『ヘルナイト』:1981、アメリカ

大学の社交クラブであるアルファ・シグマ・ローの面々は、仮装パーティーで盛り上がっていた。会長のピーターが友人のスコットと一緒にいると、新入会員のマーティーが友人のデニースと共にやって来た。酒を飲んで騒いでいた会員たちは、「ヘルナイト」のために車でガース館へ向かう。ピーターは門扉の鎖を拳銃で撃って壊し、会員たちを敷地に入れる。クラブのメンバーになるには、ガース館で一晩を過ごすことが条件となっていた。それが「ヘルナイト」だ。
ガース館では12年前、主人が妻と子供たちを殺して自殺した事件が起きていた。ピーターはガース家の歴史や事件の経緯について、詳しく説明した。惨劇を目撃した次男のアンドルーは姿を消しており、彼は「今も館で潜んでいるんじゃないか」と告げた。ピーターは新入会員のマーティー、セス、ジェフ、デニースを館に入れ、「どこで寝ても構わないが、敷地から出てはいけない。どうせ門を乗り越えるのは不可能だから、出られない」と告げた。彼は門を施錠し、「出る方法は1つ。鍵を撃つことだ」とジェフに拳銃を渡した。
ピーターと会員たちは、ガース館から去った。デニースは内緒で酒やカセットレコーダーを持ち込んでおり、「パーティーしましょう」と持ち掛けた。彼女が誘惑する素振りで2階へ向かうと、興奮したセスが追い掛けた。ジェフはマーティーと共に1階の広間へ移動し、暖炉に火を入れた。セスは寝室で下着姿になり、デニースとセックスを始めようとする。デニースはベッドに寝転び、サーフィンの話をするよう促した。ピーターは仲間のスコットとメイを連れてガース館へ戻り、新入会員を怖がらせるための細工に取り掛かった。
ジェフはマーティーに、父もクラブの会員だったと話す。ピーターは録音しておいた悲鳴のテープを流し、それを耳にしたマーティーたちは驚いた。4人が合流して様子を見に行くと、また悲鳴が響いた。ジェフとセスは、窓際に仕掛けてあるスピーカーを発見した。ピーターは作業をしている2人の元へ行き、メイに「悲鳴の効果を頼む」と指示した。文句を言いながらも移動したメイは、地面の穴から伸びた手に足を掴まれる。メイは悲鳴を上げるが地下室に引きずり込まれ、殺人鬼に首を切断された。
不気味な唸り声を耳にしたジェフとセスは、様子を見に行った。マーティーは窓が開いて突風が吹き込んだので怖がるが、廊下へ出ようとすると扉が開かなかった。幽霊を目にした彼女が必死でドアノブを回していると、ドアが開いて幽霊は消えた。マーティーから話を聞いたジェフは、「ピーターの仕業だよ」と教えた。ジェフは庭を調べてリモコンを発見し、窓を開閉させる仕掛けに気付く。彼は「感心したよ。もう終わりにしよう」と大声でピーターたちに呼び掛けるが、返事は無かった。
スコットは次の仕掛けのために屋上へ行くが、殺人鬼に殺された。ジェフとマーティーを連れて2階の寝室へ移り、「もう大丈夫だ」と告げた。マーティーは「もう寝るわ」と言い、ベッドに入った。ジェフも隣のベッドに入り、ロウソクの火を消した。一方、一戦を交えたセスとデニースは、同じベッドで眠り込んでいた。目を覚ましたデニースはノックの音に気付き、ドアを開けた。デニースは隣の部屋に行くが、ピーターが用意した鏡の仕掛けに気付かなかった。
ガッカリしたピーターはスコットほ呼ぶが、返事が無いので屋上へ行く。吊るされているスコットの遺体を発見したピーターは慌てて館から脱出しようとするが、殺人鬼に襲われる。抵抗して逃亡したピーターだが、殺人鬼に見つかって殺された。マーティーはジェフとキスを交わし、肉体関係を持った。セスはデニースが楽しむが、トイレへ行く。密かに覗いていた殺人鬼は、部屋に侵入してデニースの口を塞いだ。セスが部屋に戻ると、ベッドにはメイの生首が置いてあった。
セスの絶叫を聞いたマーティーとジェフは慌てて駆け付け、ベッドの生首を目撃する。ジェフが「デニースはどこだ?」と訊くと、セスは「分からない。ここから逃げるんだ」と喚いて館を飛び出す。彼はジェフから拳銃を奪い取り、門の鍵に乱射する。しかし鍵は壊れず、セスは門を登ろうとする。ジェフは慌てて止めるが、セスは耳を貸さなかった。そこでジェフは警察に知らせるよう指示し、セスは怪我を負いながらも何とか外へ出た。邸内に戻ったマーティーとジェフはデニースを捜索し、スコットの遺体を発見した。
セスは近くの民家に助けを求めるが、誰も住んでいなかった。通り掛かった車を呼び止めようとするが、冷たく無視された。ジェフは庭の奥に光を見つけ、怯えるマーティーを寝室に残して様子を見に行く。庭を調べた彼はピーターの遺体を発見し、慌てて寝室へ戻る。警察署に飛び込んだセスは殺人が起きたと訴えるが、ヘルナイトを知っている警官たちは悪戯だと決め付けて全く信じなかった。セスはライフルを盗み出し、ガース館へ戻ることにした…。

監督はトム・デ・シモーネ、脚本はランドルフ・フェルドマン、製作はアーウィン・ヤブランス&ブルース・コーン・カーティス、製作総指揮はジョセフ・ウルフ&チャック・ラッセル、撮影はマック・アールバーグ、美術はスティーヴン・G・レグラー、編集はトニー・ディ・マルコ、衣装はレニー・バリン、音楽はダン・ワイマン。
主演はリンダ・ブレア、共演はヴィンセント・ヴァン・パタン、ピーター・バートン、ケヴィン・ブロフィー、ジェニー・ニューマン、スキ・グッドウィン、ジミー・スタートヴァント、ハル・ラルストン、ケアリー・フォックス、ロナルド・ガンズ、グロリア・ヘイルマン他。


子役として出演した『エクソシスト』でゴールデン・グローブ賞の助演女優賞を受賞したリンダ・ブレアが、22歳になって主演した作品。
監督のトム・デ・シモーネは1968年から数多くの映画を手掛けているが、これが日本で公開された唯一の作品。
脚本担当のランドルフ・フェルドマンは、これがデビュー作。
マーティーをリンダ・ブレア、セスをヴィンセント・ヴァン・パタン、ジェフをピーター・バートン、ピーターをケヴィン・ブロフィー、メイをジェニー・ニューマン、デニースをスキ・グッドウィン、スコットをジミー・スタートヴァントが演じている。

1970年代に公開された『悪魔のいけにえ』や『サランドラ』、『ハロウィン』や『夕暮れにベルが鳴る』といった作品のヒットを受けて、1980年代に入ると数多くのスラッシャー映画が作られた。
1980年の『13日の金曜日』を皮切りに、『プロムナイト』や『悪魔の棲む家』、『ファンハウス/惨劇の館』などのヒット作も次々に生まれた。
中には『血のバレンタイン』のようにコケる映画もあったが、低予算で大きな稼ぎを生み出せる可能性が高いこともあって、スラッシャー映画のブームは続いた。
そんなブームの中で、この映画も作られている。

『エクソシスト』では悪魔に憑依されて観客を怖がらせていたリンダ・ブレアが、今回は怖がる側に回っているってのが大きなセールスポイントになっていることは言うまでもないだろう。
そんなリンダ・ブレアはゴールデン・ラズベリー賞で最低主演女優賞にノミネートされる羽目になったが、その最も大きな原因は体型だろうと思われる。かなりポッチャリしていて、なかなか厳しいなと。
「体型で人を差別するな」と怒られるかもしれないけど、映画のキャラとしては合わないのよね。
やっぱり、スクリーミング・クイーンの肉付きがプヨプヨしていると、それが気になって怖さは薄れちゃうのよね。

ピーターはガース館に入る時、門の錠前を発砲して壊している。でも出る時には、また施錠している。
ってことは、鍵を持っているってことでしょ。だったら、発砲する必要が全く無いだろ。
あと「出るには門を壊すだけだ」と銃を渡しているけど、そんな逃げ道を与えたらダメでしょうに。
まだ鍵を渡して「どうしても無理なら使ってもいい」という形にしておくなら、分からんでもないのよ。でも拳銃ってさ。
しかも、その拳銃は小道具として使われるのかと思いきや、何の役にも立たないんだぜ。

ピーターは新入会員をガース館へ案内する時、事件について詳しく説明する。
住んでいたのはガース家の4代目のレイモンドとリリアンの夫婦。リリアンは愚かな女で、子供を産むことしか出来なかった。長男のモーリスに不満だった夫妻は次を産むが、長女のスーザンは醜い容姿だった。レイモンドは子供たちの存在を恥じて、館に閉じ篭もるようになった。
翌年に次女のマーガレットが生まれたが、聾唖で盲目だと判明した。レイモンドは意地になり、次男のアンドルーが生まれた。しかしアンドルーは何もしゃべらず、獣のように唸るだけだった。
耐えられなくなったレイモンドは家族を集め、リリアン、モーリス、スーザン、マーガレットを惨殺して自害した。
警察が駆け付けると遺体は3つしか無く、惨劇を目撃したはずのアンドルーもいなかった。

そんなことを語ってから、ピーターは「アンドルーは今も生きて館に潜んでいるんじゃないか」と口にする。しかし、この事件と殺人鬼の関連性は、最後まで全く分からないままだ。
だったら、そこを詳しく説明する意味が無いだろ。
ちなみに、その関連性だけでなく、殺人鬼の正体については、何一つとして明かされていない。なので殺人の理由もサッパリ分からないままで終わる。
そこが分かれば面白さが増すとは限らないし、むしろ正体不明のままにした方が不気味さが出てプラスに作用するケースもあるだろう。
ただ、この映画の場合、ただの手抜きで正体不明にしてあるだけにしか思えない。

ピーターがガース館で起きた事件について詳しく語っても、クラブのメンバーは誰も怖がらずにヘラヘラしている。ところが「アンドルーは今も生きているんじゃないか」と言った途端に全員の表情が硬くなり、不安を煽るためのBGMが流れる。
いやいや、その急激な変化はおかしいだろ。
そこまでの説明を笑って聞いていた奴らなら、その台詞だけでビビったりしないだろ。
そんな風に思っていたら、新入会員だけになった途端、まるで怖がっていない様子が描かれるんだよね。

そんな流れにしたせいで、前述した「BGMで怖がらせる」という演出が、ブサイクなことになっている。
それが悪いんじゃなくて、どこで鳴らすかというタイミングの問題ね。
これが「会員たちは話を聞いても笑っている」ってのを見せた後、シーンを切り替えて館だけを捉え、そのタイミングで不安を煽るBGMを流せば、それはそれで成立するのよ。
でも、一連の流れの中で、館へ向かう学生たちを映したままBGMを流すので、「それは違うでしょ」と。

ガース館に4人が残された段階で、こいつらが殺人鬼の犠牲になるために用意された人員ってのは明白だ。「たぶんヒロインは殺されないだろうから、犠牲者は最高でも3人だな」という推理も簡単に成り立つ。
「最高でも3人しか殺されない」と序盤で予想できちゃうのって、かなり期待値を下げるよね。後からピーターたちが戻ってきて犠牲者候補が6人に増えるけど、それでも「もっと多くていいのに」と思うぞ。
もちろん中身が良ければ「量より質」ってことになるかもしれないけど、スラッシャー映画ってザックリ言っちゃうと「殺人鬼が次々に人を殺す」ってのを見せるだけのジャンルだからね。
そうなると、やっぱり殺される人数ってのは大きな要素になるわけで。
正直に言って「質より量」で勝負しないと、どうにもならないような凡庸そのものの映画だからね。

ピーターたちがガース館へ戻ると、不安を煽るようなSEが使われる。
でも、そこで使うのは、明らかに間違っているでしょ。「何か怖いことが起きそうだと思わせておいて、何も起きない」という、肩透かしとしての演出でもないからね。
ピーターが新入会員を怖がらせるために戻ってきたのは最初から明らかであり、決して本当に誰かを殺そうとしているわけではないんだからさ。
そういうトコで不安を煽るような演出をしていたら、ホントに恐ろしいことが起きた時の効果が薄れるでしょうに。

ピーターは悲鳴の音声を流すが、すぐにジェフたちがスピーカーを発見する。これによって、「上級生が怖がらせるための仕掛けを施している」ってことが露呈するわけだ。
でも、それは決して話の流れとしては悪いことじゃない。「どうせピーターたちの策略だろうと思って余裕を見せていたら、本物の殺人鬼に襲われる」という展開に繋げることが出来るからだ。
しかし中途半端なことに、仕掛けに気付くのはジェフとセスだけ。だからマーティーは急に窓が開いて突風が吹き込んだり幽霊を見たりして、本気で怖がる。
でも、こっちはピーターの仕掛けだと分かっているので、「そこで怖がらせようとするのは違うでしょ」と冷静に指摘したくなる。
しかも、もう殺人鬼が殺人を遂行しているわけで、その後にピーターの仕掛けでヒロインが怖がる姿を「観客も怖がってね」というスタンスで見せられてもさ。

デニースがノックの音で様子を見に行くシーンは、完全なる肩透かし。殺人鬼の仕業ではなくて、鏡の仕掛けで怖がらせるためにピーターが誘い出したのだ。
でも、「今さら」と思うし、そこもマジで不安を煽るようなSEを流しているので「その演出は違うだろ」と言いたくなる。
それでも、「仕掛けだと思ってバカにしていたら殺人鬼が襲って来る」という展開に繋げるなら、それなりの意味はある。
ところがデニースは、そもそも仕掛けにさえ気付かないのだ。
じゃあダメじゃん。

そこが完全に「点」として放り出されているわけではなくて、一応は「作戦に失敗したピーターがスコットの遺体を発見する」という展開に繋がっている。
だけど、そのために「ピーターがスコットを呼び、返事が無いので屋上へ行き」という手順を踏まなきゃいけなくなっている。
それに、そこは「デニースのターン」として怖がらせようとしていたわけで。
だから、そこからピーターのターンに切り替わっているだけでも上手い展開とは言い難いし。

セスが門を登って脱出しようとすると、「無事に脱出できるか」というトコで緊張感を高めようとする。
でも、そんなトコでスリリングに盛り上げてどうすんのよ。「殺人鬼が次々に人を殺す」というスラッシャーからは、完全にズレているでしょ。
そこで緊張感を持たせたいのなら、場面の中身を完全に間違えている。そこはスコットだけにしておいて、「無事に脱出できるかと思わせておいて、殺人鬼が来て襲い掛かる」ってな感じの内容にした方がいいでしょ。
そこで無事にセスが脱出できちゃうのも、明らかにシナリオとして間違いだからね。せっかく「閉じられた空間」を用意しているのに、なぜ簡単に脱出させて舞台設定を台無しにしているのか。

殺人ショーとしてのケレン味も乏しく、殺人鬼は短い時間で淡白に最初の2人を殺害する。特殊な武器を使うわけでもなく、派手に血や肉が飛び散るわけでもない。
襲ってから殺すまでの経緯がネットリと描かれるわけでもないし、殺した後の現場や遺体に何か細工を施すわけでもない。ピーターの時は殺すまでに時間が掛かっているけど、それは単にモタ付いているだけでしかないし。
後でセスやジェフたちが遺体を発見するシーンでは、一応は工夫を凝らしているんだろうってことが何となく伝わる。遺体がロープで吊るされたり、生首がベッドに置かれたりしているからね。
ただし、それも申し訳程度であり、作品のセールスポイントになるほどの力は無い。

完全ネタバレを書いてしまうが、実は殺人鬼が1人じゃなくて2人いる。戻ったセスが1人目を殺してマーティーとジェフに知らせていると、もう1人が現れて彼を殺害するのだ。
そこで他のスラッシャー映画との違いを付けようとしているんだろう。
しかし「殺人鬼が2人」というアイデアだけで思考が完全に停止しているような状態で、複数の犯人だからこその面白さがあるわけではない。
一言で表現するなら、「だから何なのか」という仕掛けに終わっている。

(観賞日:2021年3月7日)


第2回ゴールデン・ラズベリー賞(1981年)

ノミネート:最低主演女優賞[リンダ・ブレア]

 

*ポンコツ映画愛護協会