『バットマン ビギンズ』:2005、アメリカ

囚人ブルース・ウェインはヘンリー・デュカードという男によって釈放され、山頂へ来るよう誘われた。ブルースは山頂へ行き、そこに ある「影の同盟」の砦の門を叩いた。砦には、忍者軍団を率いる「影の同盟」の首領ラーズ・アル・グールと幹部デュカードがいた。 「悪と戦う方法を探している」と言うブルースに、デュカードは「まず己の恐怖に打ち勝て」と告げた。
少年時代、ブルースは父トーマスと母マーサ、執事アルフレッドに囲まれて豪邸で暮らしていた。ある日、幼馴染みのレイチェルと遊んで いたブルースは、誤って空井戸に落ち、コウモリの群れに遭遇して強い恐怖を覚えた。トーマスはウェイン・エンタープライズ社を経営 する大実業家であり、ゴッサム・シティーの発展に多大な貢献をしていた。都市の中心部にウェイン・タワーを建設し、そこへ繋がる モノレールを引いたのも彼だった。
ブルースは両親と共にゴッサム・シティーを訪れ、オペラを観賞した。だが、舞台に登場したキャラクターを見たブルースは、コウモリを 連想して怖くなり、「もう帰ろう」と言い出した。トーマスは息子のため、途中で退出することにした。外へ出た直後、ジョー・チルと いう拳銃強盗が現われた。トーマスは財布を渡すが、マーサと共にチルに撃たれて命を落とした。ブルースは、自分が途中退出させたこと が両親を死なせた原因だと感じた。
青年へと成長したブルースは、久しぶりに自宅へ戻った。収監されていたチルが14年の刑期で仮釈放されることになり、公聴会で証言する ために戻ったのだ。チルは刑務所でマフィアの首領ファルコーネと同房になり、そこで聞いた情報を警察に証言するのと引き換えに仮釈放 されることになったのだ。ブルースは、検事を目指すレイチェルとも久しぶりに再会した。
ブルースはチルへの復讐を決意し、密かに拳銃を隠し持って公聴会に赴いた。だが、彼の目の前で、チルはファルコーネが送り込んだ 女殺し屋によって始末された。現場を後にしたブルースは、復讐しようとしていたことをレイチェルに語る。レイチェルは「正義と復讐を 混同している。復讐は自己満足に過ぎない」と怒り、ブルースを平手打ちした。
ブルースはレストランへ行き、ファルコーネに会った。ファルコーネは店に刑事がいることを語り、銃を構えた。そして「彼らは俺を逮捕 できない」と告げ、自分が街を牛耳っていることを余裕の態度で語った。圧倒的な権力を誇示され、ブルースは店を追い出された。彼は ホームレスに金とコートをくれてやった。それからブルースは世界を放浪し、犯罪を繰り返すようになった。しかし根っからの悪党になる ことは出来ず、そんな中でデュカードと出会ったのだった。
デュカードの元で剣の鍛錬を積み重ねたブルースは、「影の同盟」の一員になるよう持ち掛けられた。ブルースは最終試験として拘束して あった殺人犯を処刑するよう命じられるが、「裁判に掛けるべきだ」と断った。ラーズはブルースに、腐敗したゴッサム・シティーへ 行って都市を破壊するよう指示される。しかしブルースはラーズに斬り掛かり、対決する。砦は爆発によって崩壊し、ラーズは下敷きと なって死んだ。ブルースは砦を後にした。
ゴッサム・シティーに戻ったブルースはアルフレッドの出迎えを受け、「自分が恐怖を与えるシンボルになれば、悪党から人々を守れる」 という考えを述べた。一方、検事補となったレイチェルは、ファルコーネ一家の幹部を起訴しようとするが、全てクレイン博士に阻止 されていた。クレインは幹部を精神病と診断し、自分の病院に入院させるよう仕向けてしまうのだ。もちろん、クレインはファルコーネと 手を組んでいるのだった。ただし、クレインはファルコーネの手下ではなく、別のボスの下で動いている。
ブルースは空井戸に降り、コウモリの群れと遭遇するが、もう恐怖は感じなかった。彼はウェイン・エンタープライズ社へ赴き、社長の アールと面会する。ブルースは仕事をしたいと申し出て、応用科学部への配属を希望した。そこに所属するのは、アールによって役員会 から追い出されたルシウスという老社員だけだ。応用科学部には、製品化されていない兵器が幾つもあった。ブルースの狙いは、それを 個人的に利用することにあった。
ブルースは井戸の下の洞窟に基地「バットケイブ」を設けた。ブルースは自分が克服した恐怖の対象だったことから、コウモリをモチーフ にしたコスチュームをデザインした。まだマスクが完成していないため、彼は不完全なバットマンの姿で、賄賂の受け取りを拒否する唯一 の刑事ゴードンに接触した。バットマンが「なぜファルコーネを逮捕しないのか」と尋ねると、ゴードンは「フェイデン判事に圧力を 掛けることと、勇気ある検事が要る」と答えた。バットマンは、レイチェルと組むよう勧めて去った。
マスクが完成し、バットマンのコスチュームは完成形となった。バットマンはファルコーネとゴードンの相棒の汚職刑事フラスの会話を 盗聴し、レイチェルの命が狙われていることを知った。バットマンはファルコーネ一家の麻薬密輸現場に現われ、一味と戦う。バットマン はファルコーネを捕まえ、サーチライトに縛り付けた。バットマンはレイチェルの元に姿を現し、フェイデン判事を動かす材料として、彼 の浮気現場を撮影した写真を渡した。
警察は形式的にファルコーネを逮捕し、危険人物としてバットマンの行方を追い始めた。アールは、ウェイン・エンタープライズ社の 貨物船が襲われて乗組員が殺され、積んであったマイクロ波放射器が奪われたとの報告を受けた。ブルースは自分の印象を偽るため、女を 引き連れて派手に遊び呆ける。その様子をレイチェルに見られたブルースは慌てて「これは本当の自分じゃない」と弁明するが、「人間は 中身より行動が大事」と言われる。
ファルコーネは拘置所にクレインを呼び寄せ、「病院で人体実験を行っているのをバラすぞ」と脅して手助けを要求した。しかしクレイン は発明したガスを吹き付けて、ファルコーネに幻覚を見せる。スケアクロウのマスクを被ったクレインを見て、ファルコーネは発狂した。 一方、バットマンはフラスを捕まえ、積荷の麻薬が半分しか売人に渡っていないことを追及する。するとフラスは、残り半分はナローズ島 に送られたことを打ち明けた。ナローズ島は、クレインのアーカム病院がある場所だ。
バットマンはクレインと一味のいる倉庫に現われるが、ガスを噴射されて逃走する。豪邸のベッドで目を覚ましたブルースは、介抱した アルフレッドからルシウスが来ていることを告げられる。ルシウスはガスの成分を解析し、解毒剤を作り出していた。レイチェルの追及を 受けたクレインは、彼女を誘い出してガスを吸わせる。そこへバットマンが現われ、クレインにガスを吸い込ませた。黒幕は誰かと問う バットマンに、クレインは「ラーズ」と告げた。
バットマンはレイチェルをバットモービルに乗せ、バットケイブに連れ戻って治療した。彼は完成した2本の解毒剤を渡し、ゴードンに 渡すよう告げて、眠りに落ちる彼女の前から立ち去った。ブルースはアルフレッドに言われ、誕生パーティーに出席した。ラーズが来て いると聞かされたブルースは驚くが、そこにいたのは別人だった。だが、その傍らにはデュカードの姿があった。ブルースは、デュカード がラーズという不死身の首領を作り上げ、影の同盟を動かしていると察知した。
ブルースは客を追い出し、デュカード一味と戦う。しかしブルースは叩きのめされ、デュカードは豪邸に火を放って立ち去った。ブルース は瓦礫の下敷きになるが、アルフレッドによって救出された。デュカードはクレインを使い、麻薬に混ぜて毒を持ち込み、街の水道管に 流していた。その水を飲んでも人々に害は無いが、マイクロ波放射器で蒸発させることで、人々は幻覚に襲われて発狂することになる。 そしてデュカードはウェイン・タワーから下水道を攻撃し、ゴッサム・シティー全体を狂気に陥れようと企てていた…。

監督はクリストファー・ノーラン、キャラクター創作はボブ・ケイン、原案はデヴィッド・S・ゴイヤー、脚本はクリストファー・ノーラン&デヴィッド・S・ゴイヤー、 製作はエマ・トーマス&チャールズ・ローヴェン&ラリー・フランコ、製作総指揮はベンジャミン・メルニカー&マイケル・E・ウスラン 、撮影はウォーリー・フィスター、編集はリー・スミス、美術はネイサン・クロウリー、衣装はリンディー・ヘミング、 視覚効果監修はジャネク・サーズ&ダン・グラス、音楽はハンス・ジマー&ジェームズ・ニュートン・ハワード。
出演はクリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、リーアム・ニーソン、ケイティー・ホームズ、モーガン・フリーマン、ゲイリー・ オールドマン、キリアン・マーフィー、トム・ウィルキンソン、ルトガー・ハウアー、渡辺謙、マーク・ブーン・ジュニア、ライナス・ ローチ、ラリー・ホールデン、ジェラルド・マーフィー、コリン・マクファーレン、サラ・スチュワート、ガス・ルイス、リチャード ・ブレイク、ラデ・シェルベッジア、エマ・ロックハート、クリスティーン・アダムス他。


ボブ・ケインの創作したDCコミックスの人気キャラクター、バットマンが活躍する作品。
ティム・バートン監督が1989年に撮った『バットマン』からシリーズが4本作られたが、その続きというわけではない。今回は仕切り直し で、バットマン誕生の経緯が綴られている。最初からシリーズ化を想定して作られており、ラストには第2作でのジョーカー登場を 匂わせる場面もある。
ブルースをクリスチャン・ベイル、アルフレッドをマイケル・ケイン、デュカードをリーアム・ニーソン、レイチェルをケイティー・ ホームズ、ゴードンをゲイリー・オールドマン、クレインをキリアン・マーフィー、ファルコーネをトム・ウィルキンソン、アールを ルトガー・ハウアー、ラーズを渡辺謙、フラスをマーク・ブーン・ジュニア、トーマスをライナス・ローチ、ルシウスをモーガン・ フリーマン、フィンチ検事長をラリー・ホールデン、フェイデンをジェラルド・マーフィーが演じている。

原作のキャラクターを多く揃えている中で、レイチェルは映画オリジナルの登場人物だ。
このレイチェルに関しては、ノーラン監督が最初からケイティー・ホームズをイメージしていたらしい。
だけど正直、要らないでしょ、このキャラ。
「ヒロインは必要不可欠」という考えには同意するけど、他のキャラが大勢いるために、レイチェルってサシミのツマ程度の扱いだし。
ブルースとのロマンスなんて、ほとんど描かれていないし。

この映画が不幸だったのは、クリストファー・ノーランという人が、アメコミ映画のセンスも、アクション映画のセンスも、両方とも 持ち合わせていなかったことだ。
そもそも彼は、アメコミに対してもバットマンに対しても、何の愛情も抱いていないのだ。
彼が描きたいのは「正義のために戦う男の心理」であり、そこにバットマンへのこだわりは無い。
正直、そういうことをやりたいのなら、普通の刑事ドラマでやってくれよ。

アメコミ映画への愛が無いから、敵はファルコーネにしろデュカードにしろ、見た目も中身も普通の人間であり、1989年からのシリーズに おける悪役のような、「怪人」ではない。
バットマンが立ち向かう最後の敵であるデュカードは、ほとんどテロリストに近い。
だから、見た目は人間だが「怪人」の匂いが強いラーズ・アル・グールを疎んじて、早々に消し去ったのだろう。
スケアクロウのマスクにしても、監督が被らせることを嫌がったのを、デヴィッド・S・ゴイヤーが「そこは何とか」と説得したらしい。
しかも、わずかに怪人の匂いを感じさせるスケアクロウは、バットマンと戦わずして退場するし。
フリークスへの愛が、バットマンの世界観と波長の合致を見せたティム・バートンとは、資質がまるで違うのだ(だからと言って バートン版の2作が大絶賛の傑作だったとは思わないが)。

影の同盟の首領はラーズだが、ブルースを鍛錬するのはデュカードであり、修業シーンにラーズは全く関わらない。ブルースの師匠は デュカードだ。そして何の見せ場も無いまま、ラーズはあっさりと死亡する。
原作では大ヴィランのはずなのに、ぞんざいな扱いである。
中途半端に役目をデュカードと分け合うぐらいなら、最初から1人で充分だ。
っていうか、たぶんノーラン監督としては、リーアム・ニーソンだけで良かったんだろう。だけど原作のラーズの視覚イメージとは全く 違うから、渡辺謙を形だけ出して、そもそも用は無いのですぐ消したってことだろう。
っていうか、だからラーズというキャラ自体を登場させる意味が無いってのよ。終盤になって、デュカードが再登場するが、本来ならば そこで「実は生きていた」として再登場すべきはラーズなんだよね。そんな扱いならラーズなんて最初から出さなきゃいいのに。
ラーズの「不老不死」というリアリティーの無さを嫌ったのかもしれんが、それはアメコミ映画ではOKなのよ。

導入部は、ブルースの回想を断片的に連ねる構成となっている。
両親の死を描くだけなら、オペラ鑑賞のシーンだけでいいだろう。だが、それだけでなく、ブルースがコウモリにこだわる理由であったり 、復讐心や正義について考えが変化する経緯であったり、そういうことも描こうとする。
現在と過去をコラージュすることによって、ブルースが鍛錬する話に入り込むことを遮られる。
回想形式にするのはいいが、それなら最初に見せるべきは「ブルースがバットマンとして活躍する姿」の方が良いのではないか。

サム・ライミ監督の『スパイダーマン』だって、なかなかスパイダーマンは登場しなかった。
だけど、あの映画では、最初から「主人公がスパイダーマンになる物語」としての流れが見えていた。
それに対して、この映画では、ブルースがバットマンになる物語がなかなか見えないまま、公聴会に出席したり、犯罪者になったりという 話がダラダラと続く。
だから、「そんなことよりも、早くブルースがバットマンになる物語を見せてくれ」とイライラしてくる。
そんで、それだけ時間を掛けたのに、「なぜブルースはバットマンになろうとしたのか」ってのは今一つ伝わってこないんだよなあ。
恐怖を克服するためなら、バットマンになる意味は無い。実際、その前に恐怖は克服されている。
だが、「恐怖を克服した結果、ゴッサム・シティーを守るためにバットマンになることを決めた」というのは、説明になってないでしょ。

前半は「ブルース・ウェインの正義を巡る心の旅」である。
そこではブルースの内面の戦いばかりを描いているが、それはバットマンになった後でやればいいことであって、バットマンになる経緯を 描くのであれば、敵は外に置くべきだろう。
あとノーラン監督はたぶん、世界観や雰囲気がダークなのと、話が辛気臭くて理屈っぽいのとは、全く別物なんだということが分かって いない。

デュカードから復讐を促されたブルースだが、「それでは救われない」とキッパリ否定する。処刑者になるよう指示されて、「裁判に 掛けるべきだ」と主張する。
いやいやブルースよ、アンタ自身、裁判など役立たずだと知っているはずだぞ。裁判が役立たずだからこそ、それを超える力を得ようとしたんじゃないのかよ。 行動と主張に矛盾を感じるぞ。
回想シーンでもレイチェルが「復讐と正義を混同している」と告げており、この映画では復讐を全否定している。
でもさ、バットマンはアベンジャーの一面を持っていてもいいと思うんだよな。
スーパーマンみたいな「お行儀のいい正義の味方」じゃなくていいと思うのよ。
もう復讐を全否定された序盤の段階で、すっかり気持ちが萎えてしまったよ。

ノーラン監督は戦いのシーンにおいて、カットを細かく割りまくる。
誰が何を何をやっているのか、サッパリ分からない。
ただし、それは細かくカットを割っているから、慌ただしくカットが切り替わるからではなかった。
仮にスピードを落としても、やはり何をやっているか分からないのだ。
それは、1つ1つのカットがちゃんと繋がっていないからだ。
スピードの問題ではない。
殺陣よりはカット割りが少なめのカーチェイスシーンでも、やはり何がどうなっているのか分かりにくいし。

どうもノーラン監督は「なぜブルースはバットマンに変身するのか」「なぜコウモリがモチーフなのか」といった辺りを論理的に説明 しようと試みているようだが、大抵のアメコミ映画ってのは、どうやったところで荒唐無稽になるのよ。
だって原作が荒唐無稽なんだから。
そこで幾らリアリティーを出そうとしても、応用科学部にバットマンの武器が揃っているとか、デュカードが「毒を水道管に流して蒸発 させて発狂ガスを散布する」とか、その辺りで荒唐無稽になっちゃうんだし。
アメコミ映画に必要なのは、現実社会であったり、あるいは通常の刑事ドラマや人間ドラマで成立するリアリティーではないのだ。
ファンタジーとしての整合性、ファンタジーとしての説得力なのだ。
そこを監督は大きく勘違いしている。
大量のマスクを中国に発注するとか、せこせことブルースが武器を研ぐとか、そんなリアリティーは無くても構わないのよ。

アメコミ映画に必要なケレン味への意識もゼロだし、バットマンの再起動としては監督の選択を大きく誤ったなあという印象が強い。
ハッキリ言って、まだサイテーの駄作と称された『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』の方が、アメコミ映画への意識がある だけ遥かにマシだと断言できる。
歴代シリーズで群を抜いてヒドいぞ、これ。

 

*ポンコツ映画愛護協会