『夢の降る街』:1991、アメリカ

ノースカロライナの孤島で祖母と共に暮らしているマリーナには、予知能力があった。運命の男性に巡り合うことを予知した彼女は、島に現れたリオが相手だと確信し、結婚を決めた。彼女はリオと共に、彼が暮らすニューヨークへと向かった。
リオは肉屋を営んでおり、マリーナも店を手伝い始めた。彼女は予知能力があるので、客が注文する前に肉を準備した。マリーナは常連のロビンに、「笑顔の後ろに彼がいる。怖がらず前に進め」とアドバイスを送った。ロビンは恋人の精神分析医アレックスに結婚を申し込むが、彼は「結婚は自発的に決意すべきだ」と返答を避けた。
マリーナは、アレックスの患者で問題児扱いされている少年ユージーンを店で雇うことにした。アレックスは、ロビンの一件やユージーンが来なくなったことでマリーナに反感を抱いた。マリーナはアレックスに、「ロビンには結婚しろとアドバイスしたわけじゃない。あなたとロビンは互いに意識しているが、結ばれない」と告げた。
マリーナは、たまたま入ったグレースのブティックで、客として来ていたステラにドレスで着飾って歌うようアドバイスを送った。引っ込み思案なステラはアレックスの元に通っていたが、マリーナのアドバイスを受け、バーでブルースを歌うことを決意した。マリーナは、後で店に来たグレースに、「すぐに2人分の食事を作ることになる」と告げた。
リオは、奇妙なことばかり口にするマリーナに不安を抱き、アレックスに相談した。リオは、マリーナをアレックスの元へ行かせることにした。だが、マリーナは運命の相手がリオではなく、アレックスだと確信する。一方、リオはステラに惹かれるようになっていく…。

監督はテリー・ヒューズ、脚本はエズラ・リトワック&マージョリー・シュワルツ、製作はウォーリス・ニキータ&ローレン・ロイド、製作総指揮はアーン・シュミット、撮影はフランク・タイディー、編集はドン・キャンバーン、美術はチャールズ・ローゼン、衣装はテアドラ・ヴァン・ランクル、音楽はマイケル・ゴア&スティーヴ・ジェイ・ジョンソン。
主演はデミ・ムーア、共演はジェフ・ダニエルズ、ジョージ・ズンザ、メアリー・スティーンバージェン、フランシス・マクドーマンド、マーガレット・コリン、マックス・パーリック、ミリアム・マーゴライス、ルイス・アヴォロス、クリストファー・デュラング、ヘレン・ハンフト、チャールズ・ピアース、エリザベス・ローレンス、ステファニー・ローレンス、バリー・ニークラグ、エド・ケニー他。


『ゴースト ニューヨークの幻』でブレイクしたデミ・ムーアが主演したロマンティック・コメディー。マリーナをデミ・ムーア、アレックスをジェフ・ダニエルズ、レオをジョージ・ズンザ、ステラをメアリー・スティーンバージェン、グレースをフランシス・マクドーマンド、ロビンをマーガレット・コリン、ユージーンをマックス・パーリックが演じている。
演出のテリー・ヒューズはテレビ界の人で、これが映画初監督。シナリオの2人は、これが共に初脚本。

この映画では、金髪でフワフワした髪型のデミ・ムーアを見ることが出来る。
以上で、この映画のセールスポイントの説明は終わりだ。
それが全てだ。

この映画では、マリーナの特殊能力が大きな意味を持っていなければならないはずだ。ところが、実際には大した意味を持っていない。序盤、彼女はロビンに「怖がらず前に進め」と告げる。だが、それは予知能力が無くても出来る程度のアドバイスだ。
そこは、マリーナの能力の素晴らしさをロビンに対してではなく、観客にアピールすべき場面だ。ならば、もっと具体的な内容のアドバイスにすべきだろう。あと、その程度のアドバイスでロビンが「マリーナは超能力者だ」と完全に信じるのも、どうなのかと。

マリーナはユージーンをバイトに雇うが、これも特殊能力とは全く関係が無い。問題児扱いされているユージーンを雇うのは、マリーナの優しさを示すことにはなるだろう。しかし、ユージーンに関しては、マリーナの能力は全く関わって来ない。
アレックスからロビンのことで批判を受けたマリーナは、「結婚しろとアドバイスしたわけじゃない」と釈明する。しかし、だったら最初から、もっと分かりやすいアドバイスを送れと言いたくなる。どうして曖昧な言い方しかしなかったのかと。

マリーナは、都合良く入ったブティックで、都合良く現れたステラにアドバイスを送る。しかし、それまでの能力発揮シーンと同じく、ここにも夢やファンタジーが無い。これは、そのシーン、その瞬間だけの問題だけではなく、前後にも問題がある。
マリーナからアドバイスを受ける女性達の生活ぶりが、それまでに描かれていれば、抽象的な内容のアドバイスも意味を持って伝わる。だが、女性達が登場してすぐにアドバイスでは、マリーナの言葉がどういう意味を持つのかは、その女性にしか分からない。
例えばステラがマリーナのアドバイスで勇気を得て、派手なドレスを着てバーで歌うという流れは、「それまでは地味で臆病だった」ということが描写されていてこそ効果的なのである。それは、マリーナの予知の後で描いたとしても、もう遅いし。

前半の内に、マリーナの予知能力をファンタジーとしてアピールできていないのは、大きなミステイクだ。恋愛のアドバイスではなく、ベタベタではあるが、事故から誰かを救うなど「予知で誰かの人生を良い方向に変えました」と分かりやすく見せた方が良かったと思う。
「マリーナが予知能力で周囲の人々にアドバイスを送る」という部分と、「運命の相手を間違えた」という部分が、上手く噛み合わない。マリーナが自分に関する予知を間違えたというのであれば、他の人へのアドバイスも間違いだという可能性が出てくるのだ。

マリーナは、前半で予知能力によって周囲の人々をハッピーにしているわけではない。予知能力が何かを大きく変えたというシーンは見当たらない。ステラへのアドバイスにしても、予知能力が無くても出来る程度のアドバイスでしかない。
「予知能力の発揮」をアピールする方法として、恋愛のアドバイスというのが効果的に働いていない。「別れるか結ばれるか」という明確な答えがあればともかく、「アタックしろ」とか「いつか恋人が来る」というのは、予知能力が無くても普通に言える言葉だし。

脇には色々と使えるキャラクターが出てくるのだから、彼女達を予知能力でハッピーにしていくという様子を、前半で見せておけばいいのに。
グレースとロビンなんて、アドバイスを受けた後、すっかり消えてしまうし。
この2人などは、アドバイスを受けたのは序盤なのだから、前半の内にハッピーな答えを与えてしまうべきじゃないのか

後半に入ってマリーナとアレックス、リオとステラの2つの恋が進展を始めると、予知能力は全く無関係になる。それに、前半部分ではマリーナとアレックスの関係は何も変化が無いので、その流れだと前半部分は恋愛に何の意味も持っていないということになる。
「予知能力による恋愛が破局に終わって、別の恋が始まりました」という流れは、どうなのかと。
話に恋愛の要素を持ち込むのであれば、「マリーナが能力で周囲の人々をハッピーにして、自分も予知能力で恋人とハッピーになる」という流れにすべきじゃないかと。

マリーナもリオも、相手への罪悪感を抱きつつも自分の恋愛に突っ走ってくれればいいものを、リオはマリーナとの関係を最後まで保とうとする。
その気持ちのままでエンディングを迎えるので、リオに関してはスカッとしたハッピーエンドの印象が無い。


第12回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演女優賞[デミ・ムーア]
<*『夢の降る街』『絶叫屋敷へいらっしゃい!』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会