仮初の猛牛魂

〜大阪近鉄バファローズ・大阪ドーム最終戦観戦記〜


Last Update: 2005/ 3/31

 

はじめに

 プロ野球70年の節目だった2004年、球界が抱える問題点が次々と明らかになりました。その先駆けとなったのは、パシフィックリーグの老舗球団・大阪近鉄バファローズの球団命名権売却計画の発表でした。このことを発端に、近鉄球団消滅の方向へ一気に流れたことは、記憶に新しいことと思います。

 さて、私は阪神ファンではありますが、同時に近鉄というチームにも一定以上の関心を持っていました。通学などで近鉄電車を利用していたことや、自宅ネット開通の際に選んだプロバイダがたまたま近鉄グループであったことなどから、近鉄というブランドが身近に感じられる環境であったことが、徐々にバファローズに関心を持っていった要因となりました。

 そんな私は、かねてから「いつか大阪ドームに近鉄の試合を観に行きたい」と思っていました。諸般の事情から野球観戦を諦めていたのですが、9月24日の大阪ドーム最終戦の内野自由席・外野自由席が無料開放されることを直前になって知り、これを逃したら一生後悔すると思った私は、思い切って観に行くことにしました。

 この文章は、あの記念すべき試合で感じたことを少しでも多くの人に伝えたいと思いながらも、なかなかまとめきれなかったことを、半年が経過した今、あの時の出来事を思い起こしながらまとめたものです。


入場までの経緯

 今回は、私にとって初めての大阪ドームだったので、まずは交通アクセスを念入りにチェック。当日の混雑を予想し、午前中に現地入りし、時間が余ったら近辺の売店でも巡ろうと計画を立てました。当日朝、逸る気持ちを抑えながら出発し、11時前に大阪ドーム前の駅に到着。まずは、バファローズのオフィシャルショップである『ショップバフィ』に入りました。この店は、近鉄球団消滅に合わせて9月末で閉店することが決まっていたのですが、稀少価値の出るであろう近鉄グッズが手に入る最後の機会とあって、店内には数多くの客で賑わっており、すでに売り切れたグッズや、残り少なくなったグッズもちらほら見受けられました。そこで近鉄帽と応援バットを購入、帽子をその場で着用し、近鉄ファンの風体を漂わせながら、意気揚々と球場前へ。すると、予想とは裏腹に人の列がなく、無料入場目当てと思われる人も少数見受けられるだけで、拍子抜けしてしまいました。

 とりあえず球場の周りを2〜3周しながら周囲を観察した後、2階部分を見物に行きました。特に目についたのは『スーベニアショップ グリンドムザック』で、ここのグッズの品揃えには驚きました。日本プロ野球12球団に留まらず、メジャーリーグのグッズも日本人選手関連を中心に揃っていて、定期的に行きたくなるほどでした。そうやって適当に時間を潰した後、12時ごろに戻ってみると、人がそれなりに増えていて、プラカードを持った警備員に話しかけている人を発見。とりあえず話を訊いてみようと近づいてみると、私の前に警備員と話をしていた人が何かを書いていました。なんと、それは場所取りのための受付で、それさえ済ませておけば、入場門前に並ぶ時に無条件にその位置を確保できるというものでした。甲子園で午前中から列を成さざるを得なかった経験しかなかった私は、この合理的な手法にショックを受けました。

 開門に向けて所定の場所に戻るまで、時間に少し余裕があったので、行きがけにコンビニで買った昼食を食べながら待っていたところ、人がどんどん増えてきて、改めて早めに来ておいてよかったと思いました。おかげで、受付完了まで1時間以上無駄に潰したにもかかわらず、まだ余裕で列の前の方に陣取ることができ、開門前に並んだ時に階段の下まで伸びていた列の長さを眺めてほくそ笑んでいました。


試合前の場内にて

 開門時刻を過ぎ、周囲がイライラを募らせてきた頃、いよいよ開門となりました。各入場ゲートの入口で二軍選手が入場者と握手をするという企画があるのを知っていたので、誰と握手をしたのか覚えようと思って気合を入れたものの、実際には入場招待券の半券や記念品などを受け取った勢いで二軍選手3人と握手をする流れになったので、私と握手をした選手の背番号を記憶し切れないまま席の確保に向かうことに。自由席の場所取りは基本的に早い者勝ちなので、早くしないといい席から順になくなっていくことになります。急いでスタンドに入ったものの、席を立つのに都合のいい場所はあらかた取られていました。ただ、比較的かなり早く入れたため、出入口のすぐ上方の、端から2番目の席を確保することができました。出入りするにはまあまあ便利な位置だったのでラッキーでした。

 その後、試合開始までかなりの時間があったので、とりあえず試合中に空腹状態にならないように、とにかく何か食べる作戦に出ました。試合中には観戦に集中するため、その障害となる試合中の空腹を避けたかったからです。腹が減ってきては場内の売店で牛丼などのメニューを注文し、試合開始時には腹を満たした状態で入れるようにしました。

 試合開始前の楽しみのひとつとして、選手の試合前練習を観られるというのがあります。一般的に、18時開始のナイトゲームの開門時間は16時で、この時間ではホームチームの練習は既に終わっており、ビジターチームの練習しか観ることができません。しかし、この日の開門は14時(実際には少し遅れた)であり、ホームチームである近鉄の練習風景を観ることができました。近鉄の練習時間には観客の数がまだ少なかったので、局地的な盛り上がりはあったものの、比較的穏やかな雰囲気が漂ってました。16時を過ぎ、有料の指定席が開放され、ビジターチームである西武ライオンズの練習が終わる頃には、期待とともに「これが近鉄の見納め」という無念さみたいなものが入り混じった雰囲気になってきました。レフトスタンドの一部に陣取った西武ファン以外は、純粋な近鉄ファンを除くとほぼ全員がプロ野球ファンとしてこの試合を見守りに来た、そんな雰囲気を醸し出していました。

 試合開始時刻が近づき、ベンチ入り選手やスターティングメンバーの紹介など、恒例の試合開始前イベントがありました。そこで流れてくる近鉄の球団応援歌やパ・リーグの連盟歌を知らないため、ひたすら聴くことに徹するしかありませんでした。周囲を見渡すと、当然といえば当然なんですが、流れてくる歌に合わせて歌っている人が結構いました。個人的には、応援歌などが覚えられる準備期間があったわけではないので、歌えなくても仕方なかったんですが、にわかファンの厳しさを改めて感じた瞬間でした。スターティングメンバーの紹介になると、応援団を中心にスタンドが盛り上がりを見せ、いよいよ試合開始へ。


試合終了まで

 守備位置へ散る近鉄の選手たちに向けられる熱い声援。私がいた一塁側自由席の前方はライトの守備位置でした。近鉄でライトを守っていた選手といえば、当時、オリックスとの合併を撤回させようと、グラウンド外で奔走していた選手会長・礒部選手でした。当然、客席にいるファンはみんなそのことを知っているわけで、礒部選手が出てきた時から凄まじい礒部コールが起きていました。ボルテージの上がった私も必要以上に礒部コール。礒部選手が帽子を取ってスタンドの方へ一礼しても、止むことのない礒部コールに、結局、礒部選手は何回もそれに応える状況になってました。

 いよいよプレイボールがかかり、異様な雰囲気の中、初回の西武の攻撃が0点で終わると、ものすごい声援が近鉄ファンから沸き上がりました。特に、3番打者の礒部選手が打席へ向かう時の、スタンドのあちこちから沸き起こる礒部選手への声援は圧巻でした。甲子園の5万観衆にも劣らないものがありました。スタンド全体が近鉄の勝利を願う雰囲気の中、2回裏に近鉄が先制した時には、試合に勝ったかのような騒ぎになってました。私は、とりあえず選手の個人テーマをまったく知らなかったので、選手が打席に向かう時と「かっとばせ〜」の部分に全精力を傾けていました。唯一知っていたチャンステーマ2(「バット振ったらボールは飛ぶ」という、いかにも近鉄らしい歌詞のテーマ)が流れた時には、息継ぎも忘れる勢いで必要以上に歌い上げてました。この時、自分のテンションと出すべき声の高さが合わなかったために空回りし、納得いく声が出せなかったケースがほとんどでした。そのズレを修正できた頃には、このチャンステーマが使われる時期を過ぎてました。非常に残念でした。

 近鉄の先発・高村投手が3回裏にソロホームランを打たれ、その裏に作ったチャンスを逃した近鉄打線のしょっぱい攻撃の後、4回表を犠牲にして飲み物を買いに売店に行きました。そこで予想以上に時間を食ってしまい、戻ってきた時には4回裏が知らないうちに終わっていたというオチがついたところで、5回表に高村投手が再びソロ被弾、西武が逆に1点リードする展開に。その裏に出てきた西武の投手は松坂大輔投手。スタンドからは「イヤガラセか、ホンマに…」「最後くらい花持たそうって気はないのか」などというボヤキや溜息が漏れていました。リリーフのマウンドに立った松坂投手の速球が計測するスピードに圧倒されるスタンド。ついでに圧倒される近鉄打線、1番からの攻撃で4番・中村紀洋選手に回すことができずに三者凡退。悲壮感の漂う近鉄ファンに追い打ちをかけるかのように、6回裏開始時にマウンドに向かう松坂投手。その志願の続投に中村選手のバットが空を切り、セカンドゴロに倒れたところで投手交代。近鉄ファンが最も意気消沈していた時期はこうして幕を閉じました。

 試合の方は、7回裏に近鉄打線が西武のクローザー・豊田投手から1点を挙げ、同点に追いつきました。8回、故障でシーズンを棒に振った吉岡選手が代打に告げられると、長年近鉄の主力選手として活躍したこのベテランに対して一際大きい声援が送られました。結局、この回は無得点に終わり、同点のまま9回へ突入しました。9回表、2アウトを取ったところでマウンドに上がった赤堀投手に厚い声援が注がれました。90年代前半に最優秀救援投手などのタイトルを獲得したベテランの、これが最後になるかもしれない姿を見て、私も必要以上に赤堀コール。スタンドからの声援を受けた赤堀投手が3アウト目を取り、いよいよ9回裏へ。この回からマウンドに上がった小野寺投手のスピードガンが近鉄ファンの注目をも集める中、近鉄打線は9回と10回の攻撃で走者を出しながらも後続が凡退し無得点に終わり、対する西武打線も9回から三者凡退を繰り返す展開でした。

 そして迎えた11回裏の近鉄。9番打者からの攻撃で、上位打線に返るこの回に、スタンドの期待も高まっていました。延長戦に入ってゼロ行進という展開に、試合時間が延びることに伴う疲れと、「引き分けで終わるかもしれない」という危機感が入り混じったストレスを抱えていた近鉄ファンは、恐らく得点圏に走者を置いて礒部選手の打席を迎えることをイメージしていただろうと思います。実際、1番打者の大村選手が二塁打を放ち、2番打者の星野選手は犠牲バントで走者を3塁に送り、礒部選手に花を持たせようと試みました。ところが、バントを二度失敗して追い込まれた星野選手はヒッティングに切り換え、右方向に二塁打を放ち、近鉄のサヨナラ勝ちが決まりました。その瞬間のスタンドの狂乱振りは、言葉では表せないものがありました。近鉄球団としての本拠地最終戦を勝利で飾れたことは、近鉄を応援していたファンにとってはかけがえのないプレゼントになったと思います。


試合終了後

 試合後に行われたセレモニー。近鉄の選手たちが場内を一周しながらファンへの感謝を表した後、三塁側ベンチ前でそれを見守っていた西武の選手たちと握手を交わし、最後に記念撮影が行われました。近鉄の選手が引き上げる時には、近鉄の応援団を中心に満員のスタンドから「ありがと、ありがと、バファローズ!」の掛け声がかかり、近鉄の選手、あるいは近鉄球団そのものへの感謝を表すという、試合中とは違った最高の盛り上がりを見せました。客席の誰もがこの瞬間に立ち会えたことに少なからず感動し、それを噛み締めている、そういう一体感がありました。同時に私は、生粋の猛牛党でもないのにやりきれない思いが心を支配し、近鉄球団を消滅に導いた流れを導いた動きに対する怒りすら覚えました。しかし、真の近鉄ファンの方々の思いは、私などの比ではなかっただろうと推測します。

 新聞やテレビなどの報道では、どれもこの場面までしか描かれていなかった気がするのですが、私はそこで終わることはできません。セレモニーが終わるまでずっと三塁側ベンチの前に整列してそれを見届けていた西武の選手たちは、近鉄の選手が引き上げてからロッカールームへ引き上げていきました。それを見た私は、近鉄の勝利と惜別で盛り上がるスタンドの中で、プロ野球ファンとして西武ナインに対する感謝の意を表したいと思っていました。すると、近鉄の応援団の方から「ありがと、ありがと、ライオンズ!」の掛け声が何度もかかってきたので、私もそれに合わせて西武ナインに対する感謝を口にすることができました。人間として当然のことかもしれませんが、延長11回を闘い抜き、試合後のセレモニーを最後まで見届けてくれた相手に対する感謝を示すことを忘れない近鉄応援団の気持ちが、私は嬉しかったし、そこに温かみを感じました。近鉄応援団が発した言葉はこれが最後だったことを付け加えておきたいと思います。


私が見た観衆

 この日の大阪ドームは特別な空間であったため、どんな人が球場に来ているのかを観察していました。記憶の限り、ここで紹介してみようと思います。

 まず、入場前に並んでいる時には、私の近くで「セ・リーグでは阪神ファンやけど、野球を観に行くんやったらパ・リーグの方が面白い。近鉄の方がホンマに近鉄が好きな人間が集まるし、野球もおもろい」といった論調の話をしている人がいました。また、制服を着て堂々と闊歩する女子高生がいたり、いかにも学校帰りの雰囲気を漂わせる制服姿の女子中学生2人が、カバンから選手のサイン入りのナンバージャージを取り出してそれを羽織り、持って来たボールを使ってキャッチボールを始め、警備員に制止されるという微笑ましい姿を目撃しました。このように、明らかに学校サボって来たお子様も少なからずいたわけですが、彼らはこの年代から真の猛牛魂を持っていると感じました。入場前の段階では、私の周りでは基本的に生粋の近鉄ファンが多かった印象を受けました。

 入場した後、試合前にとりあえず球場内を見物がてら巡回していた時には、思いっきり阪神帽をかぶったおっさんや、中日・福留選手の背番号Tシャツを着用した兄ちゃんとかを見かけました。また、席に戻って周囲を眺めていると、後ろにいた学生たちが「ホンマは阪神ファンやけど、今日は近鉄ファンというか、プロ野球ファンとして来た」などという会話を交わしているのを耳にしました。他にも、「今日だけは近鉄ファン」と口にする人もいたりして、私と同じような人が少なからずいたことを実感しました。

 試合中には、攻撃時に選手別応援歌を歌っている人が割と少なかった印象がありました。この辺から、やはり近鉄ファン以外の人が多く観戦に来ていたことが窺えると思います。また、面白いヤジを飛ばすおっさんがいました。このようなヤジは野球観戦の醍醐味のひとつであり、基本的に相手を貶めるヤジが聞こえてくると、少なからず嫌な気持ちになるものですが、それが思わず笑ってしまうものであった場合には、その限りではありません。観客席の中には、試合前からすっかり出来上がってしまっているおっさんの一人や二人はいるもので、そういった酔っ払いのおっさんが飛ばすヤジは、時として周囲の笑いを誘うことがあるものです。この試合でも、私の左後方の少し離れた場所にいたおっさんが、時折面白いヤジを飛ばしており、それを聞いた私が堪えきれずに思わず噴き出してしまったり、ヤジの飛んできた方向を振り返ってしまうことが何度かありました。そういうイカしたヤジを聞きに球場に足を運ぶのも一興だと思います。

 話が脱線しましたが、我々観客がどこのファンであれ、「大阪ドームを近鉄ファンで満員にしたい」と口にされていた梨田監督に対して、最後に最高のプレゼントができたのかもしれません。


その後

 一連のイベントが終わり、球場を後にしましたが、帰り道の最中でも、この記念すべき試合で受けた感動やら、近鉄球団に対する惜別の思いやらを噛み締めていました。さまざまな気持ちが交錯する中、無事帰宅できましたが、気持ちはまだ大阪ドームに残っているような感じでした。最初から観戦記を書こうと思っていたのですが、しばらく日が経っても試合観戦の余韻が残ったままで、言葉ではうまくまとまりそうになかったので、一旦断念することになり、そのまま今に至りました。


最後に

 繰り返しになりますが、この文章は、1949年の球団創設以来55年間の歴史に幕を下ろすことになった近鉄球団の、記念すべき本拠地最終戦の場に立ち会った1人として、あの時に起こった出来事を風化させないように、文字に残しておこうと思い、書き記したものです。本来はもっと早い時期に書くべきものでしたが、試合が終わって間もない時期には、文章にできない思いがいろいろあり、うまくまとめることができませんでした。あれから半年が経過し、比較的鮮明な記憶があるうちに書く必要を感じたので、この時期の発表となりました。

 なにぶん、自分宛の趣が強い内容ではあると思いますが、あの日に感じたことを少しでも多くの人に伝えたい気持ちもあり、このような形となりました。この文章を読まれた方が少しでも何かを感じ取って下されば、これ以上有意義なことはありません。

 プロ野球ファンとして、あの日に纏った『かりそめの猛牛魂』を心に刻み、あの場で感じたことを持ち続けたまま、今後のプロ野球再編問題の動向を見守っていきたいと思います。

 
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Written by 溶解ほたりぃHG