奇跡の子:リクちゃん:

21世紀に入り 間もない2001年2月25日リクは誕生した。それから5ヶ月 娘の仕事先のお客さんであるブリダーさんに「ペットショップから帰ってきている犬を 飼ってくれないか」と言われ リクを連れて帰ってきた。
今までも 3才位の時連れてきた猫、小学校の時 欲しがった「パピ」その子が生んだ「ジョアン」そして、猫アレルギーだと気付かず飼いだした友達の猫「ヤン」を譲り受けたりと ずっとそんな調子で飼いはじめた、いや、一緒に暮らすようになった子達。ジョアンを見送った時 これでお終いにしようと心に決めていた。我々も歳だから 残してはあの世へ行けないと思っていた。動物好きは代々続いている。主人の親、兄弟は勿論、私の母親は獣医さんから 何匹も飼えなくなった子を預かっていたほどだ。その孫である娘は当然のように 無類の動物好きである。
だけど 又!長〜い顔、長い胴体、「可愛いやろ!」娘はそう言ったけれど・・・家へ来てすぐお水を与え 次はおしっこ、外へ連れ出しても しない、それから数週間 外では臭いをを嗅ぐだけ、ペットショップでの生活が長く 散歩もした事がなかったようだ。
それでも みんなが大好きな犬、勿論 今までの犬たちと同じように 寝起きを共にするようになると 1日か2日で我が家の息子になった。先輩である猫のヤンの方が遠慮している。
近くにもたくさんの友達も出来 老夫婦の甘えた犬になったリクは 落ち着いた日を過ごした。
その後、娘がアメリカへ行くことになった時、連れて行きたいと言い出したが 飛行機に乗せることも 知らない土地で暮らさせる事も不安ではあったが もう別れる事は出来なくなっていた。それなのに娘は 向こうで飼いだした2匹のダックスを連れて帰国した。

油 断   

2005年3月15日 いつもより朝早く目覚めた。次の展覧会の作品を仕上げてしまおうと起き出した私に リクは付いて来て傍で 眠っていた。暫くして 何時ものようにパソコンのメールチェックをする私の膝に座っていたリクを そのまま椅子に残して 朝食の準備に立った。主人と朝食を取っていると「キャンキャン!」でもなく何時もと違う 情けない声を出しながら食卓まで やってきた。「如何したの?何処か痛い!?」慌ててあっちこっちを擦ってみたけれど・・・ 不安げにくっ付いてくるだけであった。如何したのかなぁ?気になりながら 何時ものようにウオーキングに出かけたが、獣医さんが開く時間を待って連れて行った。
「反応もあるし、ぎっくり腰でしょう」先生はそうおっしゃって レーザーを掛け、骨の構造を図で説明してマッサージの仕方を教えて下さった。朝晩飲ませるようにと 痛み止めを貰って帰宅した。
その日は 京都へ万国博でのボランティアの打ち合わせがあり 後ろ髪を惹かれる思いで出かけた。夕方 主人に電話したらおしっこが出ない、後ろ足がしっかりしていない、という。すぐ帰る!
急いで帰って私も試みたが おしっこは出なかった。病院へ電話したが「本日の診療は終了しました」留守電になっていた。
どうしよう?この時他の病院へ連絡することは思い付かなった。長く信頼していた獣医さんだった。一晩私の傍でリクは苦しかったのだろうけれど 何も言わず我慢していた。朝 すぐ病院へと思いながら 来客などに気を取られて診察時間を過ぎてしまった。又電話したけれど やっぱり留守電だった。夕方少しでも早く 近い病院へ行くことにした。
そこは 初めてだったけれど若い先生は親切で「リクちゃんのためには うちで手術しても良いけれど中山獣医科病院へ行かれる方が良いですよ」と教えて下さった。
そのまま 直行し レントゲン検査をした・・・1時間ほどで結果が判るので 待ってて下さい。と
その間 主人と2人 黙ったままだった。色んなことが頭を過ぎった。
「手術は無理です。椎間板3つ神経がダメになっているので もう歩く事は出来ない」と。
何故 もっと早く処置をしてやれなかったのか 何故 椅子の上に寝かせておいたのか 総て私が悪かった。リセットが出来たら どんなに良いか!
先生は 静かにおっしゃった。「動物の事ですから このまま樂にさせる方もあります。如何されますか?」
待っている間 そんな事もあるかもしれないとは思ったけれど 現実になると考えられない。主人と顔を見合わせ 2人で叫んでいた、「出来るだけのことをしてやって下さい!」
私は何もしてやっていないのに もう別れるなんて出来ない。今までの子たちは2年も寝たきりになったり それなりに看護をし、別れる決心が出来てからだった。こんな 何もしない内に別れられる筈はない!
では、これ以上広がらないように 一晩点滴します。それでもダメな場合もあります、と。もう少ししたら 麻酔が覚めます。顔を見て帰りますか と言われたけれど 又しがみ付いて来られると別れるのが辛いので このまま帰ります。私はそう言ってしまった。帰りの車の中で 主人がポツリと言った「俺は逢って帰りたかった」 自分の事しか考えず悪かったなぁ

入院生活

翌日 電話があり「落ち着いています」 その日は仕事があり 主人が一人で面会に行った。
「虚ろな目をして 横を向いたままだった」主人は凄いショックを受けて帰ってきた。
その次の日は 2人で好物だった雑炊を作って面会に行くことにした。顔を見るなり飛び付いてきた。あ〜良かった!まだまだ予断を許さない状態のようだったけれど 喜んでくれた。持参した雑炊を出したが あんなに好きだったのに食べようとはしなかった。
「よろしくお願いします」それしかなかった。病院を後にした2人は黙って歩いた。
一番仲良しだったトシちゃんのママに リクのこと話しておいた方が良いかな?電話で報告した。
翌朝 リクの面会にご主人と行って下さると連絡があった。普段私の口にも入らないんだけど三田牛のお肉をボイルして持って行くという。「味が判るかな?」余計な事を考えた私だったが 大好きなおばちゃん達と会え大喜びしたばかりか 上等のお肉をぺロッと食べた。あれから初めて食べた!病院でもあれこれ食べさせて下さっているけれど全然食べなかったのに。
翌日から、主人と せっせとお肉や白身の魚など持参で面会に行った。犬にはそんなもの良くないとアドバイスして下さる方もあったが 先生も今は食べる事を最優先にと 仰る。
そんな日 院長先生から再生医療の話があった。自分の骨髄液を取り出し培養して再び注入し、神経を再生させるというものだそうだ。随分迷った。数日経って担当の先生にも相談した。結局返事をしないまま何となく話は途切れたという感じであった。無理にとは言われなかった。
東京に居る娘が 日帰りで面会に来た。毎日通っているお父さんや私には 見せたこともない喜びようをした。面会時間を遥かに過ぎるまで 傍を離れなかった。リクにとっては至福の時だったようだ。
その日から 顔の表情も良くなり、快方に向かっているのを感じた。
入院が長くなるとストレスが溜まるからと 言われた頃 私は少し自信を無くしていた。この年で 何時まで世話をしてやれるのか 何時まで私たちが元気で面倒を見られるだろうか、考えると次々と不安が押し寄せてきた。
でも、帰ってからの世話の仕方を習っておこうと思って面会に行った日 リクの前で「帰ろうね」って言ってしまった。
おしっこの取り方を教えてもらったが あまり調子は良くないようであった。膀胱炎だった。それに下痢もひどいという。「ストレスだと思いますが、もう、4、5日預かりましょう」先生に言われ、内心ホッとした。完全に面倒見られるようになってから連れて帰ってやろう。先生と私たちは打ち合わせた。「それでは もう少しお願いします」しかし、リクは先生の所へ行かず、私にしがみ付いて離れようとしなかった。
すっかり 帰るつもりになった子を 置いて帰るのは つ・ら・い!ごめんね、リク
病室に入るリクの後姿は 霞んで見えなかった。
それでも、翌日の面会は普段と変わらず 恨んでいないように見えたのは勝手な解釈だろうか

退 院

4月1日膀胱炎も下痢も もう大丈夫。私たちも連れて帰る自信が出来た。うんちは自然に出るのを待つしかない。おしっこはカテーテルを入れて注射器のような形をしたボンプで吸い取る。試しにやってみたら 案外難しくない。これなら大丈夫。
さぁ!帰ろう。必要なものを貰って まっすぐ家路を急ぐ。
帰るなり あっちこっち動き難い足を引きずって動き回り 2階にまで上ろうとする。病院では
 立ち上がり難いから ずっと伏せの格好で寝ていたそうだけど ごろんと横になって寝る。「しんどいのかなぁ、」先生に聞いてみたらと主人も心配している。厄介な患者で申し訳ないと思いながら 病院へ電話して聞いてみた。先生の大丈夫という一言を聞いて やっと落ち着いた。
久しぶりに お友達のトシちゃんに 会った。ちょっと緊張気味に 少し距離を置いて短時間だったけれど 家に帰った実感が湧いたのではないかと思うのは 人間の考えだろうか。
ペットショップへ行くと 介護用お散歩ハーネスが 沢山吊るして売っている。リクのような子が沢山居るんだなあ、紐で持ち上げるような物を作ったり、トートバックを改造して作ると良いと教えられ 足や尻尾を通すように作ってみたが 歩いてくれないので やっぱり工夫して作られた物を購入する事にした。
庭の花壇を取り除いて 平らにしたので 歩かせてみた。ハーネスを付けると何とか歩ける。以前パピの時は後足を支えて歩かせていたけれど、この方が樂だ。日に日に 上手に歩けるようになってきたので 公園でもやってみた。
こんな日が 数日続き 道でトシちゃんに出会った。ビックリしたのか  トシちゃんは固まってしまっている。お姉ちゃんの影に隠れるようにして ショックを受けたようだ。とても繊細で優しいトシちゃんに 申し訳ない事をしてしまった。
ある日、大好きなおばちゃんに公園で出会ったら、走るように移動した。気のせいかもしれないけれど 後足も反応がある。歩けなくなってから、足の裏の毛や爪の伸びるのが早い。退院間もない時は ダランとしていたのに 最近は切るとピクピクと動かす。きっと、自分の足で歩ける!そんな気がしてきた。
伸ばしたり 縮めたり程度だけれど 30回づつ1日3回のリハビリも 張り切ってしまう。奇跡が起こりますように!祈りながら せっせとリハビリを続けている。

意地悪

リクは 身体を病んだだけでなく 心も病んでいるのだろうか。あんなに大好きだったトシちゃんにも「ウ〜! ワンワン!」と激しく吠える。向こうは喜んで 尻尾を振ってくれるのに。公園へ連れて行くと 大きい犬にも 自分は抱かれているのに 偉そうに吠えまくる。これではみんなの嫌われ者になってしまう。家でも お兄ちゃんである猫のヤンが私の膝に来ようものなら 大急ぎで我先に蹴散らそうとする。ヤンは今まで通りお父さんと2階のベットで眠り、リクはお母さんと下の部屋でお布団を敷き落ちないようにと気を付けて どちらにも僻まさないようにしているつもりだけれど、元気に歩く 犬や猫は妬ましいのかな。

もう 大丈夫

2度目の検診の時 足の反応も少しはあるし、悪いところの広がりも止まったようですね。先生の言葉にホッとする。リクよく頑張ったね〜。
この日 コーヒー断ちを中止した。あの日以来飲まなかったコーヒーの味は格別だった。 

愛知万博

ゴールデンウィークの頃 万博会場で開催中の 「字と字で通じ合うアジア漢字圏交流」で、見学者の皆さんと漢字を通じて交流を図るという漢字普及の仕事に参加する事になりました。
獣医さんと相談して リクを預かってもらう事になり 3日間が限度と判断し出かけることになりました。。リクは前後の日を合わせ4泊5日となった。預けに行ったものの、こんな思いをしてまで やらねばならない事だろうかと 躊躇した。
一晩目は 久しぶりに2階のベットで眠ったが、いつの間にか猫のヤンが私にべったりくっ付いている。ずっと我慢していたのだ、と思うといじらしい。ヤンだって 甘えたいのに リクに遠慮して来なかったのだ。何か、猫と犬の性格が反対のような気がする。

会場では 大勢の方と接し、嘗ては同じ漢字を使っていた中国、台湾、韓国、ベトナム、日本、話す言葉が違っても意思の疎通は出来たのです。白川先生は「東洋とはいかなるものであったかということから、研究は出発した。150年前に失われた東アジアの状態に戻ることです。それには150年くらいかかる。私は確かめられないが 語り伝え回復できる事を願う」と仰っています。
同じ考えの人ともお話出来たり、3,300年前に誕生した漢字がどのように出来、現在に至っているか子どもさんと話したり 白川先生の本の愛読者や青銅器に詳しい人、古代文字、神代文字について 話して行かれる方もあり 良い勉強をさせてもらえた貴重な3日間でした。 
ホテルに戻ると 主人と電話で「リクは如何しているかな?預けてて大丈夫ですか?と訊くのも失礼だし・・・」と毎晩話しました。

車椅子

リクを病院へ迎えに行くと あまり食べなかった他は心配したこともなく 元気な顔を見せてくれた。丁度 注文していた車椅子が届いていた。 身体に合わせて 手直しもして下さっていた。車椅子は主治医のいらっしゃる時に 改めて貰いにいく事になり その日は帰宅。
車椅子に すぐ慣れる子もいるようだが リクは荷物を背負ったようで動きにくそうである。次に来院するまでの2週間 練習しておいて、と言われた。好奇心旺盛な子は すぐ慣れるらしい。リクは キュンキュン言うと「お水?はい、はい、」目の前にお水を差し出す 自分で動く必要がない、これは人間の方が改めないと 乗れるようにならない。明日から頑張ろう。         〈つづく〉

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