『光る眼』:1995、アメリカ

カリフォルニア州ミドウィッチ。その日が学校でバザーが行われるため、ジルやカーリーなど大勢の人々が集まっていた。ジルの夫フランクはヘリウムを用意するため、車でバザー会場を後にした。午前10時になった瞬間、ミドウィッチの人々は一斉に気を失った。車で戻ってきたフランクは、ミドウィッチの境界線を越えた途端に気を失い、事故を起こして死亡した。
仕事でミドウィッチを離れていた医師のアラン・チェフィーが戻ってきた時、町の境界線付近には政府から派遣された科学者スーザン・ヴァーナーとスタッフが集まっていた。ヴァーナー達は1人の男にロープを付けて境界線を越えさせると、やはり彼も気を失った。しかし午後4時になった途端、全ての人々は意識を取り戻した。
やがてミドウィッチに暮らす10名の女性達は、一斉に妊娠した。アランの妻バーバラやジョージ神父の妻サラ、ジルなども、その中には含まれている。受胎したのは、10名とも意識を失った日だった。しかし、それは常識では考えられないことだった。カリーは夫ベンが長く日本に出張していたし、メラニーに至っては処女だったのである。
町民会議が開かれ、ヴァーナーは「選択は皆さんの自由だが、産むのであれば政府が資金援助する」と告げた。結局、10名とも出産することを決めた。やがて10名は同じ日に出産を迎えたが、メラニーだけは死産だった。ヴァーナーは研究のため、胎児の遺体を密かに持ち帰った。ヴァーナーとアランが調べた結果、赤ん坊の遺伝子は全て同じ親から産まれたかのように酷似していた。
7ヵ月後、ジルの息子デヴィッドは、アルファベットの書かれたオモチャで自らの綴りを並べてみせた。1年後、バーバラは娘マーラに不注意で熱いスープを与えてしまった。次の瞬間、マーラの目が怪しく光り、バーバラの体を操って右手を煮えたぎる鍋に突っ込ませた。数日後、バーバラは崖から身を投げて自殺した。ヴァーナーは、子供達の超能力が国の利益になるほど強いものだという考えを政府の上層部に説明し、さらなる調査の続行を要求した。
数年が経過し、少年少女へと成長したマーラ達は、外出時には必ず一団となって行動していた。ただしデヴィッドだけは、団体行動を乱すことが多々あった。デヴィッドは、死産から立ち直れていないメラニーと顔を合わせた。デヴィッドがメラニーの心にある自殺願望を読み取った直後、それは現実となった。アランはデヴィッドがメラニーの死産した赤ん坊を探しており、「僕と一緒にいるはずだった」と言うのを聞く。どうやら子供達は、男女がペアになっているらしい。
アランはヴァーナーから、他の国でも同時妊娠の現象が起きている地域があることを教えられた。さらにヴァーナーは、アランにメラニーの赤ん坊を見せた。その醜い姿は、明らかに人間のものではなかった。マーラはアランに対し、子供達だけで町外れの納屋に移って共同生活を始めることを告げられる。マーラ達は政府の抹殺計画に気付き、町を脱出しようと計画する。アランはデヴィッド以外の子供達を滅ぼそうと決意し、心を読まれないよう集中しながら時限爆弾を仕掛ける…。

監督はジョン・カーペンター、原作はジョン・ウィンダム、1960年版脚本はスターリング・シリファント&ウルフ・リラ&ジョージ・バークレイ、脚本はデヴィッド・ヒメルスタイン、製作はマイケル・プレガー&サンディー・キング、共同製作はデヴィッド・チャックラー、製作総指揮はテッド・ヴァーノン&シェップ・ゴードン&アンドレ・ブレイ、共同製作総指揮はジェームズ・ジャックス&ショーン・ダニエル、撮影はゲイリー・B・キッブ、編集はエドワード・A・ウォーシルカ、美術はロジャー・マウス、視覚効果監修はブルース・ニコルソン、音楽はジョン・カーペンター&デイヴ・デイヴィス。
出演はクリストファー・リーヴ、カースティー・アレイ、リンダ・コズラウスキー、マイケル・パレ、マーク・ハミル、メレディス・サレンジャー、トーマス・デッカー、リンジー・ホーン、ピーター・ジェイソン、コンスタンス・フォースランド、ピッパ・ペアスリー、カレン・カーン、コーディー・ドーキン、トリシャリー・ハーディー、ジェシー・クアリー、アダム・ロビンス、チェルシー・デリッダー・シムズ、レニー・レネ・シムズ、ダニエル・ウィーナー他。


ジョン・ウィンダムの小説『呪われた村』を基にした1960年のイギリス映画『未知空間の恐怖/光る眼』のリメイク。
アランをクリストファー・リーヴ、ヴァーナーをカースティー・アレイ、ジルをリンダ・コズラウスキー、フランクをマイケル・パレ、ジョージをマーク・ハミル、メラニーをメレディス・サレンジャー、デヴィッドをトーマス・デッカー、マーラをリンジー・ホーン、ベンをピーター・ジェイソン、カリーをコンスタンス・フォースランド、サラをピッパ・ペアスリー、バーバラをカレン・カーンが演じている。
ハイウェイ・パトロール役で、ビル・ワイマン脱退後のローリング・ストーンズのベース奏者ダリル・ジョーンズが出演している。また、ガソリンスタンドの公衆電話を使っている男の役で、ジョン・カーペンター監督がRip Haightという変名で出演している。

「一片の怖さも無いホラー映画」という説明で済んでしまう作品なんだが、ジョン・カーペンター監督作品なので、そういうわけにはいかない。
マイケル・パレが、出てきたかと思ったらすぐ死んでしまうのにはガッカリした。個人的にジョン・カーペンター監督はアクション寄りの人だと思っているので、マイケル・パレをB級アクション俳優として動かして欲しかったんだけどなあ。『ニューヨーク1999』のシリーズ第3弾を作って、スネーク・プリスケンと対決させてくれないかしら(まあ無理だろうな)。

序盤の集団気絶のシーンからして、ハッタリが足りないせいか、ちっとも不気味さが無い。集団同時妊娠が判明する下りも、演出が淡々としているせいか、やはり不気味さが無い。どちらもホントは、すげえ不気味な現象なんだけどね。コケ脅しも無いしなあ。あと、BGMで雰囲気を作るという手もあるんだけど、ジョン・カーペンター監督作品で音楽に期待するのは無駄。
銀髪カツラの子供達は、赤ん坊の時はともかく、成長してしまうと「得たいの知れない奴ら」というより「生意気なガキども」という印象の方が強くなってしまう。一応は「人の心を持たない無機質で冷徹無比な連中」にしてあるんだが、どうも甘いように感じられる。「恐怖によって大人達を黙らせる」という部分の表現が甘いんだと思う。

ガキどもにそれほどの怖さを感じなかったのは、たぶん「こいつらバカだな」と早い内に思ってしまったのが最も大きな理由だろう。人間の心を読んだり体を操ったりできるなら、分かりやすく自分達の仕業だと明らかにせず、もっと上手いやり方があるんじゃないかと思ってしまう。バレないように上手くやっていれば、あんなに怖がられたり憎まれたりせずに済むだろうに。
逆に恐怖による支配が目的だったとすると、それはそれで行動が物足りない。もっと徹底して大人達を攻撃し、恐怖によって何も抵抗できなくすべきだろう。

あと、マーラ達は大人の言うことを無視したりするくせに、集団で診察を受けたりとか、アランの授業に参加したりとか、そういう風に妙に素直な部分もあるんだよな。その辺りが中途半端に思えてしまう。
それとさ、アランが何か隠していると知った時に、その心を読もうとしているけど、それより体を操作して傷付けたりして、脅迫して吐かせた方が早いんじゃねえのか。

終盤になって、マーラは共生への努力を訴えるアランに対し、「共生すれば貴方達の恨みを買う。だから共生は無理だ」と言うのだが、共生への努力を全くしていない現時点でも、既に恨みを買いまくっているからね。もうメチャクチャだよ。一体どうしたいのか、何がしたいのか、どうにも良く分からない連中なんだなあ。
デヴィッドだけは感情に目覚める兆しがあり、マーラ達に反発したりするんだが、この脚色は大きな失敗だったと言わざるを得ない。ただでさえガキどもの怖さのイメージが弱いのに、デヴィッドが人間サイドに傾くことにより、ますます「銀髪のガキどもは怖い」というイメージ戦略が上手く行かなくなってしまう。この映画に出てくるガキは、みんな怖くなきゃダメよ。

そう言えば、怖がっている人々、怖がっている描写というのが少ないように思える。それよりも、ガキどもを攻撃しようとしたり、抵抗を試みたりした人が殺されるシーンばかりだ。まあ逆らわないと殺してもらえないから、仕方が無い部分はあるんだけどさ。
ただ、それはそれでいいけど、やはり大人が怖がる描写は、もっと入れるべきだったんじゃないの。主人公のアランが感情を抑制するタイプのキャラなので、その近くに観客を同調させるような「怖がる人物」を用意しても良かったかも。

ガキどもが大人を傷付けたり殺したりするシーンが何度かあるが、直接的な表現は抑え気味にしてある。もっとリチャード・ドナー監督かダリオ・アルジェント監督みたいに、思い切って「ケレン味溢れる残酷殺人ショー」として演出してくれても良かったのに、そういうところは妙に遠慮しちゃってるんだよな。
最終的に「大きな犠牲は払ったけれど事件は全て解決されました」みたいな終わり方になっているんだが、それは無いだろう。最後、ジルがデヴィッドを車に乗せて他の町へ行くシーンで終わっているが、すました顔のデヴィッドのアップで終わるのはなぜだ。なぜ彼をニヤリと笑わせたり、目を光らせたりしないのか。なぜ引きを持たせないのか。


第16回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低リメイク・続編賞

 

*ポンコツ映画愛護協会