天国のカケラ。
− side A −

世界にはね。
たくさんの人がいるんだよ。
日本ではね。
1日で。
たったの24時間でいっぱい人が死んでるんだよ。
でもね。
忘れないで。
私もアナタも、いつ死んだとしても、おかしくないんだよ。
だから覚えていて。
私がいなくなっても、悲しまないで。

 

朝、目が覚める。
ベッドから降りる。
窓を開ける。
お日様の光をあびて、1つ伸びをする。
ベッドの隣で眠っている住人にキスすると、少し嫌そうな顔をして目をあける。
けど、光にまけて、また目を閉じる。
「剛くん。」
起きてって言おうとしたのに、ぐっと腕を引っ張られて、またベッドに戻ってしまう。
「・・・剛くーん。」
「・・・んだよ。」
寝起きが不機嫌なのはもう慣れっこ。
というより、朝彼が起きないことくらい知ってる。
「今日はねー、あたし買い物行きたいんだー。付き合ってくれません?」
「・・・んー。」
・・・聞いてる?
「できれば入浴剤とか石鹸とか、そういうの買いたいんだけど。」
「・・・。」
「寝るなー。」
ゆらゆら思いっきり揺さぶったら、やっぱり眠そうな顔してるから、おっかし。
「んだよ。いいじゃん、休みくらいゆっくりしよーよ。まだ9時だよ?」
「もう9時だよ?」
今からご飯食べて、服着替えて化粧して、そんでもって買い物。
いい休日の過ごし方でしょ?
「んじゃせめてあと5分。」
ちょっと、布団かぶらないでって。
「剛くんっ。剛くんってば。」
そう言ってぐらぐら揺らしてたら、突然起き上がって布団ごと抱きしめられた。
「きゃぁっ。剛くーん?」
なんか・・・何も見えないのですが。
「おはよ。」
「おはよーじゃないでしょ。やーめーてーよー。」
「いいじゃん、のんびりすんのも悪くないって。いつでも買えんじゃんそんなの。」
「今日使うのないのー。もう苦しいってば。」
「オレ全然寝てねーんだもん。是非とも休ませてほしいね。」
「昨日寝たの早かったでしょ?」
「そりゃお前だけだろーが。オレ寝れなかったんだよ。」
「なんでよー。布団入ったの一緒だったじゃないの。不眠をあたしのせいにしないで。」
「おめぇのイビキで眠れなかったんだよ。」
「・・・うそ。」
「うっそ。」
「もうっ。出してよこっから。苦しいってばっ。」
って、力まかせに這い上がってみたら突然剛くんの顔。
しばらく見詰め合ったあと、お互いなんだか笑ってしまって軽いキスをしてみた。
「おはようのちゅー。起きて?」
「おやすみのちゅうな。んじゃ。」
「もー剛くんっ。」
幸せだと思う。
彼といる1分1秒が。
全部全部が愛しいと思う。
だからこそ。
怖いって思う。
カウントダウンはもう、始まっている。

 

「疲れたー。」
大学に入って初めての学園祭。
私は友達の誘いに断りきれず、うっかり実行委員会というものに入部してしまった。
これといって大学で何がしたいなんてことはまったくなくて。
単に芸能人に会えるかしら?なんてわくわくして入部した。
けど、華やかなイベント企画へは人が行くのだけど、「人がいなくて困ってるんだよねー」と笑った先輩の笑顔に惹かれて、
うっかり営業なんてものを希望してしまった。
仕事というとつまり「協賛してくれる企業を探す」っていうことで、
毎日メーカーとかの企業さんに電話電話電話。
パンフレット広告を載せてほしいとか、物品でもいいから協力してほしいとか、そんな電話を延々と。
そんな世界があるなんて思ってもみなかったから、
楽しい反面、ほんとにキツイ。
「こっちも不景気なんでねー。」と遠まわしに断る営業の社員さん。
不景気なんて、別に生活に大きく影響してるなんて思ってないし、
普段通りの生活ができる。
少し高くなってしまった消費税だって、慣れてしまえば計算が簡単なだけ。
だけど、こういうときに気づいてしまう。
社会に出たらきっと、もっと痛感する。
「あー。なんかもう鬱だよなぁ。」
あーあ。
今日も5件中3件断られたし。
あと1件、どうやって落とすかなぁ。
あ、でも念願のぬいぐるみは叶ったしラッキーかも。
ずっと初めて入ったときから、ぬいぐるみを景品に出してくれる企業を探してた。
それが遂に叶って、「ありがとうございます」の言葉と共に、
「ほんとに喜んでます」とか、なんだかわけのわからん言葉を連発して、社員さんに苦笑いさせてしまったけど。
自分のやってることが報われた気がした。
明日もそんな感じでがんばんなきゃなぁ。
ちょっとばかし意気込んでアパートの入り口をくぐる。
しまった。
メール来てたのに返すの忘れてた。

 

一昨日、疲れて会えないって言ったら彼氏に呆れられた。
だけど、いつも笑って許してくれる。
こんな物分りのいい彼氏はいないと思う。
その分、甘えすぎてる自分もいる。
治さなきゃいけない。
そう思いつつもやっぱり甘えてしまう。
でも、いつもちゃんと考えてるのですよ。剛くんのこと。
勝手に幸せを感じながら帰宅した。
帰ったらのんびりラブメールでも送ってみよっかな。
そんなわくわく気分でエレベータから降りる。
そのとき、ポケットで携帯が震えたんだけど、
「剛くん?」
部屋の前で誰かがうずくまってる・・・座ってる?
「あ、おかえり。」
ちがっ、剛くんじゃねーし。
「誰?」
「アンタ、さん?」
「・・・違います。」
「うそつくなや。」
「誰?」
知り合い?
年は・・・剛くんと同じくらい?
暗くてよく見えないけど、きれいな顔立ち。
でも、関西弁の男友達なんていない・・・はず。
「オレ、オカダ。中入れて?」
「や・・やだよ。」
「あ、オレ怪しいもんちゃうで。新聞の勧誘でもないし、宗教の勧誘もせん。」
「どう見たって怪しいわよ。誰よアンタ?」
「心外やなぁ。オレを忘れるなんて。」
え・・やっぱり知ってる人?
「な?俺ら朝まで一緒にいた仲やん?」
ちょっと、せまってこないでよ。
頭が動転する。
「知らないわよっ。」
そう思って力いっぱい突き飛ばしたら、案外簡単に離れた。
「ちぇ。色仕掛けもあかんか。」
「け・・・けいさつ・・・」
「だぁ、ちょぉまて。」
「なによ、ただの変態じゃない。来ないで。帰って。触らないでっ。」
「落ち着いて話聞いてくれや。」
「私にはないわよ。警察呼ぶから。」
「これ見て。」
焦った声と同時に私は幻覚を見た。
彼の背中に大きな翼が見えた。
「・・・な・・・にこ・・・れ・・・」
夢?
素直にそう思った。
「オレなぁ、堕天使のなりそこない。」
ここが3階だからか、それとも暗かったからか、後ろの月がただきれいで、
妙に綺麗な羽根を持った彼が、宙に浮く。
端整な顔立ちが妙にはまりすぎてて、見とれてしまった。
そして、言葉が出なかった。
「仕事・・・しにきたんや。」
「・・な・・・に?」
声が・・・かすれてる。
すべてがスローモーションで、何も考えられなかった。
彼は意を決したように、少しだけ大きく息をすってたった一言でその言葉を告げた。

「あんたの命は、あと3か月や。」

・・・すべてがスローモーションだった。
なにもかもがわからなかった。
頭が白くなった。
結論。
展開についていけない。
「なんの宗教?」
異質な空間のように感じたココから抜け出すかのように、口が勝手に動く。
「勝手に決め付けないでくれる?まだ19なんだけど私。」
「別に信じんでもええけどな。後悔せんように生きーや。」
彼はもう一度翼を広げて飛び立った。
・・・飛んだ。
「ねぇっ。」
「ああ?」
それはまるで漫画の世界。
「魔法使いなの?」
あんまりにもきょとんとした顔だったんだろうな。
彼のにやけ方がそんな感じ。
「だーかーら。堕天使のなりそこない。」
「そんなの初めて聞いた。」
「オレも初めて言った。」
ニヤリと笑う、綺麗な顔。
目が綺麗で、ウソつくかつかないかって区別をつけるとしたら、
つかない部類に入る目だと思う。
「それ・・・本当?」
「何が?」
「え・・と・・」
うつむいて声がでなくなった。
違う、何かの間違い。
疲れてるんだ。
夢なんだ。
にしてはできすぎてる。
洗脳されてるんだってば、私。
沈黙のままだったからか、彼が私の目の前で着地した。
「残念やけど、ほんまや。オレの仕事は人を幸せに死なすこと。後悔して死んでいく人間が多すぎんねん。」
「・・・。」
「毎日完全燃焼で生きてたらこんなことにはならんのに、人はそのことに気づかない。だからオレがいる。」
「なんで・・・あたし?」
かろうじて出た言葉がこれ。
のどが渇いてる。
彼は1ヶ月前からあんたを見ていたと言った。
毎日精一杯生きているのはわかった。
でも、大事な言葉をいつも伝えてないと言う。
「人は愚かなもんでな。態度だけじゃわからんねん。言葉で言わないと気づかないこと、いっぱいある。」
そして、私は後悔する人間の部類だと判断されたらしい。
「ま、人を見る目がないと言わんけどな。」
「なんで?」
「死ぬって思うと怖くて逃げるやつ。無気力になるやつ。・・・犯罪に走るやつ。いろんなやつを見てきた。」
でもまぁ、あんたはそんなことにはならんやろ。
と、笑顔で付け加えてその場を飛んだ。
「また来るわ。修羅場には巻き込まれたないしな。」
「え?」
「ほなね。」
彼は月と星の元に消えていった。
・・・なんだったんだろう。
彼はなんだったんだろう。
「お前何やってんだよ。」
背後から声が聞こえた。
「入んねーの?」
「ご・・くん?」
「すげぇオレさみぃんだけど。」
「え・・あ・・・」
修羅場って・・・。
「剛くん、さっきね。さっき・・あの・・・」
なんて言えばいいんだろう。
さっき堕天使のなりそこないがきて私の命は3ヶ月だって言って・・・
「お前・・ほっぺ冷たい。どんだけ外いたんだよ。」
彼の手が頬に触れる。
「・・・剛くん・・・なんで?」
彼はちょっと照れたようにしてこう言った。
「ごめん、会いたかったから。」
私を包んでくれる腕があったかくて、これは夢なんかじゃないことを現していた。
「今日やさしいね。腰砕けそうなった。今の。」
「なんだよそりゃ。」
「中、開けるから。」
一度にいろんなことがありすぎて、頭がパニックだった。

 

「メールしたんだけど、読まなかった?」
「何が?」
「・・・読まなかったんだな。」
「え?あ、ちょっと待って。」
「ああもういいよ、期待した俺がバカだったよ。」
「あー待ってって。違うの。帰ったらちゃんと見ようと思ってたんだって。」
「外に突っ立ってたのに?」
「あ・・あれはっ違っ。ちょっと待って。」
ココアでも入れようとしっかりキッチンに立った私に追い討ちのように剛くんの声が聞こえる。
カバンから取り出した携帯にはメール3通。
あ・・先輩。
「今日は念願叶ったんだって?おめでとう。その調子でがんばろう☆」
だって。
やばい、ちょっとうれしいんですけど。
しかも憧れの先輩からだし。
「・・・誰からだよ。」
げ。剛くんの存在忘れてた。
「ご、ごうくんのからに決まってる。」
「嘘つけよ。どうせ噂の男前の先輩からだろ。ほら、お湯沸いてるぜ。」
「え!あ、ほんとだ。剛くんココアでいい?」
「いいけど。」
でもって、友達からのメールには「新刊買ったから明日持っていくねー」っていう漫画の話。
いつの間に出てたんだ?ぬかった。
でもって。
「あー返してよ。」
しっかり剛くんに私の携帯を取り上げられてしまった。
ココアとか片手で準備しながらだったから、油断した。
「どうせその顔はまだ読んでないんだろ。いいよ、消しとくから。」
「えーちょっと読ませてよ。ずるいよ。」
「やっぱ読んでねーんじゃん。」
「今すぐ読むから返して。」
機種が一緒の私達は操作方法も手馴れたもので。
「ん。」
返されたときには、
「あー・・・ほんとに消してるし。え、ちょっと。先輩からのも消えてる!何すんのよ。」
「浮気した罰。」
「浮気なんてしてないもん。先輩彼女いるし。」
「んなの関係ねーし。」
「剛くんからのメール楽しみにしてたのに。」
「・・・返事もくれないのに?」
うっ。
それ言われるとつらい。
「いいじゃん。」
「なんでよー。」
「今から行くから。っていう内容。来たからいいじゃん。」
「ほんとにそれだけー?」
「・・・それだけだよ。」
「うっそ。絶対嘘。携帯どこ?送信歴まだ消してないでしょ?」
「いいじゃん。ココア入れてくれるんじゃねーの?」
「もー。」
なんだか剛くんに振り回されてる気がする。
そりゃ返事返さなかったのも私だし?
ワガママばっかなのも私だし?
でも、完全主導権握られてる気がする。
なんか、悔しいんだけど。
せっかくの先輩からのメールが。
くっ・・・って、そんなこと考えることが既にだめ人間なのかしら。
「あ、ねぇ。」
「はいっ。」
考え事してたらえらくすっとんきょうな声が出て、逆に剛くんがびっくりした顔でこっちを見た。
「・・・どした?」
「いや・・呼ばれたから。」
なんか・・・私って考えばればれ?
素でびびっちゃったんだけど、
「見たいっつってたビデオ持ってきたけど。」
「ほんと?見たい見たい!」
「なんだっけ・・・シティオブエンジェル?」
「そうそれ!メグライアンがすっごいかわいくて・・・っ。」

「あんたの命は、あと3か月や。」

エンジェル。天使。
頭の中でさっき起こった出来事がよぎる。
あと・・3ヶ月。
ウソ・・よね。
思い出されるのは綺麗な羽根。
「どした?勝手に始めるけどいい?」
知らない間に淡々と準備を始める剛くん。
「ん。ココア・・入れてくる。」
「おう。」
言うべきだろうか。
でも、怖い。
冗談だろ?って笑ってくれる?
もし笑ってくれたら、その言葉を信じるのに。
全部全部を受け入れるのに。
もしそれが事実だったとして。
一緒にいてくれる?
重いって、思う?
そりゃ、そうだよね。
私だったら、怖くなるよ。
不安になるよ。
ていうか、やだよ。
逃げたくも・・・なるよ。
?今日お前変だぞ。何かあった?」
なかなか戻ってこない私に、彼がキッチンに現れた。
「なにも・・ないよ。」
「うそつけよ。そんな思いつめた顔してさ。」
「そんな顔・・・してる?」
「うんなんか・・すっげぇしてる。そんなしんどいの?委員会ってやつ。」
「・・え?」
「・・さっき・・悪かったよ。先輩のメール消しちゃって。」
彼の表情を見ると、罰の悪そうな顔をしてる。
「なんか、オレよくわかんないけど。念願叶ったとか・・何が念願かもよくわかんねーし。」
念願。
よくよく考えてみれば、委員会のこと、剛くんに何も言ってない。
「なんか、やってることとかよくわかんねぇけど。それでもさ。」
頭に剛くんの手が乗せられてぽんぽんってなでてくれる。
「がんばってんの知ってっからさ。うん。」
「・・ごう・・くん?」
「だからなんつーか、まぁ・・・ヤキモチっつーか。」
「・・・え・・・」
「まぁそりゃ、そりゃお前がメール返さないから悪いんだって。会いたいっつっても会えないっつーし・・」
「ご、ごめん。」
「あ、いや、そういうことじゃなくて。あーもうオレ、何言ってんだろ。え・・お前泣いてる?」
「な・・ないてないし。」
咄嗟に抱きついて隠してしまったけど。
明らかに剛くんは勘違いしてる。
原因はそんなんじゃないのに。
でもすごい、思ってもみない言葉で。
やだ、うれしい。
「ごめん・・あんま泣かれんの・・慣れてなくて。」
「・・っ・・ん・・ごめ・・ん・・ね?」
「いや、謝られんのもあんま・・・慣れてなくて。」
・・じゃぁどうしろと?
そんなことを考えてたら、思いっきり抱きしめられた。
好きだって、素直に思う。
出会ったときより、付き合ったときより、今が一番好きだって思う。
言わなくちゃいけない。
好きだから、言わなくちゃいけない。
「剛く・・んっ・・・」
思い切った言葉は、剛くんの唇に全て飲み込まれてしまう。
キスなんて、今まで1度しかしたことなくて、突然のことで驚いた。
それも、深い、倒れそうなくらい。
「・・ご・・く・・」
唇が離れて、剛くんの顔を見ることができない。
すると、涙の跡に少しのキスと、ゆっくりと細い指先が頬を触れた。
「俺さ、本気で好きだから。お前のこと。」
普段言葉には滅多にしてくれない彼に、驚いて顔を上げると、
少し赤くなった彼と目が合った。
後ろでは映画の始まった音楽が鳴っている。
頭の中が、妙に冷静。
言わなくちゃ。
「あっ・・あのね、剛くん。私今日・・っ」
言いかけたとたん、また唇を塞がれた。
さっきはそれなりの余裕があったのに、何も考えられないくらい真っ白になるキス。
・・・」
甘い声が聞こえる。
大事なことを伝えなくちゃいけないのに、何から伝えていいかわからない。
順序が定まってない分、最初の言葉が出てこない。
「好きだ。」
しっかりと意思のある声が聞こえる。
でも、このまま流されちゃいけない。
そう思って、軽く突き放した。
傷ついた表情をした剛くん。
ポーカーフェイスのくせに、感情は豊かだから、すぐに伝わってしまう。
「話・・ある・・の。」
「え?」
剛くんの低い声が部屋に響いた。
「何?」
明らかにさっきの空気とは違う、緊張した空気に突如変わる。
「念願なら・・後で聞く。」
「・・違う。」
「ココアとか別に後でも・・・」
「違うの。」
「あんま・・・いい話じゃない感じ?」
ぐっと言葉につまった。
「え・・当たっちゃってる?」
やだ、さっきと違う涙が出そう。
そんな、そんな顔しないで。
そんな、辛そうな顔・・しないで。
「何・・・俺たち・・終わんの?」
違っ・・・否定する言葉を飲み込んだ。
死ぬって言うことは、彼の中の私がいなくなること。
死ぬって伝えるということは、それを知ってる前提で一緒にいること。
居なくなるなら、傷は浅いうちがいい。
もしかしたら、今・・私が我慢をすれば・・・彼の傷は浅いままかもしれない。
伝えることしか考えてなかった私に、そんな考えがよぎった。
彼はまだ若い。
先はまだまだ長い。
大きな未練だらけの傷を負わせるならば、
今ここで断ち切ってしまえば、彼の笑顔はなくならないんじゃないか。
そんな考えが、徐々に具体化されていく。
そんな言葉がどんどん口から出ようとする。
「なぁ・・そういう話?違うよな?」
苦しいよ、剛くん。
でも、この気持ち、巻き込んじゃいけない。
軽いって思われる彼が、実はものすごく繊細なことを知っている。
別れ話の方がいいのかな?
どっちが傷つかずにすむのかな?
どっちがアナタの笑顔を消さずにいてくれるのかな?
「連絡なかったの・・そういうこと?忙しいからじゃ・・ねぇの?」
「別れよ・・・っか。」
傷ついた顔なんて見たくなかった。
数分前はあんなに幸せだったのに。
彼の告白なんて、滅多になくて、うれしかったのに。
涙が溢れそうになった。
「なに・・それ。」
「その方がいいよ。私達。」
「本気で言ってんの?」
本気で、言えるわけないじゃん。
こんなに好きなのに。
「なぁ。本気で言ってんのかって。」
「本気・・・だよ?」
「じゃぁ何で下向いてんだよ。ちゃんと目見て言えよ。」
彼の暖かい大きな手でぐっと顔を上げられる。
もうこの手に触れられるのも最後なのかな。
緊迫してるはずの空気の中で、妙に落ち着いてる自分がいた。
剛くんが、泣きそうな顔してる。
そんな顔、してほしくなかった。
堂々と、常に俺様のアナタでいてほしかった。
私のためにそんなに必死になって、ほしくなかった。
こんなにうれしいのに、こんなに悲しい。
どうしてこんなことが起きたの?
疑うことなんていくらでもできた。
オカダなんて、普通じゃないよ。
怪しすぎて、信憑性のカケラもないよ。
だけど、ウソじゃないって、妙な確信があった。
死ぬ。
そんな事実を受け入れることはできないけれど、
彼の目はウソじゃないっていう予感がする。
「ごめん・・なさい・・・」
力なく落ちた彼の手。
最後は涙で彼の表情が見れなかった。
「オレ・・・」
何かを言おうとした彼。
だけど、イラついたような、きっと、何を言っていいかわからなくなってる。
「泣かれんの・・・慣れてねぇって言っただろ。」
そんな泣きそうな声が聞こえた。
こうするしかなかった。
こうするしか・・・なかったんだよ。
崩れ落ちた私に、なすすべを失くした彼。
消えた気配と同時に閉ざされた扉の音。
「剛・・くっ・・・」
今日の一日がすべて夢であればいいのに。
消えてなくなってしまえばいいのに。


私はこの日、天国と地獄を同時に見た。