第二十三夜    マムシの一言


 だんだんと世の中は大変な状況の中に入ってきていますが、みなさんの回りでも相当きびしいんじゃないでしょうか。
   JRAも売上ダウンでなんだかんだと言ってますが、単純にお客の小遣いが少なくなっただけで、おもしろい番組がないとかそんなレベルの話しじゃないと思いますよ。20年も30年も競馬やってる人間はそんな事考えてないでしょ。要はどれだけ勝てそうなレースがあるかどうかしか見てないと思いますが。本質的にはみんなの使える金が減っただけですわ。逆説的に言うたらそんな事も分からんと言うてるからアカンわけで、内容なんか関係無しに博打の胴元は公正に運用することだけ考えてたらええだけの話しです。ねずみ走らせても買うやつは買うし、ロマンやなんや言うやつはねずみのロマンを見つける言う事やと思います。

  わたしの会社でも来月から40歳以上は一律給料20%カットということになりました。これはけっこうでかいですよ。
まぁ、リストラなくワークシェアリングでという事なんでしょうが、せめて10%位にしてほしかったですわ。
  わたしは一昨年の9月に会社が潰れて今の会社に入ったわけですが、丸1年1ヶ月で厳しさがまた襲いかかってきた
感じです。
    と言うような事で、去年から競馬の収入もけっこう生活に回るようになっています。わたしの場合は一年間通して毎月コンスタントに勝てるという訳ではありません。季節変動が激しく、どうしても苦手な夏の3ヶ月は開店休業状態になりますから、そんなに胸張って勝ってると言えるほどのもんでもありません。
  そんな中、競馬で生計を立てている方もいらっしゃいます。今回はそう言う意味でプロということについてちょっと考えて見ました。

  わたしが競馬をもう一度やりだしたキッカケは、コンピューターを始めて、ネット上をうろうろしていてターゲットに出会ったからです。詳細ははぶきますが、そうこうしてる内に師匠のHPにたどりついたわけです。
  多くの人は最強の法則を読んで師匠の事を知っていたわけですが、わたしは昔から競馬雑誌は一切読んでいないのでいきなりHPを見たわけです。最初の印象はと言うと、やはり胡散臭く写りました。
 何が胡散臭く見えたか。それは馬券生活者という文字です。それまで馬券生活者という単語を見た事もなければ聞いた事もありませんでした。今でも誰が言い出したのか、あるいは師匠が最初に付けたのか知りませんが、競馬雑誌の中にでもあった言葉なんでしょうか。もちろんすぐに胡散臭くないと言う事ははっきりしましたが。
  概念は分かります。競馬で生計を立てているということから、素直に言えば競馬のプロということなんでしょうが、競馬には予想家というプロがいますので分かりやすく馬券生活者となったんだろうと思います。

  この馬券生活者という言葉には、なんとなく馬券でドカンドカンと当てて左団扇で寝て暮らすと言うような甘いニュアンスも含んでいるんじゃないかと思います。競馬マスコミ的にはプロ馬券師云々というような煽り方も多いですしね。余談ですがいま馬券師と変換したら馬券死とでました。
  よく師匠に対する中傷に多いのも、馬券で生活してない云々というものですが、そんなどうでもいい事にこだわるのも、そんなニュアンスが含まれてるからなんだと思います。

  じゃ、まるまる馬券で生活してないが、ちょっとは生活のたしにしているような人間はなんと呼べばいいんでしょう。馬券パートタイマーとでも呼びましょうか。なんか弱そうやけど・・・。
  どっちにしても、何でもその道で食べて行く(つまりプロですね)にはやはり片手間ではできません。当然そうなれば馬券だけで生計を立てなければならないので、馬券生活者ということになります。
  以前、馬券生活者と普通に馬券を買っている人との間には大きな違いがあると書きました。馬券で生活している人は、マイナスからのスタートになるといった意味の事です。そういう事から言えば、正業を持って競馬をした方がメンタル面でのプレッシャーは少なくなりますが、食えるほどに成ろうと思えば正業に就いていては出来ないと言う、ニワトリが先か卵が先かみたいな話しになってしまいます。でも実際そこまでの二者択一までいかなくとも、精一杯のところで頑張ってる人も多いと思います。

  ちょっと話しはそれますが、プロフェッショナルとアマチュアの違いについて。
  もともとプロ、アマという言葉はスポーツの中から発生してきてます。スポーツと言えばイギリスの貴族から発生したもので、道楽みたいなもんです。その貴族同士でスポーツをしている時に、どうしても勝ちたいと思う場面が出てきました。例えばチームの代表でマラソンのように長距離を走る競技があったとします。あるチームが優勝した時に、よそのチームからクレームがつきました。

    「優勝者は貴族階級の者ではないし、郵便配達である」

    このとき初めてプロとアマが誕生しました。プロの定義はこうです。その競技に有利な職業に就いている者。
   一生働かない貴族から見れば、例えば走る競技で、毎日走るのを仕事としている郵便配達夫はプロなのである。また、力仕事をしている者は当然筋力のない貴族と力を争う競技には出られなかったという訳です。
  アマチュアが主でプロが従の関係だったわけです。今の日本のように職業としているからプロという考え方は少しずれて入ってきているのです。もともとのスポーツやプロアマの成り立ちがこういう事であるので、ヨーロッパやアメリカでは俗にアマ競技と言われるもので収入を得てもあまりきびしくありません。ある意味彼らもプロなのですから。純然たる意味でアマチュアと呼ばれるのは日本で言う中学生くらいまでかも知れません。英才教育を受けた高校生くらいなら認識としてはプロ級ということになるのでしょう。

  脱線しましたが、そう言う意味でいうと博打という世界も、それだけで生計を立てている人がきわめて少ない世界です。日本に限って見ても、博打打ち、博徒といっても、結局は胴元になって賭博場を開いて生計をなしているわけで、自身が勝負して勝って純然たる生計を立てている者はほとんどいなかったのではないでしょうか。
 
  別に競馬においてプロマアの定義をはっきりさせようとか言うんじゃないんです。逆にそういうものがはっきりしないところが
あるんじゃないかと思います。
  極端な例えですが、仮に親の巨額な遺産があって、毎月一定の収入があって使える金もある、時間は十分に競馬に使えて毎月100万から勝ってる人間と馬券生活者としてぎりぎりのところで毎月勝負して月収20万円の人間がいたとしましょう。 こんなんプロアマの区別つけてもしょうがないと思います。ある意味で株の世界と同じだと思います。証券会社の人間がプロなのか、巨額な株を運用する資産家がプロなのか、少しの資金でも年間何十万かの利益を出している投資家がプロなのか、どっちでもいいことのように思います。

  プロとかプロ級のこととかに、段階を踏んで上がって行く時には、それなりの授業料というか、プレッシャーのかかる場面をクリアしていかなければなりません。
  あまり公にはできませんが、ゴルフや玉突き、ボーリングでも握りますよね。絶対に握った方が短期間で上達します。そしていくら練習でいい球が出てもね、プレッシャーのかかった時にはしびれるんですよ。しびれた時にクリアして初めて身につくもんがあるんですよね。

  杉原プロと言えば、言わずと知れた関西のドン、マムシの杉原です。ずっと昔ですが、彼が最終18番で、これを入れて優勝というパットが微妙な距離で残りましたした。これをすっと入れて優勝した後のインタビューが忘れられません。
   アナウンサーが、プレッシャーはありませんでしたか?俗にいうしびれる距離のように見えましたが。1打3000万円ですねと聞くと。

 「いや、全然いつもと変わりません。はずしたから言うて3000万取られるわけちゃいますやろ」

  杉原は後年、別のところでも同じような話しをしてました。
   「試合でしびれてるようではまだまだ甘いですわ。大体ね勝ったら何千万ももらえてね、負けても一銭も払らわんでもええんですよ。こんなええ商売おまへんで。普通は負けたらなんぼか取られるんちゃいますか。」

  まぁ、杉原にしてもプレッシャーはあったと思いますし、彼一流の言いまわしだと思いますが、プレッシャーの本質をついてる
のは確かだと思います。
  昔はこんなおっさんが玉突き屋にはごろごろおりましたけどね。

  単純に考えても今の自分の年収を競馬で稼ごうと思ったら至難のワザです。ただし、そこまで稼げたら倍にするのはある程度簡単な道筋かも知れませんが、そのときはそれが職業となっていることでしょう。
  世の中にはけっこう馬券生活というものを目指している人がいるんだなと知ってびっくりしています。真剣に目指しているのか、ホストのインチキ広告みたいに、やって金までもらえるんかと言うような安易な人も含めてですが。

  わたしのような馬券パートタイマーから小遣いも減ったし、なんとか増やしたいという貴兄まで。せめてプロ級と自分で定義
出来るくらいにしたいもんです。ちょっとレートを上げるだけで、急に不安になったり、レース前のドキドキが大きくなったりしますが
そこをクリアすることでまた上に行けるんじゃないでしょうか。その中には無事三途の川を渡り切れる人もいるんじゃないでしょうか。
 まぁ、ゴルフのプロと違って負けると取られますが。
 

第二十四夜