『メッセージ・イン・ア・ボトル』:1999、アメリカ

シカゴ・トリビューン紙の調査員をしているテリーサ・オズボーンは、息子ジェイソンが別れた元夫と過ごす間、マサチューセッツ州ケープ・コッドで休暇を過ごすことにした。ジョギングをしていた彼女は、海岸で手紙の入ったボトルを拾う。手紙に書かれていたキャサリンという女性宛ての愛のメッセージに、テリーサは心を打たれる。
休暇を終えたテリーサはオフィスに手紙を持っていき、仲間達に話をする。それを聞いたコラムニストのチャーリーは、ボトルの手紙についてコラムに書く。無断で記事を書いたことを怒ったテリーサだが、読者からは反響の手紙が殺到した。そして、その中には「同じ人物が書いたと思われる手紙を拾った」という内容の手紙もあった。
テリーサは調査を開始し、手紙を書いた人物が住んでいる町がノースカロライナ州のアウターパンクスにあることを突き止める。テリーサはチャーリーに頼んで自らアウターパンクスに向かい、手紙を書いたギャレット・ブレイクと出会う。
ヨットの建造で生計を立てているギャレットは、2年前に妻のキャサリンを亡くしていた。テリーサはギャレットに惹かれ、ギャレットもキャサリンへの愛情を抱きつつもテリーサに惹かれていった。やがてギャレットはテリーサに誘われ、彼女の家を訪れる。だが、そこでギャレットは自分の書いた手紙とボトルを発見してしまう…。

監督はルイス・マンドーキ、原作はニコラス・スパークス、脚本はジェラルド・ディペゴ、製作はデニーズ・ディノーヴィ&ジム・ウィルソン&ケヴィン・コスナー、製作協力はレスリー・ワイズバーグ、撮影はキャレブ・デシャネル、編集はスティーヴン・ワイズバーグ、美術はジェフリー・ビークロフト、衣装はバーニー・ポラック、音楽はガブリエル・ヤーレ。
出演はケヴィン・コスナー、ロビン・ライト・ペン、ポール・ニューマン、ジョン・サヴェージ、イレーナ・ダグラス、ロビー・コルトレーン、ジェシー・ジェームズ、ベゼル・レスリー、トム・アルドリッジ、ヴィヴェカ・デイヴィス、ラファエル・スバージ、リチャード・ハミルトン、ローズマリー・マーフィー、スティーヴン・エクホールト、スーザン・ブライトビル、パトリシア・ベルチャー他。


ニコラス・スパークスのベストセラー小説を映画化した作品。
ギャレットをケヴィン・コスナー、テリーサをロビン・ライト・ペン、ギャレットの父ドッジをポール・ニューマン、キャサリンの弟ジョニーをジョン・サヴェージ、チャーリーをロビー・コルトレーンが演じている。

たまに波乱じみたモノはあるものの、基本的には2人の恋愛模様が淡々と綴られていく。充実した心理描写によって、観客の気持ちを引っ張るわけでもない。
たぶん監督としては、ゆっくりとしたテンポで、じっくりと大人のロマンスを描き出そうとしたのだろう。だが、結果的には単に間延びしているだけになっている。

まず、最初にテリーサが拾った手紙の内容は、大して感動的だとは思わない。
テリーサが手紙に心を打たれるのは、やはり夫の浮気で離婚したとか、息子が夫の元にいて寂しいとか、そういった彼女の置かれた状況があってこそだと思う。
それを考えると、ボトルを拾う前に、彼女の置かれた状況をもう少し詳しく示す必要があったのではないだろうか。ただし、その描写があっても、テリーサの感動が観客に伝わるかどうかは不明だが。
でも、テリーサの会社の女性達も心を打たれているので、あの手紙で世の中の大抵の女性達は感動するのかもね。

テリーサはチャーリーが手紙のことをコラムにした時、「プライベートな手紙なのに」と言って怒るのだが、そのプライベートな手紙を会社の連中に見せびらかしたアンタはどうなのかと思ってしまった。
見せた相手が少ないか多いかの違いだけで、テリーサだってチャーリーと同じようなことをやってるような気がするんだけどね。
で、「プライベートな手紙なのに」と言ってコラムのことを怒ったくせに、テリーサは手紙を書いた人物を積極的に探す。プライベートなことだと思うなら、放っておいてあげなさいって。
言ってるコトとやってるコトにズレがあるように思えるんですが。

テリーサはギャレットに会った時に、なぜか自分が来訪した理由を隠す。
事情を説明して取材するのが普通だろうから、それを明かさないってことは、テリーサは「手紙の人物が男前だったら誘いを掛けようと最初から狙っていた」としか考えられない。
で、その初めて出会ったテリーサを、すぐにセーリングに誘うギャレットの神経も理解できない。亡くなった妻への気持ちを今でも引きずっているはずなんだから、初対面の女をナンパするような振る舞いは、どう考えたっておかしいでしょ。
劇的な出会いだったとか、テリーサが妻に似ていたとか、そういうわけでもないんだし。

ギャレットが女性に誘いの言葉を掛けるのが珍しいことだとしたら、それを分かりやすく観客に説明する必要がある。だから、もしそうだとしたら、テリーサと出会うまでに、ギャレットがなるべく人との付き合いを避けている様子を描いておくべきだった。
無口という設定らしいが、テリーサの前では最初から普通に喋ってるし。
どうもテリーサとギャレットは出会った瞬間から惹かれ合っているように見えるんだけど、それも不自然なんだよなあ。愛を好きになる映画的な“決め”のポイントがあれば引っ掛からなかったのかもしれないけど、そういうモノは見当たらない。
だから、テリーサもギャレットも、パートナーを見つけたくてウズウズしていたようにしか見えないのよね。

終盤、ギャレットは嵐が来そうなのに船に乗って沖に出るのだが、その必然性が見当たらない。彼曰く「キャサリンに別れを告げるため」らしいのだが、別れを告げるために沖に出る理由も、嵐の日でなければならない理由も、サッパリ分からない。
で、あまりにも都合良く、嵐で船が転覆した人々がギャレットを待ち受けている。まるでギャレットが最初から、転覆する人々がいるのを予知していたかのような展開だ。
で、ギャレットは彼らを助けて死んじゃいましたとさ。
なんじゃい、そりゃ。

“メッセージ・イン・ア・ボトル”というタイトルは、見事に映画の内容を言い表している。
映画が観客に示そうとしたメッセージは、ボトルの中に入ったままだということだ。ボトルが開けられることは無く、映画に込められたメッセージは観客には届かないのだ。


第20回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低主演男優賞[ケヴィン・コスナー]
<*『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』『メッセージ・イン・ア・ボトル』の2作でのノミネート>


第22回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の主演男優】部門[ケヴィン・コスナー]
<*『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』『メッセージ・イン・ア・ボトル』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会