天国のカケラ。
− side A −

「は、はじめましてっ。」
大学1年生になって初めてアルバイトを始めた。
最初はとにかくレストランとかでかわいい制服着るんだぁなんて思ってたのだけど、
結局、写真が好きというただそれだけの理由で写真屋さんに決めた。
初日に店長から初めて紹介された人。
それが剛くんだった。
「ああ・・新人?よろしく。」
緊張気味の私に笑いかけることもなく、無表情でそう言った。
怖いこの人。
第一印象は最低だった。
「おんまえ、愛想ねーなーおい。」
バックルームから出てきたもう一人の従業員は見たまんまの笑顔で、
細い目に幸せ顔。
「あ、オレ井ノ原っての。で、こいつは森田ね。よろしく。」
にこにこしながら手を差し出されて、
「は、はじめましてっ。」
って慌てて手を出したのを覚えてる。
そんな緊張した様子に、剛くんは少し笑って、
「緊張しすぎ。」
くしゃって笑った顔に少し胸が高鳴った。
「ああ、ごめんねー。店長いるとコイツ不機嫌なのよ。」
早い段階で帰ってくれてよかったよねー、でなきゃ今日ずっと剛不機嫌だからさー。
なんてけたけた笑いながら井ノ原くんが続ける。
「嫌なんだよアイツ。」
ぶっきらぼうに伝える彼。
だったら辞めちゃえばいいのに。
そんな言葉が頭をかすめたら、悟られたのか、みんなに言ってるのかわからないけれど、
「あー・・・できれば、辞めないでね。」
困ったように井ノ原くんが笑った。
「雰囲気は悪くないと思うんだけど、店長が気に入らなくてやめる子、結構多いんだわ。」
そこまで店長のこと敵視して見てなかったけど、
そんなに微妙なのかな?
「剛は絶対やめると思ったのになー。よく続いてるよ。」
「だって、楽じゃん、この仕事。」
「そりゃね。こんなとこないよ。」
「アンタもさ。早く慣れなよ。そしたらすっげぇ楽だから。」
「は、はいっ。」
そんな私の様子に、また2人が笑った。
井ノ原くんは最初から井ノ原くんだった。
剛くんも最初から剛くんだった。
2人とも見たまんまの印象だったけど、
違ったのはやっぱり、剛くんだった。
大学生になったらいろんな経験がしたいって思ってた。
だから、バイトは1年でいろいろ変えようって思ってた。
1年っていうのは長い方か短い方かはよくわからないけれど、
少なくとも、雑誌でみる話には「2週間で辞めた」とか「続いても3ヶ月」って書いてあったから、
きっと1年は長いと思ってた。だから、2年になったら辞めようって思ってた。
ただ、思ったより井ノ原くんとも他の従業員とも仲良くなって。
居心地がいい場所に変わっていった。
ただ、相変わらず剛くんとだけは、話すことができなかった。
だからこそ、このまま辞めちゃいけない予感がしていたんだ。

 

憂鬱。
バイトへ向かう足が止まる。
今日誰とだっけ・・・。
って・・・3回も確認したか。
剛くん・・・いるんだよね。
少人数制のうちのバイトは、1日を2人で担当することが結構多い。
特に、今みたいな暇な時期は尚更。
昨日まではうれしいこの日が、
今日は苦痛でしかなくて。
昨日の今日でどんな顔して会えばいいんだろう。
もうすぐバイトして半年だけど、
私が辞めたほうがいいのかなぁ。
剛くんフリーターだから生活かかってるしなぁ。
ため息をついて、ドアの前に立った。
大丈夫。
笑顔で行けばいい。
大丈夫。
言い聞かせるように。
大丈夫。
そう思ってドアを開けると、剛くんの姿はなかった。
「井ノ原くん?なんで?」
「お。おはよ。今日オレ剛と交代したから。アイツ風邪みたい。」
「そ・・・そう。」
風邪?
それって私のせいだよね?
それとも避けられてる?
でも、会わなくてホッとした。
会いたかったけど、ホッとした。
今会ったら、絶対に泣いてしまう。
言わないほうがいいんだ。
そう決めたんだ。
「何突っ立ってんの?入れば?」
「あ・・・うん。」
やっぱり避けられてるとか・・・かな。
嫌だな。
会いたいな。
思いっきり嫌われててもいいから、会いたいな。
どうしたらいいんだろう。
タイムカードを見ると、私の2つ上に剛くんの名前。
それだけでも胸が苦しくなるのがわかる。
会いたい。
言えばよかったのかもしれない。
でも・・重いよ。
渡すものが重過ぎる。
「なんかあったろ。」
タイムカードを押したあと、バックルームから出ようとしたら、井ノ原くんにさえぎられた。
「剛と。お前ら今日おかしいよ。」
「そんなこと・・・ないよ?」
「剛がさ。3時40分くらいによ?んな時間に電話してきやがってさ。今日変われっていきなり言ってきたんだよ。」
は・・・はやっ。
そんな時間から起きてたの?
「んなの初めてだし、しかもなんか・・寝てないっぽいっつーか、死んでるっぽいから。」
「・・・そう。」
「アイツん家行ってやれればよかったんだけど、俺もレポートあったし徹夜に近かったからさ。」
「・・・うん。」
「なんかあったかなーっていろいろ考えたけど、お前の態度見てわかった。喧嘩でもした?」
ただの喧嘩なら、どれだけいいか。
「話くらい聞いてやろうか?オレ人の修羅場の話好きだから。」
「悪趣味。」
「気ぃきかせて言ってんだよ。たまには頼れよ。オレ、どっちも知ってんだし。」
・・・言えないよ。
何から言っていいかわかんないよ。
私が3ヶ月後には死ぬこと?
剛くんに別れようって言ったこと?
「あ、まぁ、話す気になったらでいいし・・・な?」
井ノ原くんは優しい。
とにかく優しくて、涙が出そうになる。
困った顔、きっとしてたんだろうな、私。
「ありがと。井ノ原くん。」
「ん。」
頭を撫でてくれる大きな手は、剛くんとは少し違うけれど、
それでも今ほしいぬくもりをくれる。
「あ、お客様の前に立つ顔しろよ。まぁ今日は暇だからどちでもいいけどな。」
何も気づかなかったフリ。
気にしてないフリ。
井ノ原くんはやさしい。
やさしすぎて、涙がでる。

 

初めて出会ったときは、お互い恋人がいた。
私には、高校のときから付き合ってる彼がいて、
剛くんにも同じ年の彼女がいるって言っていた。
彼とは、付き合い始めたときから、クラスが公認するほど仲が良かった私達。
その関係がくずれ始めたのは、受験シーズンに入ってから。
彼は国公立に行くための勉強をし、私は私立の推薦で簡単に決まってしまった。
年が明けると、勉強なんてしなくてもよくて、受験を終えてしまった私は、すっかり楽しみでいっぱいだった。
だから、「会いたい」って思うのはいつも私で、「勉強」という理由で拒否ったのは彼だった。
彼のことを考えて考えて止まらなくなる自分が嫌で、
何か始めようと思って始めたのがアルバイト。
そんなとき、剛くんに会った。
「かっこいい人」それが私の第一印象。
その代わり、言葉を交わした瞬間「怖い人」に一転した。
ときめいた自分を軽く呪った。
それでも、剛くんに彼女から電話が入ったり、メールが来ると、
私達にわからないように、幸せそう笑顔をする彼。
私の前では決して見せないその笑顔。
怖くて、でも話してみたくて、
「仲・・・いいんですね。彼女と。」
そう伝えると、複雑そうな顔をして、
「仲よかねぇよ。あんなやつ。」
って動揺して怒鳴った姿がかわいかったことを、とても覚えている。
この人すごい素直でいい人なんじゃないかってことに、半月たってやっと気がついた。
「お前も彼氏いんだろ?幸せそうに話しやがってよー。」
って、今まで見たことのない笑顔で返してくれた剛くん。
後々聞いてみると、彼も年下の女の子と話すことは滅多になくて、
何を話していいかわからなかったらしく、話しかけてくれて安心したって言ってくれた。
ずっと彼氏に会えない切ない日々が続いていた。
だから、隣で笑ってくれる誰かが、とてもうれしかった。
あれから一気に私達の距離が縮まった。

 

「休憩行ってきますねー。」
「おう。今日は何?またカップ麺?」
アルバイトの楽しみといえば、やっぱり昼食しかないわけで、
休憩に行くとなると、お互い何にする?とか、そういう話をよくする。
だから、いつも通り井ノ原くんが茶化してきた。
「違いますー。」
「お、じゃぁファーストフードとか?体によくねーぞ。たまには野菜食えよ野菜。」
そういや最近食べてないな。
「じゃぁ、サラダでも買って食べます。」
「ん。暇だし、ゆっくり行ってこいよ。」
「では、お言葉に甘えて。」
午前はなんとか持ちこたえられたと思う。
井ノ原くんは細かいところにも気にしてくれるから、
うっかりしそうになったことに、全部フォローしてくれた。
屋上へのドアを開けると冷たい風が一気に向かってきた。
いつもの場所は屋上の駐車場。
一番端の角は、車が入るには少し小さくて、軽の車でもきわどい感じ。
だから、ここが私の・・・私と剛くんの食事場だった。
ファーストフードの時も、お店で買った時も、カップ麺もみんなここで食べる食事場。
雨の日は休憩室に行くけれど、今日は悲しいくらいの青空。
買ってきたサラダとご飯を広げてみるのだけど、
どうしても食べる気力になれない。
昨日もあれから涙が止まらなくて、いつの間にか眠っていた。
空が綺麗な青。
あれだけ泣いた涙は、考えれば考えるほどまた零れてくる。
死ぬことがつらいのか、彼と別れたことがつらいのか。
どっちもだろうか。
頭が追いつかなくてよくわからない。
死んだら星になれるんだと信じた子供のころの記憶は本当なのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていた。
「んなとこで何してんだよ。」
剛くん?
咄嗟に振り向くと、今一番見たくない顔が立っていた。
「何の用ですか?」
「何の用って、冷たいなぁ、さんは。ちょっと間違えたやろ、あんたの彼氏と。似てた?研究した甲斐あるわぁ。」
うっ・・・そりゃ、考えてたんだもん。
「あんた関西弁でしょ?言い方がずるいのよ。」
「へいへい。よかったな。剛くん・・やなくて。」
「・・・なんで名前知ってんのよ。」
「なぁなぁ、言わんかったん?死ぬってこと。」
少し心配するかのように彼が私に問う。
元凶のくせに、ほんとに最低。
「だって・・・言えないもん。」
「なんで?」
「だって、重いでしょ?そんなの。」
「・・・重い?」
「うん、重い。」
「何が重いん?」
何がって。
そりゃ、まだ若いのにこんな死ぬってわかってる人間と付き合うこととか、
そういうの考えて悩ませるの悪いっていうか、
好きで好きで重いとか、そういうのとちょっと違うじゃない。これは。
ぐるぐる頭では回るのに、なかなか言葉にできない。
そんな私を見て、彼は少し切ない笑いを見せて、俯いた。
「そんなつもりや・・・なかってんけどな。」
顔を上げたときには、寂しい表情をしていたオカダ。
「・・え?」
ニヤニヤした含み笑い、からかうような表情、動揺した必死の表情。
昨日は見られなかった彼のはっきりした顔。
「重いとか、重くないとか、オレはもう人間やないからわからんけど、それは。」
・・・それは?
「それは、あんたが決めることとちゃうんちゃう?」
「え?」
「だってさ。人の考えてることなんてわからんやん。一緒に悩んでくれるかもしれんやん。一緒におって、相手のこともわからんのか?」
真剣な目の訴えが、心に刺さる。
疑ったわけじゃない。
これが一番いいって思ったからそうしただけ。
でも、心のどこかで、伝えてしまえば泣かなくても済んだんじゃないかって、少し思ってる。
「そんなことで・・・別れる2人やったん?」
「そんなことって、あ・・アナタが出てきたからでしょ?だったら何も言わないでほしかった。」
言ってしまえば、それはひどく簡単なことで、口が止まらなかった。
「だったら、例えば3ヶ月だったとしても、剛くんと一緒にいられた。ずっと笑ってられたのにっ。」
自然と涙がこぼれ、途中からは叫んだ。
あてもない誰かに、叫ぶように。
そんなことを、今更言ってしまっても仕方がないことだって、頭ではわかってるのに、ついていかない。
「そうだよ。もっと一緒にいたかったよ。何も知らなくて、知らないままの方がよかった。」
わかってる。そんなことくらいわかってるのに。
知ってしまったことが非であることのように。
「どうせ人間いつかは死ぬんでしょ?だったら知らない方がよかった。」
言い切った自分に、また自己嫌悪に陥った。
正当化しようとしてる自分にも気づいてる。
でも、いいことなんて何もなかった。
知らなくていいことは山ほどある。
知らない方が、幸せでいられた。
今確かに、そう確信した。
「・・ほんまに・・・そう思ってる?」
言えば言うほど悲しい目をする彼。
泣き叫ぶ私に同情するでもなく、邪険に見るでもなく、自分も同じように傷つくかのように。
「・・・思って・・・るよ・・。」
死因は脱水症状だろうか。
自嘲するように笑ってしまう。
思ってるよ。
心底そう思う。
でも、もう遅い。
今更どうにも、ならない。
「・・・ほんなら・・・言わんかったことにしようか?」
彼は今・・・何て言ったんだろう。
「なかったことにするって言ってんねん。何、きょとんとした顔してんの?」
彼の真意がまったく見えない。
「な・・にを?」
死んでしまうこと?
私に伝えたこと?
剛くんに別れを告げたこと?
「死んでしまうことは変えられへん。それは、しゃーないって思って。でも、知ったことを忘れることはできるよ。」
知ったことを・・・忘れること?
「そうすれば昨日のことはなくなる。彼が昨日あんたと話した言葉がなくなる。」
昨日の記憶が蘇る。
必要以上にやさしい剛くん。
それを、たった一言で傷つけてしまった私。
「あんたは疲れて家に帰る。帰って彼に愛していると、送るはずだったメールを送る。」
なんで・・・知ってるの?
「それから彼から電話が入る。今、ドアの前にいる、と。」
おかしい。だってオカダはあの時消えてしまって。
「家に彼を招きいれる。そして、彼は1つの決断をする。あんたに告白するんや。好きやって。」
同じ。
昨日の夜と同じ。
決断って何?
「そして、この夜ほんとは、1つになるはずやってんや。2人は。」
「・・・は?」
「そういう空気はあってんやろ?」
「なっ、なんで知って・・っ」
「でもアンタは断った。怖かったからやない。俺が告げた言葉が離れんかったからや。」
「そ・・・それは・・・」
「だから、それを消したらええ。2人は結ばれるんや。そして朝を向かえ、2人で出勤する。それが本当の日常や。」
何を言ってるのかわからない。
本当の・・・日常?
それは、あるはずだった私達の昨日と今日の日?
「オレは、今までずっとアンタを見ていたって言った。昨日起こることも知ってた。だから、その日を迎える前に告げた。」
「アナタは・・・何者?」
「取り返しがつかなくなる前に伝えたんや。」
「取り返しがつかなくなるってどういうこと?」
「思わへんか?そんなことがあってから伝えるって、すごい究極なことやなぁって。」
想像力がついていかなくて、はっきり言ってよくわからない。
「って、オレはそう思った。だから言った。それだけやねん。やから、本当の昨日の日に、戻してもええよ?」
もし、今ここで承諾したらどうなるんだろう?
本当に剛くんがそんなこと・・考えて・・・たのかなぁ?
たとえそうであっても、こんなに苦しまなくてすむ。
戻すことができるのなら、私達は今日笑っていられる。
それって、とっても素敵なことだと思う。
「私は・・・っ」
「ただ・・・オレは薦めへん。」
「なんで?」
「それは・・・」
「それは?」
「・・・それは・・・」
少し間があって、決意したように、そんな風に彼が見えた。
「あんたは、最後の日、誰もいない孤独な空間で死んでいくからや。」
胸に大きなパンチをくらった衝撃が走った。
「詳しいことは言えへんねん。それでも、会えへんからや。誰にも。」
誰にも、会えない。
孤独な・・・空間。
「昨日オレは言葉にせな伝わらないって言った。誰にも何もいえないまま、アンタは死んでいくんや。」
涙さえも、もう出なかった。
誰にも何も・・言えず・・孤独で・・・
「誰かに感謝すること・・・ない?好きってちゃんと言ったか?言い忘れたこと、いっぱいあるやろ。」
言い忘れた・・・こと・・・?
「伝わってるって、簡単に思ったらアカンよ。伝えてないこと、いっぱいない?」
彼の声は、空気を伝わって響くというより、直接頭に叩き込まれるような声をしている。
「オレはあんたに死ぬことを伝えにきた。オレタチの仕事の意味、考えて?」
伝えてないこと、頭で大きく揺れる。
それは、親に、友達に、彼に。
「なぁ、1日オレ待つから。考え?」
「・・・アナタは・・・何者?」
無意識に出た、答えを知らない質問。
「オレはな、堕天使のなりそこないや。」
って、綺麗な笑みを見せたから、
「それ、昨日も聞いたよ。」
って、つられて笑った。
そしたら、やっぱり涙が出た。
怖くて怖くて、不安になって。
今すぐここから逃げ出したくなった。

 

あれから、私がサラダを食べたのか、ちゃんと職場に戻ったのか、仕事をこなせたのか、
今ひとつしっかり覚えていない。
ただ、覚えていることは、井ノ原くんの笑顔と、剛くんの切ない顔と、オカダの決意の顔。
そして、はっきりとした、空の青さだけだった。