気の悪いそこを、怖れるでもなく、どちらかというと悠々と進んでいく。
何度か声を掛けられたり絡まれたりしたが、男の場合のみ蹴り倒して、女の場合はやんわりと振り切って、でも、足を止める事はない。
父親には出掛けてくる、とは言って、行き先までは告げなかったが・・・多分、彼は気づいていただろう。それでも止めはしない父親に、少しだけ感謝する。
空が赤い。これから夜になるというこの時間帯が、この界隈は一番危ないということを知っていたが、どうしてもこの時間に来たかった。日本とはまた違うここの夕焼けはとても朱くて―とても綺麗だと思えたから。
危険地帯に入ったというのに、殆ど危機感も無しにのんびりと歩を進めていき、怪しげな小さな店が並ぶ一番奥に、薄紫の看板がかかった、その店そのものがアートのような、奇妙な造りの店があった。
看板には、紫のペンキで辛うじて読める程度に、雑な「fortune-teller」の文字が綴られている。
扉はなく、掛けられた複雑な織り目の分厚い布を捲ると、そこには直接地下に続く階段があった。そこにある、まるで誘われているような闇に、アッサリと誘いに乗ってその中に身を投じた。
暗い地下に続く階段を一歩一歩降りていく。暗色の壁には、一定の間隔をおいて、ランプが薄い光を放っていた。どことなく懐かしい、レトロな雰囲気を醸し出しているそこに、心地よさを感じた。
コツンコツンと硬質な音を立てて階段を降り、また延びている薄暗い廊下を、確かな足取りで少し進み、すぐに廊下の突き当たりに来た。
「・・・・・・・・・」
じっと周囲を見やり、壁伝いに歩きまわって、漸く布で出来た扉を見つけた。表にあった、分厚い布と同じ様な模様、同じ色の、壁に見事に溶け込んだそれには、表のものとは少しだけ違う、ランプの模様も織り込まれていた。
バサリ、と布を捲って中に入る。
そこにいたのは――
「おや、珍しいお客だ。・・・どうしたんだい?kid(オチビちゃん)」
と楽しそうに言って、彼を出迎えた黒いローブを頭からスッポリ被った「魔女」だった。
「・・・俺はkid(ガキ)じゃねえよ」
特に動揺する事もなく、彼はフンと軽く鼻を鳴らして返した。その間にも、抜かりなく目の前の人物を観察する。・・・観察して・・・すぐに止めた。観察しても無駄だと判断したからだ。
「じゃあboy(少年)かい?」
「それも嫌だな」
「ワガママだねえ」
そういって、魔女はクスクス笑う。声は少し嗄れているが、言動はどことなく幼くて、醸し出される雰囲気は明らかに成熟した女性のそれで。
「我侭さ。・・・you(あなた)でいいよ」
全てがちぐはぐで、面白い。
名乗る気はないのかい?」
魔女は黒塗りのテーブルに頬杖をついたまま、悪戯っぽく笑った。気に要られたのだろうか。こちらも同じ様な笑みを返して言う。
「今のところはな」
初対面で、しかも如何にも胡散臭い他人には教えてやらない。しかし、今のところは、とは、ちゃんと存在を受け入れているということだ。・・・こんなにも心を躍らせてくれるような魔女には、未だかつて会った事がない。
「ふ〜ん?そうかい。じゃあアタシも名乗らないよ」
「いいさ。別に。名前なんて、その人物を表すつの単語なんだし」
年の割に生意気な彼の態度に、気を悪くするでもなく、魔女は頬杖を解いて、木製の、緻密な彫りが施されたテーブルに両手を組んで言った。
「じゃあ、偽名でも使おうかね。アンタだけが知ってる名前でいこうか」
呼びにくいし。魔女は付け加える。
「なら、俺もそうしよう」
答えると、魔女は黒い肘まである長手袋に包まれた手を差し出して、言った。
「アタシは、レイだよ」
「俺は・・・そうだな、シキだ」
返して、シキと名乗った彼は彼女の・・・レイの手を取って、二人は堅く握手した。握った手は柔らかく少しだけ骨張っていた。
それから、レイは彼に、テーブルを挟んだ正面にある、木造りの椅子を勧め、シキは素直にそれに従って、見た目よりもうんと頑丈そうな椅子に優雅に腰を下ろした。
「・・・で、こんな危ない通りの奥屋敷に何の用だい?」
ニッコリ、と近くで見ると、20代半ばに見えるレイが笑顔になって聞いた。その目には好奇心がありありと見て取れた。
「用は、別にない」
「・・・はあ?」
何言ってんだい、というニュアンスを含めた「はあ?」に苦笑して、シキは言った。
「散歩してたら、目に留まっただけさ」
本当の事を言うと、レイはくくくっと楽しそうに肩を震わせて笑い、伸ばしていた背を、ゆったりとした背凭れに預けた。
「面白い事を言う子だねぇ」
「そうでもないさ。・・・あんたどうしてここにいるんだ?何をしている?」
「・・・占い師、というのが一番近いかね〜。その質問は、アタシにとっても難しいもんさ。傍から見たら、そのものなんだそうだがね」
矢継ぎ早の質問にもうろたえることなく、落ち着いたまま、レイは答えていった。やはりその雰囲気は変わらず、外見に見合わない程成熟した、どこか癖のある、真っ直ぐなもので。
「・・・あんた、面白いな」
「そうかい?イイ男になりそうなアンタにそう言われるのは光栄だねぇ」
「俺も、あんたみたいな美人に言われて、光栄さ」
目の前の女性を真っ直ぐ見つめ、蒼い目を細めて言うと、レイは若い娘のように「心にもないことを言う・・・」と笑った。
「本当だよ。・・・本当のことだし?」
おやおや。ますますアンタが気に入りそうだ」
言い、レイは年老いた老婆のような貫禄を漂わせて笑う。「それは喜んでいい事か?」と苦笑すると、失礼だね、と軽く鼻を鳴らし、「モチロンさ」と言う。その表情は些か、拗ねた小さな子供のようだった。
「さて、お近づきのシルシに、何か占ってやろうか」
今度は僅かに色香を匂わす女性の顔になって言う。このレイという会ったばかりの女性は、どうやら本当にコロコロと表情を変える。感情表現が上手いのか。それとも全て作っているのか。
「いいや、いらない。・・・信じられない」
断ると、レイは落胆よりも先に、挑戦的な目をシキに向け、
「信じさせてやろうか」
とシニカルに笑う。悪戯好きのキッド(子供)のように。
「できるもんならな」
と言って、シキは悪戯好きの少年らしくニヤリと笑った。あまり他人に対して、本気で笑わない彼にしては珍しい事だった。・・・だって、彼女との会話はかなり楽しいのだ。父と話すそれとはまた別の、高揚感が生まれる。
「・・・3日後おいで。あんたの3日間を暴いてやろう」
「・・・死体を見る事になるかもしれないぞ?」
なんてったって、俺は歩く殺人引力だからな、と笑う。
「構わないさ。見慣れてる」
こんな所に住んでるからねぇ、と付け足して、彼女も笑った。
「わかった。3日後、この時間に、ここで」
「ああ。別に警戒しなくていいよ。アタシは一人身さ」
そう言って、レイは肩を竦めた。・・・占い師の常套手段として使う、依頼人の調査について、監視されてるかもしれないというシキの疑いを晴らす為か。
きっと当たっているだろう。もしかしたら、まだまだ他の考えが在るのかもしれない。シキは、この短時間の間に、レイの知能の高さを確りと測っていたのだ。
「警戒なんてしてないさ。この辺では身の危険は感じるけどな」
ひょいっと肩を竦めて言う。半分本当で、半分は嘘に近い。近い、というのは、自分は既に彼女は信用における人物だと認めているのだが、生まれ持った美貌や血筋や現状の立場の所為で、最後の一線はどうしても越えられず、完璧には警戒心を解く事は出来ないでいる所為だった。
気を悪くするかと思いきや、レイはまるで母親が向けるような目でシキを見て、柔らかな黒髪をクシャクシャと撫でて言った。・・・少し、照れる。
「そりゃあ良い事だ。あんたみたいな人は、この界隈じゃあ犯すか殺すか、どうにでもしてくれって言ってるようなもんさ・・・・・・その姿だけで」
「ここまでは何もなかったぜ?・・・ああ、ちょっと襲われたか」
他人が聞いたら青ざめそうな事をサラリと言う。さすがというか、レイは眉も顰めずに「そりゃあアンタが美人なせいさ」と揶揄うように笑う。
「喜んでいいのか悪いのか・・・」
「喜んでいいのさ。拉致られることはあっても、すぐにナイフで刺されるような事はない。逃げるに超した事はないがね。・・・そのアンタを襲った馬鹿者はどうしたんだい?」
「男だったから蹴り飛ばした」
正確には蹴り落した、だが。たまたま開いていたマンホールの中に。
「殺しときゃよかったのに」
恐ろしい事をサラリと言う。多分こういう性格だから、こんな界隈で何が起こっても、きっと彼女は動じないだろう。
「まだ犯罪者の側に立ちたくないんでね」
シキは黒いズボンを履いた足を組んで、その上に両手を置いた。静かに笑うシキに、「そうかい」と軽くそんな事を言う彼に特に何も言わずに受けた。
そして、椅子の肘掛けに彫り込んだ引き出しから何かを出して、シキの前に出した。彼女の目を同じ色の黒曜石を、革の紐で通した物だ。
「帰りはこれを下げて帰りな。次に来る時もつけて来るといい。お守りさ」
「・・・サンキュ」
お守り、と言われたそれを素直に受け取って、シキは静かに笑って礼を言った。
笑顔に驚いたのか、自分にこれを贈った行動に照れたのか、クルリと椅子を向こう側に回転させて、「それはアンタにあげるよ」と言い、ちょっとだけこちらを振り返って、
「ほれ、さっさと行きな」
と手をヒラヒラ振ってみせた。その手にはノートサイズの札があり、彼女はシキにそれを渡して「看板に掛けておいとくれ」というと、またクルリと向こうを向いてしまった。シキは「お守り」を首に掛けた。
「・・・・・・じゃあな。レイ」
「忘れるんじゃないよ」
眠る直前のような掠れた声でレイは言い、それに「うん」とだけ答え、彼女にはシキと名乗った少年はそこからなるべく静かに出て、看板に札を掛ける。
地下から出てきた外は、すっかり日が暮れていて、夜になり、闇に捕われた路地を、彼は行きと同様・・・否、更にのんびりした調子で歩を進め、表の明るい通りへ帰った。
薄っすらと目を開く。視線をさ迷わせると、緑色の非常ランプが始めに目に付いて、隣を見ると、自分と同い年の少女の寝顔が在った。
今いる場所を改めて認識して、もう一度彼は目を閉じた。
――飛行機を降りた途端、高い黄色いとも言える声に見舞われた。
「キャ―――!!!新ちゃん久しぶり〜〜〜!!」
そう叫んで抱き付いてきたのは、紛れもなく自分の母親である有希子だった。新一と良く似てた美貌の大女優は、自分が目立つ事気にせずに思い切り騒ぐ。
その彼女の挨拶を一身受けた新一は、目一杯その綺麗な美貌を顰め、それでも実の母親だから無下にも出来ず、ポンポンと子供をあやすように背中を軽く叩いて引き剥がした。
「あら、この子ってもしかして哀ちゃんかしら?」
実の息子に引き剥がされてムッとしていた彼女は、新一の隣に佇む志保に目をつけて、可愛らしく首を傾げて聞いた。目の奥が楽しそうに光って見えるのは幻覚だろうか。
いや、現実だろう。
「久しぶり、新一」
よろしくね〜♪と言って名前を訂正した志保の手を振る母を見ていた新一の背に、父の優作が声を掛けた。
「父さんまで来たのかよ・・・」
実に嬉しそうな優作の様子に、新一は脱力しながら嘆息した。世界的人気推理小説家という立場に在るはずの彼は、はっきり言ってこんな所に来てのんびりと息子との再会を堪能する暇はないはずなのだ。
「冷たいね。でも、新一の元の姿を見るのは一年ぶりだから仕方ないだろう」
目元を和ませて優作は言うと、「有希子、行くよ」と愛妻に声を掛けて新一の肩を叩き、並んで歩き出した。志保の手を引いた有希子がその隣に並び、桁外れに目立つ一行は、進んだ空港中の視線を釘付けにして、賑やかに去って行った。
話したい事があるんだ。
懐かしい昔話。最近の世間話。未来に起こる、夢物語。
会えないのは寂しい。
でも、これは必要な事。
だから、寂しがらないで。
僕のいないあの場所の君は今、元気にしてる・・・?
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