第四夜 ツキはどっちにでている?

 さて、競馬である。こちらは麻雀などとは違って開かれた世界である。小人数でやる博打のイメージでいくと、ツキの総量が100億ぐらいあってそれを取り合うことになる。それでは神さんもいそがしすぎである。

 競馬でいうツキとはいったいどんなものなのだろうか。どういうときについてなかったと感じるのだろうか。
わたしがいままで見てきた競馬で最悪だったのは、まだ枠連の時代ユーワジェームス・メジロデュレンの4−4で確か4万馬券になった有馬記念である。今でこそ4万馬券もめずらしくないが、枠連のみの当時、ましてG1でとなると、超大穴である。
人気はうろ覚えだが、たしか2番か3番人気のメリーナイスがゲートが開いた瞬間落馬、1番人気のサクラスターオーが骨折と言うことで、2頭がらみの馬券だけで売り上げの5分の2ぐらいかそれ以上あったんではないだろうか?
 「一年最後の勝負についてないわぁ」「今年最後の厄落しや」などと聞えた記憶がある。

 今年のラガーレグルスもそうだが、こういうのは運というものではないだろうか。運もツキも一緒じゃという人もいると思う。しかし、わたしは違うと思う。
 運と言うのは個人レベルでは制御できないものであるが、ツキは麻雀の例でもわかるように、呼び込んだり、ある程度制御できるものなのではないかと思うのである。
 そこで、競馬でついてない状態と言うのは、実は第二夜で書いたような状態が続いたり、ここ一番で起こったりすることではないだろうか。
 つまり、イメージとしては麻雀がツキの総量をやり取りするのに対し、競馬はガソリンのゲージのように0〜100のような目盛があって、個人的な量の増減という感じがする。
 麻雀でもそうだが、負けが込んでいるときに目の覚めるような大物手はこない。来たとしても、それは一手違いでより大きな相手の手に振り込む伏線だったりする場合が多いのではないだろうか。ピンフでいいから上がりグセをつけて、ツキを呼び込み、流れを変えなければならないのだ。

 賭け事は大別すると2種類に分けられると思う。
 一つは丁半や本引き、ルーレットなど用意されたものからを選ぶもの。もう一つはカブ、ポーカー、麻雀など手作りをするものである。競馬は本質的には前者である。
 ではどのへんが大きく違うかというと、競馬を丁半博打と比べて見るとよくわかるのだが、極論を言えば丁か半かに賭けるのに技術はいらないが、競馬は的中を目指して、何点かに賭けるまでに絞り込むための技術がいる。
 それだけに、もちろん技術の未熟な者はツキのある無し以前に勝てないし、ツキというものが見えにくい構造になっているのではないだろうか。
 このあたりが競馬の賭け事としての複雑さだろう。逆を言えば、スピード指数などのレイティング技術の発達で、ある程度の絞り込みが簡単になったため勝ち組にまわれる人が出てきたのではないだろうか。
 なにもツキだけで勝てると言っているわけではない。ただ賭け事というものの本質には、ツキという要素が非常に大きくからんでくるのではないかと思うのである。そして、ツキには、心の動き、振れといったことが作用しているように思う。

 丁か半か、表か裏かであれば、ズブの素人でも12回サイコロを振ってもたまさか勝つ日もあるだろう。しかし、競馬では無理である。
 わたしの考えはこうである。丁半と競馬は本質的に同じカテゴリーの博打である。最近の指数化されたレイティング技術(馬場、パドック、血統、サインとなんでもいいのである)である程度まで賭けの対象を絞り込めたら、最終的に丁半とまでは言わないが、
少点数に賭ける博打に近づけるのではないだろうか。
そこにたどりつく過程でツキが入り込んでいったり、逃げたりしているように思うのだが、そのツキはコントロールできるのだろうか。
  さて、あなたのツキはどっちにでている。

 第五夜