椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ十三 『炎抑』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/12/25

















 ――ホムラオサエテ――



























 既に、礼拝堂の中には闇が落ちていた。
 その中に、灯火と言える物はない。ただ暗いだけの、虚ろの巨跡。既にこの場が目的としての役割をはたしていない以上。この闇は今、死んでいる――
 ピエトロは長椅子に座っていた。――闇の中。

(……ひのめ……ちゃん――)

 無言で、右手に持ったウイスキーの瓶を呷る。瓶の口から直接口内に流れ込んでくる熱い液体が咽喉を灼く。既にヨレヨレになったスーツに飛沫が飛び、新たなシミをそこに刻んでゆく……

「ク……ソッ!」

 そして……叩きつける。
 床に叩きつけられた瓶は粉々に割れ、残っていた中身を辺りに盛大にぶちまける。金色の飛沫が暗中に煌き、瞬間、星のように輝いて消える……

(結局……何もかもが無理な事だったんだ……!)

 少なくとも……そう、自分にとっては。

「――誠……」

 彼。そう、彼。
 自らの過去。――そして、そこに至る経緯の上での現在の自ら。


 ――その、体現としての存在。


「――誠……」

 彼は……そう、西条誠は非常に行動的な人物であった。高校卒業後、その日の内にピエトロにGSとしての教えを請いに来たのは、決して彼の父の為だけでもないだろう。
 ……だが。

「どうするつもりなんだよ……」

 ウイスキーの強烈な匂いが、密閉された暗闇の中に立ち込めている。
 鼻腔から押し入り、脳を磨耗させるそのアルコールの霧さえもまた、独り座るピエトロにとっては埒のない事ではあった。関係ない――どうせ、自分はどうにもならないのだから。

「……ひのめちゃんを……どうするつもりなんだ……? それで――お前の気が晴れるのか……? 僕に――どうしろって言うんだ…………!?」

 拒む事は、出来なかった。
 ――恐らく、誠が向かった先はナルニアであろう。目指す人物は、美神公彦。稀代のテレパスであり、美神令子、ひのめ姉妹の父親でもある。
 そして、恐らく現在のひのめの居場所を知る男。

「――誠……」

 現在のひのめの居場所は、ピエトロにはわからない。何処で何をやっているのか――それこそ、もしかしたら未だにナルニアに住み暮らしているのかも知れない。
 ――知ろうとも、思わなかった。
 少なくとも――そう、彼女は、確実に『生きている』のだから。
 彼女の『死』に対する重石。――今まで生きてきた“生”を吸い取ったという感情。――全て、かつてのピエトロ自身が植え付けた物だった。

「植え付けた……か」

 思えば、残酷である以上に卑怯な事であった。
 今の自分は何をしている?
 恐らく自ら以上に世を忌んでいるであろう彼女に対し、自分は無責任に死を禁じた。――師、唐巣の遺言であるとして。……それならば、何故、自分は今の彼女を“知らない”のだ?

「――誠、ひのめちゃん…… 僕は無責任な男だよ。もう、何をする気力も萎えてしまった……」

 生きる。それだけ。
 金髪のヴァンパイア・ハーフは、それでもなお独白を続けた。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★

























 ひのめには、そこは何処からどう見ても生活区域に見えた。
 時間的には、午前零時。基本的には既に街そのものが寝静まっている時間ではあるが、経済地区たる香港島辺りまで仕事に行っているサラリーマンらは、この時間になっても未だ家路を急いでいる最中である。その事実を考えると、それを解っていながらこの仕事を取って来た伊達の、眼に見えぬ思考が手に取るように解る。

(要するに……アンタはアタシを明弘君みたいにしてスパルタ教育したいんだろ……?)

 隣で肉まんを頬張るパピリオに気づかれないよう、密かに嘆息する。
 旺角(モンコック)地区。事務所がある尖沙咀(チムサーチョイ)地区からは、ネイザンストリートに沿って七百メートル程であり、極めて近い。――その経済区の、裏側。
 何処にでもある、街の裏側。美々しくネオンが散りばめられた表面からやや離れた、燈火の少ない地元人の空間。――既に香港で暮らして半年余りになるが、未だにこの空気には馴れる事が出来ない。
 剥がれ落ちかけた託児所の看板が、年月の重みに晒されて朽ちている……

「……? どしたの、ひのめちゃん?」

 その錆びた薄い鉄の塊に漠然と流していた意識が、隣のパピリオの一言で現在へと立ち返る。――肩に掛けられた手に、思わずビクリとした事も否定出来なかった。

「……な、何でもない……」

「嘘」

「う……」

 一言で返され、ひのめは言葉に詰まった。遠くの方にある消えかけた街灯の光が、断続的にパピリオの顔を白く照らす。
 再び、唇を開く。

「何でも……ないわ。本当に――」

「…………どーでもいいけど、私は一応神界からのひのめちゃんの監視人なんだからね? ひのめちゃんが何か変な事したら、小竜姫のお仕置きは私に向けられるんだから…………」

 こちらを向かないまま言葉を投げた後、その光景が眼に浮かんだのか、かぶりを振った。――そのパピリオの動作も、結局は『仕事』に起因するのか――
 パピリオには姉がいるらしい。――詳しくは知らないが、今現在は魔族の軍に所属していると言っていた。

 ――そういえば、パピリオ本人は、何故神族の領域である妙神山にいたのだろうか――?
 その、当たり前といえば当たり前すぎる疑問を持った事も、過去にはあった。――結局は、本人の口から出た現在の神魔界の情勢――“デタント”という奴だ――によるものであるという事に納得したのだが……

(パピリオは……神魔の者か――)

 ひのめにとって、直接的に接した新魔族は数人しかいない。それは小竜姫であり、斉天大聖であり、そして、パピリオその人であった。
 彼女らは、自分にとって優しかった。――だが、彼女らの所属する体制は、自分にとって優しくはなかった。
 ――そして彼女らは、その体制に逆らう事が出来ない。この世の秩序を保つという事を存在意味にする以上、どんな事をしても彼女らは、『この世』そのものの維持に反する行動は取る事が出来ないのだ。

(そしてアタシは――『この世』の維持には最も反する存在……か)

 その意味では、妙神山での三年間は、自分にとって一体なんだったのだろうか。

「……ひのめちゃん……!」

「――!」

 その声は、ひのめに再びの驚愕を与えるには充分すぎた。自らの心臓が、まごう事無く『ビクリ!』という音を立てた事を自覚する。

「……やっぱ、おかしいよ?」

 むしろ、パピリオの表情は心配げですらあった。――今度は、その困惑の表情はしっかりとひのめを向いている。
 ――そこに、言いようのない苛立ちを覚える……

「何でもないの! 状況は!」

 手を振り、眼前の建物を睨む。
 かつての託児所。――恐らくは、今もまだ。さしずめ、悪霊たちの託児所ででもあるのだろうか。……この場所に幽霊の存在が報告されたのは四日前。複数の幽霊は、現在もまだ建物内に居座りつづけている――

「………………霊気はそんなに強くないけど、数が多いように思える。――中途半端な状態で行ったら、大怪我じゃ済まないよ……?」

「体調は万全よ」

 吐き捨て、ひのめはナップザックを下ろした。
 ザックの中から破魔札を取り出し、腰のストッカーに入れる。―― 一応の予備だ。恐らく、“力”を使えばこの程度の悪霊は一網打尽にする事が出来る。

(“力”……か)

 ふと……嘔吐感がこみ上げて来るのを感じた。――自分はこの“力”を忌んでいる。……だが、現実に自分はそれを利用しようとしている――
 矛盾。限りない、矛盾。

「……ひのめちゃん……」

「行ってくるわ」


 足を踏み出す。
 振り返る事はしなかった。






















   ★   ☆   ★   ☆   ★






















 建物の中は暗かった。――夜間である故、当たり前の事ではあるのだが……それでも神経はささくれ立つ。腰の破魔札のストッカーへと伸びる手が、自然に破魔札の束を握り締める。

(いる――)

 ひのめの感覚は、上下左右、全ての方向からの霊気を感知していた。――それは建物内が既に人たるモノの住処ではなく、人ならざるモノの領域に堕している事の証明に他ならない……
 精神集中。――暗闇の中で、徐々に悪霊一体一体の形状が読み取れるようになって来る。
 破魔札を握り締めた手は、細かく震えていた。

「……来なさいよ」

 短く、叫んだ……




















   ★   ☆   ★   ☆   ★




















 ――遅い。

 その建物は、何処からどう見ても古かった。恐らく、既に築られてから五十年は経過しているであろうし、それだけのガタつきも見えている。
 周りには、既に結界が展開してある。
 その結界の外側。――焔の射程範囲外から建物を睨み、パピリオは数度目の焦りの言葉を、口中で反芻した。――遅い。
 既に、ひのめが建物内に入ってから十数分が経過している。常ならば、ひのめの作業は迅速であった。――それも、必然的に。そして、その終了はあからさまではあった。――これも、必然的な事だが。

 ――だが、今。

(炎が――見えない……!)

 その場には、未だに闇が蔓延していた。――遠くの街灯の、死にかけた明滅。その頼りない灯火だけが、悪霊に支配される廃屋を青く浮かび上がらせる……

「……ひのめ……ちゃん……?」

 パピリオは廃屋を睨み、呟いた。
 明らかに、イレギュラーな事態であった。――思えば、先刻のひのめは何か様子がおかしかった。――あそこでもっと強く問い詰めていれば……! 自らを罵倒し……それでも、建物内に入る事は出来ない……
 パピリオ自らが展開した結界は、世界でも最高レベルの物である。――その最高の結界は、展開者たるパピリオをも容赦なく排除する。
 ――そして……結界を解除してしまえば…………

(もし……“炎”が溢れたら……防げない……!)

 最悪の想像に過ぎない。――が、想像というモノは、何故か常に悪い方へと向かって現実化してゆく……


 結界は――解除できない……!


「く……ッ!」

 唇を噛む。――建物からは、未だに炎は上がらない。……ひのめは、中で今窮地に陥っているのかも知れない。――不調で、上手く精神集中が出来ないのかも知れない……

 しかし――

(何も……出来ない……!)


「ひのめちゃぁーん!!」

 既に、二十分が経過している。変化は……ない。

「――ッ!?」


 否。


 あった。

「――ひのめちゃん!?」


 ――ガタンッ!!


 廃屋の扉がガタつきながらも開く。――その内から現れたのは、紛れもなく美神ひのめだった。――疲労困憊し、身体のあちこちに傷を負っているが――
 間違いない。

「ひのめちゃんっ!!」

 即座に、結界を解除する。フラフラと――こちらに歩み寄ってくるひのめに向け、全力で走る。
 そして、同時にひのめは倒れた。パピリオの胸の中に。――ほつれた短髪がパピリオの鼻をくすぐり、腕の中にひのめの重みを感じる。――そして、血臭。

「ひのめ……ちゃん……?」

 声に混じるのは、安堵。――そして、困惑。……表情が――ひのめの表情が読めない。
 音が聞こえる。呟きが聞こえる。――破れて、血が滲むひのめの唇から。掠れているその声は、恐らくパピリオに向けたものではない。誰に向けたものでも――

「ひの…………」






















「アタシ……出来たよ……? 火を使わなくても……出来るんだよ……? アタシ……もぅ、やだよ…… 怖いの……やだよ…………」





















 後は、嗚咽。
























 立ち尽くす――























 〜続〜


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