少年はひょうひょうと泣き叫ぶ風の音で意識を取り戻した。
猛烈な光がまだ収まらない。夏であるとはいえ、この暑さは異常だった。身体が焦げんばかりに熱せられているというのに、凍るほどに身体が震えている。
少年は赤く染まった空を呆けたように見つめ、そして気づく。
「
眼底に焼きついたあの瞬間の光景は、笑って己を物陰に突き飛ばした大切な人の姿。白と黒の反転したその映像が凶兆に思える。
少年は起き上がり、身体中を走る痛みに身を捩じらせ、姿勢を崩す。ぐるりと回転する景色の中には、千切れた布切れ以外に動くものはなかった。
鈍い衝撃。
倒れ伏した地面は、酷くささくれていて、少年のそこかしこに傷をつける。だが、それでも諦めきれずに頭を起こす。そうして、自分の置かれた状況にようやく気がついた。
そこは、ある世界の終わり。
崩れ去った土塀。消し飛ばされた屋敷。木々は薙ぎ倒され、花は根だけを残して全てが黒い灰に変わっている。地を覆う土さえも命を残してはいない、そんな最果ての場所に少年はいた。
風が吹く。
ごう、という音とともに、それは少年の心から何かを奪っていった。
何もできなかった。
この十年、ずっと苦労をかけ続けて。失敗は数知れず、懲罰を言い渡されそうになるたびにあの人は己を庇ってくれて。いつかこの恩は返さなければならないと思い、研鑽を重ね、ようやく一人前と認められその礼を返そうと街にくりだしたよりにもよってその日に。
その世界は終わりを告げたのだ。
こんな悪夢は、あってはならないと少年は思う。
この世には神仏というものがいるのだと、少年は教えられてきた。世界の秩序を保ち、邪鬼が現れるたびにそれらを刈り取る、そのような摂理があるのだと。そんな教えを少年はずっと信じてきたし、実際そのようになっているのだと信じることができた。彼の生きてきた場所はそんな場所だったのだ。
だというのに、この結末。
これだけ正しくやってきたのだからそれなりに報われるべきだ、などという考えが傲慢なものであることは解っている。その驕りこそが人を堕落させる。そうした妄念を抱かぬように彼は修行を積んできたのだ。だが、だからといってこれはあまりに酷すぎるではないか。
「――そこの君は、生きているのだな」
頭上から声が降り注いだ。
それが自分に向けて発せられたものだと気づくのにおよそ三十秒はかかった。
「大丈夫かね? ああ、耳をやられているのだったら謝ろう」
声が横を通り過ぎ、やがて前へ。
黒衣の方士がそこにいた。
「私は遼南雲という者だ、怪しい者ではないから安心したまえ」
あれだけの破壊の後だというのに、男は疵一つ負ってはいない。だがそれは不思議というよりどこか安心感をまとわせたもので、少年の疑義はすぐに洗い流されてしまう。
「ふむ、運が良いな。邪光にはそれほど侵されてはいないようだ。これなら間に合う」
男は少年の肌に触れ、そんなことをつぶやく。
「良い薬があるから任せたまえ。すぐに良くなるはずだ」
これ以上ないほどの穏やかな笑みを浮かべ、遼は少年を抱きかかえた。
*
良いかね、卵崔夏。
最初に矛があった。
我々の創世神話にもある、あの矛だ。
そして、ある者がそれを使い世界を生み出した。名前は伝説によって違うが、いずれにせよ我々とはまるで異なる超越種――いや、超越存在であったのは間違いがない。
しかし、見たまえ。彼が生み出した世界は決して超越してはいなかった。
衆生は度し難く救い難い。いずれはこの星を食い破るにとどまらず全ての物語を破綻させ、ついには全てを不幸に追いやるだろう。私は正しい結末を望んでいるというのに。誰もが幸せな結末を望んでいるというのに。私達は私達の愚かさゆえに私達のささやかな願いすらかなえることが出来ないのだ。そんなことが許されるはずがない。そう思うのは至極当たり前のことだろう。
だから、私はこの物語を変えてしまおうと思う。
ここに、一本の剣がある。これはあの矛の複製だ。私が作った、数少ない名品だよ。お前にはいつかこれをくれてやろう。私には使えないが、お前ほどの能力があればこれを十分に使いこなすことができるはずだ。望みさえすれば、世界全てとは言えずとも小さな“物語”なら思う存分に書き換えることができる。そうしてお前は、
お前が正しいと思う物語を作り上げたまえ。
*
かつて少年だったその方士は師の言葉を思い出す。
その言葉は真実だと今でも確信している。されど、師の言葉には僅かばかりの誤謬があった。
――成すには、時間が足りぬ。
いくら物語を改竄する力を得たところで、時を越える力を得たところで、個人の持つ時間などたかが知れている。師は人にして人にあらぬ存在であったから恐らくは無量の時でもかけて己が理想を叶えるのであろうが、己はどこまでいっても人にすぎぬ。しかし、人という枠を超えぬ限りは、あの日の想いには遠く及ばぬではないか。
焦燥に駆られる。この剣を握る手すらすでにおぼつかない。こぼれ落ちていく砂のように、油の切れたからくりのように。時の過ぎていくことに甘んじているわけにはいかないのだ。まだやることは無限に存在する。そうしていつかはあの焦土を――。
脳髄から血が失せたように、視界が暗くなる。
ああ、そうだ。だからこそ。
人を超えねばならぬと。
永遠を得ねばならぬと。
そう心に誓ったとき、彼は見た。
――千年の空を。
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