『ブルーラグーン』:1991、アメリカ

1897年、南太平洋。今から15年前、船の沈没事故によって2人の子供が未知の島に上陸した。地上の楽園で過ごした若い男女は純粋な愛情で結ばれ、出産を経験する。しかし不慮の事故で再び海を流され絶望の果てに死を決意する。そこへ一隻の船が通り掛かり、ボートを発見した。男女は死亡していたが、幼い男児のリチャードだけは生き延びていた。船長と船員は男女を弔い、遺体を海へ投じた。しばらくすると船でコレラが発生するが、伝染病なので寄港することも出来ない。船長は幼い娘のリリーと旅をしているリサを案じ、助けた男児も含む3人をボートで遠ざけることに決めた。
リサたちだけでは心配なので、船長は屈強な船員のケニーを同行させることにした。他の船員たちには気付かれぬよう、ボートは深夜の内に船を出発した。ケニーはリサと子供たちに全く配慮せず、水も与えようとしなかった。漂流が続く中、子供たちが泣き出すとケニーは激しく苛立った。ケニーが自分だけ生き残ろうとしたため、リサは彼を殴り付けて海へ放り込んだ。しばらく漂流していたリサは島を発見し、子供たちを連れて上陸した。
リサが島を捜索していると川に辿り着き、その近くにバナナやタロイモの木が生えているのを見つけた。大雨が降り出したので、リサは浜辺へ戻った。天候が回復するのを待ち、リサは雨風をしのげる場所を探しに行く。彼女が島を歩いていると、リチャードが「おうち」と呟いた。リサか振り向くと手作りの粗末な家があり、リチャードは中に入って「ママ?」と捜し回る。「ママはいないわ」とリサは言い、泣き出すリチャードを慰めた。リサはリチャードを優しく抱き締め、「今日から私が貴方のママよ」と告げる。
リサは船が来たら合図を送る仕掛けを設置し、魚を獲って夕食にした。文明の無い土地ではあったが、リサはリチャードの不作法な振る舞いを厳しく注意した。数年が経過し、リリーとリチャードは少年と少女へ成長する。すっかり島の生活に慣れた2人は、狩りをするようになった。リリーは男女の肉体の違いに疑問を抱くようになり、リサに質問を投げ掛けて困惑させた。リサは子供たちに性教育を始めるが、理解させるのは簡単ではなかった。
リチャードはリサを連れてボートで海に出ると、岩場に下りて魚を狙う。しかしボートが流され、サメに行く手を塞がれて日暮れになってしまう。リチャードは傷を付けた魚を囮にしてサメをおびき寄せ、その隙にボートへ向かってリリーと共に泳ぐ。すぐにサメが追って来るが、何とか2人はボートに上がって危機を逃れた。浜辺へ戻った2人は、「満月の夜は北側へ行かない」というルールを破ったことでリサに注意された。
やがてサラは肺の病気を患い、自分の死期が近いことを悟った。彼女はリリーとリチャードに、穴を掘って墓を作るよう頼んだ。しばらくしてリサは死去し、リリーとリチャードは彼女を埋葬した。2人きりになったリチャードとリリーは、やがて端正な顔立ちの青年と美しい女性へと成長した。ある日、リチャードは浜辺に近付いたサメを挑発し、海に飛び込んで追い掛けさせた。泳いで岩場に辿り着いた彼は、「我こそは海の王者なり」と大声で叫んで勝ち誇った。
リリーの元へ戻ったリチャードは自慢げに語るが、リリーは愚かな行為だと批判した。リチャードはリリーに「君は裸で自分の胸を触っていた」と言い、からかうような態度を取った。リリーは「覗かないで」と嫌がり、「前は平気だったけど、今は違うの」と告げた。「以前のように戻りたいよ」とリチャードが言い、2人は思い出の歌を歌って踊る。倒れ込んだリチャードの顔が近付くと、リリーは困った表情で離れた。彼女が「寝る所を別々にしても構わない?」と提案すると、リチャードは「僕もそう思ってた」と告げた。
ある朝、リリーは陰部からの出血に気付いて動揺する。しかしリサから教えてもらったことを思い出し、赤ん坊を産める体になった証拠だと悟った。心配するリチャードに、リリーは自分が大人になったことを明かした。翌朝、ベッドを動かす手伝いを頼みに行ったリリーは、リチャードの勃起を初めて見て驚いた。からかうような態度を取るリリーに、リチャードは腹を立てた。リリーは母の墓に「彼も私も前とは変わった」と話し掛け、その様子を見ていたリチャードと些細なことで言い争いになった。リチャードはリサの決めたルールを破り、満月の日に先住民の墓地がある北側の土地へ行く。
リチャードは顔に泥を塗り、木陰に隠れて先住民たちの儀式を観察する。先住民は立ち去るが、リチャードは残っていた1人に見つかってしまう。しかし顔に泥を塗っていたため、リチャードは部外者だと気付かれずに済んだ。リチャードは心配していたリリーの元へ戻り、2人は肉体関係を持った。夫婦になった2人が仲良く生活していると、1隻の貿易船が島に接近した。気付いたリリーとリチャードは高台へと走り、様子を観察する。船長のヒリアードや船員たちがボートで島に上陸すると、リリーとリチャードは客として歓迎する。船長の娘であるシルヴィアは、リチャードに興味を抱く。一方、船員のクインランは、リリーが髪飾りにしている真珠を奪おうと目論む…。

製作&監督はウィリアム・A・グレアム、脚本はレスリー・スティーヴンス、共同製作はピーター・ボガート、製作総指揮はランダル・クレイザー、撮影はロバート・ステッドマン、美術はジョン・ダウディング、編集はロナルド・J・フェイガン、音楽はベイジル・ポールドゥリス。
出演はミラ・ジョヴォヴィッチ、ブライアン・クラウズ、リサ・ペリカン、コートニー・フィリップス、ギャレット・ラトリフ・ヘンソン、エマ・ジェームズ、ジャクソン・バートン、ナナ・コバーン、ブライアン・ブレイン、ピーター・ヒアー、アレクサンダー・ピーターソンズ、ジョン・マン、ウェイン・ピグラム、ジョン・ディックス、ガス・マーキュリオ、ジョン・ターンブル、トッド・リッポン、ジョン・キートリー他。


ヘンリー・ドヴィア・スタックプールの小説を基にした1980年の映画『青い珊瑚礁』の正式な続編。
前作の製作と監督を務めたランダル・クレイザーが、製作総指揮として携わっている。
今回の製作と監督は、『ハリー・トレイシー』『魔性の女』のウィリアム・A・グレアム。脚本はTVドラマ『透明人間』や『キャプテン・ロジャース』のレスリー・スティーヴンス。
リリーをミラ・ジョヴォヴィッチ、リチャードをブライアン・クラウズ、サラをリサ・ペリカンが演じている。出演者は前作から総入れ替えだろうと思っていたら、地味にガス・マーキュリオが続投している(演じているキャラクターは異なる)。

11年も経過してから『青い珊瑚礁』の続編が公開されるってのは、どういう経緯で企画にゴーサインが出たのかサッパリ分からない。そこに勝算があるようには到底思えないのだ。
でも製作サイドとしては、もちろん最初から負け戦を考えていたわけではないだろう。
何しろティーンズ・モデルとして活動していた時代に「新世代のブルック・シールズ」と称されたこともあるミラ・ジョヴォヴィッチを新しいヒロインとして起用しているぐらいで、「あの夢よ、もう一度」と考えたのだろう(『青い珊瑚礁』は酷評を浴びたが、興行的には成功している)。
しかし興行的に惨敗し、後にミラ・ジョヴォヴィッチは自身の出演作で最悪の映画だとコメントしている。

リサたちが漂流して無人島へ到着するまでの経緯が、なかなか強引なことになっている。
「コレラが発生したから、感染を避けるために船長がボートで漂流させることを選ぶ」ってトコからして、既に強引さを感じる。
そこを受け入れるとしても、そのサポートに全く信頼できないケニーを同行させるのが不自然。
そんなことをするぐらいなら、いっそのこと最初から「リサたちを厄介に感じた船長がボートで追い出す」という形にでもした方がマシだ。どうせ船長を「善意の人」にしておいても、後の展開には何の関係も無いんだし。

前作で無人島に流れ着き、前半でエメラインとリチャードの指南役を担当したのは、海の男である料理番のパディーだった。それに対して今回の指南役であるリリーは、都会で生まれ育った女のはずだ。
ところが、なぜか彼女はヤシの実を割いて水分を摂取するなど、無人島で生き抜くための術を色々と知っている。
タロイモを見つけた彼女が「伝道所で働いていた時に良く食べた」と言うので、決して「お上品に育った世間知らずの女」というわけではないようだ。ただ、彼女の経歴は何も紹介されていないので、都合の良さを感じることは否めない。
しかもリサが無人島生活に全く苦労せず、あっという間に適応してしまうので、前作との差異が少ない。

そりゃあリリーとリチャードの無人島生活がメインなので、リサをフィーチャーする手順に長々と時間なんて掛けているのは、間違いと言えば間違いかもしれない。
ただ、それなら前作と同じようなキャラで良くねえかと。
そこのポジションを「都会暮らしの女」「リリーの母親」という設定にしたことの意味が、この映画からはほとんど感じられない。
リリーにとっては実の母、リチャードにとっても母親同然の女性なのに、そんな人が死んでも彼らの人生に与える影響は微々たるモノだ。

島に上陸した後、川やバナナを発見したり、雨が降って来たり、景色を写し出すカットが何度か挿入されたりする。
リサが食糧を確保し、幼い2人の世話をする様子は、じっくりと丁寧に描写される。たっぷりと間を取りながら、ゆっくりとしたテンポで話を進めている。
良く言えば「牧歌的でノンビリしている」、悪く言えば「これといって取り上げるような出来事が起きない」ということになる。
それは話のテイストに合っていると言えなくもないが、「中身がペラッペラなので時間を稼いでいる」という印象が強い。

リサが死んだ後も、やはり「島での生活をノンビリと描く」というスタイルは変わらない。
そりゃあ、途中から急にテンポを変えたら、それはそれで不自然だしね。
なので、「リリーとリチャードが卵に色を塗って隠し、どちらが多く発見できるか競う」とか、「リチャードが海で真珠を見つけ、リリーにプレゼントする」とか、「リチャードが海を泳いでサメと競争する」とか、そういった日常生活の様子がマッタリと描かれる。

今回も『青い珊瑚礁』と同様、北側に住む先住民が登場する。だけど、彼らを登場させることのメリットって、ものすごく薄いのよ。
っていうか、何かメリットがあるのかね。あえて言うなら「先住民を使ったエピソードを用意できる」ってことぐらいでしょ。
ぶっちゃけ、そんな要素で中途半端に緊迫感を持たせても、映画にとってプラスに作用しているとは到底思えんよ。
「無人島に流れ着いた男女」という設定を壊してまで、盛り込むほどの要素じゃないでしょ。
極端な話、スリリングなエピソードなんてゼロでもいいぐらいだし。

『青い珊瑚礁』の正式な続編だと前述したが、内容的にはリメイクと言った方が正しいだろう。
幼い男女と1人の大人が漂流して無人島へ流れ着き、そこでの生活を始める。最初は大人が指南役として幼い2人を守っていたが、やがて死んでしまう。そこからは男女だけの生活が始まり、少しずつ無人島の生活に順応していく。やがて成長する中で気持ちの変化が生じ、恋愛感情や性的欲求が芽生えて肉体関係を持つ。
そこまでの流れは、ほぼ前作の焼き直しと言ってもいい。
後半の「貿易船に救助されて云々」という筋書きで前作とは大きく異なる道筋を辿るようになるが、まあ続編じゃなくてリメイクだね。

一応、前作からは直接的に話が繋がっている形を取っている。
前作のラストでは、ブルック・シールズ演じるエメラインとクリストファー・アトキンズ演じるリチャードが幼い息子と共にボートで漂流していた。今回の映画に登場するリチャードは、その幼い息子と同一人物だ。そしてリサたちが流れ着いたのは、エメラインたちが住んでいた島だ。
ただ、そういう設定を完全に排除したとしても、今回の話は何の問題も無く成立してしまう。
つまり、それは全く意味が無い設定と言っても過言ではないのだ。

なので貿易船が登場するまでの時間は、『青い珊瑚礁』を見ていれば大まかな流れが事前に分かってしまう。
良くも悪くも、安定と安心の筋書きになっている。
「どうせこんな風に進むんでしょ」と軽く見ていたら、その通りになる。何の捻りも無く、堂々と前作と同じ流れをなぞっていく。
前作は極端に言っちゃえば「ブルック・シールズの若い柔肌を堪能してね」というだけの映画だったが、今回は当然のことながら「ミラ・ジョヴォヴィッチの若い柔肌を堪能してね」ってことになるわけだ。

もちろん、女性がブライアン・クラウズの肉体を堪能するってのも、見方の1つになるだろう。
また、前半はコートニー・フィリップスが上半身が裸の状態で動き回るので、ロリコンにとっては楽しめる時間帯となるだろう。
もちろんギャレット・ラトリフ・ヘンソンも同じような格好なので、ショタコンなら楽しめるだろう。
そのように、登場する男女の体を観賞して楽しむってのが、この映画の正しい受け止め方である。それ以上でも、それ以下でもない。
ちなみに、伴奏音楽は無駄に荘厳で美しい。

(観賞日:2017年4月20日)


第12回ゴールデン・ラズベリー賞(1991年)

ノミネート:最低作品賞
ノミネート:最低監督賞[ウィリアム・A・グレアム]
ノミネート:最低脚本賞
ノミネート:最低新人賞[ミラ・ジョヴォヴィッチ、]
ノミネート:最低新人賞[ブライアン・クラウス]

 

*ポンコツ映画愛護協会