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天使と戯れ悪魔と踊れ

第九話「天使と戯れ悪魔と踊れ」


投稿者名:矢塚
投稿日時:03/ 6/ 1

 日もそろそろ暮れはじめるソールズベリに、日中よりも少々冷たい風が静かに吹き渡り、ストーンヘンジと呼ばれる巨石郡が大地に長い影を落としていく。
 静寂が支配したその遺跡には今、二人の男が最後の決着をつけるべく対峙していた。
 一人は、全身を黒の装いで統一し、その顔に険しい表情を浮かべた唐巣和宏。
 一人は、全身を白の魔装術で包み、その姿も美しいハーディー・クラッセ。
 ハーディーの束縛結界にとらわれているジゼルやDrカオス等には声もなく、戦いの行く末をただ見守るしかなかった。
 どちらが先に仕掛けるでもなく、互いを探るようにじりじりと円を描く様に間合いをつめる。
 不意に、じれたハーディーが唐巣に襲い掛かった。
 見切れない動きではないが、それでも十分に速い。両手の爪が鋭く尖り、今まで唐巣がいた空間を掻き毟る。
 かろうじて初手をかわした唐巣が、逃げざま神通棍を真横に薙いだ。
 タイミングは、ほぼ完璧。ハーディーのわき腹をその一撃が襲うが、神通棍は彼の左腕に阻まれる。
 かなりの霊力を込めた一撃が装甲を抉ってはいたが、硬い岩でも殴ったような衝撃が唐巣の右手に返ってきた。
 崩れた体勢からの一撃とは思えない威力に、ハーディーの左腕も痺れる。
「本当に疲れてるの? 底なしの体力だね」
 ハーディーは抉られた箇所を霊力で再生し、痺れた左腕を振ってみる。骨には異常がないようだ。
「ちっ、予想以上にタフな兄ちゃんだ」
 感心した口調とは裏腹に唐巣は目を鋭く細め、次の瞬間、流れるような動作で破魔札を投げつける。
 投げつけられた札が、装甲に絡みつき起爆する。
 札そのものの破壊力は魔装術に対してあまり期待できないが、その爆煙にまぎれ、最大出力の霊力を込めた神通棍の突きをハーディーに繰り出す。
 その一撃を、寸でのところでハーディーは上体を横にずらしてかわすが、胸の装甲がかなりの範囲で削り取られていく。
 抉られた胸をかばう事無く両手を頭の上で組み、そのまま唐巣の延髄に叩き込むが、それを察した彼は止まる事無く突っ込んでかわす。
 それでも、ハーディーの両拳が背中をかすめ、服を破き、皮膚に裂傷を与え血が滲む。
 二人は態勢を整え、再度対峙した。
 ハーディーの装甲は再生を完了し、未だに本体は無傷。体力的にもかなり余裕がありそうだ。
 一方、唐巣は体力も霊力も底の底を尽くのも時間の問題で、呼吸が激しく乱れている。
 先ほどのダメージも決して浅くはない。
「はぁっ、はっ。なんで、呪術師が、こんなに、強いんだよ」
 息も絶え絶えに、唐巣がぼやいた。
「味方は少ないが、敵だけは多い因果な商売をやってるからね。呪術だけじゃあ私自身はともかく、かわいい妹までは守りきれなかったからさ」
 ハーディーは軽口をたたきながらも、隙を窺う。
「……ずいぶん、……気楽に話しているが、……そんな余裕が、あるのかい?」
 唐巣がカマをかけつつ、少しでも呼吸を整えようとする。
 その言葉の意味するところをわかりきっているように、怪しくハーディーは笑う。
「まあね、私の魔装は特別なのさっ!」
 疲弊した唐巣に再度、ハーディーは襲い掛かった。

「おかしいわ。なぜあいつの魔装術が、あんなに持続してるの? せいぜい5,6分が限界のはずなのに」
 すでに10数分以上続く二人の戦闘を見守るしかないジゼルが、全身の痛みに耐えつつ不審に思う。
 すぐ横で同じように転がっているDrカオスが、苦々しげに答えた。
「嬢ちゃんも気づいたか? どうやらあやつは、ある意味で魔装術を完成させたみたいじゃの」
「完成?」
「そうじゃ。そもそも魔装術とは、己に内在する霊力を物質化し、装甲として体外に展開する術じゃ。しかし、霊力を体外に展開すれば肉体に宿る霊力が不足し、霊基構造が崩壊し始め、死に至る。そこで通常は肉体を魔物のそれに一時的に変える事により、霊力不足を補うわけだが。しかし、使用時間が長ければ長いほどに肉体は侵食され変化し、最終的には魔物に成り下がってしまうんじゃ。これが悪魔の術と呼ばれるゆえんじゃな」 
「知ってるわよそれくらい。それに唐巣さんも、どうやらそのことは知っていそうよ? さっきから時間を稼ぐように防御にまわっているもの」
 Drカオスは唐巣を一瞥し、言葉を続けた。
「つまりじゃ。肉体に不足する霊力を、どこかから補充することが出来れば、己を魔物に変える事無く魔装術を使い続けることが出来ると思わんか?」
 面白くもなさそうなDrカオスの言葉に、はっとした表情を浮かべたジゼルが言う。
「――人工霊魂の使用」
「そうじゃ、己の波長と全く同じに調整した人工霊魂から霊力を供給させる。そうすれば霊基構造が拒否反応を起こすこともないしの。つまりは、一人の肉体に二つめの魂を宿らせることで、肉体の維持と魔装の展開を同時に行うことを可能にしたんじゃな。言うのは簡単じゃが、これはなかなかに難しいのう。あやつめ、これを完成させるまでにどれほどの犠牲を積み上げたとこやら。不死の術を研究する過程で生まれた副産物なんじゃろうが、たいしたものじゃ。まあ、あの若造に教えたところでどうなるでもなし、ここでおとなしく指をくわえて若造の勝利を願うしかあるまい。第一、ここからでは聞こえやせんしの」
 犠牲者を少々哀れみつつも、静かにDrカオスは言った。
「……あいつの人工霊魂は無から生み出された物ではなく、人間の魂と融合させて生み出すと、この前言ってたわよね……私が言えた義理じゃないけど、あいつ、堕ちるとこまで堕ちたのね……」
 Drカオスの言葉に、ジゼルは何を思ったか、少しだけ悲しそうに呟いた。

 バチカンの資料がどうやら当てにならないことを悟った唐巣は内心、敬虔な修道者にあるまじき罵倒を繰り返していた。
 魔装術唯一の欠点である持久戦を、どうやってかは知らないが、目の前の男は克服しているようだ。
 であれば、持久戦に持ち込んだのは手痛いミスだった。
 魔装術に意識と肉体を乗っ取られる、その最大の隙を突くという唐巣のプランがもろくも崩れ去る。
「くそったれ……調査が甘いよ。私の体力がもう持たない……」
 しゃべれば咽喉の奥がくっつきそうになり、嘔吐感がこみ上げてくる。
 水を一口でも飲みたかったが、前の男相手では叶わぬ相談だ。
 唐巣には、力の続く限り攻めるしか、もう手は残されていない。
「しゃあ!」
 残り少ない霊力を込めた唐巣の神通棍が、ハーディーの右肩を袈裟懸けに襲う。 
 しかし、速度も威力も最初に比べれば雲泥の差だった。
 その一撃をハーディーは軽々受け止めると、無造作に神通棍をへし折る。
「そろそろ、限界だね」
 折れた神通棍の残骸を投げ捨て、ハーディーは無慈悲に言い放つ。
 唐巣に残されたのは精霊石一個と、残りかすの様な霊力と体力のみだった。
「はっ、はっ、……確かに限界だが、終わりじゃないさ。……まだ、私は生きてるからな……」
 顔の筋肉が痙攣しそうだったが、無理やり笑い顔を作る。
「しぶといねっ!」
 ハーディが決着をつけるべく霊波砲を打ち込むが、それを紙一重で唐巣がかわす。
 攻撃をかわした唐巣からの反撃はなく、その場でふらふらと姿勢を崩す。
 体勢の崩れた唐巣に、連続で霊波砲を繰り出すが、そのことごとくをかろうじてかわした。
「しつこい!」
 全力で止めを刺しにいった攻撃を全てかわされ、苛ついたハーディーが一気に唐巣との間を詰める。
 左右の抜き手を変幻自在の軌道で繰り出していくが、唐巣はおぼつかない足取りで服を引き裂かれ、皮膚を抉られながらもなんとかかわしていく。
 夕焼けが異常な赤みを帯びた平原で、まるで天使と悪魔が踊り狂うに似た二人の姿だった。

「このままじゃ、唐巣さんが死んじゃうわね……」
 その二人の姿に、大地に縛りつけられているジゼルが、恐ろしく静かに言った。
「その後は、わしじゃろーな」
 ジゼルの変化に気づかないDrカオスが、冗談のように軽い口調で返す。
 この老人も、唐巣と同様に未だに全てを諦めているわけではなさそうだ。
 だが、今の彼女にはその言葉は耳に入ってはいなかった。
「……あいつ。……いえ、兄さんはこの世で唯一の肉親。ベリアルを押し付けて失踪したことも、心のどこかでは許すことが出来るかもしれないと思っていた。……でも、もう駄目ね。限界だわ。……これで終わりにしましょう……」
 ジゼルは小さく呟いた。
 全ての業を背負う覚悟を決めた者の、穏やかとさえいえる表情で。

 ついにハーディーの拳が唐巣の鳩尾をとらえ、うめき声と共にその体が数メートル以上吹き飛ばされてしまう。
 唐巣は苦痛を打ち消すようにごろごろと大地を転がり、その後懸命に立ち上がるが、その口からかなりの量の血がこぼれ落ちる。
 これほどに喉が渇いているにもかかわらず、自分の血の味はひどく生臭く、今まで以上の渇きを覚えた。
 血の塊を飛ばしつつ、半ば焦点が合わない目で唐巣は言う。
「……しょうがない、私も切り札を使おうか……」
「今さら何を? ハッタリかい? 自分から切り札を使うなんて宣言したら、勝負にはならないなぁ。……言っておくけど、最高級の精霊石なら魔装を削り、肉体にある程度のダメージを与えられるだろうけど、私に対する止めにはならないよ?」
 ハーディーは勝利を確信しながらも、目の前の唐巣の姿に何故か嫌な予感がはしる。
 その彼の悪寒などをよそに唐巣が答えた。
「……そんなこと、わかってるよ。……それに、ついさっき思いついた上に……命がけになりそうなんだよ……」
 意識すら朦朧としているこの男に今さら何が出来るかは知らないが、しかし、危険であることはわかる。
 自分を見据える唐巣の姿に、背筋が寒くなる。
 何故、この男はここまでしぶといのか? ここまで戦うことに何の価値があるのか? 神に仕える人間とは皆こうなのか?
「狂信者め!」
 悪寒を振り払うように、自らの手で決着をつけるべくハーディーが間合いを詰めようと飛び出す。
「――ドロックス・ムロックス・イーゼナロス――精霊石なる汝に命じる――我と一つに――」
 唐巣の呼びかけに精霊石が反応し、普段の高貴な輝きからは想像もつかないほどに、暴虐な色を帯びて輝きだす。
 それは、魔女の使う言霊であり、希石の力を引き出す異教の呪文であった。
 極限まで引き出された聖霊石の力が全て、唐巣の中に吸い込まれていく。
「くそ! 相打ち覚悟か!」
 すぐ傍まで距離を詰めていたハーディーが、唐巣の思惑に気がつき罵倒した。
 本来なら広範囲に放出される石の力を、最大限にまで引き出して己の体に集約し、一方向に解放つ。
 つまり、ジゼルが行った業の応用であり。これならば、魔装を貫きハーディー本体の霊力中枢を打ち抜ける。
 事実、それに十分に足る霊力が唐巣の体に満ちている。
 しかし、そんな大出力の霊波砲を練習も無しに、動き回る敵に当てることなど、立っているのもやっとの唐巣では不可能に近い。
 だからこそ、ハーディーが自分に止めを刺した瞬間を狙う、相打ち覚悟の一撃だった。
 その覚悟にハーディーは戦慄を覚えた。
 こいつは確実に狂っている。
「うわあぁぁっ!!」
 ハーディが絶叫もろとも抜き手を繰り出す。狙うは唐巣の心臓。
 自分の霊力中枢が破壊されても死ぬわけではない、この戦いは最後に生きていれば勝ちなのだ。
 ともかく、この狂った男を今この場で殺さなければいけない。
 こいつは危険すぎる。
 自分が真に恐れるべきはDrカオスではなく、この日本人だったのだ。
 人間に対して、初めて恐怖を覚えたハーディーがあげた絶叫だった。
「――父と子と聖霊の御名のもと、聖霊石の力を統べ、唐巣和宏が命じる――」
 ハーディーの戦慄になどかまう事無く、無心で霊力を集中する唐巣。
 心身ともに極度に疲労している為か、それとも別の作用が働いている為なのか、今の唐巣に恐怖も迷いもない。
 この一撃が今の自分に出来る最高のものであるという確信と、何故か沸き起こる充足感に彼の心は満たされていた。
 唐巣は限りなく透明な表情をその顔に浮かべた。
 そして、二人に決着がつくと思われた瞬間に上がったのは、唐巣でもハーディーでもない、ジゼルとベリアルの叫び。
「ベリアル!! 冥約条項、第2条13項を実行せよ!!」
「我ニ! 13秒ノ自由ヲ!!」
 大地にへばりつくになったままのジゼルの命令に、同じく束縛結界に囚われているベリアルの体が一瞬で変化する。
 黒くずんぐりとした低級悪魔から、鋭い爪と黒光りする甲殻を持ち、とてつもない霊力を漲らせた体長2メートルは越す禍々しい姿へと。
 今まさに唐巣と相打という時、後方からベリアルの異常な霊力の変化を感じ取り、振り向きざまハーディーが叫ぶ。
「バカが! なんてことをする!!」
 振り返ったハーディーのすぐ目の前には、束縛結界をいとも簡単に破り、いやらしく笑うベリアル。
「くっそおおおお!!」
 実の妹による容赦無い行為に、ハーディーの頭に血が上る。ここまでジゼルが手向かうとは思っても見なかったのだろう。
 唐巣からベリアルに攻撃対象を変えたハーディーの一撃は、悪魔の右肩を抉るが、致命傷には程遠かった。
「キキキ! ワンテンポ遅れたな! あばよ、ハーディー」
 ベリアルの鋭い爪が、いとも簡単に魔装術ごと彼の左肺を貫き、霊体すらもこなごなに打ち砕く。
「ハーディー!!」
 ロベルタの悲痛な叫びが轟くが、彼はその体を貫かれたまま動かない。
 そして、ハーディーの魔装術と彼による束縛結界が唐突に解除された。
「あああああっっっ!!」
 結界が解かれ、体の自由がもどった事の意味を理解し、激情に駆られた人造人間がベリアルに襲い掛かった。
「俺は忙しいんだよ」
 ベリアルは言い捨てると、右手に貫いている遺体を、自分に向かってくるロベルタに無造作に投げつける。 
 ロベルタは投げつけられた遺体を優しく抱きかかえようとするが、予想外の力を込められていた為、遺体共々石柱まで吹き飛ばされた。
 しかし、それでも遺体に衝撃が少ないようにと、自分の機体をクッションにする。
 二人の打ち付けられた石柱は砕け、ロベルタの体は半ば圧解した。
 唐巣の目は、突然の成り行きに見開かれたまま。
 まったく現状を理解できない。
 ベリアルが解放され、ハーディーが死んだ。
 それだけのことだが、心が理解することを拒絶する。
 ただ、目の前の事態が他人事のようにしか感じられず、その場に立ち尽くすのだった。
 自由を得る千載一遇のチャンスとばかりに、呪縛から解放されたベリアルがすぐさま、マスターであるジゼルに襲い掛かろうとする。
「さあ、まだ7秒近くある。ハーディが地獄でまってるぜぇ? ジゼル!!」
「……そうね、兄妹喧嘩は地獄でするわ……」
 疲れ果てた声を出し、ジゼルが言った。 
 彼女のその声に、呆然としていた唐巣の肉体と精神が反応し、先ほどまで己の肉体に溜めていた霊力をベリアルに放とうとする。
 ベリアルは今背を向けているが、移動している為狙いが定まらない。
「一瞬でも良い、止まれ!! ――神よ!!」
 祈りを込めた唐巣の叫びが届いたか、突如ベリアルの側頭部が爆発し、その動きが止まった。
「キィッ!?」
 突然のことにベリアルが混乱する。ベリアルが右方向を見ると、マリアの転がっていた左腕の指ががっしりと大地を掴み、せり出した銃口から硝煙が上がっていた。
「どうじゃ? 聖霊石弾頭弾の味は?」
 いつの間にか、マリアの傍らに立っていたDrカオスが不敵に笑った。
 それを見たベリアルが何か罵ろうとするが、しかし。
「――汝、『無価値なる者』ベリアルなれば、汝にふさわしき場所に立ち退け!!」
「――!!」
「アーメンッ!!」
 少しでも命中精度を上げるべく、間合いを詰めていた唐巣の一撃が不意を突き命中した。
「キイイ!!」
 ベリアルの左半身が吹き飛ばされ、無念の叫びを上げてその場に崩れ落ちる。
 残念ながら、致命傷にまでは至ってないらしく、リミットがきれると同時にいつもの低級悪魔に戻ってしまった。
 そして、気絶しているベリアルと、石柱の残骸に埋まり動かないハーディーとロベルタを見た唐巣が全てが終わったことを確認し、ゆっくりとジゼルに向かって歩いていく。
 その足取りは見るからに重く、全てに絶望しこの世を儚んだ世捨て人の様でもあったが、顔には怒りと悲しみが同居していた。
 横たわったまま虚ろなジゼルに、無言で肩を貸し、立ち上がらせようとする。
 唐巣は何も喋らない。
 言うべき言葉が見つからない。
 何とかジゼルを立ち上がらせたとき、瓦礫が崩れる音がした。
 音のする方向にはロベルタとハーディーの遺体があり、全員に緊張が走る。
 見れば、ハーディーの髪の毛をゆっくりとぎこちなくかきあげるロベルタの姿。
 その動作は緩慢で、ひどく疲れ果てているようであり、悲しみの彫像のようでもあった。
 ただ無言で、愛しい遺体の髪から顔に、指を伝わらせている。
 それを見つめる一同にも声はない。
 しばらくの間、無心でそれを繰り返していたロベルタの指が不意に止まり、唐巣等を見た。
 その仕草にDrカオスが声を上げる。
「いかん! 下がれ若造!」
 Drカオスの声に反応するように、ロベルタが悲しく笑い、何か呟いた。
 そして、それと同時にハーディーとロベルタは紅蓮の炎に包まれたのだった。
 全てを焼き尽くし、融解させるほどに強力な炎が、日の落ちた平原を夜空共々赤々と焦がしていく。
 その炎は、不謹慎ながらも美しかった。
「自己消滅用のナパームを使いおったか……」
 Drカオスは目的を達する事が出来なかった悔しさを滲ませながらも、自分等の鏡像でもある二人の火葬に、柄にもなく祈りを手向けると、唐巣とジゼルに振り返った。
「さて。それでは、わしらはこの辺で退散させてもらうぞ。マリアの修理をしなければならんでの。目的が達成できなんだのが本当に口惜しいが、まあそれでも、久々に面白かったから良しとするか。そうそう、ベリアルに関してはこのヨーロッパの魔王に任しておけ、修理が済み次第こちらから連絡を取るからの。それじゃあ嬢ちゃんに若造、近いうちにまた会おうぞ。若造のほうは特にな」
 にんまりと下心が見え隠れするようなDrカオスの笑い顔に、唐巣は気味悪がりながらも軽く手を振った。
「グッバイ・ミスター唐巣。ミスジゼル」
 マリアがかすかに笑ったように言うと、Drカオスの掛け声と共に二人の不死者は空へと飛び立っていった。
 ジゼルは放心した表情のまま唐巣に寄りかかり、その二人をぼんやりと見送った。
 仕方ないとはいえ、実の兄を手にかけてしまった後悔に、打ちひしがれているのだろう。
 正面の炎を見据えたまま、問い詰めるでもなく、責めるでもない口調で唐巣が静かに聞いた。
「何故あの時、ベリアルを解放したんだ。君は、本来のベリアルがあそこまで強力な悪魔と知っていたのだろう?」  
 その問いに、ジゼルは視線を落とし、淡々と答えた。
「兄さんはベリアルを押し付けるまでは、私の面倒を見てくれていたわ。けれど、それはきっと、唯一の肉親としてのしがらみがあったせいでしょうね。私個人の存在を、人格を認めていたわけじゃなく、妹という符号としてしか認識していなかった人だから。でも、唐巣さんは違った。赤の他人である私を無償で助けてくれたわ。お金も、体も、なんの見返りも要求せずに一人の人間として私に接してくれた……嬉しかった……。私は今まで誰からも疎まれていて、避けられて、それが当たり前だと思っていたし、別につらくも無かったけれど、でも、ああ、これが一人の人間として接してもらうことなんだっていうのを初めて味わって、内心すごく嬉しかった。言わなかったけど、他人とまともな会話をしたのって唐巣さんがほとんど初めてで、からかったりして悪かったけど楽しかった。だから、そんな唐巣さんに死んでほしくないと思ったわ。ただそれだけの理由よ……」
 そして、その結果が実の兄の死であるという事実に、唐巣の胸はひどく痛んだ。
 自責と、ジゼルへの憐憫に言葉が出てこない。
「そうか……」
 会話は途切れ、二人は静かにそれぞれの思いに沈んでいった。
 ジゼルがしばらく炎に見入っていると、その燃え盛る音の中に唐巣の呟きが聞こえ、ゆっくりと彼の横顔を見る。
 唐巣の顔は炎に照らされ、いつもより慈悲深く見え、より深く思いに沈んでいるようにも見えた。
 ジゼルの問いかける視線に気がつき、唐巣が寂しそうに先ほど呟いた言葉を繰り返した。
「然(しか)あれかし、さ」
 発音からすれば日本語のようだが、聞いたこともない言葉にジゼルの眉が寄る。
 その仕草に、唐巣が続けた。
「ああ。……『然あれかし』受難に満ちた運命の中でも己を見失わずに、そうなりますようにと願うこと……つまりは、『アーメン』って事さ……」
 その祈りの言葉に、ジゼルは何かをかみ締めるように無言のまま俯いた。
 そして、長い沈黙の後、唐突にジゼルが切り出した。
 何かを振り払うように、少しだけおどけた口調で。
「ねえ、この後唐巣さんはどうするの?」
 その言葉に、とりあえずは全てが終わったことを今さらながらに実感し、忘れていたことを思い出したように唐巣が答えた。
「そうだな、とりあえずはバチカンに報告に行かなくちゃならないが、その後はどうするかな? ベリアルについてはバチカンかDrカオスが何とかしてくれるだろうが、完全に片付いたわけではないし。……もっとも、先に君のリハビリを手伝わなければいけないね。ふむ……」
 ゆっくりと、さも重大な懸案であると言わんばかりに、やや大げさに考え込んだ。
 そして、唐巣はジゼルとベリアルを交互に見やり、久しぶりに皮肉でからかうような笑みを浮かべて続けた。
「もう少しだけ、天使と戯れ悪魔と踊るさ」
 彼と彼女の若き苦悩をやさしく包み込んだ炎は、朝が夜を侵し始めるまで燃え続けたのだった。

   
                         了


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