− 2 −
彼は、影の織り成したクルガンの幻に、あらがうことも出来ずに腕を取られ、すべての意識があの夜のクロプシスの海に放り込まれた。
指がなぞる線はクルガンのたどる道と酷似ている。
「・・・ん・・・・・くっ・・」
彼の性感帯を熟知したその道を外す事なく辿れるのは、世界広と言えどクルガンの外に存在しない。しかし、今シードの肌に触れる手は見知った同僚のものであるはずが無かった。
「クル・・・ガ・・ンっ・・・・・」
頭では違うと理解していても、与えられる愛撫は間違いなく彼のものだ。
ゆっくりと撫で上げらるたびに抵抗の意志を殺がれ、だんだん意識と体が分離して行く気がする。
シードはぼぉっとする視界の中で、幻と現実の境目を見つめていた。ガラス越しの月明かりが唯一彼をつなぎ止めているのだ。
『シード・・・』
(声まで同じかよ・・・意識がぶっとんじまったら・・マジでヤバそうだよな・・・)
彼は声を上げないように唇を噛み締めるのがやっとという情けない今の状況に、打開策がある訳でも無くただ与えられる感覚に過敏にならないように耐えるだけだった。
花の毒素が抜けていればこんなやつ簡単に振り払えるだろう、それ以前に彼の前に姿を現すこともなかったはずだ。
(こういうの、浮気って言うのか?)
少し乱暴で、煽るようなキスの仕方までそっくり・・まったくどこで調べたんだ?などと意識を他方に逃がすことによって完全に飲まれるのを拒否し続ける。
微かに布の感触を伝える指先も既に自分のものではないような気がした。しかし、体は行為に翻弄されていても、頭だけが妙に切り離されている。シードにとってそれは相手がクルガンでない唯一の確信のような気がした。
(このままじゃ、しゃれにもなんねー・・・幻に犯されたなんていい笑いもんだぜ・・・なぁ?クルガン)
「おい・・・一つ聞くが、何で俺に付きまとう?」
シードの問いかけに影の手が止まる。
「お前が神様の使いで、俺とクルガンを諌めるってなら俺だけ嬲るのは不公平ってもんだろ・・・それとも何か?悪魔の手下で俺を取り殺そうってか?」
『・・・・・・私は、欲望だ・・・お前の欲望の塊だ』
「は?」
『お前はあのクロプシスの海の中で、この男にこうされることを望んだのだろ?だがこの男はただ口づけただけでお前を満たしてはくれなかっただろ?』
確かに、赤い花の中でクルガンがくれたものは軽いキスと苦い薬だった。
『お前はあの男の前であのとき・・・なのにあの男は拒んだ・・・』
(あぁ・・・なるほど)
影の返答にシードはにんまりと唇を歪め、やがてこらえていた笑いを吹き出した。
「・・・俺も堕ちたもんだな、こんな自慰にも似た行為で満たされようとする男になっちまうとはね・・・」
ひとしきり笑った後、シードは自分の上の影を片手でなぎ払った。
「俺の望みはあいつにしか叶えられない、それに俺が本気で望めばあいつは何だってくれる。お前の出る幕なんてねーんだよ・・・消えな」
影に敵意を剥き出した獣のようなガンを飛ばし、シードはふと窓に目をやった。外がだんだん白んでいるのがわかる。
「さぁ、夢は退散する時間だ。俺はもうお前は呼ばない、また別の獲物を探すんだな」
すっきりとしたような笑顔で剣を引き寄せゆっくりと鞘から抜き払い、目の前にいるクルガンの幻を引き裂いた。
窓から柔らかな朝日が差し込んでくる。シードはその光から目をかばうように腕を上た。
背後からカチャリとドアの開く音がして、彼はびくりと肩を震わす。
「朝っぱらから剣の稽古か?少しは中毒症状を抱えた病人であることを自覚しろ」
ゆっくりと頭を巡らせて、声の主に視線を向ける。そこには黒い薄手のシャツに白いスラックス姿の・・・
「クルガンだ・・・」
呼ばれた本人はズカズカとシードに歩み寄ると、彼から剣を取り上げて鞘に収め額に手を押し付けてくる。
彼の手のひらから確かに感じる体温が心地よい。さっきまでのもやもやが晴れて行く気がした。
「クルガンだ・・・じゃない。仕事が一段落ついたから後の事はほかのものに任せて戻ってきたのだが、気分はどうなんだ?もう体がだるいとか目の前がぼぉっとするとか言うのはなくなったのか?」
早口で容体を伺う彼の手をとり、空いた方の手でシードはクルガンの頬をつねった。
ごんっと小気味のいい音と共に、クルガンのこぶしが振り下ろされる。
「いってぇ!」
この乱暴な扱い・・・さっきまでいた幻ではないことは確かなようだ。それを確認すると、シードはクルガンのシャツをつかんで、頭を彼の胸に押し付けた。
「・・・・・・・・・・・・何の冗談だ?」
一連の行動の意味が読めないクルガンは、ただぼうぜんとシードを見つめている。が、やがてそんなことどうでもよくなったのか、彼の肩に手を乗せて赤い髪をなで始めた。
「まだ薬物に取り付かれているのか?」
クルガンが静かな声色でいたわるように問いかける。
「大丈夫・・・みんな解ったから・・・お前が一番の薬なんだ」
甘えるように頭をすりよせて、首に手をかけて抱き締める。
クルガンは首をかしげながらシードを抱き上げ、ベッドに横たえた。
「なんだかよく解らないが、すっきりしたような顔色だな・・・」
「もう自宅療養でいいんじゃないか?もち、お前の看病でな」
「・・・まぁいいだろう。病人である以上は、少しは甘やかしてやる」
クルガンはそう言うと、ベッドの端に腰をかけて軽い口づけをシードにやった。
満たされる感覚の中に安らぎを感じ、シードはゆっくりと眠りについた。
2000.9.28
|