第七夜    緋牡丹博徒


    緋牡丹のお竜である。いまでもこの名前を口に出すだけで胸がキュウンとなる。
中学生のころ、同級生は百恵ちゃんや淳子ちゃんのポスターを部屋に貼っているのに、わたしは太秦映画村で買ってきた白黒のスチール写真を壁に止めていた。

    緋牡丹のお竜といえば藤純子だ。しかしご本人が好きというわけでもないのだ。今でいうバーチャルアイドルのようなもので、映画の中の矢野竜子が好きなのだ。

「まちなっせ。札ば改めさせてもらいまっしょ!」
「なんだと!いいから、やっちまえ」
ババーン 健さん登場
「おめえたちのやり口にゃ、もう辛抱たまらねぇ。死んでもらうぜ!」
ドスッ、ガスッ、ビシッ、

    くぅ〜っ かっちょいい〜 ぜひともレンタルビデオで見ていただきたい。
脇役もお竜さんに惚れて惚れて兄弟分にした四国の熊坂寅吉、通称熊虎に若山富三郎が扮しええ味だしてます。その子分の不死身の不二松いうのも、熊虎の命を受けお竜さんを助けます。これは、名前の通りいくら切られても刺されても死にません。シリーズ通して出てきますのでおもしろいです。

    さて、緋牡丹博徒といえば、手本引きです。
もちろん、わたしも実際にやったことはありませんが、ルールを知っただけでも相当おもしろそうです。
    わたしのおじさんという人は、根っからの博打好きで、若いころに博打の金を作るのに、家にあった巾一間の仏壇を売り飛ばして勘当にになったというような人です。そのおじさんが晩年、縁あって家に一緒に暮らしてたんですが、ひまな時には古い花札で屏風札というイカサマ札を作って見せてくれたり、手本引きのルールを教えてくれたりしました。実際にやったといえば、このおじさんと差し向かえでカブ札を使って手本引きを遊んだくらいです。
    もちろん、何を賭けるという事もなく、簡易な張り方のルールだったので、おもしろいというよりは緋牡丹博徒ごっこというかんじでしたが。

    ビデオでも見ていただければ、大体の雰囲気はわかっていただけると思うのですが、ルールは簡単なんですが、張り方がむずかしいのです。

    簡単にいうと、1〜6までの数字の中から親が出す数字を当てるというものです。
では一通り説明しますと、これは親対子の勝負です。親を胴師と呼びます。胴師は繰り札と呼ばれる1〜6の数字が描かれた札を持ち、懐、または半身に半纏を羽織り、その中に手をいれて札を繰ります。
    胴師は選んだ1枚の札をカミシタとよばれる手ぬぐいのようなものの中にいれます。
胴師の前には目木(めもく)とよばれる1〜6までの木札があります。簡易な場合は目安札と呼ばれる札で代用する場合もあります。
    胴師は自分が選んだ札と同じ数字の目木を一番右におきます。つまり、わたしが選んだのはこの数字ですということを宣言したわけです。もちろん自分がカミシタに入れた札と目木の数字が一致しなかったら、その時点で胴師の総負けです。

    次に賭け方ですが、これは複雑なのと、わたしも正確に覚えていない事もあって基本的な部分だけ紹介します。
張り方は各自1〜6までの張り札を持っています。そして、予想した数字の札を伏せて場に張ります。
    おもしろいのは、通り、半丁という2種類の札が別にあって、これは他人の賭けに乗るのに使われます。
つまり、上がり目の人がおったら、その目に乗れるシステムです。丁半などはどちらに張るかはっきり分かりますので、自分もその目に張ればいいんでしょうが、手本引きの場合は札を伏せて張るのでこういうシステムができたんではないかと思います。但し、通りはその人と全額同じ賭け金で乗る。半丁は半額だけというように決まっています。

    大きく分けると、1点張り、2点張り、3点張り、4点張りの4つです。
これにいろいろバリエーションが付くのですが、まず1点張りは文字どおり札を1枚だして当てるというものです。これをスイチといいます。
競馬でも1点買いのことをスイチというのはここからきています。配当は4.5戻し、手本引きの場合は賭け金を含めず、純益であらわしますので、倍率で言えば5.5倍の配当という事になります。

    2点張り以上は、それぞれ張った札の中に当たりがあればいいのですが、札の張り方と賭け金の置き場所でそれぞれの戻しの率が決まっています。

    例えば2点張りはケッタツといいますが、札を縦に2枚張って賭け金をその札の下、つまり手前に置いた場合は、上が2.5下が1となります。3.5倍と2倍ということですね。
    同じ張り方で賭け金を札の上、つまり向こう側に置いた場合は上が3.5下が種といって元返しになります。4.5倍と1倍ですね。
    3点貼り、4点貼りとなると1.5戻し、1戻し、0.3マイナスというように、元返し以下の全額取られないが0.1、0.2マイナスといった張り方も入ってきます。
    つまり、この張り方のバリエーションがこの博打を面白くしているわけです。

    手本引きに対して簡易なサイ本引きというのがあります。これは胴師が札を繰るかわりに、1個のサイコロを振ります。
この場合は確率1/6です。やはり、スイチの配当が5.5倍ということで5分の負を背負うようになっています。

    手本引きの場合は、胴師が出したい数字を選ぶので確率ではあらわせません。
手本引きとサイ本引きが決定的に違うのはここです。そのため面白さも数段違ってきます。胴師も人間ですから当然上がり目、下がり目、強気、弱気と変わっていきます。ここに張り手との心理戦が生まれます。そして、張り方によっては回収率が変わってくるということになります。
  これは競馬のいう馬券下手のように、目は当てられても、張り方いかんでは配当が大きくも小さくもなるのです。

 実は、仕組み的に競馬と一番似ているのはこの手本引きなのです。
6枠6頭のレースがあったとしましょう。もちろん確率は1/6などではありません。やはり有力な馬が勝つ可能性がたかいのです。
 手本引きの数字を当てるのも、確率ではあらわせません。胴師の心理状態、クセ、状況などから、やはり出しそうな目は絞れてくるのです。

 あとは、張り方の組み合わせです。スイチで勝負もあれば、多点張りでヘッジしながら稼いでいくという方法もあります。
これはもう馬券の組み合わせと通じるものがありますね。

 最終的に当たりを予測して張り方を決定するのは、やはり、これだという思い、確信があっての事じゃないでしょうか。
自分の予測した買い目のオッズが高かったとき、素直に「やった!」と思えるのか、「まてよ、やっぱり無理か」と不安になるか、この違いだと思います。わたしは、年に何度か素直にやったと思い、すっと買ってドンと当たることがあります。こういう精神状態のときは、買い目もすっと決まり、自信、確信といったものがみなぎっています。
 競馬で当てるための技術を磨き、的中率を上げても、ほんとに自信を持って買えないと、大きく勝つ事は出来ないと思います。

 丁半では、均等買いでは勝てないことを書きましたが、ツキ、流れを見て、勝負時を探るという事がわかります。
 手本引きでは、当てにいくことはできても、回収率の問題が出てきます。勝負時の張り方ですね。1〜6までの数字を当てるのに4点貼りまで許されるのですからね、よく考えればこの博打の奥深さが分かると思います。

 つまり、こういった博打こそ、勝負時に確信をもって賭けるという行為が必要だということを教えてくれていると思います。博打の本質ではないでしょうか。

 ちなみに、花村萬月に「二進法の犬」という小説があります。これはわたしが知る限り手本引きの博打シーンを、心理描写も含めて書いた唯一の小説だと思います。ぜひとも読まれる事をお勧めします。題名に関しては少し間違ってるかもしれません。最近は読んだ本はすぐ古本屋に売り飛ばしていますので手元にないんです。
 緋牡丹博徒もぜひ見て下さい。お竜さんの札を繰る所作の美しさに魅せられてしまいます。勧善懲悪、水戸黄門みたいな筋立てですが、おもしろいです。
 
 クリリンにはぜひ緋牡丹博徒&昭和残侠伝フェアというのをやっていただいきたいですね。

第八夜