第二十一夜 打つ者と打たれる

  先日、師匠の会員掲示板で師匠がイナフさんのことを書いたレスを読みました。(師匠、無断転載ゴメンチャイ)

10月7日 東京10R ダート1200 10頭立  のレースについてです。

1 ハセノスパーク          田面木博     84 87 s73 75 79 80      C
2 メイショウタツジン      四位洋文     78 78 74 s80 s87 s85
3 マイネルエアメール   蛯名正義     91 93 93Y 93 81 80      CY
4 ケイアイブレーブ       田中勝春     83 79 92Z 75 91 89      BZ
5 カフェブラン               菊沢隆徳   s82 s73 s79 s87 s72 s70
6 バンダムウィンベル    村田一誠     88 93 77 84 s58 s57
7 ツルミカイウン            岡部幸雄     75 87 74 84 79 77
8 ゲイリーエクシード    小野次郎      82 83 78 81 73 71
9 タイトスクイーズ         横山典弘      90 95 77 82 74 73
10 ハイパーナカヤマ    柴田善臣      88 90 89 95X 93 92     AX

結果 3−4 940円

>イナフさんと言えば関東ダートでは関西馬しか買わない法則のの持ち主なのですが、マイネルとケイアイの馬連を¥5000取ったといってました。

>「なんで関西馬じゃないマイネル買ってんの?」って聞くと

>「この指数でも長期休養明けで関西ダートでボロ負けしてくるのは当たり前それよりもそのことはむしろ買い材料」

>って言ってるのを見て、妙に納得させられました。しっかし、彼は本当に臨機応変に対応するなぁー。


  正直、唸りました。ここです。
「この指数でも長期休養明けで関西ダートでボロ負けしてくるのは当たり前それよりもそのことはむしろ買い材料」
なぜそのことが買い材料なのか、ここには書かれてませんし、そのことについてイナフさんと話したことはありませんので見当違いのことを言うかもしれませんが、わたしはこう感じました。

   長期休養明けで勝負カンも鈍っているであろう関東主戦の馬を、あえてきついメンバーの関西ダートにわざわざほりこんで、なおかつ一ハロン長いレースを使っていることが買い材料なのだということ。

    このことは間違ってるかもしませんし、またイナフさんがそう言う意味で買い材料だと言ったとしても、実際の事情は違うかもしれません。厩舎側がそこまで考えてなく、ただ単に馬主の意向だとか偶然そうなっただけかも知れません。
    わたしが唸ったのは、そのことの是非はともかく、そういう見立てができるということに唸ったわけです。

    その馬の取捨てを考える場合、各人それぞれのファクターに準じて決めているんだと思いますが、この場合イナフさんは「関東ダートでは関西馬しか買わない法則」というのがファクターのひとつです。
    もちろん単純にそればっかりだとは思いませんが、あえて最優先事項がそれなら、今回はそれをまげて関東馬のマイネルエアメールを買った訳です。師匠が言うようにたいへん臨機応変に対応されてると思いますが、単に臨機応変なだけではなく、そういう風に見立てることができるというセンスのよさが凄いんじゃないかと思います。

   センスというとこう言うような意味があります。 感覚(器官) 感じ,意識,勘;  といったところです。

   例えば、ペナントレース終盤苦しんだヤクルトですが、最後の5試合で全部負けるとプレーオフということになりました。普通はもういくらなんでも5連敗はないというのが常識でしょう。でもわたしはそのとき引退した長嶋がふと浮かんできました。すでに引退した長嶋がヤクルトの5連敗でプレーオフで再びグランドに戻ってくる。長島ならありうると思いました。

    別に巨人ファンでも長嶋ファンでもありません。ただ、少年時代から今週はサンデーの表紙がONなら来週のマガジンは江夏・田淵というような時代から長嶋を見ているとあるかもと思えてしまうんです。
    もしオッズが100:1で賭けが成立するならやってたかもしれません。ヤクルトの戦力がどうのということではないんです。長嶋の運なら花道としてあっても違和感がないというのがわたしの見立てです。
    これのセンスが良いか悪いかは別ですが。
    つまり勝負事のファクターには理詰めでない、それが真実であろうとなかろうと勝負にかかわるファクターみたいなもんが出てくるときがあるんじゃないでしょうか。

    話しが行きすぎましたが、わたしは、わたしの感覚ではこのレースは簡単なレースでした。簡単というと語弊があるかもしれませんが、買い目を決定するまでが簡単でした。実際には娘を連れて出かける予定があったので買いませんでしたが、最終オッズ
を見れば買っていたレースに違いはありませんでした。

 わたしの予想買い目はこうです。
   ケイアイブレーブを軸にメイショウタツジン、マイネルエアメール、ツルミカイウン、元返しにハイパーナカヤマ。
師匠の出馬表を見ていただくとわかりますが、いたって単純に素直に買っています。これでだいたい250%あります。イナフさんが何点で取ったかは知りません。おそらく2点ほどでしょう。回収期待値を考えなければ、多くの人が取っているんじゃないかと思います。
   実際にはマイネルエアメールが1着ですが、おそらくみなさんケイアイブレーブから入られたと思います。ヒモの取捨てから言えばマイネルを切る方が普通じゃないレースです。単に叩き2走目だということでも、指数の実績、コース実績でも買いでしょう。

  なにが言いたいかというと、答が合ってれば式なんかどうでもええということなんです。予想に使うファクターは言って見れば数学の問題で式にあたるようなもんです。答を導くために使う、公式であったりXやYであったりする訳です。
   テストでは式もちゃんとできてないとあきませんが、取ってなんぼのレースでは答さえ合ってりゃ良いわけです。
 スピード指数を使う人が東から山に登る人なら、サインを使う人は西から登ってるようなもんで、頂上で会えば
どちらも正解です。ただし、登ってるつもりが麓をぐるぐる回ってるようではいけませんが。

   理詰めで積み上げて行く手法では最終的にはあかんと思うんですよ。勝負事は。あまりに掘り下げて突き詰めて行くと、やれ斤量や場体重や重馬場に変わってきたからどうだとか無数のファクターに引っ張られて、レースという勝負全体が見えなくなってくるんじゃないかと思います。感覚というか勘で拾うような部分がもっと重要なんじゃないかと思います。

  競馬を始めた頃に最初に疑問を持ったのが印です。競馬新聞を始めて見たとき、いったいこの印はどこまで信用できねんと。もちろん、印通り買って当たるんであれば誰も苦労せえへんので、そうそう当たるわけないというのはわかりましたが、じゃあ、みんななんで新聞買うのか。
  例えば、新聞がなかったら恐らく何を買っていいのかまったくわからなくなるでしょう。マカオのドッグレースに行ったときがそんな感じでした。どれから買うてええのかさっぱりわかりません。ほとんど出目というかあてずっぽうで遊んだ覚えがあります。

  つまり、穴党の人ですら新聞の印で人気薄と言う事を確認しなければ買えないわけです。ここに大きな競馬に対するスタンスの違いがあります。
  1つは自分の目で確かめた、あるいは拾ったデーターで印を打てる人。もう1つは印を打たれた物を使って自分の印を打つ人。これは新聞に限らず、木下式出馬表でも同じです。前者が師匠で後者がわたしです。

    これはどういう事かと言うと、師匠はタイム等から計算して指数を出す。レースを見て補正を入れる。気になるレースや馬はLレースやUTなど指定される。全ては独自に出てきた一次データーである。
  わたしはその一次データーを使って予想するわけで、ある部分というかほとんどの部分を依存しているわけです。わたしの場合、出馬表が始まりとなるが、師匠は出馬表が単なる覚え書きのようなものである。なぜなら、各レース
を見、馬を見て決められるからである。
  幸いにも、わたしは予想ファクターの80%ほどを出馬表を使っているのでなんとかやらしてもらっているが、そのことが分かっているので、意識的にファクターを少なくしてきた。あとの20%はコース実績や2・3のファクターだけである。

  わたしのやっている予想行為は単なるペーパーゲームのようなものである。ただ、それでもなんとかかんとかやっていけてるというだけの話しである。基本には、馬場が悪かろうが展開がよめないであろうが強いもんは強い。うまいもんはうまい。強さを、力を、測れるものさしがあったら、あとは賭けうる金額に対する覚悟とちょっとしたあやが見えればなんとかなると思ってます。

 でも、自分で馬を見れて印を打てる人との間にある溝は、とても大きいしレベルも違うということは分かっています。
いつかは、そちらに一歩を踏み出したいとも思っていました。いろいろ制約や環境のこともありますが、意識的に押えてきたのは、馬を見ていく、レースを見ていくことで、いま自分がやっている競馬のファクターが増えていく事になります。そうすると、恐らくきちんとした形になるまで、一時的にでもわたしのスタイルが崩れることになります。というかある部分崩して入れ替えて行く作業をしないとレベルアップしていく事はできないと思います。
  でも、あえてそういう風にしてみることにしました。久しぶりに書くと論旨がつながっていないようです。もう少し思ったことを書いてみたいのですが、時間がありません。次回につづくというこで。 

 第二十二夜