1996年8月、八王子〜亀岡まで、現金1500円のみで走る

 その日は、八王子を出て途中で現金をおろすつもりで何も持たなかった。景気
よく走って、程よく疲れて静岡辺りで昼寝をしました。目が覚めたら午後の6時
をまわっている。銀行・郵便局は閉店!!財布の中身は1500円しかなく、ガ
ソリンが気になりつつ、空腹と闘いながら京都に帰った。
  ガソリン約8リットル(約750円)
   出発前に満たんだったおかげで助かった。
  昼、コンビニおにぎり1コ、ポカリスエット1本。(約210円)
  浜松のろいほでレイコいっぱい。(約300円)
   これがかなり痛かった。でも、ここには必ず立ち寄ることにしている。
   もっとも、この後にお金をおろそうとしていたのだが・・・
  夜、コンビニおにぎり1コ、アクエリアス1本。(約210円)
   夜は買うまでに1時間以上悩んだ。買うとガソリンが入れられない・・・
  本来なら、食を諦めてガソリンにお金を使うのが妥当な判断である。なぜな
  ら、人間は食わずとも動けるが、バイクはガソリンがないと動いてくれない
  からである。だが、朝抜き、昼もろくに食べていない状態ではその判断も鈍
  り、目先の食に心を奪われてしまうのである。何も食べ物がなければすぐに
  諦めもできよう。しかし、そういう時に限って、コンビニや24時間営業飲
  食店が視界に押し寄せてくるのである。
   まさに究極の選択だった。



1996年10月、深夜3時に東名高速でダンプに囲まれる  神奈川あたりの東名高速は3車線になっていて、その左を走っていました。  前のダンプを抜こうと、真ん中の車線に入ったら、右の追い越し車線にもダン プがいて、挟まれるかたちとなってしまった。で、後ろからもう一台が来て左右 と後に空間がなくなってしまった。  いつもならスピード上げて突っ切るけど、京都からの帰り(すでに500km くらい走ってる)&朝から学校なので何としても帰らなければならなかった。( 途中休憩の余裕がない!!)というわけで体力があんまりなかった。  140kmくらい出してるつもりなのに110kmくらいしか出てなくてでず っと3台のダンプと並んで走ってた。100km越えた大型車の横は気圧が低く て吸い込まれてしまうため、バイクはめっちゃきつい。こんな状態でしばらく走 る事に。  この日の朝、学校にちゃんと間にあったけど授業がとっても辛かった。  京都からの命がけの通学でした。
1996年11月、歩道で寝ていると、ひき逃げ死体に間違われる  遠くにツーリングに行こうと思って、八王子から、新潟に向かってバイクを走 らせていたのであるが、どこでどう道を間違えたのか、今どこにいるのか分から なくなってしまった。しかも、街中でなく、周りは山ばかりで、道を聞く人もい ない。そして、その日に限ってくもり空で太陽も見えなかった。というより、も う日も沈みかけていたようで、すぐに夜になってしまった。星も月も見えず方角 が分からない。さらに、12月の初めともなると日が沈むと急激に冷え込む。  しばらく走ると、田や畑が広がる道に出た。さっきまで交通量の多かった道も、 いつの間にか、大きなトラックがたくさん走るようになってきた。これは、もう 夜中に近い証拠である。  道に迷ったということもあって、いつもよりも余計に疲れも出ているようで、 眠くなった。とりあえず、その道の端にバイクを止めて歩道でごろりと横になっ て仮眠をとった。しかし、厚手の服に身を包んだだけの装備であったので結構寒 かった。こんなに寒いなら、テントや寝袋でも持ってくれば良かった。と思いな がらも、そういうものは我が家にはないのである。  夜明け近くであろうか、人の気配がして目を覚ますと、そこには巡回中のお巡 りさんが。お巡りさんには、遠目にはひき逃げ死体に見えたらしい。たしかに夜 はトラックが多く通り、人通りもない道で、無造作にごろんと横たわっている人 間を見ると、そう見えるかもしれない。 「よく、こんな所で眠れるな。風邪ひくぞ。」 と、言われたけれど、その強靭な神経とたくましさには、お巡りさんも、 「警察官になったら活躍できるぞ。」 と、驚いてました。  かくして、道を教えてもらってめでたく旅路についたのである。

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