時は流れ,世は事もなし 交叉5
所長室を出た芦は守備隊の隊長と面談,自分が派遣した対霊的戦闘部隊とも顔を合わす。それから施設をまわり警備体制を見て回る。あくまでもオブザーバーなので,どうこうする権限はないが,気づいた点は助言するつもりでいる。
裏門で足を止める芦,そこから見える山々に目を向け
「‥‥ 計画が変わったようだな! 山中を迷わせ足止めのはずが,少しばかり血なまぐさい方向に舵を切ったか。“雑音”が一つ減ってこちらとしても助かる」
と独り言の芦。まるで評論家のような感想なのは自覚しているが,一秒もたたない間に忘れるのが判っているのでそのままに。実際,意識したこと自体,半秒で記憶から抜け落ちる。
警備に何の不備がないことに満足げな芦,定期的に外をパトロールしていないことも監視結界が施設外に広げられていないことも当然としている。
控え室とされた部屋に戻り従兵と時間を過ごす内にスタッフの一人が迎えに来る。
外では季節柄,日が駆け足に傾き夜の足音が間近に聞こえる。兵舎の方で人が慌ただしく動いているのに芦は気づく。
その理由を迎えのスタッフに訊くと
「あれですか。守備隊の一部で実戦演習を行うそうです。本番を前に兵士の気を引き締めさせるためとか」
「そうか,これで“計画”の成功にさらに一歩近づいたな」
自分の情報が生かされたことを満足に思う芦。
‘いや‥‥ ”計画”ではない”実験”だ’と浮かんだ単語を訂正する。
地下のホールに集まっているのは茂流田に呉公,義姫。それと“風水盤”に触れる資格を持つ上級スタッフに警備の一個分隊。ここまでは変わらない顔ぶれだが,今回,呉公と似た長袍を着た者たちが,計七人加わっている。
服と呉公の脇で控えている形なのでどんな立場かの見当はつく芦だが
「彼らは? 皆,初めて見る顔ばかりですが」と問いただす。
「この者たちは最終実験のために故郷より呼び寄せた弟子たちよ! 今日からここで働くことになっておる」
紹介を受け七人の内,呉公の隣にいた男が代表するように芦の前に出る。軽く頭を下げると拱手礼を取り
「芦少佐ですね。私(わたくし)は青令と申します。師父に呼ばれまかり越しました。よろしく,お引き立てのほどをお願い致します」
「此奴は儂の”片腕”でな。霊力は儂に次ぎ,”風水盤”にも詳しい。儂にもしものことがあっても心配はない」
呉公は軽く青令の肩を叩き,そう言葉を添える。『そうそう忘れていた』というという感じで
「もちろん,この七人は師である儂に忠誠を誓っているだけでなく,故国を異民族支配から解放するためになら異境に骨を埋める覚悟も決めておる。儂同様に信用してもらってけっこうだ」
「そういうことです,少佐。彼らについては,こちらも調べており,問題ないという報告を受けています」
茂流田も責任者として太鼓判を押す。
ここのナンバー1・2が信用している以上,口を挟むことではないと芦,元始風水盤に注意を移す。
前の実験から元始風水盤は何も変わっていないが,本体として一段高くなった盛り土の外にもう一つ同心円が追加されており,その円に沿ってびっしりと梵字に似た神秘文字が書き込まれているのが目に入る。加えて,円を六等分する位置にそれぞれに剣が刺さっている。
「追加されたのは空間転移のための方術陣‥‥ ”風水盤”を別なところに移すのですか?」
「さよう,一目で意味が判るとは,さすが芦殿じゃ! 仮に,賊がここに忍び込んでも無駄足を踏むというわけよ」
とこれ見よがしに誇る呉公,いくらか声を低め
「まっ,勧めておいて何じゃが,杞憂も杞憂。まあ,これも実験の一つというところかのう」
「いえ,万一に備えるのは当然のこと。試しておいて無駄ということはないでしょう」
「もともと”風水盤”が動いているのを前提とした備えでな。その場合,”風水盤”自体の”力”で移れるのじゃが,起動していない以上,その手は使えん。そうなると外からの”力”でということになるのじゃが,相当な霊力が必要でな。儂と義姫,弟子達だけでは足りぬのよ」
呉公は言い訳を兼ねた説明をすると,芦に手近な剣の前に行くように求める。
芦が剣を前にすると,呉公と義姫もそれぞれ芦を頂点にできる正三角形の残る頂点にあたる剣の前に。そして,青令を除く六人が,二人ずつに分かれ残る剣の前に立つ。
青令が操作コンソールに向かうのを横目に芦は
「それで転移先はどこなのでしょう? 大人には抜かりはないと思いますが,そこは大丈夫なのですか?」
「送り出す先は,ここから少し山奥にある洞窟でな。気になるのであれば,後で確かめると良い」
とだけ答える呉公。はぐらかされた形の芦が何か言おうとするのを制するように
「青令,始めよ!」
「判りました!」とすかさず青令も応える。
わずかな昼色光を浮かばせたコンソール上で指が細かく動くと外側の円がオレンジ色の光を放ち,剣も同じ光で包まれる。
光の強さを測っていた呉公は
「では,各々,剣に手を添え霊力を送り込むように」
指示通りに全員が集中する。それに応えるように光がさらに−ホールを照らし出すほど強まると同時に“風水盤”を包み込む光のドームができる。
それが,一瞬,目が眩むほどに輝き消えると”風水盤”があったところが更地になっていた。
「成功です。”風水盤”は,無事,転移しました」
青令がコンソールの表示を全体に告げる。
ふう〜 苦しげに息を吐き芦が剣から手を離すと二歩ほどよろめく。
参加した他の者も似たようなもの。弟子の中には座り込んでしまう者,駆け寄ったスタッフに支えられる者もいる。
「少佐,大丈夫ですか?」茂流田が表情だけの心配を出して尋ねる。
「問題ない‥‥ と格好をつけたいところですが,霊力を根こそぎ持って行かれたようで立っているのがやっとです」
と辛さを表にする芦。それでも手助けを断り背筋を伸ばして立っているのはさすがというところ。
「私よりも大人や義姫は大丈夫ですか? この後,私は見ているだけですが,お二方は実験で霊力を使うのでしょう?」
スタッフが用意した椅子に呉公は膝の力が抜けたように座り
「儂は大丈夫じゃ! 少し疲れたが,実験までには何とかなろう」
「私も大丈夫です!! この位,実験が始まる前までには回復して見せます」
と芦と同じく支えに来たスタッフを断る義姫,白い肌がさらに白くなったが,少佐のためなら『無理にでも』回復させるという意気込みを見せる。
「そうそう,芦殿」と膝を打つ呉公
「転移先を気にしておったが,これから,青令に”風水盤”の送り先を案内させよう」
「これからですか? せっかく誘っていただいたのですが,今でのいささか疲れました。少し休んでから‥‥」
「いやいや」呉公は心配無用と手を振る。
合図で青令がコンソールを操作するとその脇の床面に直径1.5m,内に幾何的な図形と神秘文字を複雑に組み合わせたサークル(円)が(先と同じ)オレンジの光で浮かび上がる。
「説明の必要はないと思うが,これも転移用の方術陣で(”風水盤”を)移した先と繋がっておる。歩く距離なら,ここからホールの外に出るよりも近くて済む」
「そういうコトでしたら」とサークルの内に立つ芦。
追加の操作をしてから青令もサークル内へ。光が強まり消えると二人の姿はそこになかった。
残った面々に対して茂流田は実験までの休憩を命じる。
義姫と弟子達はスタッフが付き添いホールを出る。残るのは座ったままの呉公と茂流田。
「‥‥ 本当に大丈夫なのか? お前もずいぶんと力を使ったようだが‥‥」
茂流田は声を落とし心細げに聞く。
「所長にそこまで心配させるとは,儂も芝居も捨てたものじゃないな」
と日頃とあまり変わらない声の呉公。
「使った霊力の多くは芦,それに義姫からのもの。割合でいえば,半分が芦で残った分の半分が義姫,残りを儂と弟子達で賄った形よ」
「つまり霊力を消耗させる狙いだったと?」
「並の霊能者なら丸一日は霊力が戻らないほど使わせたが,奴なら二・三時間もあれば回復しよう」
相手は規格外の怪物だと吐き捨てる。
「解らんな。なら,どうして,今なのだ? もう少し遅くすれば,回復の余裕はなくせるのだろう」
「儂はともかく弟子達が回復できなくなるのでな」
呉公はそう理由を告げると,ゆっくりと顎で剣を示し
「それに狙いは別よ。剣をよく見てみろ!」
言われるままに茂琉田は剣のところに行き抜く。ずっと座ったままということで,余裕を見せているが,当人もギリギリなのに気づく。
いい気味だと思いつつ,剣を手にする。初めは気づかなかったが,何度か見る角度を変えるなどしたところで,ハッと表情が変わる。
「ようやく判ったようじゃな。まあ,簡単に判るようでは罠にはならぬし」
と答えを見つけた教え子を褒める風の呉公。
「転移のどさくさに奴の霊力の波形を剣に写した。付与した呪でそれを反転させ結界を張れば,奴の霊力は中和される。所長ならこれが何を意味するか解ろう」
「ほぼ0に持って行ける‥‥ 霊力が高ければ消しきれないが,それでも数%残ればイイところか」
知識面で呉公に引けを取らない茂流田は,呪の効果をそう判定する。
「そんなところだな。そこまで霊力を削れば殺すのも容易(たやす)いことじゃよ」
罠としては完全なことを確認した茂流田は満足げにうなずく。これだけ入念に策謀を巡らせているなら女魔族の始末も信用していいだろう。そうなると残る懸案は一つ‥‥ 目の前の老人の始末だけになった。
光に包まれるや,五感が,一瞬,消えたような感じる芦。
もっとも感覚はすぐに回復。反射的に閉じられたまぶたを開くと光景は一変していた。
転移先は大人が気にせず歩ける高さ洞窟,相応の光を放つ呪符が一定の間隔で壁面に貼られ,薄暗くはあっても困らない。
芦は霊能者として周りをチェックし
‘転移は数km程度‥‥ 10kmは越えないか‥‥ 元の場所と同じ地脈の上,転移もそれがあってコトか‥‥’
「ここの工事も平行してやったのか?」
全体として天然の洞窟だが足回りの凸凹は削られ鉱山の主坑道並みに整えられている。
「いえ,こちらで手を入れたのは入り口を塞いだ他,少しだけ。見つけた時にはこうなっていたそうです。整えたのは,ここを隠れ家としたどこかの時代の領主,快適暮らすのに労力を惜しまなかったのでしょう」
「こんな山奥,それも大した道具もない時代に‥‥」
そう言いかけたところで芦は,地の中と思えない清浄な空気を深く吸い
「なるほど,全ては地脈のなせる技か?」
「満ちている”力”を感じましたか。十分な霊力と有能な方術師がいればこの程度の土木工事は簡単なものです」
と解説の青令。
「ではこちらに,着いてきて下さい」と先に立って歩き始める。
緩く下る道を10mほど進むと煉瓦の壁にそこに設けられた扉。
ここで守りを固める意味はないということで,至って普通のドアを開け二人は中に入る。
ここも自然にできた空洞に手を加えたもので,ここが行き止まり。天井までの高さは平均で約5m,入り口を要とした歪んだ扇形で奥行きと幅は最大で約20m。ほぼ中央に元始風水盤が,元からあったように座している。
「ここはさらに霊力に満ちているな! どちらかといえば,こっちが元始風水盤を置くのに相応しいのではないのかね?」
「師父によれば山奥に過ぎるとのこと。運用を踏まえると元の場所の方が相応しいそうです」
「一理あるな。それにしても建造の現場を仕切るかたわらで,この場所を見つけるとは,つくづく味方であって良かったと思う」
「少佐のお言葉,そのまま師父に伝えておきます」と青令。
”片腕”にだけ漏らしたところでは,この場所を示したのは依頼者,その底知れない情報力こそが師父をして恐れを抱き”仕事”を飲んだ理由だ。
「しかし霊力に満ちているのも困りものだ‥‥ 霊感がうまく働かない」
あちこちに視線を動かしていた芦があきらめたように首を振る。
「いきなり水に潜ったようなものですからね。でも,少佐であればすぐに慣れますよ」
と請け合う青令。
それこそ連れてきた理由。今,施設の近くで起こっていることを霊感で捉えられると全ての段取りが無に帰してしまう。
「見方を変えれば,霊力の回復には持ってこいの場所だな。しばらくはここで過ごしたいのだが,いいかな?」
「かまいません。私も師父から,”風水盤”を戻す準備をするよう申しつかっておりますので」
滞在を望むのもシナリオの通りと,内心でほくそ笑む青令。ここにも設けられたコンソールに向かう。
「そうそう,戻す時の霊力はどうするのだ? もう一度と言われるのはやぶさかではないが」
「さっき帰りの分ももらっておりますので問題はありません」
「万事抜かりはない‥‥ そこも大人らしい」
芦は壁面沿いに置かれたベンチの一つに腰を下ろし,背筋を伸ばし両手に印を結び瞑想に入る。
青令は操作をしながら,彫像のように身じろぎもしない芦に
‘それにしても無防備なことだ! 霊力も底をついている今ならヤ(殺)れる‥‥’
と思いつく。もちろん,段取りがあって,ここで殺すわけにはいかないが‥‥
「何だね?」不意に薄目を開けて芦はそう尋ねる。
「あっ,はい‥‥」とただ視線を向けられただけなのに言葉に詰まる青令。
「いや,何は用があるのかな,と思ってね」
「いえ,何もありません! 少佐には,ゆっくりとお休み下さい」
「そうか‥‥ 手を止めさせて済まない」と何事もなかったように芦は瞑想に戻る。
‥‥ それを見る青令の背中にじっとり冷や汗が浮かんでいる。
頭の中,それも“遊び”で浮かべた一瞬の殺意を悟られたかのようなタイミングでの反応。イメージとして,必殺の一撃を放とうと忍び寄ろうとした矢先,逆に間合いを詰められただけでなく,なすすべもなく鼻先を指で弾かれた感じ。完敗という言葉すら生ぬるい。
『時が至れば絶対に殺してやる!』そう言葉にせず唱えることで少なくない敗北感を押さえ込む。