2004.11.25

なんでもあり

2003年、最初の「まちなかで思ったこと」と同じテーマなのですが、また東京に出張して感じたこと
特にデフォルメしたわけではありません
見た光景そのまんまの話です

東京の地下鉄は深いのでいくつもエスカレータを乗り継いで上がります
降り口まで上ると長い人の列が一列できていて、次のエスカレータの乗り口まで続いています
まるでアリの行列のよう
歩いて上る人は右側の開いた列に進むのですが、こちらはきちんと空いています
大阪ではありえないこと
かならず乗り口でヒトの団子ができているでしょう

大阪に帰って近鉄難波
列を作って並んでいるのはよいのですが
状況を認識しない、あるいは状態に頓着しない阿呆(品のない表現で失礼)が最前列の横に立つ
そうするとなんとその後ろにヒトが並び始め、きれいに3列ができあがりました
さすがにこれには唖然とします

並ぶということの意味をまったく取り違えている

東京人、大阪人が皆このパターンに当てはまるわけではないでしょうが
この差が生活、文化、教育、生産、政治などなどに反映していることは間違いないでしょう
普遍的な観点から何が正しいと規定するのはむつかしいことでしょうが
ここらでちょっと反省しないと大阪の「なんでもあり」はますますエスカレートする?!

2004.7.13

里山らんどの最寄りの交通機関、木津川に沿って走る関西本線についてお話しします

最寄りの駅は月ヶ瀬口駅
駅までの路程は5キロ弱ほどあるのですが、静けさの中、鉄橋を渡る列車の音が里山らんどまではっきり聞こえてきます。
その道は梅の頃月ヶ瀬口駅から月ヶ瀬梅渓に向かう人のハイキングコースになります。

関西本線は大阪JR難波駅(むかし湊町駅)から名古屋駅まで奈良、亀山を経由して走ります。
今はわざわざ本線と付けて呼ぶことは少ないけれども、昔は東海道本線、山陽本線、鹿児島本線などはっきり支線とは区別されていて、
本線は日本の大動脈、そのへんの支線とは格が違うよ、というような雰囲気があったと思います。

現在近畿地方で本線と付くのは東海道、山陽、山陰、紀勢、関西線などです。
一応使われてはいますが本線という呼び方が今どのような意味があるのでしょう。

この関西本線、木津川に沿って走るエリアは本線と呼ぶにはおこがましいほどの2両編成のワンマンカーがトコトコ走っています。
車内の料金表示板、無人駅の前ドアだけの乗り降りはまったくバスのようです
5,6月に放映された「列島縦断 鉄道12000qの旅」では木津から伊賀上野方面へ走り抜けていました。

かつては貨物列車も走っていたのでしょう
今はトラック輸送が当たり前ですが、昔は鉄道輸送がメインだったので駅ごとに貨物ホームや小荷物受付所があって
蒸気機関車が貨車の入れ替えを忙しくやっていました
(鹿児島本線ではそうでした)
そういえば、機関車がいなくても貨車一両ずつ車輪に長いバールを入れ人力で動かして車両の入れ替えをやっていたものです。
鉄道模型少年だった私はこのかわいい車両たちをなんとか模型にしてポケットに入れ、持ち帰れないものかと日々妄想してました。

いま関西線では昼間は一時間に1本、一日に上り25本、下り19本の列車が走ります

この線路に急行が走っていることを知る人は少ないでしょう
愛称「春日」は始発奈良駅を夕方5時16分に出発して7時26分名古屋駅に到着します。
今の時期だと十分沿線の風景を楽しめます
料金は急行料金を入れて2210円、
8分後、京都行きの普通列車に乗り、京都でのぞみに乗り換えると名古屋着は7時35分
所要時間はほとんど同じですが、新幹線を利用すると6380円
3倍近い値段です
急行はもう一便ありますが、朝名古屋から奈良
名古屋から奈良へ遊びに来て、夕方名古屋へ帰る、この一方向だけ

これはまったく片手落ちのサービスだと思いませんか


2004.6.14

6月14日月曜日の夜、クイズ!紳助くん

この時間帯の朝日放送はいつも楽しみに見ています。(いの一番は探偵ナイトスクープなのですが)
なにわ突撃隊七井が訪ねたのは長崎、五島列島の野崎島
待ち受けていたのは唯一の島民西本五十六さん、なつかしい顔です

彼はある時期同志でした
森林ボランティア、「みどりの会山城」は彼の呼びかけで生まれました
その経緯は以前「里山で思うこと、2003.2.11」で紹介しています
いつも新しいことにダイナミックに挑戦し、きちんとモノにしている
最高の自遊人生活、うらやましいことです

クイズ!紳助くん のページ
(次回放送の見どころ)に概要がありますがまもなく(なにわ突撃隊日記)に移っているでしょう

2004.3.21

朝、明るくなるのがずいぶん早くなりました
昨日は春分の日
太陽が真東からでて真西に沈む日
この位置が確認できれば正確な東西方向がわかる
残念ながらきのうは天気が悪くお日様から朝と夕暮れの挨拶はありませんでした

この日は昼と夜の長さが同じだと教わってきました。
しかし実はそうではなかった。
興味があって一年間の日の出、日の入りの時間を調べました。
2004年3月20日の日の出は6時1分、日の入りは18時9分
昼の時間は727分、夜の時間713分、
14分も昼が長いのです。
その理由は日の出は朝日が頭を出す瞬間、日の入りは夕日が完全に沈む瞬間としているから。
更に大気の影響による光の屈折、
円い地球の表面に沿うように光が走り、見えないはずの太陽が見えているのです。

ちなみに冬至の昼の時間は590分、夏至のそれは870分
その差4時間40分
こんなにも差があるのです
日常の生産性に大きく影響するはずですが会社勤めではあまり関係ない?
里山ではこれから目一杯利用できます

1.12の話をグラフにしています。


2004.1.12

一陽来復
好きな言葉
里山の日の出です
里山ランドの隣、南さんの茶畑の高いところから東の方向を見たものです
泊まりの時の朝の散歩道、北の方向には童仙房の山影の前に雲海がひろがります

冬至が過ぎれば日の出は早くなっているとばかり思っていました
実はそうではなかった
会社のTさんが教えてくれたのです。
Tさんは朝刊の日の出日の入りの時刻をメモしていたのです。

なんと数日前(正確には1月9日)まで日の出は遅くなり続けていた。
そのぶん日の入りはがんばって遅くなります。(毎日1分ずつ)
これからがほんとうの一陽来復。
里山で遊ぶときには日没だけが気になります。




2004.1.1

週末だけですが里山の生活も4年目を迎えます
この表現は自分でもわかりにくいのですが3年と少しの時間が経過したということです。
2000年の秋に土地を手に入れて、
暮れに整地が終わったときはまだ無地のキャンバスだったのですが、
現在は下絵ができたというところでしょうか。

デジタルカメラの記録画像が2200枚余り

走行距離9300qで手に入れた中古軽トラは今35500qを示しています
26200q、他に使うこともあるけれどもワゴンで行くこともあるのでほぼ月ヶ瀬通いの走行距離でしょう。
往復ほぼ80qで割り算すると328、その数だけ通ったことになります。
最近は土日で1回が多いので生活日数はもう少し多いのでしょう


片道40キロのドライブは一時間弱で木津川沿いのコース、柳生街道のコースを
季節あるいは気分によって使い分け、飽きるとかいやになることはありません


お隣の南さんをはじめ多くはないのですが地元の人とも仲良くやっています
昔は里山ランドのすぐ近くに亜炭の鉱山があったそうですが、
そんな土地の昔の話を聞くのは興味深いことで生活や歴史が現在の風景に重なって里山への想いが深くなります

里山は当初の構想とは少し違うのですが、修正を重ねながら一応カタチになってきました。
ホームページの画像は古いものが更新されていない部分があるので、もう実際とは違うものもあります。
更新されていないのは無精もあるし記録として残したいという気持ちもあるのです。

生来の浮気者で何にでも手を付けたくなって、付けてしまえば気持ちが落ち着いてまた次のものに手をだしてしまう。
だから中途半端なものやことが溜まってくるのです。

一本道で進むよりもパラレルに進むほうがことが楽しいから。
でもまったく手当たり次第にでもなく、一応は全体の構想やイメージの中でつながっているのです。
それが見えないナオ子さんにはストレスの素になるのですが。

南さんから借用した畑、いや違うなあ、もう畑とはいえなかった土地の開墾、
これは去年失敗したコンニャク栽培をなんとか成功させたいから。
溶接機、これは今年手を付けたいナオ子さんの陶芸工房を部分的に鉄骨構造にしようと考えているから、
柱・梁の仕口の加工には電動のこぎり(回転刃ではなくて手鋸のイメージ)がほしくなり、
手に入るともうヒノキの間伐材に手を付けたくなる
その工房は手に入る素材をイメージしながら少しずつ頭の中に設計図ができているのです。
竹炭焼、ドラム缶は横たわったまま、奥西さんのトラックとすれ違うたびに、竹はまだ取りに来ないのか
そんな状態なのに積み上げた薪を見ればパンを焼く石釜もつくりたい

トイレは箱ができたのに中は物置になっています。
ナオ子さんは汲み取ってもらうトイレにして欲しいと要求します。

屎尿漕を予定している場所にはむかし屋敷の井戸があったというのです
掘っていて井戸が見つかればそんなところに汚物漕をつくるわけにはいかない。
今度は井戸掘りだしに専念することになるのでしょう。
蕎麦も早く加工しなければ・・・、もう新蕎麦とは言えない?年越し蕎麦

というように2004年も楽しみの種が尽きることはないでしょう