8月某日。
おキヌは、船上で、海の風を浴びていた。
『広いですねえ。
どこまでも青い景色が続いて、
気持ちいいです……!』
隣には、美神もいる。
(おキヌちゃん……。
楽しむのも、ほどほどにね。
……これも仕事なんだから)
二人は『幽霊船狩り』に参加中なのであった。
海上保安庁の行事であり、この船も、そちらの所属。だから海上保安庁の人々も同乗しているのだが、彼らの中にも不真面目な者がいるようだ。例えば双眼鏡を手にした男は、それを美神の水着姿へと向けている。
そんな視線にも気付かぬまま、美神は、おキヌに目をやっていた。
(……そりゃあ、
山育ちのおキヌちゃんには、
海は珍しいんでしょうけどね)
おキヌを海に連れてきたのは、これが初めてではない。
先日、海辺のリゾートホテルへ行った際も、おキヌは一緒だった。
それは、夜になると謎の妖怪が出没するという怪事件。だが、フタを開けてみれば半魚人と人魚の夫婦喧嘩だった。『実家に帰らせていただきます』状態の妻を、夫が夜な夜な探しているだけだったのだ。
美神やおキヌが何をすることもなく、事件は勝手に解決。仕事に行ったというより、むしろ海水浴に出かけたような感じだった。
(今回は、そんなに
ラクな仕事じゃないと思うんだけど……)
と、気を引き締めるのだが。
(ま、いっか。
おキヌちゃんは、しょせん助手なんだし。
……そのぶん私が頑張れば、ね)
おキヌには甘い美神であった。
『横島のいない世界』
第五話 幽霊潜水艦を追います!
「……おかしいわね。
幽霊船なんか影も形もないわ」
顔を上げて、ポツリとつぶやく美神。
今まで彼女が覗き込んでいたのは、船に備え付けられた霊体レーダーだ。そこには大型の霊がハッキリと映っており、除霊対象が近くにいることは、誰の目にも明らかだった。
『いるはずです。
……私も感じます!』
美神の後ろから、おキヌが言葉をかけた。自身が幽霊であるせいか、彼女は、霊気を感じ取ることが出来るのだ。
そんな二人の会話を耳にして。
「姿が見えない幽霊船?
まさか……」
若い乗組員の顔に、怯えの色が浮かび始めた。
「俺たちが相手するのって、
あの伝説の潜水艦なのでは……?」
思わせぶりな言葉を口にした彼に、全員の視線が向けられる。
突如、注目の的となった男。
彼の話によると、この海には、恐るべき幽霊潜水艦が居るらしい。それは、毎年同じ時期――八月――に現れて、海を血で赤く染めることから、『レッド・オーガスト』とも呼ばれる猛者だった。
「そういう話は、先に言ってよ!」
「いや、私も初耳です」
美神が船の責任者に食って掛かるが、艦長はバタバタと手を振っている。
そして、こうしたやり取りの間に。
レーダーの画面上では、対象の霊体――おそらくその幽霊潜水艦――から何かが発射されたことが示されていた。
だが、目を離していた美神たちは、それに気付かなかった……。
___________
ドゴォオオン!
衝撃が走り、船体が大きく傾く。
「魚雷だ……!」
「総員退避ーっ!」
「救命ボートおろせーっ!」
悲鳴や怒号が飛び交う中、
「おキヌちゃん、荷物を!!」
美神は、テキパキとおキヌに指示。宙にプカプカと浮いている彼女に、持ってきた除霊道具をまとめさせた。
無事にボートに乗り移った美神は、ザバーッという音を耳にして、後ろを振り返る。
沈みゆく美神たちの船を嘲笑うかのように、敵が、海面へと浮上してきたのだ。
「これがウワサの……潜水艦の幽霊船!!」
暗い海の底がよく似合う、黒々としたボディ。その姿を美神たちに見せつけた後、再び潜航を開始する。
「追うのよ!
私の乗った船を沈めるたー、
いい度胸じゃない!!」
「し、しかしゴムボートじゃどーにも……」
もはや『幽霊船狩り』は中止である。
いくら美神一人が騒いだところで、これでは、どうしようもないのだが。
『美神さん、あれを……』
海上保安庁の面々とやりあっていた美神は、おキヌに呼びかけられて、そちらを向く。
おキヌが指さす方向に見えたもの、それは……。
「船だわ!
グッドタイミング!!」
___________
「奴め……やはり現れおったか……。
なんとひどいことをするのじゃ!」
ボートのハンドルを握りながら、タンクトップ姿の老人がつぶやく。
年寄りらしからぬ太い二の腕や、そこに残る多くの傷跡は、この海で荒くれ者と戦ってきた証であろうか。
彼の戦友ともいえる船も、せいぜい数人程度しか乗れぬ小型船舶ではあったが、戦うための装備は満載されているようだ。
そう、これは、彼の『戦艦』だった。だから、
「必ずカタキはとってやるぞい」
「あ、ちょっと!
救助を……!」
救命ボートの人々に手を差し伸べている暇はない。
老人は、一路、幽霊潜水艦を追う!
しかし。
「よーし!
このまま行けばバッチリよ!」
「な……なんじゃおまえは!?」
背後からの声に振り返ると、いつのまにか、同乗者。
ドサクサに紛れて、女と幽霊――美神とおキヌ――が乗り込んでいたのだった。
「なんでもいーから幽霊潜水艦を追って!
あのヤローを沈めるのよ!」
「何!?
奴はわしの獲物じゃぞ!
わしは50年間奴を追い続けとるのじゃ!!」
叫ぶ美神に一喝した後、老人は、再び前を向く。
そして、美神たちに背を向けたまま、語り始めた。
「……あの艦の艦長は
旧帝国海軍中佐、貝枝五郎。
味方であるわしの駆逐艦を、
撃沈した男なのじゃ!!」
___________
今から約50年前。
海軍兵学校に、二人の優秀な男たちがいた。
鱶町と貝枝。
ライバルとして日々切磋琢磨した彼らは、トントン拍子に出世。どちらも、若くして艦長となった。
だが、そこで任された船の違いが、大いなる悲劇の幕開けとなる。
鱶町が与えられたのは、かっこよくて明るく勇ましい駆逐艦。
一方、貝枝が与えられたのは、暗くて臭くてかっこ悪い潜水艦。
おろかな貝枝は、それを妬んだ結果、ある日の演習中に本物の魚雷を使ってしまったのだ。
ターゲットであった鱶町の駆逐艦は轟沈、多数の乗員が犠牲となった。
そして貝枝は、霊となった今も、海の亡霊どもを配下に非道を繰り返すのだ。なんと残忍で冷酷で非常識で愚かな……。
___________
『勝手なことばっか、ぬかすなああーっ!!』
海面が盛り上がり、幽霊潜水艦が再び浮上。海上に突き出た艦橋のハッチを開けて、海軍服姿の幽霊が顔を出した。
話題の主、貝枝五郎である。
『黙って聞いてりゃ勝手放題並べやがって!
てめーの方こそモノホンの爆雷落として
俺の艦を沈めたじゃねーか!!』
貝枝から見れば、鱶町老人こそが極悪非道の大罪人。貝枝とその艦を葬り去った犯人だった。
「おめーが先に撃ったから
わしはやむなく応戦したまでじゃ!」
『いーや!
貴様が先に撃った!!』
「おまえじゃ!!」
『ウソツキ野郎!』
ついに子供の口喧嘩レベルの応酬を始める二人。
横で見ている美神とおキヌは呆れ顔で、開いた口が塞がらない状態だった。
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『オヤブン……またやってるでやんす』
幽霊の一人が、ポツリとつぶやく。
海上の騒がしい音は、潜水艦の中まで届いていた。そして艦内では、貝枝の配下である幽霊や妖怪たちが、おとなしく待っていたのだ。
しかし、外に出た貝枝の様子を気にして、遥か上へと視線を向けているのは、ただ一人。貝枝の副官役をこなしている幽霊だけだった。
ガイコツ顔で、童話に出てくる海賊船の船長のような服を着ている。その姿が示すように、もともとの出自は貝枝の部下ではない。遠い海を彷徨って、貝枝に拾われた幽霊だった。
他の部下たちも、それぞれ寄せ集めの集団である。ざんばら頭の溺死人幽霊や、イルカの幽霊、それに、妖怪である舟幽霊など。
『……』
『くけけけけっ!』
『ヒシャクをくれー!』
彼らは、上の騒動とは無関係に、ただただ思い思いに叫んでいるだけだった。
これが、この艦の日常である。
『はあっ……』
仲間を見渡して、ガイコツ幽霊が、ふと溜め息をついた時。
『……ヒキョーだぞっ!』
何か鱶町老人への文句を吐き捨てながら、貝枝艦長が戻って来た。部下たちへの指示も口にしている。
『急速潜航!
メインタンク注水!』
___________
「小娘が余計なマネをしよって!
もー少しで言い負かせたのに!!」
海上では、鱶町老人が美神に不満をもらしていた。
「口ゲンカで勝ったから
どーだってのよっ!」
『まーまー美神さん。
ここで争ってる場合じゃないんでは……』
老人に食って掛かる美神を、おキヌがなだめる。
美神だって、言われなくてもわかっているのだ。とにかく今は幽霊潜水艦を追うのが先決だった。
それに、せっかく浮上して来た貝枝がまた潜ってしまったのは、美神にも責任の一端があった。美神が横から破魔札で攻撃したことに、貝枝が『助っ人とはヒキョーだぞ』と難癖をつけたからだ。しかも、海水でしけっていたためにダメージを与えることすら出来ていなかった。
そうした状況であるから、美神としても、老人に対して強い態度には出られない。それでも一言、口にしなければ気が収まらないのだった。
「とにかく戦闘準備じゃ!
今年こそカタつけちゃるっ!!」
再びボートのハンドルを握る鱶町老人。
その言葉を聞き止めて、おキヌが老人に声をかける。
『今年こそって……。
もしかして50年間、
毎年続けてきたんですか?』
300年間幽霊をやっているおキヌだから、50年という重みに実感は湧かない。だが、それは生者には永い時間なのだということくらい、頭では理解しているつもりだった。
「おおよ!」
老人は、大威張りで振り返る。
舟の操舵を続けたまま、目で備品を指し示した。
そこにあるのは、この50年という年月の間に、少しずつ揃えてきたもの。幽霊潜水艦との戦いに特化した武器だった。
『あっ、すごい!』
おキヌも驚くほど本格的な、大型の霊体レーダー。潜水艦を浮上させるための、呪符をしこんだ爆雷。最後のトドメとなるはずの、銀のモリ。
「悪魔め、かかってこい!
貴様ごときに敗れるわしではないぞっ!
たとえ根の暗い海底に身を沈めようとも……」
クワッと目を見開き、見栄を切ってみせる鱶町老人であったが。
勢い余ってツルッと足を滑らせ。
ガンッ!!
「うっ!?」
頭を打って気絶してしまった。
___________
「なんぎな年寄りねー」
『どうしましょう……?』
「ほっとくわけにもいかないかしら。
とりあえず意識を取り戻すまで、
その体、おキヌちゃんが使ってなさい」
『……あ!』
おキヌは以前に、人形に憑依して、人形の体を動かしたことがあった(第四話参照)。
同じようにしろと美神は言っているのだ。そう理解して、おキヌは鱶町の体へと入ってみたが……。
『あれ?』
美神の見ている前で、おキヌの霊体は、すぐに鱶町老人から弾き出されてしまった。
「うーん。
人形と人間とでは、勝手が違うようね。
それじゃ仕方ないから……。
ほっといて私たちでやるわよ!」
美神は、おキヌにレーダーを任せて、自らはボートのハンドルを握る。
「小回りではこっちが上よ。
……GO!!」
こうして、美神 vs 幽霊潜水艦、その決戦の火蓋が切って落とされた!
___________
『敵船、わが艦の進路へ来やす!』
ソナーの反応を報告する副官。
その言葉を聞いて、貝枝は内心で歯ぎしりする。
(鱶町め……!!)
助っ人である女霊媒師の入れ知恵なのだろう。去年までとは、行動パターンが違うのだ。
それでも、鱶町の船の装備を考えれば、その戦法を想像することは容易だった。
『回りこんで爆雷を使う気だ。
進路正面に来たら魚雷をたたきこめ!
1番3番発射用意!!』
帝国海軍軍人として、そして潜水艦艦長として。
素早く的確な指示を出していく。
爆雷を放たれる前に、敵船を沈めてしまえばいいのだ。それが出来るという自信も、十分あった。
『てーっ!!』
自慢の魚雷が撃ち出される。
数多くの船を屠ってきた、血塗られた魚雷だ。
新たな犠牲者を求めて、一直線に進んでいくのだが……。
『ダメです!
回避されやした!!』
『何っ!?』
信じられない動きで、魚雷をかわしてしまう小型ボート。
それは、貝枝が失念していた――そして去年までの鱶町が活かしきれていなかった――『小さい』ということの利点。先入観のない美神の操舵であるが故に、『当たらなければどうということはない』という結果になったのだ。
そして初撃を避けられた以上、今度は、貝枝の潜水艦がやられる番だった。
ド……ゴォオン!
次々と投下される爆雷。
幽霊潜水艦なので爆発そのものは無問題だが、敵もさるもの。爆雷の中に仕込まれたものこそ、問題であった。
『しまった、呪符が艦体に……!!
このままでは浮き上がってしまう!』
意図せぬ浮上を始めた艦内で、怒号や絶叫が飛び交う
『タンク注水、下降一杯!』
『まにあいやせんオヤブン!』
事ここに至り、貝枝は腹をくくった。
『くそおっ、
こーなったら体当たりじゃーっ!!』
___________
「やったわね!!」
美神の額に、怒りのマークが浮かぶ。
ありたっけの爆雷をお見舞いし、勝ったと思ったのも束の間。ぶちかましを直下から食らったのだ。
彼女のボートは今、幽霊潜水艦の甲板に乗り上げた形となり、危ういバランスで何とか姿勢を保っている状態だった。
「これでもくらえっ!」
潜水艦の構造上、艦橋部は、ちょうど美神の目線の高さに来ている。そこに銀のモリを撃ち込もうとしたのだが。
『待ってくださいっ、美神さん!』
美神を制止するおキヌの声。彼女は、突き出た艦橋部の中央を指さしている。
その辺りに意識を集中して、目を凝らしてみると……。
「ん?
こいつらは……」
おそらく、霊力の弱い幽霊なのだろう。
美神ほどの霊能力者が気合いを入れてようやく見える程度の、おぼろげな幽霊。そんな連中が、白旗を振って降参の意志を示していた。
「……あいつの配下たちね。
ふん、知ったこっちゃないわ!」
今さら遅い。まとめて倒す。
それが、美神の仕事。乗っていた船を沈められた恨み。
「発射!!」
『うわーっ!』
幽霊たちを蹴散らして、銀のモリが潜水艦に突き刺さった!
___________
「はっ!?」
良いタイミングで、鱶町は意識を取り戻した。
目の前には、動けなくなった幽霊潜水艦。
詳細は不明だが、どうやら無意識のうちに勝ったようだ。
「わははははっ。
おそれいったか貝枝!」
勝利の雄叫びと共に、幽霊潜水艦にヒョイッと跳び乗る鱶町老人。
だが。
『ざけんじゃねー!!』
彼に呼応するかのように、貝枝も出現。部下は勝手に敗北宣言をしたようだが、貝枝自身は、まだまだ負けたつもりなんてなかったのだ。
『両方船が動けなくなって五分と五分だ。
決着つけちゃる!
素手でこい、素手で!!』
「おおっ、やらいでかっ!!」
そして。
『尋常小学校時代から
貴様が気にくわんかったんだ!』
「わしなんか生まれた時から
貴様にゃムシズが走ったわい!」
腐れ縁の男二人が、殴り合いを始めた。
___________
「もう幽霊潜水艦は
どこにも行けないわね。
胸がスーッとしたわ!」
やるだけやってスッキリした美神は、二人のケンカに干渉もしない。
ある意味、高みの見物だった。
「不毛でみにくい戦いねー。
どうして憎しみを忘れて
許しあえないのかしら」
『そーですねー。
美神さんの言うとおりです。
人間と幽霊が争うなんて、良くないです!』
素直に頷くおキヌ。
本来ならば説得力もない美神の発言だが、それが美神の言葉であるが故に、コロッと受け入れてしまったのだ。
そんなおキヌのもとへ、貝枝の部下だった幽霊が集まってくる。彼らから見れば、モリを撃ち込んだ美神よりも、それを止めようとしたおキヌのほうが頼り甲斐があるのだ。
『もうオヤブンには、ついていけやせん。
どうかアッシらをよろしくお願いします』
『え?
でも……』
美神の判断を仰ぐため、そちらに視線を向けるおキヌだったが。
(おキヌちゃんて……
モノノケのたぐいにも
好かれるキャラクターなのかしら?
……いや、当然かもね。
おキヌちゃん自身が幽霊なんだから)
とノンキなことを考える美神は、軽く手を振って、いい加減に返答する。
「ちゃんとおキヌちゃんが
面倒みるんだったら別にいいわよ」
『それじゃ……』
正式な許可を貰ったということで。
おキヌは、幽霊たちに笑顔を向ける。行き場を失った彼らにとって、それは、まさに天使の微笑みであった。
『……今度、
近くの浮遊霊の皆さんと一緒に
幽霊の町内会、作りましょうか?』
(第六話に続く)
さて、原作の該当エピソードは1991年に発表されたものですから、当時としては連想しやすい名称も、今となっては事情が違うことでしょう。その辺りも少し意識しながら、書いてみました。
では、今後もよろしくお願いします。
(なお、この第五話を書くにあたって『幽霊潜水艦を追え!!』の他に『海よりの使者!!』『サウンド・オブ・サイレンス!!』を参考にしました) (あらすじキミヒコ)