漢皇帝列伝
劉氏系図
前漢
初代高祖劉邦季リュウホウキ
第2代孝恵帝
第3代呂太后
第4代呂産
第5代孝文帝劉恒リュウコウ
第6代孝景帝劉啓リュウケイ
第7代孝武帝
第8代
第9代
第10代宣帝劉病巳次卿リュウビョウシジキョウ
第11代元帝劉キリュウキ
第12代成帝
第13代哀帝劉欣リュウキン
第14代平帝
初代王莽巨君オウモウキョクン
後漢
仮皇帝更始帝劉玄リュウゲン
初代光武帝劉秀リュウシュウ
第2代明帝劉荘リュウソウ
第3代章帝劉タツリュウタツ
第4代和帝
第5代
第6代殤帝劉隆リュウリュウ
第7代安帝
第8代順帝劉保リュウホ
第9代沖帝
第10代質帝
第11代桓帝劉志リュウシ
第12代霊帝劉宏リュウコウ
第13代少帝劉弁リュウベン
第14代献帝劉協伯和リュウキョウハクワ

更始帝 劉玄 リュウゲン
後漢仮皇帝
出身地:??
生没年:前??〜25年
在位 :23〜25年
容姿 :光武帝劉秀が即位する前にたてられた仮の皇帝。

〜列伝〜  前漢末期は外戚のオウモウが権力を握り、漢に代わって新に国号を革めた。そ して、オウモウが皇帝に即位し新が建国された。オウモウは周代の社会を理想と して、政治を行ったが、これが当時の実情に合わないものであったので社会に混 乱が生じた。  光武帝が、兄とともに地方豪族を組織して南陽に挙兵した時、漢皇帝にたてら れて、新を倒して漢王朝を復興した。更始帝と称し、都を長安に定めたが、自分 の無能さもあって各地で農民反乱軍の赤眉に敗れた。  大尉コウエンがトウタクの長安遷都を諌めるときに、 「往年、オウモウの簒奪や更始帝の時の赤眉の乱と続いた時に、長安は焼き払わ れ瓦礫の都となり、民も流浪しました。いま洛陽を棄てて荒れた土地へ移ること は良策ではありませぬ。」 と語った。


光武帝 劉秀 リュウシュウ
後漢初代皇帝
出身地:??
生没年:前6〜57年
在位 :25〜57年
容姿 :後漢初代皇帝。漢王室の一族で高祖9世の孫。

〜列伝〜  前漢を滅ぼしたオウモウの新王朝を討つべく、兄とともに地方豪族を組織して 南陽に挙兵した。同族のリュウゲンを漢皇帝にたてて、新を倒して漢王朝を復興 した。リュウゲンは更始帝と称し、都を長安に定めたが、自分の無能さもあって 各地で農民反乱軍の赤眉に敗れた。  25年、光武帝として即位し、漢王朝を復興し都を洛陽とした。そして、各地 の赤眉の乱や豪族勢力を抑え、36年天下を統一し後漢王朝を建国した。  対外的には消極策を取り、内政的には儒学を尊重し、礼教主義の政治方針を確 立した。


章帝 劉タツ リュウタツ
後漢3代皇帝
出身地:??
生没年:58〜88年
在位 :75〜88年
容姿 :後漢3代皇帝。儒学を好み儒者を集めて議論させる。

〜列伝〜  北匈奴に対して将軍ハンチョウを起用し西域経略を行った。  死後、竇皇后が竇太后となって執政し后の兄トウケンら外戚が専権した。


和帝
後漢4代皇帝
出身地:??
生没年:79〜105年
在位 :88〜105年
容姿 :後漢4代皇帝。

〜列伝〜  10歳で即位し、養母竇太后が執政し后の兄トウケンら外戚が専権した。宦官 と結んで竇氏一族を滅ぼして治績をあげた。  これより、外戚と宦官の対立と横暴が始まった。  将軍ハンチョウが西城都護になると、西域50余カ国を従え、その勢いはパミ ール東西に及んだ。


沖帝
後漢9代皇帝
出身地:??
生没年:143〜145年
在位 :145年
容姿 :後漢9代皇帝。

〜列伝〜  2才で皇帝に即位したが、まもなく死んだ。  外戚の大将軍リョウキが補佐に当たったが、その国政は専権をきわめた。


質帝
後漢10代皇帝
出身地:??
生没年:137〜146年
在位 :145〜146年
容姿 :後漢10代皇帝。幼くして聡明。

〜列伝〜  8才で外戚の大将軍リョウキによって皇帝にたてられた。  朝儀で質帝は、リョウキに、跋扈将軍(抜胡将軍)と言ったため、在位1年半 後、外戚の大将軍リョウキに毒殺された。


桓帝
後漢11代皇帝
出身地:??
生没年:132〜167年
在位 :146〜167年
容姿 :後漢11代皇帝。

〜列伝〜  質帝が外戚の大将軍リョウキに毒殺され、その後皇帝にたてられた。  桓帝が幼くして即位したため、外戚の大将軍リョウキが補佐に当たったが、そ の国政は専権をきわめた。  159年、桓帝は宦官のゼンチョウとともにリョウキの一族を滅ぼした。  以後、宦官が横暴になり、大将軍トウブ、大傳チンパン、河南の尹リヨウ達の ような正義の士がこれを非難したが、逆に捕らえられ、167年には党錮の禁が 起こった。


霊帝 劉宏 リュウコウ
後漢12代皇帝
出身地:??
生没年:159〜189年
在位 :168〜189年
容姿 :後漢12代皇帝。

〜列伝〜  桓帝が崩じたとき世継ぎがいなかったので、遠縁の劉宏が皇帝につけられた。 霊帝即位した時はまだ12才であったので、外戚の大将軍トウブ、大傳チンパン が補佐に当たった。  宦官ソウセツらが権力を持ち大将軍トウブ、大傳チンパン、河南の尹リヨウが 誅滅を謀ったが逆に殺害され、第2の党錮の禁を招き、宦官の力は専横きわまっ た。  霊帝は、長子の弁皇子よりも協皇子を帝位につけようとする考えていた。宦官 のケンセキの進言で大将軍カシンを殺して外戚の権力を取り払おうとした。しか し、その前に病で死んだ。


少帝 劉弁 リュウベン
後漢13代皇帝
出身地:??
生没年:173〜190年
在位 :189年
容姿 :後漢13代皇帝。霊帝の長子。母は大将軍カシンの妹何皇后の子。

〜列伝〜  霊帝の死後、協皇子を帝位につけようとする宦官のケンセキと弁皇子をつけよ うとする大将軍カシンとが争い、ケンセキが殺された。  大将軍カシンと妹の何皇后等が太子の弁を皇帝にすると、これに対して霊帝の 母、董太后によって陳留王に封ぜられた。  大将軍カシンが殺された後、宮廷内に踏み込んだエンショウ達から逃げる宦官 チョウジョウやダンケイに少帝とともに連れ出される。しかし、司徒サイレツの 弟サイキの屋敷に保護され、翌日司徒オウイン達に出迎えられる。そこにトウタ クが現れ、洛陽に送り返す。トウタクは少帝を廃し、陳留王を皇帝にたてた。わ ずか9才であったので、実権はトウタクが握っていた。  少帝は弘農王に封じられ、毒酒を飲まされて城外に葬られた。


献帝 劉協伯和 リュウキョウハクワ
後漢14代皇帝
出身地:??
生没年:180〜220年
在位 :189〜220年
容姿 :後漢最後の皇帝。霊帝の次子。

〜列伝〜  霊帝の死後、協皇子を帝位につけようとする宦官のケンセキと弁皇子をつけよ うとする大将軍カシンとが争い、ケンセキが殺された。  大将軍カシンと妹の何皇后等が太子の弁を皇帝にすると、これに対して霊帝の 母、董太后によって陳留王に封ぜられた。  大将軍カシンが殺された後、宮廷内に踏み込んだエンショウ達から逃げる宦官 チョウジョウやダンケイに少帝とともに連れ出される。しかし、司徒サイレツの 弟サイキの屋敷に保護され、翌日司徒オウイン達に出迎えられる。そこにトウタ クが現れ、洛陽に送り返す。トウタクは少帝を廃し、陳留王を皇帝にたてた。わ ずか9才であったので、実権はトウタクが握っていた。  トウタクは討伐連合軍に攻め立てられ、洛陽を焼いて長安に無理矢理遷都をす る。  長安ではトウタクとリョフが貂蝉をめぐって争い、トウタクが殺されるとリカ ク、カクシ達がリョフを追い出し、司徒オウインを殺してそのまま実権を握った。  しかし、リカク、カクシはともに仲間割れを起こし、その和睦を勧めたチョウ サイは洛陽に行く事を上奏した。カクシは道中に献帝を奪おうとしていたが騎都 尉ヨウホウ、車騎将軍トウショウに助けられる。護衛のリガクに裏切られて襲わ れるも、騎都尉ヨウホウ配下のジョコウがリガクを斬り、難を逃れた。  洛陽に着くとソウソウが現れ、許都に遷都した。  ソウソウのもとに身を寄せたリュウビと対面し、漢皇室の血を引いていること を知って左将軍宜城亭侯に封じ、リュウビを「皇叔」と呼んだ。ソウソウの横暴 さに献帝は密詔をトウショウに与えて誅滅を謀ったが露見し、侍医のキッペイが 自決し、献帝の夫人董貴妃が目の前で殺された。  一時ソウソウに降ったカンウを偏将軍に封じ、彼を「美髯公」と呼んだ。  建安21年(216年)夏5月にソウソウを魏王に封じた。  魏王ソウソウの死後、子のソウヒを魏王に封じた。カキン等が献帝に上奏し、 ソウヒに王位を譲るように迫った。献帝はしばらく言葉もなくいたが、一同を見 回して落涙した。リフク、キョシ、オウロウも上奏したので、激しく泣いて奥に 入っていった。さらに、ソウコウ、ソウキュウ達にも強硬され、ついに魏王に王 位を譲り、 「せめて、天寿を全うせしめよ。」 と願った。  ソウヒは受禅台を築いて帝位に即き、献帝は山陽公に封じられた。  それを知った蜀のリュウビは終日声を上げて泣き、百官に喪に服すことを命じ た。