『フック』:1991、アメリカ

法律事務所を営む40歳のピーター・バニングは、妻のモイラと息子のジャックの3人で、おませな娘のマギーがウェンディーを演じる学芸会の児童劇『ピーター・パン』を観劇していた。しかし会社から電話が掛かって来ると、彼は用件を後回しにしたり早く切ろうとしたりせず、部下との会話を続ける。次の日は野球チームに入っているジャックの試合が入っているが、ピーターは朝から会議を開くことに同意した。息子が「見に来るって約束したでしょ」と言うと、彼は「早く切り上げて約束は守るから」と告げた。
次の日、ピーターは試合観戦よりも仕事を優先し、部下に「球場へ行ってビデオに撮影しておいてくれ」と頼む。父が見に来ていないと気付いたジャックは、あえなく三振した。ピーターは仕事を終えて球場へ行くが、とっくに試合が終わっていた。バニング一家は飛行機に乗り、モイラの祖母であるウェンディーが暮らすロンドンヘ向かった。高所恐怖症のピーターは、飛行機の中で不安一杯になった。
マギーはウェンディーが『ピーター・パン』の登場人物だと信じていたが、ピーターは否定した。一家がロンドンに到着してウェンディーの家を訪れると、家政婦のライザが出迎えた。ウェンディーの最初の養子であるトゥートゥルズも、その家で暮らしていた。老いた彼は痴呆症で施設に入っていたが、ウェンディーが引き取ったのだ。10年ぶりに来訪したピーターを、ウェンディーは歓迎した。
ピーターは部下のブラッドからの電話を受け、仕事が順調に進んでいないことに苛立った。子供たちが大声を出して遊び回ると、彼は「静かにしろ」と怒鳴った。モイラは彼を批判し、再び掛かって来た電話にピーターが出ようとすると、「仕事と家族とどっちが大事?」と選択を迫る。ピーターが電話に出ようとすると、モイラは携帯を奪って窓の外に投げ捨てた。彼女は「子供はパパが大好きで、それはわずかな期間だけ。子供が親を求めるのは、二度と戻らない貴重な期間よ、今がその大切な時よ」とピーターに説いた。
ピーターがロンドンへ来た目的は、慈善活動に貢献してきたウェンディーの名前が小児病院に付けられるので、その記念パーティーに参加するためだった。ピーターは子供たちをベッドに寝かし付け、ウェンディーとモイラの3人で出掛ける。ピーターはスピーチに立ち、孤児だった自分を養ってくれたウェンディーへの感謝を述べた。パーティーには、ウェンディーが養育した大勢の孤児たちが来ていた。
ピーターたちが家に戻ると玄関のドアが壊されており、ジャックとマギーの姿が消えていた。寝室のドアには、「ピーターへ。子供たちが助けを待っている。ジェームズ・フック船長」と書かれた紙が剣で突き刺されていた。通報で駆け付けたグッド警部は警官の配備を約束するが、「悪質な悪戯の可能性が強いですね」と述べた。ウェンディーは13歳以前の記憶を思い出せないピーターに、彼がピーター・パンであることを話す。しかしピーターは彼女の話を信じなかった。
ウェンディーは「フックは復讐に来たのよ。貴方は子供たちを救いに行かなければならない。ネバーランドへ戻らなきゃ。そのために昔のことを思い出すのよ」と言う。しかしピーターはウェンディーから『ピーターとウェンディー』の本を見せられても、過去を思い出すことは無かった。彼が寝室へ戻るとティンカーベルが現れ、「また一緒に遊べるわね」と浮かれた。ピーターは幻覚を見ていると考えて動揺するが、ティンカーベルは彼をシーツで吊り下げてネバーランドへ向かった。
ネバーランドで軽率に行動したピーターは海賊たちに絡まれるが、ティンカーベルに救われた。ティンカーベルはアイパッチと帽子を彼に着用させ、「フック船長に会っても倒されたくなければ私の言う通りにして。まず左手は利かないフリをしてダラッとさせて、杖に寄り掛かって左足を中に曲げて。片目でギョロっと睨んで、口をヘの字にして唸るのよ」と助言した。ピーターは彼女に指示され、フックの側近であるスミーを尾行した。ピーターは海賊に成り済まし、フックの海賊船に乗り込んだ。
フックは海賊どもに対し、「復讐の時は来た。奴のガキどもを捕まえた。ピーター・パンを倒す時が来た」と勇ましく語った。網に捕獲されているジャックとマギーを目にしたピーターは、「僕の子供たちを返せ」と叫んだ。フックは彼を見て、「お前がピーター?」と怪訝な表情を浮かべる。スミーが本物である証拠を示すと、「こんな腹の出た白ブタが、まさかピーター・パンとは」と落胆した。
フックは「しかし戦わねばならん。武器を取れ」とピーターに要求した。ピーターが小切手を切ろうとするとフックは発砲し、子供たちを高く吊り上げた。「取り引きをしよう。空高く飛んで、助けを求めている子供たちに触れたら、彼らを解放してやろう」とフックが言うと、ピーターは「僕は飛べないよ」と怯む。彼はマストを登って子供たちに触れようとするが、届かないので諦めてしまった。
フックがピーターを手下たちに捕縛させて始末しようとすると、ティンカーベルが立ちはだかって「フックの名前が弱い者いじめとして残ってもいいの?ちゃんとピーターと対決して倒したくないの?」と挑発するように問い掛けた。彼女が「1週間待ってくれたら、英雄として鍛え直すわ」と持ち掛けると、フックは3日だけ猶予を与えることにした。ピーターは海に転落するが、人魚たちに救われた。
森で暮らしているロストボーイたちは、ティンカーベルからピーター・パンが戻ったと聞かされて喜んだ。しかし目の前に現れたピーターが昔とは似ても似つかぬ風貌になっているので、「年寄りでデブだ」と嘲笑う。そこへ彼らのリーダーであるルフィオが来るが、ピーターは「ちゃんとした責任者の大人と話したい」と要求する。ルフィオは「大人はみんな海賊だ。海賊は倒すんだ」と口にした。ロストボーイたちが武器を構えたので、ピーターは慌てて逃げ回った。
ティンカーベルはロストボーイたちを説得して協力を要請するが、ルフィオたちはピーターを本物のピーター・パンとは認めなかった。しかしロストボーイの中でポケッツという少年だけは、ピーターが本物だと信じた。ピーターの顔を触りまくった彼が「やっぱりピーター・パンだよ」と叫ぶと、数名のロストボーイたちも本物だと信じた。ルフィオは納得しなかったが、ポケッツは「ピーター・パンじゃなければ、ここに来るはずがないよ」と言う。ピーターは彼らに、子供たちを救い出すための協力を要請した。
フックが「ピーターに究極のダメージを与えたい」と苛立っていると、スミーは「いい案があります。奴のガキを手懐けるんです。味方にするんですよ」と提案した。ピーターはロストボーイたちに手伝ってもらい、対決に向けて体を鍛えるが、空を飛ぶことは出来なかった。フックはジャックとマギーに、「毎晩、ママが本を読んでくれるのは、邪魔な君たちを早く寝かし付けたいからだ」と吹き込んだ。マギーは反発するが、ジャックは「パパは君の大事な試合に来なかった」と言われて動揺した。
夜、ロストボーイたちは何も乗っていない皿や鍋を並べ、食事を取るフリをする。ピーターが困惑していると、ティンカーベルは「御馳走があると思って。昔のゲームを忘れたの?」と言う。ルフィオが悪口を並べ立てて挑発すると、ピーターも言い返した。ピーターが優勢に立ったので得意げにしていると、何も無かったはずの皿に料理が出現した。彼が戸惑っていると、ポケッツが「イメージで遊べるようになったよ」と告げた。さらにピーターは、かつて所有していた自分の剣も使いこなせるようになった。ロストボーイのサッド・バットは、ピーターに「空を飛ぶには幸せなことを思い出すといいんだ」と助言した。
フックはチクタクという音を耳にして「あのワニが生き返ったのか?」と考えるが、それはジャックがピーターから貰った懐中時計の音だった。フックは懐柔したジャッキーを連れて、壊した時計を集めた博物館へ赴いた。チクタクが止まらないので、フックはジャッキーに時計を破壊するよう促した。ジャッキーはピーターへの不満を大声で言いながら、博物館の時計を次々に木槌で叩き壊した。泣き出した彼に、フックは「パパは助けに来てくれる。問題は、その時に助けてほしいかどうかだ。彼のことなど忘れることだな」と告げた。
ピーターはロストボーイのエースたちを伴い、フックがジャックのために開催した野球大会へ潜入する。目的はフックのカギ爪を盗み出すことだったが、フックの「行け、ジャック。パパは一度も見に来てくれなかったが、ワシは必ず応援するぞ」という声を聞いたピーターは、息子の打席を物陰から応援する。ジャックがホームランを打ったので、ピーターは喜んだ。しかしフックが「さすがワシの息子だ」と喜び、ジャックが彼に懐いている様子を見て、ピーターはショックを受けた
カギ爪を盗まずに森へ戻ったピーターは、「絶対に飛んでやる」と気持ちを燃やして飛ぶ練習を繰り返す。飛んで来た野球のボールが頭に命中し、倒れ込んだ彼が泉に目をやると、水面には「ピーター・パン」だった頃の自分が写っていた。ピーターが立ち上がると、自分の影が勝手に動いて木の方を指差した。ピーターが木のボタンを押して中に入ると、そこは荒れ果てた家になっていた。フックが火を付けて焼いたのだ。室内を調べたピーターは、そこがウェンディーの住んでいた家だと思い出す…。

監督はスティーヴン・スピルバーグ、映画原案はジム・V・ハート&ニック・キャッスル、脚本はジム・V・ハート&マリア・スコッチ・マルモ、製作はキャスリーン・ケネディー&フランク・マーシャル&ジェラルド・R・モーレン、共同製作はゲイリー・アデルソン&クレイグ・バウムガーテン、製作協力はブールス・コーエン&マリア・スコッチ・マルモ、製作総指揮はドディー・フェイド&ジム・V・ハート、撮影はディーン・カンディー、編集はマイケル・カーン、美術はノーマン・ガーウッド、衣装はアンソニー・パウエル、視覚効果監修はエリック・ブレヴィグ、ヴィジュアル・コンサルタントはジョン・ネイピア、音楽はジョン・ウィリアムズ。
出演はダスティン・ホフマン、ロビン・ウィリアムズ、ジュリア・ロバーツ、ボブ・ホスキンス、マギー・スミス、チャーリー・コースモー、キャロライン・グッドオール、ダンテ・バスコ、アンバー・スコット、ジャセン・フィッシャー、ローレン・クローニン、フィル・コリンズ、アーサー・マレット、イザイア・ロビンソン、ラウシャン・ハモンド、ジェームズ・マディオ、トーマス・トゥラク、アレックス・ザッカーマン、アーメッド・ストーナー、ボグダン・ゲオルゲ、アダム・マクナット他。


J・M・バリーの児童小説『ピーター・パン』をモチーフにして、大人に成長したピーター・パンの活躍を描くファンタジー・コメディー映画。
監督は『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』『オールウェイズ』のスティーヴン・スピルバーグ。
フックをダスティン・ホフマン、ピーターをロビン・ウィリアムズ、ティンカーベルをジュリア・ロバーツ、スミーをボブ・ホスキンス、ウェンディーをマギー・スミス、ジャッキーをチャーリー・コースモー、モイラをキャロライン・グッドオール、ルフィオをダンテ・バスコ、マギーをアンバー・スコット、エースをジャセン・フィッシャーが演じている。
他に、ライザをローレン・クローニン、グッドをフィル・コリンズ、トゥートゥルズをアーサー・マレット、ポケッツをイザイア・ロビンソン、サッド・バットをラウシャン・ハモンドが演じている。また、少女時代のウェンディー役でグウィネス・パルトロウ、フックの初登場シーンで「フック船長、万歳」と叫ぶ海賊役で元ザ・バーズのデヴィッド・クロスビー、フックから「ピーター・パンを連れて来られない」という方に賭けたことを責められる海賊役でグレン・クローズが出演している。

この映画のロビン・ウィリアムズは、『1941』のジョン・ベルーシと同じような状態に陥っている。
騒がしくて疎ましいだけで、ちっとも魅力的で笑える人物になっていない。
ピーターがロストボーイたちに追い掛けられて必死に逃げ回るドタバタも『1941』と同じで、喜劇としての力を持っていない。
『1941』から12年が経過しているのだが、スピルバーグは相変わらずコメディー映画が不得手なんだな。

ピーター・バニングという男の描き方を、序盤から間違えている。
本来なら、「子供たちのイベントよりも仕事を優先するワーカホリックな人間」ということになっているべきだろう。
一応、「仕事人間」としてアピールしようという意識はある。ただし、その見せ方が中途半端で、何がダメかっていうと、仕事をしている彼が楽しそうで、部下からも愛されているということだ。
そうなると、「本人は仕事に充実感を抱いているようだし、部下も慕っているし、職場は楽しそうだし、何が悪いのか」と思ってしまうのだ。

「家庭より仕事を優先していた主人公が、ある出来事を体験したり誰かと触れ合ったりする中で考えを変化させ、家庭を大切にするようになる」というプロットは、ものすごくベタで有り触れているが、それは構わない。
ただ、それをやるなら、ちゃんと徹底してやるべきだ。「仕事で忙しくしているが楽しそうではない」「職場の雰囲気は良好とは言えない」としておくのは、基本中の基本じゃないのかと。
仕事をしている時の主人公がひどくギスギスしていたり、充実感を抱いていなかったりするからこそ、最終的に「仕事よりも家族を大切にしよう」という考えに着地した時に、観客が腑に落ちるんじゃないのかと思うのよ。温かい職場で充実感に満ちて仕事をこなしており、部下からも慕われている状況だと、「仕事か家庭か」という選択を迫ることに違和感を覚えてしまう。
むしろ、お父さんは家族のために仕事をしているんだから、それを奥さんが子供たちに説明して、少し我慢させてもいいんじゃないかとさえ思ってしまうぞ。ピーターは全く家庭を顧みないわけじゃなくて、ちゃんと学芸会には行くし、野球観戦にも行こうとする努力はしているんだから。

一方、子供たちの描写も中途半端で、ジャックは試合観戦にパパが来ないことで不機嫌になるのか、怒りをぶつけるのか、冷たい態度を取るのかと思っていたら、そうでもないんだよな。
飛行機の中でボールを窓や天井にぶつけているけど、それは不機嫌だからなのかと思ったら、飛行機にビビってるピーターを見て笑っている。「いいかげんにしないか、聞き分けのない子供みたいに」と注意されても、ヘラヘラして「僕は子供だもん」と軽く言っている。そしてウェンディーの前では、父の仕事を自慢げに語っている。
それは芝居の付け方が違うんじゃないかと。
マギーはともかく、ジャックはピーターとギクシャクさせるべきじゃないのかと。

モイラの描写も「それは行き過ぎ」と感じる。
はしゃいでいる子供たちを怒鳴るピーターの態度は非難されるべきだ。しかし、「仕事と家族とどっちが大事?」と問い掛け、ブラッドから電話が掛かって来たのでピーターが出ようとすると、携帯を奪って窓の外に投げ捨ててしまうというモイラの行動はダメでしょ。
その時点では、仮に家族を大切にしている男だとしても、電話は取るだろ。
子供たちに怒鳴ったことを咎めるのは分かるけど、それとこれとは別だよ。
ピーターに電話を取らせた上で、そんな彼にモイラが幻滅する、という描写なら、まだ分からんでもないが(ただ、それも全面的に賛同はしないが)。

ピーターが父親としてダメなのは、仕事で忙しくしていることではない。子供の心を忘れていることでもない。
「子供たちの手に触れたら解放してやる」と言われているのに、簡単に諦めてしまうことだ。
それは「子供を助けられなくても構わない」ということになってしまう。そこは必死になって頑張るべき場面でしょ。
そして、そこで簡単に諦めてしまうのは、「子供の心を忘れている」のが原因でもないし、「家庭より仕事を優先している」のが悪いわけでもない。
単純に、子供への愛が足りないだけだ。
普段は仕事で忙しくしている父親だって、子供を救うためなら、死に物狂いで頑張るはずでしょうが。

ピーターは式典に出掛ける時、ジャックに懐中時計を渡して「これを預けておく。時間を見るといい」と告げるが、その行動は不自然極まりない。
これから就寝する息子に、なぜ時間を見るための道具を渡す必要があるのか。
後で「フックがジャックの時計のチクタク音を嫌がる」という展開があるので、そこを成立させるためってことは分かるよ。
ただ、そこからの逆算でジャックに時計を持たせる必要があるにしても、もうちょっとスムーズな形で出来ないものかと。出来なきゃ、時計なんか持たせなくてもいいわ。
ぶっちゃけ、彼が時計を持っていてフックがチクタク音を嫌がる展開って、そんなに重要だとも思わないし。

ロストボーイたちはピーターが本物のピーター・パンとは認めず、ルフィオが「信じない者は、こっちへ」と促す。ロストボーイたちは一斉に移動するが、ポケッツだけはピーターの傍らから離れない。そして念入りにピーターの顔をこねくり回し、「やっぱりピーター・パンだよ」と叫ぶ。
その途端、複数のロストボーイたちがピーターに歩み寄り、彼に触れてピーターとして受け入れる。
いやいや、それは無いわ。
どうも感動的に演出しようという意識が窺えるが、触っただけで「こいつはピーター」と受け入れられても、こっちがその展開を受け入れ難いわ。
もっと明確に、こっちも納得できる形で本物だと認めてくれよ。

あと、ポケッツを含む数名が本物として受け入れ、ルフィオと大勢が認めないってのは半端。そこはポケッツだけでいい。で、本物として受け入れるのなら、その他の面々は一斉にピーターを受け入れた方がいい。
っていうか、まだ数名を除くとピーターを本物とは信じていないのか、ルフィオたちは拒絶反応を示すのかと思ったら、ピーターが体を鍛えるシーンでは普通に協力しているんだよな。
ってことは、みんな受け入れたってことでしょ。
だったら、前述したシーンで、もっと分かりやすく「みんながピーターを本物と信じて受け入れる」という描写にしておくべきでしょうに。
っていうか食事シーンでの態度を見る限り、まだルフィオは不満があるみたいだけど、だったら訓練に協力するなよ。

ピーターが飛ぶ能力を取り戻す展開には、かなり無理を感じる。
ピーター・パンってのは「大人になることを捨てた永遠の少年」であり、だからこそ飛ぶ能力を有していたはずだ。
サッド・バットは「空を飛ぶには幸せなことを思い出すといいんだ」と助言するが、大人のままで飛ぶ能力を取り戻してしまうと、それはピーター・パンのアイデンティティーが失われると言ってもいい。
ところがピーター・バニングは、父親として子供が誕生した時のことを「楽しい思い出」として思い出し、空を飛べるようになるのだ。
それはダメでしょ。

大人になっても空を飛ぶことが出来るのなら、ピーターが永遠の少年であることを捨てて「普通に年を取る人間」として生きることを選択した意味が無いじゃないか。
そして、それはロストボーイたちのアイデンティティーにも関わって来る問題だぞ。
「飛ぶことを思い出したピーターは子供たちを救うことを忘れてしまい、みんなで楽しく遊ぼうとする」ということにして問題の解決を図っているのかもしれないが、それは無理がある。
それに、「飛ぶことを思い出したピーターが、子供たちを助ける目的を忘れてしまう」という状況が発生した次のシーンでは、もうティンカーベルにキスをされたピーターが本来の目的を思い出しちゃうし。

そもそも、「楽しい思い出」を「息子が誕生した時」にしているんだから、その後で「自分に子供がいることを忘れる」という展開を用意したところで、どうやっても違和感は残ってしまう。
どうせ簡単に処理されちゃうんだし、目的を思い出した後も空を飛べちゃうし、その展開は要らない。
っていうか根本的な問題として、「もう飛ぶことは出来ないけど、普通の人間になってしまったけど、それでも父親として子供を取り返すために戦う」という形で構築しないと、話としては色々とおかしなことになってしまんじゃないかと。
あと、映像的に考えても、ロビン・ウィリアムズが空を飛んでもワクワクしないし。

ピーター&ロストボーイたちと海賊が戦うクライマックスのアクションは、かなり子供じみていて迫力や高揚感に欠ける。
そこを「ファミリー映画だから」ということで何とか受け入れるとしても、だったらルフィオを死なせてしまうのは絶対にダメでしょ。
しかも、ルフィオが目の前で殺されたピーターはフックと戦おうとするが、ジャックが「家に帰りたいよ」と言うと、対決を放棄して子供たちと共に家へ帰ることを選ぶのだ。

そりゃあ、復讐のためにフックと戦うってことはピーター・パンに似つかわしくないかもしれないけど、「対決よりも子供たちと家に帰ることを選ぶ」という行動をピーターに取らせるために、ルフィオの死は必要不可欠な要素ではない。
ハッキリ言って、ルフィオって完全に「無駄死に」だよ。なぜ彼がフックに殺されなきゃならんのか。そもそも、この作品で死者を出す必要性を感じないのに。
しかも、それでピーターはネバーランドを去るのかと思ったら、しつこくフックに挑発されると、やっぱり対決するんだよな。
どないやねん。
どれだけ擁護する側に立って考えてみても、ルフィオを死なせる筋書きを納得させられる説明は見つからないぞ。

(観賞日:2014年2月22日)


第12回ゴールデン・ラズベリー賞(1991年)

ノミネート:最低助演女優賞[ジュリア・ロバーツ]

 

*ポンコツ映画愛護協会