全日本リレー体験記2   99年度の場合

 

 今年は昨年の話があったので、5月頃から「他にも人を呼びかけよう」という話しがあがっていた。

そこで、A君は5月末頃にO−Kansaiメーリングリスト(注1)に、奈良県代表で出たい人を呼びかけてくれたようだ。

 すると、それに阪大のT君が応じてくれたようだ。で、それは良いのだが、選手は3人、出たい人は4人いる。

 そのころ、7月20日に京都府の全日本リレーのセレクションが行われる事を知った。そこで、私は提案した。

「天王山の京都府セレにでて、速かった者3人が申し込みをすることにしては?」 

それに皆が同意したので、「セレ」を行う事にした。

  7月20日  セレの日。私はそれなりの気合を持ってセレの会場に向かう。ここで、順調に走って74分ほどの

タイムで帰ってきた私に、とんでもない知らせが飛びこんでくる。Tくん(かなり速い)がCCLになったというのだ。

その結果、思いかけず私は3位通過になったが、後で議論になった。結局、私が無理を言って?出ることにした。

  8月  昨年の反省から、宿を取ることにし、全日本リレーの主管者に申し込む。ところが、気づいたのが

ぎりぎりであった為、あやうく間に合わなさそうになる。

9月  ショートセレの日。3人で集まって、走順を決める。私は一走になった。ちなみに3人とも通らんかった・・・

  今回、実は、私は、これに向けたトレーニングはあまりしていなかった。けど、一週間前には「峰山高原」

の地図がBOXに転がっていたので、読んだりはしていた。(今年はチームの皆さんに「風の城」(注2)を配っても良

いかな、と思っている。)

前日  去年は全く出られなかった開会式に出ようとする。が、結局1時間遅れて、テクミ(注3)にしか間に合わな

い。もっとも、開会式は出なくとも構わない。私は知らなかったのだが、同一県の併設クラス出場チームが

地図持込みで失格になると、選手権クラスにも波及するらしい(注4)。その後延々とバスに揺られて1時間ほどで

宿に着く。この宿はもうない。夜は少し緊張しつつ過ごす。

当日  一走なので早めにアップをはじめる。レースは、前半、テラインに対応できないうちに次々とつぼり、5−6

のパラレルエラーでとどめを指される。後の二人は結構よかったので、申し訳ない。

これでジュニアの出場経験は終わった。正直言って不完全燃焼のままだった。そこで今年も挑戦しようと目論んで

いる。

 

 

(注1)関西のオリエンテーリング選手が情報交換をするためのメーリングリスト。管理者は誰だっけ?

(注2)H7年東日本大会のテライン。今回はこのマップのリメイクで行われる。

(注3)テクニカルミーティングの略。重要な大会で、事前に注意事項等を詳しく説明する。

(注4)村越さんが激しく抗議していた。今年は改正される可能性もある。

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