『ミッション・トゥ・マーズ』:2000、アメリカ

2020年、NASAは人類初の有人火星探査機マーズ1号の打ち上げを決定した。マーズ1号には、ルーク・グラハム、セルゲイ・キロフ、ニコラス・ウィリス、ルネ・コットの4人が乗り込むことになった。乗組員となるはずだったジム・マッコーネルは、妻マギーを失った悲しみから搭乗を断念し、宇宙ステーションで任務に就くことになった。
マーズ1号は発射され、ルーク達は火星に到着した。だが、彼らは巨大な砂嵐に巻き込まれて連絡が途絶えてしまう。マーズ2号に搭乗予定だったウッディー・ブレイクと妻テリー、フィル・オルマイヤー、そしてジムの4名は、救出ミッションに向かう。
マーズ2号は火星へと近付いて行くが、機体に穴が開いて空気が漏れ出す事故が発生する。何とか危機を脱したジム達だが、燃料漏れによるエンジントラブルに襲われる。彼らは宇宙遊泳で火星着陸を試みるが、ウッディがロケットのトラブルで命を落とした。
火星の基地に辿り着いたジム達は、そこでルークを発見する。他の3人は死亡したが、ルークだけは植物による水と食料の供給で生き長らえていたのだ。ルークはジム達に、巨大な人面岩からメッセージが発信されていることを告げた。そのメッセージとは人間のDNA構造であり、発信者である火星人は人面岩でジム達の到着を待っていた…。

監督はブライアン・デ・パルマ、原案はローウェル・キャノン&ジム・トーマス&ジョン・トーマス、脚本はジム・トーマス&ジョン・トーマス&グレアム・ヨスト、製作はトム・ジェイコブソン、共同製作はデヴィッド・ゴイヤー&ジャスティス・グリーン&ジム・ウェダー、製作協力はテッド・タリー&クリス・ソルド&ジャクリーン・ロペス、製作総指揮はサム・マーサー、撮影はスティーヴン・H・ブラム、編集はポール・ハーシュ、美術はエド・ヴァリュー、衣装はサーニャ・ミルコヴィック・ヘイズ、視覚効果監修はホイト・イートマン&ジョン・ノール、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はゲイリー・シニーズ、ティム・ロビンス、ドン・チードル、コニー・ニールセン、ジェリー・オコンネル、キム・デラニー、エリス・ニール、ピーター・アウターブリッジ、キャヴァン・スミス、ロバート・ベイリーJr.、マリリン・ノリー、マッキャンナ・アンソニー・シニーズ、チャンル・コンリン、フレダ・ペリー、リンダ・ボイド、パトリシア・ハーラス他。


ブライアン・デ・パルマ監督が珍しくSFに挑んだ作品。ジムをゲイリー・シニーズ、ウッディーをティム・ロビンス、ルークをドン・チードル、テリーをコニー・ニールセン、フィルをジェリー・オコンネル、マギーをキム・デラニーが演じている。また、アンクレジットだが、計画責任者の役でアーミン・ミューラー=スタールが出演している。

『2001年宇宙の旅』をベースにして、様々な映画から美味しそうな要素を頂戴して組み合わせた、という感じがする映画だ。
どういう経緯、どういう意識で作ろうが、出来上がった料理が美味しければ文句は無い。
でも、美味しくないので、どうしようもない。

オープニング、カントリー・ミュージック(ケイジャン音楽かもしれない)が流れる中で、ガーデン・パーティーが行われている。その様子を見て、舞台が近未来だと思える観客は皆無だろう。その導入シーンからして、既に失敗は始まっている。
オープニングの長回しのための長回しを始めとして、デ・パルマ監督は得意の映像テクニックを駆使しようとする。しかし、彼はアナログの枠内における映像テクニシャンであり、デジタル合成を多用したSF映画では、彼の映像テクニックは埋没してしまう。

別れのシーンを盛り上げるための伏線なのだろうが、ウッディーとテリーが無闇にイチャイチャする。妻を失った悲しみを引きずるジムの前でも、平気でイチャつく。消息不明になっている仲間達を救出に行くのに、なぜか妙に陽気なのである。
ジムも含めて、ミッションに向かう面々はトラブルに見舞われるまで、緊張感や使命感は全く見せない。ウッディーとテリーに至っては、いきなり呑気にダンスを始めたりする。たぶん「無重力空間でのダンス」を映像として見せるため、強引にでも挿入したのだろう。
そして、やたらとアツアツな様子を見せ付け、別れのシーンを盛り上げようとしているのだが、火星に到着するとウッディーの死など完全に忘れ去られる。クライマックスに何か関連してくるのかというと、それも無い。後に続く効果的作用は何も無いのだ。

一方、エンディングに絡んでくるのは、ジムと妻の関係である。ところが、こちらはジムのマギーに対する強い想いが、それほど描かれているわけではない。だから、こっちはこっちで効果が無く、ジムの最後の決断も「はあっ?」という感想になってしまう。
どうやらジムは妻を失って阿呆になってしまったらしく、トラブルが起きた時に「酸素が薄くなって危険だからヘルメットを着けて」とテリーに強く言われているのに、完全に無視を決め込む。別にマギーの後を追って死にたがっているわけではない。で、死にそうになって、何とかテリーに助けてもらう。何がしたいんだか、ワケが分からない。

ジム達は火星で消息が途絶えた仲間の救出ミッションに向かうのであり、事件は火星で起きている。しかし何事も無く火星に辿り着くのではなく、行く途中で大きな2つのトラブルに遭遇する。だが、その2つのトラブルは、火星の問題とは全くの無関係なのだ。
しかも、そのトラブル回避のミッションを重要視してしまう余りに、火星における謎解きは、クライマックスとしての盛り上がりを失ってしまう。大体、最初に仲間が3人も死んでいるのに、そのことは完全に忘れて、なぜか火星人と仲良くなってしまうのはどうなのか。

火星に到着するまでは、曲がりなりにも科学的考証をしながらシリアスに進めている(その科学的考証が正しいかどうかは別にして)。ところが火星に到着して人面岩や火星人が登場すると、いきなり荒唐無稽なファンタジーになってしまうのだ。
火星に辿り着いた後、ジムは荒唐無稽な推理で、荒唐無稽な答えに辿り着く。人面岩の中に入ってからは、「遠い星の巨大な顔の中にいるのだから、なんでもありだ」などと言い出す始末。そんなメチャクチャな開き直りをされても、観客は困ってしまうぞ。

最初から「なんでもあり」と言われていたら、それは受け入れよう。しかし、最初にボクシングの試合としてゴングを鳴らしておきながら、第8ラウンドに入ったら急にアルティメット・ルールで戦い始めたら、それは反則以外の何物でもないだろう。
それを強引にネジ伏せるアントニオ猪木イズムは、デ・パルマ監督には無いのだ。


第21回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低監督賞[ブライアン・デ・パルマ]

 

*ポンコツ映画愛護協会