全日本リレー体験記
97年度 全日本リレ−の存在を知る。
出てみたいなあ、とは思ったが当時は奈良県のティアの知り合いはおらず,
出ることはできなかった。
98年春 私の出身校の後輩が4人もクラブに入ってきた。よしこれならばと思った。とはいえ、
特にトレーニング等をしていたわけではなかった。(ちょこちょことはしていたけどね。)
98年8月ごろ 申しこみの締め切りを知る。後輩のふたりに突然電話し、OKをもらう。
そのあと、日本学連の活動報告書(学生なら渉外の人はもらっているはず。いろいろと連絡先が載っていて重宝する) で奈良県OL協会の所在地を調べ,手紙を送ってみる。
98年8月末 奈良県協会の方からメールが届く(皆さんも手紙を出すときにはメールアドレスも連絡先の1つにしておきましょう)。晴れて出場決定!
それとあわせて,参加料納付をお願いされる。
きちんとメンバーを募集し、セレを行う一部の都道府県以外からでようとしたら、これは覚悟しなくてはならないでしょう。金額は1人4000円(Eは16,000円、その他のクラスは12,000円)になります。
9〜10月頃 走順表(大会に提出用)が届く。メンバーが遠くに住んでいる場合は,事前に決めておくのがベターと思います。このころ、リメイク前の地図が届き,対策としてその地図で先輩のYさんにコースを組んでもらった。
11月 いよいよ本番。この年は小田原で行われたので、ムーンライトながらで向かう事にした。ところが、小田原についたのはなんと3:30ほど。
明るくなるまでは駅でじっと過ごし、6:00ごろ町中にコンビニを探しに、また、小田原城に行く。
ちなみに、この辺はとても寒かったために紺色でかかれています。
8時か9時くらい 付近の宿に泊まっていた京都府の選手(・=.知り合い)と合流してバスに乗り込む。
会場に着き,ゼッケンその他必要なものが入った資料をもらう。その時,係りの人に,昨日取りに来ないので心配していたと言われた。
代表クラスの選手は普通前日には来ているらしい。
この時,来年は宿を取ろうと、ぼんやりながら思った。
その後,普通のリレー大会のように,タッチの説明等を聞いていた。私は一応リーダー格だったので、オリエン歴の中で最も真剣に聞いていたように思う。
9:40かな? レーススタート。 一走はT君が出ていく。彼は70分ほどで帰ってきた。そういえば、この時情報をもらった記憶がない。多分次の自分の出走で頭が一杯だったのだろう。
12時過ぎ 2走のA君が帰ってくる。タッチの時,余りに勢いよくタッチしたため,コンパスの紐が切れてしまう。
レースはスタートまでの登りでへろヘろになり,それで集中力が切れたのか、5ポで全然違う沢に落ちてしまう。
その後多少持ちなおすも,もう一回派手にパラレルエラーをやらかす。(余談だけど,私は昨年の峰山でも2回やらかしている。)後は頭真っ白状態で走ってゴールへ。タイムはT君よりは25分、A君よりは13分遅い103分(だめじゃん)言いだしっぺとしてはやや不甲斐ないタイムに終わった。
順位じたいは大したことはなかった(18位)けど、「完走できてよかった」と言う程度の充足感はあったことと、
帰りが一人旅になったことが思い出される。