『薔薇の眠り』:2000、アメリカ

プロヴァンスに住むマーサ・マリー・タルリッジは夫を亡くし、娘のジェンとセーラを育てている。彼女はニューヨーク・タイムズの書評を書き、テレビでハリケーンのニュースを見て就寝した。翌朝、彼女が目覚めるとニューヨークにいた。出版エージェント会社を経営する彼女は、作家であるエドワードの会計士を務めるアロン・ライリーを訪ねた。エドワードが別れた妻のルーシーに慰謝料を払うことに対し、彼女は反対していた。しかしアロンは彼女に、「エドと話し合った結論だ」と告げた。
ニューヨークのマーティーが寝て起きると、プロヴァンスのマリーになっていた。彼女は友人のジェシーからニューヨークの夢について問われ、精神科医のランガーと会うことを嫌がった。仕方なくカウンセンリグを受けたマリーは、「ニューヨークの医師はフランスの母親を夢見るキャリアウーマンだと。自分だけが現実なんて勝手な思い込みよ」と言う。「だが現実は同時に2つ存在しない。どちらか片方が夢の世界だ」とランガーは述べ、区別が付かない理由について尋ねた。マリーは「どちらかが架空だと気付いたら、夢で満足を得られなくなる」と答え、「本気で2つとも現実だと信じてるのか」と問われて「元に戻る方法が分からないの」と告げた。
マリーは就寝し、翌朝にマーティーとして目覚めた。彼女は精神科医のピータースにカウンセンリグを受け、ランガーは現実だと告げた。買い物に出掛けたマリーは、セーラがいなくなったので捜し回る。セーラはベンチで男性と話し、仲良くなっていた。マリーが抱き上げて去ろうとすると、セーラは男性を公園に誘った。マリーが公園でセーラを遊ばせていると、男性がやって来た。男性がセーラと遊ぶ様子を見て、マリーは彼に好感を抱いた。
マーティーはエドワードと会い、「慰謝料は払わないことにした。アロンに感謝するんだな」と言われる。マーティーが電話で礼を言うと、アロンは公園で30分だけ会わないかと誘った。マーティーの家には男性が現れ、子供たちに土産を渡した。ウィリアム・グランサーという名前を聞いたマーティーは、自分がコラムで酷評した作家だと気付く。「私たちは冷戦状態ね」と彼女が言うと、ウィリアムは「これからの付き合い方で変化する」と述べた。
マーティーは公園へ行き、湖を眺めているアロンと会う。「何をするの?」と彼女が尋ねると、アロンは「ただ30分いるだけだ」と答えた。彼は「デートに興味は無いよ。わざわざ振られる必要はない。僕は君のタイプじゃない」と話すが、マーティーは好意を抱いた。マリーはウィリアムからデートに誘われ、彼が執筆に使っている古城でディナーを取った。ウィリアムは彼女に、もう新作が完成しているので読んでほしいと告げた。マーティーはアロンから、イヤリングをプレゼントされた。
マリーは子供たちを連れて、ウィリアムとピクニックへ出掛けた。ジェンが「ママも小説を書いてるの」と明かすと、マリーは慌てて話題を逸らした。夜、マリーはウィリアムに抱き締められるが、キスは「ダメよ、出来ないわ」と拒絶した。ウィリアムが「君にその気が無いなら無理するな。君と寝たいが、セックスで全てを失いたくない」と語ると、マリーは自分からキスしてセックスに誘った。セックスが終わると、彼女は「誰かと一緒に朝を迎えると悪いことが起きるかもしれない」と言う。またウィリアムとセックスになった彼女は、そのまま朝を迎え、気が付くとニューヨークのマーティーになっていた。
マーティーはアロンを呼び、「フランスと男と寝て、自分を持て余している」と話す。アロンが困惑していると、彼女は「フランスに別の生活がある。2つが同等にリアルだから、どっちが現実か分からないの。でも今日は貴方といたいと思った」と言う。アロンは仕事を休む電話を掛け、マーティーの話し相手になって一緒に出掛けた。水曜がアロンの誕生日だと聞いたマーティーは、「週末は仕事でアトランタへ行くから、週明けに会いましょう」と告げた。
水曜日にアロンが帰宅すると、アトランタにいるはずのマーティーが待っていた。マーティーはアロンと夕食を取るが、セックスはせずにタクシーで去った。ジェシーはマリーからニューヨークの出来事を聞き、ウィリアムにアロンのことは話さないよう助言した。マリーはウィリアムとパリを訪れ、ホテル・パヴィロンでセックスした。翌朝、アロンはマーティーの家で、ホテル・パヴィロンの灰皿を見つけた。マーティーはアロンとキスし、セックスした。翌日、マリーはウィリアムに、アロンのことを打ち明けた…。

監督はアラン・ベルリネール、脚本はロン・バス&デヴィッド・フィールド、製作はキャロル・スコッタ&トム・ローゼンバーグ&ロン・バス、製作総指揮はゲイリー・ルチェッシ&ウィリアム・ケッパー&テッド・タンネバウム&シガージョン・サイヴァッツォン、共同製作はアンドレ・ラマル、撮影はエドゥアルド・セラ、美術はピエール=フランソワ・ランボッシュ、編集はアン・V・コーツ、衣装はヴァレリー・ポッツォ・ディ・ボルゴ、音楽はランディー・エデルマン。
主演はデミ・ムーア、共演はステラン・スカルスガルド、ウィリアム・フィクナー、ピーター・リーガート、シニード・キューザック、ジョス・アクランド、ジェリー・バマン、ジュリアン・ニコルソン、エロイーズ・イオネット、ハドリアン・ダガノー=ブルアール、チャヤ・キュエノ他。


『ぼくのバラ色の人生』でゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞など数多くの映画賞を受賞したベルギー人監督のアラン・ベルリネールが、ハリウッドに招かれて手掛けた作品。
脚本は『エントラップメント』『ヒマラヤ杉に降る雪』のロン・バスと『サイレント・ボイス』『愛を虹にのせて』のデヴィッド・フィールドによる共同。
マリー&マーティーをデミ・ムーア、ウィリアムをステラン・スカルスガルド、アロンをウィリアム・フィクナー、ピータースをピーター・リーガート、ジェシーをシニード・キューザック、ランガーをジョス・アクランド、エドワードをジェリー・バマン、キムをジュリアン・ニコルソンが演じている。

冒頭、「ある日、夢と現実の区別が付かないことに気付いた。この世には私という人間が2人いる」というナレーションが入る。
マリーがタイプライターを使って書評を完成させた時、「マーサ・マリー・タルリッジ」という名前がある。そしてマーティーの会社のドアには「マーサ・マリー・タルリッジ」と書いてある。
また、最初にマリーが就寝し、そのまま「翌朝に目覚めるとニューヨーク」という展開になっている。
なので早い段階で、マリーとマーティーが同一人物なのは分かる。
でも、最初は別人に思わせておいて、途中で2人を交差させるような構成にした方がいいんじゃないか。

「どちらが夢で、どちらが現実なのか」という部分で興味を引っ張ろうとしているが、たぶん多くの人が早い段階で何となく予想できるだろう。
そして、その予想は全く裏切られることがない。
「どちらも夢かもしれないし、どちらも現実かもしれない」みたいな形で混迷の中へ引きずり込み、ミステリーに深みを持たせることも出来なくはない。だが、とてもシンプルな二択になっている。
マリー&マーティーは「どちらも現実」と言ったりするが、彼女の言葉に観客を惑わせるような力など無い。

「どちらかが夢で、どちらかが現実」ってのは、ほぼ最初からネタバレしているような状態だと言ってもいいだろう。
そうなると、何しろアメリカ映画だし、演じているのがデミ・ムーアなので、「そりゃあプロヴァンスの方が夢でしょ」ってのが何となく見えちゃうのよね。
マリーはプロヴァンスで暮らしているけど台詞は英語だし、そもそもアメリカ人の設定だし。
しかもニューヨーク・タイムズでコラムを執筆しているわけで、そんな奴がプロヴァンスで暮らしているのは不自然でしょ。

映画が始まってから1時間以上が経過した辺りで、「アロンがマーティーの部屋でホテル・パヴィロンの灰皿を発見する」という展開がある。
ホテル・パヴィロンはパリにあるので、普通に考えればマーティーが持っていることは有り得ない。
そんな不可思議な現象を最初に見せるタイミングとしては、あまりにも遅すぎる。
しかも、そんな不可思議な現象を、マーティーもアロンも大して気にしていないのよね。軽くスルーしちゃうのよね。

そもそもマーティーは早い段階から、プロヴォンスでの生活もニューヨークでの生活も「どっちも現実」と言っている。
だから当然ではあるのだが、「なぜパリの灰皿があるのか」と疑問を抱いて調べようとしたり、奇妙な現象だと怖くなったりするようなことは全く無い。
そのため、そこがミステリーを面白くする要素として機能不全に陥っている。
じゃあ他でミステリーを盛り上げるための仕掛けが何か用意されているのかというと、これが何も見当たらないんだよね。

終盤に入り、「マーティーが11歳の頃にパリで母を亡くしている」という事実が明らかにされる。この後、プロヴァンスのシーンでは急にサスペンスを盛り上げようとする演出が入るが、まるで効果は得られていない。
で、その死んだ母がジェシーってことも明らかにされるが、そこに「解答編」としての面白さなど全く無い。
話が破綻しているわけではないし、トンデモ系のオチになっているわけではない。伏線を張って、それをキチンと回収した上で「正しい解答」に辿り着いている。
でも、強く引き付けられるような「衝撃の真相」ではないのよ。
もっとハッキリ言っちゃうと、面白くないのよ。

(観賞日:2021年5月14日)


第21回ゴールデン・ラズベリー賞(2000年)

ノミネート:最低主演女優賞[デミ・ムーア]

 

*ポンコツ映画愛護協会