椎名作品二次創作小説投稿広場


燈の眼

其ノ四 『恢想』


投稿者名:ロックンロール
投稿日時:03/ 6/19






「……なんだい?」



 ゆっくりと。ことさらに、ゆっくりと。


 唐巣和宏は疑問を投げた。――眼前で肩を震わせる弟子へと。

 ――晴れていた。教会の中にいてもなお感じられる蒼空は、確かにこれ以上はない程に晴れていた。その晴天はあらゆる事を齎す。――喜びも――悲しみも。
 光は陰を生む。弟子の顔色は、唐巣の位置からは良く見えなかった。

「……ひのめちゃんの――事です」

 嘆息。予想はついていた。

 ――と、同時に、ピートが懐から取り出した先ほどとは別のプリンタ用紙を受け取る。――それもまた恐らく、美智恵のコンピューターの中のデータであった物なのだろう。――そこには簡潔に、事務的に……ただそれだけとして存在する、事実のみが記されていた。

「美智恵さんのコンピューターの中で発見しました…… 先生、これはどういう事なんですか――?」




『封印』




 まず眼に入るのは、その単語であった。
 それは簡単な手記であった。――調査の結果……その、結果として分かった事を書き留めただけのような、ごく、短い言葉であった。
 恐らく、ピートはこのデータから『ひのめの事』を知ったのだろう。――そして恐らく、その性格からして、まだこのプリンタ用紙は他に流れてはいない…… 好都合な事ではあった。

(これが――彼女に与える影響を考えれば……な……)


「ピート」

 唐巣は唇を開いた。――何故か、ここ数十年は縁が切れていたはずの煙草が無性に欲しかった。――或いは、極度の緊張の所為かも知れない。苦笑する。心中で。
 これから自分が語る事は――どう考えてもピート自身を傷つける事になると言うのに……

「はじめに断っておこう……私はこの事実を、まだ他の誰にも話してはいない。――また、生きている間は、誰にも話さないだろうと思っていた。それを踏まえた上で――」

 ピートを見た。真っ直ぐに。

「君を信じるからこそ――話そう。私が知る限りの全てを…… 馬鹿げた政治屋どものままごとが、結果としてどのような事態を引き起こすのか――を……」

 飲み終わった紅茶を、椅子の上のトレイに戻す。――見れば、可哀想なほどに実直なこの弟子は、紅茶に口をつけてもいなかった。――心中、ポタリと一滴、冷たい滴が垂れる。
 すっかり冷めたその茶透明の液体をトレイに乗せて、後ろに置く。――眼前のピートは、それに眼もくれずに真っ直ぐに唐巣の眼を見つめ続けている――




 ――蒼い、瞳。




「――そうだね……あの事件が起こったのは――それを、私が美智恵君から告白されたのは……もう、九年も前になる……」



 日が、翳った。




 唐巣は再び、唇を開いた。
























   ★   ☆   ★   ☆   ★



















 ピエトロにとって、それはまさしく衝撃的な事実であった。

 一度翳った日が、また燦々と光輝を発し始めている。――夕刻に近づいたその日差しは窓から射し、先ほどとは逆に、今度は淡々と語る師の顔に陰を落としている。――その所為か――師の表情は、常に変わらぬ無表情に思えた。

「――ひのめちゃんが……」



 炎。宿命。



 ――重い……



「――結局……年齢的な事も考えて、『判決』処分は恒久的な保護観察処分という事になってね。当然ながら――その役目を買って出たのは、母親でもある美智恵君だったよ……」

 その内心は、ピエトロにも痛い程に想像出来た。――母である自分の元にいれば、ひのめは『普通の』生活をする事も出来る――





 ――愛……だった。





 ――それはまさしく、母の愛であった。




「美智恵君は立派だったよ……公の場では、母としての私情を些かも持ち込む事はなかった。――毎日毎日、娘の行動をモニターして、それを記録する。徹底した客観視で、トイレの回数から、外出の時間。好みの男性のタイプから、パンツの色まで――ね」

 沈黙。会話の中での、擬似的な沈黙。
 心霊現象は、実を言うといまだに全てが解明されているわけではない。『訳の分からない物』を処分するのに、『訳の分からない能力を持った者』が必要となる訳だ。――故にその観察は執拗を極める。どのような事が何に繋がるのか、誰にも予想が出来ないのだから……

 日が、落ち始めた。礼拝堂の中を、徐々に暗闇が満たしてゆく。

 それは、尋常な神経で耐えられる事ではなかっただろう。観察者として取ったその記録は、GS協会上層部に回る。――自分の娘の事が、常に『他人』に知られているのだ。

「――先生……」

「――いや、続けさせてくれ。……美智恵君はその後――確か、それから半年後だったかな――予てから検案していたある事柄を実行に移した」


 ――ゴクリ。


 唾液を飲み込む――それだけですら、この二人の空間の中に作られた、会話という名の静寂の中で無意味に響きわたる。音響効果を考えて設計されている礼拝堂は、無意味な残響をその場に残す。

 唐巣の唇が開いた……

「……即ち――美神ひのめの霊力の『封印』……」

「――『封印』……」

 その言葉は自然と、ピエトロ自身の唇からも漏れ出でていた――

「それは、ネイティヴ・アメリカンのシャーマンの呪法だよ…… その儀式の一端には、私も参加していた。――本来は、死者に対して、その力を自らの内に得る為の儀式であったらしいんだがね……」

 唐巣の表情は、やはり窺えない。朗々とした声音は、聞いているピエトロ自身が驚くほどに平静である。――その場を想起しての苦渋もなにも、その声音からは窺えない。

「……とにかく、美智恵君の決意は固かった……」

「それで――」


 ふと――何かが見えた気がした。刻々とその濃度を増してゆく闇の中で、心だけが、刻々とその存在する領域の幅を広げてゆく――


「特定の感情を軸に、『自らの霊力』を以って『相手の霊力』を封じ込める。――ピート君も分かるだろう?――その結果として、術者、被術者ともに霊力を失う事になるんだ」


 思い返す。確かにそうだった。確かに九年前、美神美智恵は突如として、その強大な霊力を失っていた。――本人は、歳の所為よ……などと言っていたが……
 ピエトロは沈黙した。それ以外に――出来ることはなかった。


「ピート。美智恵君の――いや、ひのめ君でもいい。彼女らの胸の傷痕を見た事があるかい?――あの傷が……儀式の際に、私が二人の皮を焼き剥がしたときの傷痕だよ……」


 確かに――見た事はあった。服の上からですらその端が見える、巨大な……傷痕だった。


「美智恵君が封印の『鍵』として選んだ感情――それは、『罪悪感』だった。……残酷かも知れないが、彼女はその娘に自らのやってしまった事については、忘れて欲しくなかったんだろうね……この『感情』は、封印が継続している限りは、その感情に喚起される記憶と共に、忘れる事は出来ない……それを忘れれば、封印は破綻する」






 礼拝堂に――闇が満ちた。







 同時に、礼拝堂に――沈黙が落ちた。







 そして、呟き。唐巣の、小さな小さな、呟き。






「――ピート君。君は……ひのめ君が晴天を厭い、雨に安らぎを覚える――という事を知っていたかい?」

 小さな、声。――だが、それに込められた意味は、その小ささに比しては余りにも大きな――そして、重要なものだった。

 再び――息を呑む。理由として考えられる事はあった。

「――潜在意識……ですか? 自らの持つ、『火』に対する……」

「……そうだ。彼女は、『事故』と同じような晴れた日を嫌い、炎を吸収してくれる雨の日に安心する……彼女の持つ『火』は、とてもじゃないが雨程度で消せる物ではないのだけどね。――そもそも、力源が霊力なんだから……」


 それは――多分に精神的な物なのだろう――
 ピエトロは息を吐いた。――重い。受け止めるには、あまりにも――重い――


「……私が知っている話は、こんな物だ。後、これを知っているのは――公彦君と令子君……ぐらいのものだろう。確か、西条君も知らなかった筈だ。言うべきかどうかは任せるよ――」


 それだけを言い切り、眼前の師は黙した。――不意に、気付いた。師は『老いている』。最早師には、これ以上をする事は出来ないのであろう……
 唇を湿らせ、流れ出てくる言葉を舌に乗せた。


「――先生。ひとつだけ、最後に答えてください……」

 返事はなかった。……が、師が聞いている事に関しては確信があった。
 どうしても――最後に答えを得て置かねばならない事がある。――それは不吉な予想だった。その答えも、既に想像はついていた。

「美智恵さんの死と同時に、ひのめちゃんの『封印』を押さえつけていた力はなくなった――だとするならば、その後、押さえつけられていたひのめちゃんの『力』はどうなるんですか……?」















 その問いに、老いた唐巣は答えを返さなかった。
















 浅い息をつきながら、いつまで経っても、何も語らなかった……
















   ★   ☆   ★   ☆   ★













 その日の夜は、漸く慣れた新しい日常の通りに過ぎていった。
 一人で晩御飯を作り、一人で着た物を洗濯し、一人で晩御飯を食べ、一人でTVを眺め、一人でベッドに入る。

 ――広かった。

(この家……こんなに広かったっけ?)

 ひのめが家の中で思うことは、常にそれだった。掃除をするにも広すぎるし、歩き回るにも広すぎる。――かつては『美神除霊事務所』といったこの建築物は、そのありようからして、一人で暮らすには向かないらしい。
 ――だが、いつまでもウジウジと思い悩んでいるのも芸がない。それ以上に――ひのめの性に合わなかった。考えてばかりでは、美容にも悪いし健康にも悪い。結論は単純明快。それに尽きる。

(ま――慣れるまで……だね)



 空を見上げた。――満月、だった。










 きっと明日は『今日のようないい天気だろう』。――そう思い、ひのめはそのまま天を仰いだ――



























『彼女の記憶は……現在急速に失われている筈だ……元々時と共に薄れ行く筈の物を、無理矢理に残してあるんだから…… いずれ彼女は、全てを忘れる――』

 寝室の闇の中に、先刻の師の声が木霊する…… 寝付けない焦燥感に、言われもない不快感が募る。

(行って見よう……明日)

 ピエトロは決心した。




























「あーあ……眠い……」

 TVを消し、家中の電気を消してゆく。
 ベッドに潜り込み、ひのめは寝室の灯りを消した。――元々、昼間の行動で疲れ果てていた身体は、程なく心地よい眠りへと落ちてゆく――






























 ――『夢は見なかった』。


























 その翌朝。かつて『美神除霊事務所』といったその建物は、この地上から消え去った。









 〜続〜


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