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突然、変なことを言い出しましたが、いつも思うことなのです。

「ボサノバの魅力」のところで言ったように、弾き語りの特徴は、ボーカルとギターとリズムが三位一体となって得も言われぬ調和を生み出し、それが心地よさにつながっていると思います。
そんな中で、いつも歌いながらボーカルはパーカッションの一部でもあるなと思っています。
パーカッションは強弱のアクセントとタイミングでリズム感を出し、抑揚はつけられませんよね。
ボサノバのボーカルも抑揚はつけませんし(ジャズボサノバは別ですが)、あくまでも強弱のアクセントとタイミングで乗っていきます。

乗せるために変に抑揚をつけると台無しになってしまうんですね。
もうひとつパーカッションだと言っている理由はポルトガル語の発音です。

ソ・サ・シュ・ヴァ・ジ・チなど「破裂音」とか「摩擦音」とか言うのでしょうかパーカッションのような音が実に多く出てきます。

こういった言葉をタイミングよく発声することで、あの絶妙なリズム感が出てくるのです。
口パーカッションをやりながら歌っているという感じでしょうか。
意識して聴いてみると気になるくらいに入っているのが良く分かりますよ。
後、サンバのバトゥカーダ(リズム隊)を聴いていると良く分かると思うのですが、一つ一つのだす音は単純な音であっても、それが全体になるとすごく乗ってきますね。

いわゆるポリリズムと言いますか、一人一人のズレが全体となると波のようなうねりとなって伝わってきます。

これが魅力ですよね。

ボサノバ弾き語りも一人ポリリズムといいますか、ボーカルもパーカッションの一部として、ギターのリズムと微妙なズレを起こすことにより波のようなうねりを伝えることが出来るのだと思います。

でも実際は、ズレがうねりを作るというよりも、心の中にあるうねりが自然とズレを生み出しているのでしょう。
私もそれが自然と出るように努めていますが、感じ取れるでしょうか?

パーカッションの一部だというと、ボーカルの位置づけがすごく低くなってしまいますが、そうではなく、パーカッションの一部という要素も持っているということです。
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