『うふふふふふふふふふ』
しゃーこ、しゃーこ、しゃーこ……。
狂気の笑顔を浮かべて、包丁を研ぐおキヌ。
切れ味が悪くなったので止むなく始めたのだが、こうして刃物の手入れをしていると、なぜか気持ちが高揚してくるのだ。これも幽霊のサガだろうか。
(……うーん。
これじゃいけない気がする……)
気分を落ち着けるため、他のことを考えることにする。
美神のことを思い浮かべてみた。
(今頃……美神さんも
気持ちを高めてるんだろうなあ)
美神は今、散歩に出かけている。厄介な除霊をするので、精神統一が必要なのだそうだ。
(いくら美神さんでも、
危険な仕事は……危険ですからね!)
ふと、少し前の事件を思い出す。
夜の動物園で暴れる、邪悪な精霊。外国から紛れこんだもののようで、詳細もわからぬまま退治したのだが、不思議な吹き矢を使う相手だった。
吹き矢を受けたのは幽霊のおキヌだったため、特に影響もなし。しかし、後で調べて判明したのだが、人間が食らうと背が低くなる――毎時10%のペースで身長が縮み続ける――という、恐ろしい吹き矢だった。
もしも美神が受けていたら、どうなっていたことか……。
バタンッ!!
おキヌの回想を止めるかのように、勢いよくドアが開いた。
美神が帰ってきたのだ。気合いが入っているために、ドアを開けるにも力が入ったらしい。
「さあ……!
刀にとりついた悪霊
……退治するわよ!!」
___________
「ふーっ……」
特筆すべき出来事もなく、無事、除霊は終わった。
もしも美神が留守の間に、迂闊に妖刀に近づく者がいれば――誰かが妖刀に操られでもしたら――、話は違ったかもしれない。しかし、事務所に残っていたのはおキヌだけで、彼女は、しっかり美神から言い含められていた。トラブルの種になるわけがない。
「……もう大丈夫だわ!」
『この刀、どうするんです?』
額の汗を拭う美神の後ろで、おキヌが、物欲しそうな目付きをしていた。
「依頼人に返すだけよ。
……どうして?」
憑き物を落とされた以上、それは、もはや普通の良く切れる刀に過ぎない。持ち主に返却するのがスジである。刀そのものの処分を頼まれたわけではないのだ。
『いえ、なんでもないです……』
おとなしく引きさがるおキヌ。
こうして。
妖刀として名を馳せたシメサバ丸は……。
折れることも包丁にされることもなく、ただの名剣として、余生を過ごすのであった。
『横島のいない世界』
第十一話 剣は燃えませんがプロポーズはお断りします!
「あら、金成木財閥の……。
いつも仕事まわしていただいて、どーも」
事務所ではなく、美神の自宅にかかってきた電話。
「は?
息子さんが?」
これが、新たな事件の始まりであった。
「ケッコンをゼンテーとしたおつきあい?
私と……!?」
___________
「なーんか知らないけどさー。
私と結婚したいだなんて、
バカじゃないの?」
『……』
おキヌは、何も言い返せない。
人の縁なんてわからないものだから、頭から決めつけるべきではないのだ。
しかし、美神が結婚して他人のものになってしまうのは、おキヌとしては嫌である。
(それにしても……キレイですね!)
今日の美神は、いつも以上にゴージャスな――いつもと同じ程度の露出度の――ドレスを着ている。少し見とれてしまうおキヌであったが。
「はい!
おキヌちゃんは……これを着てね」
美神から、何か渡された。
また幽霊用の服かと思ったが、少し違うらしい。
「エクトプラズムスーツよ!」
『えくとぷらずむ……すーつ……?』
幽霊専用服の材料にも使われているように、エクトプラズムというものは、GSにとって便利なシロモノ。
「おキヌちゃん、これはね……」
GSが変装する際には、霊視にも耐えうる必要がある。特殊な薬を飲んでエクトプラズムで体を覆えば、男が女に化けることだって可能なのだ。
今回は幽霊のおキヌが着用するので、服用型ではなくスーツ完成型を用意した。性別の変換は出来ないが、これならば幽霊独特の霊気も遮られるので、人間に化けることは可能。
……それが美神の説明だった。
「今日はおキヌちゃんに……
私の恋人役をしてほしいの!」
___________
金成木財閥当主、金成木三郎の私邸に着いた美神たち。
美神の目でも凄い大邸宅に見えるのだが。
『うふふ……』
隣のおキヌは、豪邸を見ようともしていない。ただただ笑顔で、美神の腕に抱きついていた。
「おキヌちゃん、わかってる……?」
パーティーに招かれた美神だが、喜んで来たわけではない。ここの息子が美神と結婚したいと言っており、しかし上得意の機嫌を損ねるわけにもいかず、やんわりと断らなければいけないのだ。
「……フリだけだからね!」
『はい、美神さん!』
恋人がいると見せつければ、向こうも諦めるだろう。
それが美神の作戦だった。
そして。
「美神さん!
いらしてくださったんですね!」
自ら美神を出迎える、一人の若者。
『この人が……?』
「そう。
金成木財閥の跡取り息子、
……英理人さんよ!」
___________
「来てくれたからにはOKですね!?
結婚しましょう今しましょう
さあしましょう!!」
美神の手を握り、まくしたてる英理人。
「金成木家は世界有数の大富豪ですが、
僕はそんなことちっとも
鼻にかけないいい奴なんです!
おまけに身分を隠して現場の
労働者と一緒に働いたりもする
ナイスガイだったりします!!
さあっ!!」
「お話の途中ですけど……」
彼の話を遮って。
「私の恋人をご紹介しますわ」
『ど……どーも。
……おキヌです!』
美神は、おキヌの存在を強調する。
「こ……恋人……!?」
うまくいったようだ。英理人が黙ってくれた。
だが、静寂は長くは続かなかった。
「あの、女性に見えるのですが……?」
当然の反論。
美神にもわかっている。人選に無理がある可能性は否めなかった。しかし、仕方がないのだ。美神には親しい男性などいないし、その辺で適当に見繕ってくるわけにもいかない。だからおキヌを恋人役に仕立て上げたわけで、これで押し通すしかなかった。
「そうですわ!
でも、そこらへんの男性より
彼女の方がよほどステキですから!」
『美神さん……』
おキヌのウットリした表情が演技であることを祈りつつ、美神も笑顔を作る。
「……。
ま、とにかく
こんなとこじゃなんですね。
どうぞ中へ……」
英理人に案内される美神たち。
おキヌ恋人説が受け入れられたのかどうか、まだ判断するのは難しい。
(とりあえず……これには
ツッコミ入らなかったわね?)
チラッと隣のおキヌを見やると、プカプカ浮かぶヒトダマが目に入る。
何か聞かれたらヒトダマを操るGSだと言い張るつもりだったが、特に何も言われないのであれば、美神の方から話題に出す必要はないであろう。
___________
会場でダンスを楽しむ、招待客たち。
そんな中。
「お父上に仕事を依頼された時に
二、三度お会いしただけなのに……。
何でそんなに私にこだわるんです?」
英理人と踊りながら、美神は問いかける。
ホストの申し出ということで、仕方なく相手をしているのだ。彼女自身に、ダンスを楽しむ気持ちなど全くなかった。
「あなたのことは調べました。
恋人がいたというのは初耳ですが、
そんなことは問題ではない」
ニヤッと笑いながら、英理人が説明する。
「財閥を切り回すパートナーとして、
あなたのよーに頭がよく行動力があり
根性の太い女性が欲しいのです!」
「つまり……
ビジネスとして私が欲しいと?」
「私を愛する必要はありません。
一言イエスと言えば、
あなたは世界有数の大富豪です」
踊るのを止めて、美神は考え込んでしまった。
お金は大好きだし、これほどの富は自分にこそ相応しいとも思う。
しかし、今の仕事を辞めたくない。その気持ちは、強いのだ。業界トップクラスの稼ぎがあるというだけでなく、GSという仕事には、特別なこだわりがある。今は亡き母親も、かつて一流のGSとして活躍していたのだ……。
「考えるまでもないでしょう?
これであなたもサギ商売から
足を洗えるんですから……!」
美神の思考を遮った、英理人の言葉。それは、大きな冒涜の言葉であった。
「……サギ?
サギってどーいうこと?」
「決まってるじゃないですか、
あなたの仕事ですよ」
眉を吊り上げた美神に対して、英理人は、平然と言い放つ。
「幽霊だの妖怪だの、
本当にいるわけないじゃないですか」
___________
「あ……あんたね〜〜」
気色ばんで両のコブシを握りしめる美神。
だが、英理人の言葉に反応したのは、彼女だけではなかった。
『おまえはまだそんなことを
言っているのかい〜〜!?』
どこからともなく聞こえてきた、幽霊の声。
ハッと後ろを振り返ってみたが、おキヌは、ちゃんと椅子に座って美神のダンスが終わるのを待っている。自分ではないという意思表示であろう、小さく手を振っていた。
「じゃ……誰!?」
「しっ……知りませんっ!!」
ピキシッと固まった英理人をおどかすかのように。
謎の声の主が姿を現す。
『英理人〜〜。
おばあちゃんだよ〜〜。
ほーらほら本物のユーレイだよ〜〜』
「うそだーっ!!
これは幻覚だー!!
幻覚じゃなきゃやだーっ!!」
老婆の霊に背を向けて、英理人は、うずくまって泣きわめく。
『これは本当にあった話だけど、
アベックが真夜中車に乗っていると〜〜』
「やだーっ!!
怖い話なんかやめてよ、ばーちゃんっ!!」
虚勢が剥がれた情けない男。
このままにしておきたい気持ちもあるが、悪霊祓いの専門家としては、放ってもおけない。仕方なく、美神が介入する。
「あんた誰?」
『あ、あたしゃ悪霊じゃありませんよ。
去年死んだ、英理人の祖母です』
小さい頃から怖がりな孫が、大人になっても変わらないので、こうやって時々おどかしているのだそうだ。
胸を張って説明する彼女。どうやら、わかっていないらしい。
「そーゆーのを……悪霊ってゆーのよ!」
鬱陶しいが、これを退治したところでタダ働きである。
「おキヌちゃん、まかせたわ……」
『はーい!』
幽霊の大先輩、おキヌの出番だ。
『ダメですよ、おばあさん。
こういうことをしていると……』
『……ん?
ジャマすんじゃないよ、
今いいとこなのに……』
老婆の霊の腕を取り、会場の外へと連れ出していった。一件落着である。
___________
「はっはっはっ。
霊なんていないと証明されたよーだね!」
悪霊が視界から消えた途端、英理人は、シャキッと立ち直った。
「さあっカモナマイハウス!!」
「あんた……まだ
そんなこと言うつもり!?」
呆れる美神。もう口調も、すっかりいつもどおり。
これはやんわりと断るのも難しいと思い、彼女は、一つの提案をする。
「そこまで言うなら、今度……」
___________
___________
カツーン、カツーン……。
ハイヒールの音が反響する。
下水道の通路を、美神が歩いているのだ。
『大丈夫でしょうか……』
「ん……何が?」
声をかけるおキヌに、とぼけたような言葉を返す美神。もちろん、何の話なのか、ちゃんとわかっていた。
「……ああ、あれね」
振り返る美神の目に映るのは、一人の男。見学者、金成木英理人である。
「気にすることないわよ。
自分で来るって言ったんだから……。
……ま、何かあっても自己責任ね!」
口ではそう言う美神であったが、実際には、ケガさせたら大変だと思っている。
危険な工事現場でかぶるようなヘルメットと、機動隊が持つようなジュラルミン製の盾。それらを用意して装備させたのは、美神自身だ。
「……そんなに
急いで行かないでください!
ゆっくり行きましょう……」
顔には笑顔を作っているが、膝はガクガクしている英理人。本心では、ここに来たくはなかったのだろう。
(でも、そういう約束だからね……!)
パーティーでの一件を思い出し、心の中でニヤリと笑う美神。
あの時、美神は、プロポーズを受ける条件として、彼女の仕事に同行することを提案したのだ。英理人がサギだと思う美神の業務を、キチンと最後まで見届けられたら、結婚してもいい……。
(ふっ、どうせ無理でしょ!)
あの怖がりが、実際の除霊現場に耐えられるわけがない。これで、向こうが約束を破ったとして円満に断れるはずだ。
最悪、今日の仕事を乗り切った場合には、例の老婆に協力してもらうつもりだった。あの幽霊は、おキヌに説得されて、近所の浮遊霊の集会(第八話参照)に仲間入りしている。美神が頼めば喜んで協力してくれるだろう。なにしろ、英理人をおどすという用件なのだから。
『……美神さん!』
おキヌの言葉で、美神は気を引き締める。彼女にも感じられたのだ、邪気の接近が。
『死ねやあっ』
絶叫と共に、下水の中からザバッと出現したもの。
死ぬ時に胴体を真っ二つにされたのだろうか。上半身しかないが、手には金属バットを握り、顔も魔物と化している。これが、本日の除霊対象だった。
「出たーっ!?」
ピューッ逃げ出す英理人。
とりあえず、目的の一つは果たせたようだ。
「おキヌちゃん!
一人にしとくと危ないから……
一応あいつの後を追ってくれる?」
『はい!』
この程度の相手、美神一人で十分。おキヌもそう判断したらしく、英理人を追いかける。
そして、美神は。
「くらえっ!!」
敵が金属バットを振り下ろすより早く、破魔札を投げつけた。
見事、直撃。
「やーれやれ、片づいたわ。
早いとここんな場所から……」
しかし、その判断は早過ぎた。
ドカッ!
後ろから強烈なキックを食らう美神。
上半身は倒したが、下半身は隠れていたらしい。それが襲ってきたのだ。
いや。
たった今やっつけたはずの上半身も、なぜか復活している。
右手側に上半身、左に下半身。挟撃される形の美神ではあるが、かえって、気が引き締まった。
「ザコが……
てこずらせてくれるじゃない!」
元々は一つだった存在。どちらか一方でも残っていれば、もう片方も復活できるのだろうか。
「そういうことなら……
両方同時に倒してあげるわ!」
決然と言い放ち、神通棍を握りしめる美神。
破魔札は使ってしまったが――荷物係のおキヌがいないので装備の補充は出来ないが――、切り札の精霊石は、まだ三つとも残っているのだ。油断さえしなければ、負けるはずがない……。
美神は、そう思っていた。
___________
『美神さん……遅いなあ』
下水道の出口で、美神を待つおキヌ。
ここで英理人に追い付いたので、移動せず、その場に留まっているのだ。
ちなみに、英理人は気絶している。どうやら、今頃になっておキヌが幽霊であることに気づいたようで、それがショックだったらしい。普通の状況ならばまだしも、除霊現場から逃げ出してきた直後だっただけに、限界を超えてしまったのだ。
『……あ!』
待つことしばし、ようやく、美神が出てきた。
『ケガしてる……!!』
「かすり傷よ、気にすることないわ」
慌てて駆け寄るおキヌだったが、美神は手を振って制止する。
おキヌとしても、少し不思議である。あの程度の雑霊に手こずるような美神ではないと思うのだが……。
そんな彼女の心の内を知ってか知らずか。美神は、ポツリとつぶやいていた。
「……修業が必要ね。
妙神山へ行こうかしら……」
(第十二話に続く)
今回は『縮みゆく美神!!』から『プロポーズ大作戦!!』まででしたが、どこをメインにするにしても、一つの物語として話をふくらませるのが難しく、『ドラゴンへの道!!』の冒頭部分も加えて、やや変則的な形でまとめてみました。
では、今後もよろしくお願いします。
(なお、この第十一話を書くにあたって『燃えよ剣!!』『縮みゆく美神!!』『プロポーズ大作戦!!』『グレート・マザー襲来!!』『マイ・フェア・レディー!!』『ドラゴンへの道!!』『疑惑の影!!』を参考にしました) (あらすじキミヒコ)