キーボードに置いた手は先ほどからぴくりとも動かしていなかった。
同僚は全て取り締まりのために、街に出ているので、今事務所にいるのは自分一人だけである。
今回の事件、世界中に爆発的な広がりを見せたオカルトドラッグ“キャンディキャンディ”の捜査は難航を極めていた。
一体誰が、何のために、この悪魔のクスリを作ったのか。
そして未だ解析しきれていないこのドラッグには、どんな秘密があるのか。
日が落ちてきたらしく、事務所が薄暗くなっていることに気がついた。
窓から見える夕日は、ただ赤く、昼とも夜とも異なった姿を見せている。
椅子の背もたれにもたれかかり、椅子のきしむ音を聞きながら煙草に手を伸ばす。
「……そういえば、いつから煙草吸ってたんだっけ」
ぼんやりと揺れる煙の向こうで、夕日が歪んだ気がした。
ディストゥロート・ワールド
「先生、夕日でござるよ」
「ああ……」
消えたタマモ探しは全く進展が無いまま三週間が過ぎてしまった。
今日も必死になって探しているのでござるが、一体どこに行ってしまったのか、匂いの断片すら見つけられないのでござる。
海が見通せる橋の上、先生と見る夕日がこんなにも不安をかき立てるものなんて……。
タマモを見つけたら一発ぶん殴ってやる。いや、一発じゃこの気持ちは収まらない。
もう逃げ出す気が起こらないくらい、何度も、何度でも……。
「……日が落ちるから、今日はもう帰ろう」
夕日に照らされた先生の顔が一瞬血だらけに見えた。
こんなにも美しい光が、血の赤に見えるなんて。
**
「日が落ちるから、今日はもう帰ろう」
そう言うとシロは目を見開き、一瞬のことだが狼狽したように見えた。
もっとタマモのことを捜したいのだろうか。それは俺も同じだ。
もともと事務所には半強制的に移住させられたのだから、逃げ出されても文句は言えない。
でも黙って出て行くのは、誰がなんと言おうと、俺が許さん。
シロの目の下にクマを作ったんだから、タマモは美神さんからの直々のお叱りが必要なんだ。
アレは怖いぞ……アレをやられたらもうこんなことは起こらないだろう。
「先生、拙者先に帰るでござるよ」
「え、ちょっと待てって」
俺から逃げるように帰っていくシロの背中を追いかける。
人狼だろうと女というのはよくわからんもんだな……もっと捜したいんじゃなかったのか。
「先生ー早くー」
俺よりも随分先に行ってしまったシロがこちらを振り返った。
夕日の反射で、シロの両目が真っ赤に光って見えた。
**
「……キッドだけじゃない。チェリーも消えたわ。
冬休みが終わる直前までは連絡がついたんだけど、今は携帯も繋がらないの」
「チェリーもかい……わかった。何かわかったら僕も君に連絡するよ」
「ええ、お願いよ、吸血鬼さん」
トロと出会えたのは偶然だった。
キッドのアパートを訪ねたとき、部屋から出てきたのがトロだったのだ。
何日も悩んだ末、僕から会おうと思い立ちアパートまで行ってみたのだが、キッドは既に行方をくらました後だった。
そしてチェリーもキッドと時を同じくして消えたらしい。
「部屋はもぬけの空。もともと何もない部屋だったから、手がかりもなし。
入りたいなら今のうちに入って」
「……いや、僕は男だから」
「あ、そ。じゃあね」
素っ気ない返事はアパートの部屋に鍵をかける音と共に、トロの背中越しに聞こえた。
その後はいつも通り、僕に顔を向けることもせず、無愛想な態度のままアパートの階段を下りていった。
いや、あまり顔を見せたくなかったからかもしれない。泣きはらした顔だった。
何日も、何時間も、泣いて泣いて、涙が枯れたときの顔だった。
ちょうど今の僕のような、ひどい顔だった。
アパートの階段を下りている途中、踊り場から遠くに赤く輝く夕日が見えた。
キッドの赤毛と同じ色だとは、そのときは思えなかった。
あれは間違いなく、僕らバンパイアが好む、鮮血の色だ。
**
「大変な事件が起きました。
昨年末、麻薬所持容疑で逮捕されたおぎやはぎの突っ込みの方が、裁判所からの帰り、護送中のパトカーから逃走しました。
パトカーは数名の男たちに襲撃された模様で、計画的な犯行という見方で、逃走した犯人と一緒に現在追跡中です。
では次のニュースです。別居中の木村夫妻が、とうとう離婚……」
六時のニュースは、片方の耳から入って片方の耳からこぼれ落ちるように、頭の中に残ることは無かった。
およそ無駄なものが置かれていない部屋にあるものは、ベッドとテレビと洋服ダンスくらいだった。
古風な家柄に生まれてきた故に、灰色のモノトーンカラーのカーテンが精一杯のおしゃれだった。
生彩に欠けた部屋の中、以前の自分では考えられないことなのだが、私の頭には雪之丞のことしかなかった。
携帯を持つことを嫌がったアイツが、私の為に携帯を買った。
旅行が多いということで、いつでも連絡がとれるように携帯を持つようになったのだ。
私は携帯を持っていないから、家からちょくちょく電話をかけていた。
最後に直接話したのが十二月二十五日、クリスマス。
元旦だって会うことはできなかったが、電話越に新年のカウントダウンをしたものだ。
その後、中国に行くということを電話で聞いたのを最後にして、連絡が取れなくなった。
もうあれから三週間が経とうとしている。それなのに携帯はずっと繋がらない。
霊感が高いが故に、感じる胸騒ぎが不安をかき立てる。
灰色のカーテンの向こうから見える鮮やかな夕日までもが、胸をちりちり焦がす極彩色に見えて、思わずそっと自分の肩を抱きしめる。
逢いたい。すごく逢いたい。不安だ。恐ろしく不安だ。
雪之丞が私の手の届かないところに行ってしまいそうで、その恐ろしさを感じる自分がまた恐ろしくて。
再びカーテンの方に目をやると、極彩色の赤は先ほどと同じ位置で、遠い空の下、凶悪な光を放っていた。
あなたは今、私と同じ夕日を見ているのかしら。だとしたら見るのをやめて。
今日の夕日は、あまりにも醜いから。
あなたがあの色に染まるなんて、私には耐えられないから。
**
「私は言ってやったのさ。このままでは確実に死ぬ。
死にたくなければ、今から私の言うことをするしか道はない、とね」
「それでどうなったキィッ!?」
「私が言ったことを枢機卿は真に受けてね。結局パンツを被って裸踊りを始めたのさ」
「キキキキィ! 人間はアホウばっかだキキィッ!」
厄介な隣人は余が話を聞かないとわかると、今度は向かいの悪魔と毎日毎日くだらん雑談を始めた。
これはもう、余への宣戦布告と受け取っていいだろう。
「ククク、私の話はお気に召さなかったかね?」
顔は見えないはずの牢獄の中、いつもいつも余の考えていることがわかるこやつ。
それがまた無性に腹立たしい。
「ラプラスのダンナ! また何か話を聞かせてくれキキィッ!」
「では次は、未来の話をしよう」
やはり隣人は頭のネジがだいぶ緩めになっている。未来だって? 冗談も甚だしい。
未来のことがわかってたまるか。もしもあのとき未来を知っていたら、余は……
「……後悔というのは極めて高度な感情だ。
修正したい過去があるからこそ、それを未来へと生かせる。
そうやって世界は回っているのだよ」
「……余はもう寝る。後は勝手にしろ」
「そうさせてもらうキィ! ダンナ! 早く早くぅ!」
「では始めよう。実は結末は私にもわからんのだがな」
鉄製のベッドに横になり、支給された意外と高価な毛布を頭から被った。
後悔は抱えきれないほどある。やり直せるのならやり直したい。
だがきっと、過去に戻れたとしても、キッドが闇に落ちるのは目に見えている。
世界に蓄積した闇は、余の両腕では到底支えきれないものだった。
だから世界を変えようと、そのとき本気でそう思った。
初めて誰かの為に力を振るおうと思った。世界征服というかたちで。
それはもう遅いのか。だが、もしもまだ、余にチャンスをくれるというのなら……。
「これは世界が二分される話だ。
誰もが主人公となり、一つとして同じストーリーのものはない」
「キィ! そんなもの、悪が負けるに決まってる! 太古からの掟だキィッ!」
「ではどちらも正義だとしたら、結末はどうなるかわからないだろう?
これはそういう話なんだ。さらに私の力を持ってしても、全ては見えなかったよ」
「ダンナが予知できない未来……そんなものが存在するなんて初耳だキィ」
毛布ごしに聞こえる雑音の中、一人の男が思い浮かんだ。
あやつなら余の出来なかったことをやってくれるかもしれない。
キッドを深い闇の中から引きずり出してくれるかもしれない。
余の最強の遺伝子が混ざっているのだ。あやつも立派なバンパイアだ。
余が動けない以上、あやつに任せる他ないな…………………不安だ。
一日中くだらんおしゃべりを聞いていたせいか、疲れていた体はベッドに沈み込み、意識が柔らかくぼやけていった。
「大丈夫さ。じきにここから出られる。それは見えた」
隣人もたまには良いことを言うのだな。
それが余の最後の思考となり、深い眠りへと意識は遠ざかっていった。
ディストゥロート・ワールド 完
GSとハードボイルドワンダーランド 終
第一幕 終劇!
ちなみに上から西条、シロ、横島、ピート、弓、ブラドーの順です。
第二幕はいろいろと悩んでいるので、続きの投稿はいつになるかわかりません。早いかもしれないし、遅いかもしれない。
今これからの展開にものっそい悩んでいるので、構想が固まるまでとりあえず一段落、みたいなー?
m(_ _)m
とりあえずそれぞれのキャラのことは一通り出たので、これからはそれを一本にまとめて進めていこうと思います。
それと第二幕が始まる前に、特別編というか、昔の話を挟みたいと思っています。
本編とどういう関係があるのかはまだ言えませんが、昔々に、九尾と戦った人狼と人柱の話です(あれ、バレバレですよ由李さん)
この特別編の話は、本編の合間合間に一話ずつ入れたいと思っているので、本編がかなり進まないと終わりまでいかないという、ちょいとややこしい話です。
小説と呼ぶには、ちょっとチャレンジ精神が入った挑戦作になりそうです。
では特別編と第二幕もよろしくおねがいします。ギャグが書きたいな…。 (由李)
大本のタイトル自体既にミスしている今作なんですが…一応、ね……。 (由李)
タマモと雪之丞が行方不明になってからもう三週間ですか
雪之丞はともかくタマモをあんな状態で放っておくと人格が完全にばらけそうです。激しく不安です
ベリアルとラプラスが楽しそうなのがなんだかかえって和みました。こういう横のつながりって好きなんです
ブラドーの世界征服にそんなマジな理由があったのも驚きですが、それをあの世界地図の前で宣言されてもなあ、と思ってしまいやはり笑い話に。
九尾と人狼にはやはり因縁があったんですね。ぜひ見たいです (九尾)
それにしても三週間か・・・結構飛びましたね。いつの間にか世間では麻薬が出回っているようですが、雪之丞とタマモが踏み込んだ組織が関係している事は明らかですね。二人と深い関係の弓とシロには今後とも頑張ってもらいたいです。(あれ、横島は・・・?)
これからも応援してます。ギャグもシリアスも両方頑張ってください。 (鷹巳)
GSの世界において夕日は感慨深いものだと思いますが、あえて今回は夕日を闇の象徴みたくしてみました。
書いているうちに、なんか夕日って怖いものなんじゃないかと思ってきましたが、要は考えようということで、全てのキャラが悩みを抱えている故に、夕日がこのように見えていた、という訳です。
九尾さま
三週間という期間をおいて、敵方のほうがどうなっているのかわからなくしました。
タマモと雪之丞が次に出てくるとき、どのようなことになっているのか、私もやや不安です。
果たして読んでいる方々に受け入れてくれるのか。
正直な話、雪之丞はともかく、タマモは私もかなり不安なんですよね。
ベリアルのことについては、いつか必ずだそうと思っていたキャラなんです。
ラプラスとブラドーの絡みが書いてて結構楽しくて、近くになかなか扱いやすいキャラもいるので、こいつも絡ませよう、と。
九尾と人狼と人柱、果たしてこれは原作キャラとどう当てはまるのか。
人狼はシロの何かだとして、九尾と人柱に注目しておいてくだされば、物語はよくわかるかと。
ぜひ見たいとのことなので、頑張ります。
鷹巳さま
何やら微妙にダークな雰囲気も出ていたそれぞれの日常を書いて、第一幕は終わりにしました。
世間で麻薬が広がりを見せていたのは、惨劇のメリークリスマスでも少し出したので、伏線回収できたかな、と。
今回弓を出したのは、雪之丞のことを誰も心配してないのは寂しすぎるかな、と思ったからです(笑)
弓と雪之丞ことは書きたいのですが、予定しているのは横島VS雪之丞だけなんです。
果たして弓の出番はあるのか! というかなぜ今頃出てきたのか!
それは雪之丞と連絡がとれなくなった、ということがわかる人物が弓しかいなかったからなんです。
ギャグ要因のシロがシリアスなので、どうにもこうにもギャグを書きにくいので、ブラドーにギャグ率が大きく偏ってしまいました。
ですがブラドーと似たような思考をしているバンパイアが一人いるので、それでなんとかギャグを書けないかな、と今頑張っております。
応援ありがとうございます。これからも頑張ります。 (由李)