『ボクらのママに近づくな!2』:2007、アメリカ&カナダ

ニック・パーソンズはシングル・マザーのスザンヌと結婚し、その連れ子であるリンジー&ケヴィンを含む4人での生活を始めた。犬のココも一緒に暮らしている場所は、ニックの狭いアパートだ。彼はスポーツ・グッズ店を手放し、夢だったスポーツ雑誌の企画を始めた。彼は家族が寝ている早朝5時に起床し、雑誌の創刊作業を行う。だが、すぐに子供たちが起きて来るので、まるで作業は進まない。そんな中でスザンヌから妊娠を告げられたニックは、「誰の子?」と尋ねた。
ニックはバーへ出掛け、バーテンダーのジミーに「新たな人生のスタートだ。雑誌を始める」と言う。彼はマジック・ジョンソンの取材を予定しているが、まだ承諾を取り付けたわけではない。「何しろ家が狭くて。どこかへ引っ越さないと」とニックが言っているとスザンヌが来て、赤ん坊が双子だったことを報告した。ニックが田舎の一件屋に引っ越すことを決めると、リンジーは露骨に不快感を示した。
一家はニューバーグの一軒家を訪れ、不動産屋のチャックと会った。彼は伝説の建築家が設計したことを説明し、邸内を案内する。寝室は5つ、広い浴室、2つの洗面台にプライベート・トイレといった室内を見て、ニックもスザンヌもすっかり気に入った。ゲストハウスや果樹園もあり、チャックは「近くに学校も出来たから子育てには最適だ」と言う。風見鶏が壊れて落ちると、彼は「手直しは必要だが、いい業者を知ってる。彼に連絡すれば修理は簡単に済む」と告げてメモを渡した。
ニックが迷っていることを明かしたところへ、1組の男女が車でやって来た。チャックはニックに、「もう一組の予約が入っていたんだ」と言う。チャックが席を外すと、スザンヌはニックに「お金は大丈夫なの?」と尋ねる。ニックは「余裕だ。それに修理は自分でやる」と言う。スザンヌは子供たちの生活環境が変化することから、引っ越しに不安を感じていた。しかしニックが新生活に対する前向きな気持ちを語って説得し、スザンヌにも引っ越しを承諾させた。
一家は荷物をまとめ、田舎の一軒家に引っ越した。すると開けようとした窓は落下し、ディスポーザーは壊れて使えなかった。近所に住むルーニー夫妻が引っ越し祝いに訪れ、その土地の名産だというチョウザメの料理を差し出した。その後も次々に近所の人々が来るが、全員の手土産がチョウザメ料理だった。一家が料理を食べようとしていると、シャンデリアが落下した。ニックが自力で直そうとすると電線がショートし、邸内の全ての電気が消えた。
ニックがメモにあった修理業者に連絡を入れると、やって来たのはチャックだった。彼はニックに、不動産業者だけでなく建設業者もやっているのだと説明した。チャックが「電気系統がダメになってる」と言うので、ニックは「購入する時に、なぜ言わなかった」と抗議した。するとチャックは涼しい顔で、「あの時の僕は不動産業者だった」と述べた。「普通は家の診断で分かる」と彼が告げると、「検査を省いた」とリンジーが指摘する。ニックは「省いてない。俺が診断した」と言い訳するが、スザンヌから「専門家を呼ばないなんて、無責任よ。信じていたのに」と責められた。
チャックは修理を終えると、ニックに「配線を全て外して取り替えた」と説明する。彼はアライグマの糞を見つけ、狂暴だから注意するよう促した。ニックが電気の修理に幾ら掛かるのか訊くと、彼は8千ドルだと告げた。チャックを帰らせたニックは素人技師のサージを呼び、150ドルで修理してもらった。その夜、アライグマが屋根に現れたので、ニックは退治しようとする。しかしモップを振り上げると屋根が壊れ、彼は玄関前に落下した。
次の朝、チャックが建築検査官としてやって来た。彼は保安官を同行しており、「勝手に配線を繋がれては困る。違法行為だ」と指摘する。彼は正式な業者に依頼するよう命じ、自分の名前だけが書かれた業者リストを渡した。さらに彼は罰金千ドルの支払いを要求し、配線を切断した。ニックは仕方なく、業者としてのチャックに配線工事を依頼した。工事が始まると音がうるさく、ニックは雑誌の編集作業に全く集中できなかった。ニックがマジック・ジョンソンの記事を書いていると知ったチャックは、「彼とはレイカーズで一緒だった。38秒だけプレーしたんだ」と語った。
チャックが壁に手を突くと穴が開き、彼は「乾燥腐敗だ」と言う。彼は「心配するな、いい専門の業者がいる」と言い、プールー家の兄弟であるビリー、ジョージー、そしてダニーの3人を呼んだ。リンジーはダニーを見て、好意を抱いた。チャックはニックに、腐敗を放置すると様々な病気の原因になることを告げる。ニックは「別に平気さ」と言うが、スザンヌに反対される。仕方なくニックは、プールー家の面々に修繕を依頼した。
ビリー、ジョージーは修理の第一段階として、内壁を全て破壊した。ニックが愕然としていると、チャックがケヴィンを連れて現れた。「迎えに行った帰りに、一緒にバスケをやってた」とチャックが言うので、ニックは「ケヴィンは喘息持ちなのに、バスケなんて」と非難した。するとケヴィンは「チャックが治してくれた」と言い、チャックはダライ・ラマとの断食で学んだという呼吸法を披露した。
ニックはプールー兄弟に壁を壊されたことを告げると、チャックは「乾燥腐敗の被害は中を知ら屁べないと分からない。壁を新しくすれば、それだけ家は丈夫になる」と語る。ニックが「そうじゃなかったらアンタの責任だ。ちゃんと監督してくれ。何も見逃すな」と要求すると、チャックは軽い調子で承諾した。日曜日は修理が休みなので、ニックは久々に落ち着いて暮らせると感じる。しかしチャックがキャンピングカーで乗り付け、「君が何も見逃すなと言ったから、住み込みで監督する」と告げた。
スザンヌが「奥さんが心配するんじゃないの?」と言うと、チャックは「エリーなら中国ツアーに行っている。カントリー歌手なんだ。帰国は3ヶ月後だ」と告げる。「修理に3ヶ月も掛かるのか」とニックが訊くと、チャックは「もっと掛かるかも」と軽く言う。彼はケヴィンを誘い、約束していた釣りに出掛けようとする。ケヴィンはすっかりチャックに懐いている。チャックが「一緒に行くかい?」と持ち掛けると、スザンヌも勧める。ニックが「仕事がある」と断ろうとすると、水が怖いと知っているスザンヌとリンジーは冷たい視線を向ける。ニックは仕方なく、釣りに同行した。
カヌーに乗ったニックは鮫を目撃し、すぐに岸へ戻ろうとする。しかし深みに落下し、リンジーとケヴィンに笑われた。帰宅したニックは「あいつのせいで家がメチャクチャだ」と言い、チャックをクビにするべきだとスザンヌに告げる。しかしスザンヌは「いい人よ」と述べ、ニックの意見に賛同しなかった。寝室の煙突口からコウモリの群れが飛び出して襲って来たので、ニックは慌てて逃げ出す。彼が庭に出るとチャックが照明弾でコウモリを追い払い、「煙突口を塞がないと、また襲って来るぞ」と警告した。
翌朝、ニックはガラス扉が無くなっているのに気付き、チャックに問い掛ける。するとチャックは、「枠が腐ってたから三重ガラスを注文した」と述べた。「水が出ない」とニックが言うと、彼は「注意書きを見なかったのか。昨晩の内に、午前8時から断水だというメモを冷蔵庫に貼っておいた」と告げた。その夜、スザンヌはニックに、「チャックから自宅出産を勧められたわ。彼はスイスで助産師の資格を取ったって」と話す。「あいつを君に近付けたくない。チャックのことを考えただけで胃が痛む」と、ニックは顔をしかめた。
リンジーが寝室にいないことに気付いたニックは、ケヴィンを起こして質問する。ケヴィンはニックに、姉がダニーのパーティーに行ったことを教えた。ニックはチャックに頼んで、プールー家まで車で送ってもらう。ニックはリンジーに「外出禁止だ」と告げ、プールー家の3人にはクビを通達した。翌朝、床板が外されているのを見て「戻せ」と要求するニックに、チャックは「シロアリだよ。仕方なかった」と説明した。チャックがスザンヌと近所の妊婦たちを集めて出産時の呼吸法を教え始めたので、ニックは苛立ちを示す。チャックが「家の基礎が使えない」と告げるとニックの怒りは限界に達し、彼にクビを通告した…。

監督はスティーヴ・カー、オリジナル脚本はノーマン・パナマ&メルヴィン・フランク、キャラクター創作はスティーヴン・ゲイリー・バンクス&クローディア・グラジオソ、原案&脚本はハンク・ネルケン、製作はテッド・ハートリー&アイス・キューブ&マット・アルヴァレス&トッド・ガーナー、共同製作はケヴィン・コーニッシュ、製作協力はロナルド・G・ムハンマド、製作総指揮はハイジ・サンテリ&アーロン・レイ&スティーヴ・カー&デレク・ドーチー&ニール・マクリス、撮影はジャック・グリーン、編集はクレイグ・P・ハーリング、美術はニーナ・ルシオ、衣装はジョディー・ウッドマン、音楽はテディー・カステルッチ、音楽監修はスプリング・アスパーズ。
主演はアイス・キューブ、共演はニア・ロング、ジョン・C・マッギンレー、アレイシャ・アレン、フィリップ・ダニエル・ボールデン、ダン・ジョフレ、ペドロ・ミゲル・アルセ、リンダ・カッシュ、ヘイズ・マッカーサー、マジック・ジョンソン、ジョナサン・カッツ、アレクサンダー・カルギン、タージ・モーリー、ジェイコブ・ヴァルガス、ブレンダ・プリュール、コリン・ストレンジ、ギャヴィン・ストレンジ、タラ・マーキュリオ、クリストファー・ゴーティエ他。


2005年の映画『ボクらのママに近づくな!』の続編。
監督は『ドクター・ドリトル2』『チャーリーと14人のキッズ』のスティーヴ・カー、脚本は『マテリアル・ウーマン』『ママ男』のハンク・ネルケン。
ニック役のアイス・キューブ、スザンヌ役のニア・ロング、リンジー役のアレイシャ・アレン、ケヴィン役のフィリップ・ダニエル・ボールデンは、前作からの続投。
他に、チャックをジョン・C・マッギンレー、ビリーをダン・ジョフレ、ジョージーをペドロ・ミゲル・アルセ、ルーニー夫人をリンダ・カッシュ、ジミーをヘイズ・マッカーサーが演じており、元NBA選手のマジック・ジョンソンが本人役で出演している。

原題だと「Are We There Yet?(まだ着かないの?)」が「Are We Done Yet?(まだ出来ないの?)」に変わっただけだから、続編らしさはあるし、ちゃんと内容にも合致している。
しかし邦題の『ボクらのママに近づくな!2』は、内容に全く合っていない。
1作目の邦題を付ける時点では続編が作られることなんて想定しないのが当たり前だから、そういう事態が起きてしまうケースは良くある。
まあ仕方が無いことではあるんだけど、やはり内容とタイトルが合致していないと、それだけでマイナス要素になるってのは否めない。

この映画は『ボクらのママに近づくな!』の続編だが、それと同時に1948年の映画『ウチの亭主と夢の宿』のリメイクでもある。同作品は1986年に『マネー・ピット』としてもリメイクされている。
当初は『ウチの亭主と夢の宿』のリメイクとして企画が進行し、それが途中で『ボクらのママに近づくな!』の続編にしようという形になったようだ。
それが正解だったかというと、完全に失敗だろう。
っていうか、そもそも前作がポンコツだったので何をやっても続編を作る段階で失敗なんだけど、だからこそ純粋に『ウチの亭主と夢の宿』のリメイクとして製作した方が、まだ何とかなった可能性はあるんじゃないかと思う。

そもそも、これって『ボクらのママに近づくな!』の続編としての意味が全く感じられないんだよね。前作と登場人物は共通しているけど、それ以外に踏襲している部分が全く無いのだ。
通常、シリーズ作品ってのは、お決まりのパターンであるとか、フォーマットであるとか、そういうのを何かしら持っているものだ。しかし本作品の場合、前作から引き継がれているパターンやフォーマットが何も無い。
前作は、「子供嫌いの主人公が、反抗的なガキどもと一緒に過ごす羽目になり、最初はいがみ合っていたが次第に仲良くなる」という話をやろうとしていた映画だった。実際には全く出来ていなかったけど、そういう話を狙っていたことは間違いない。
で、前作でニックはリンジー&ケヴィンと仲良くなり、スザンヌとも結婚できた。
そうなると、もはや「子供嫌いの主人公vs反抗的なガキども」という構図は使えないから、踏襲できるフォーマットが無くなっているのだ。

前作ではニックがサチェル・ペイジの首振り人形を大切にしており、その人形が喋るという設定があった。しかし今回は、その人形が登場しない。
「首振り人形が喋る」という設定が効果的に使われていたとは到底言えないから、排除しても支障が無いことは確かだ。
しかし、そこも排除しちゃうと、ますます「続編としての共通項」が失われる。
むしろ、今回も首振り人形を登場させて、前作の反省を踏まえて、もっと効果的に機能させるように努めるべきだったんじゃないかと思うんだけどね。

前作は途中で「ニックが子供たちを車でバンクーバーまで送り届ける」という展開に入ったので、そこを踏襲するという手もある。
つまり、「どこかの目的地までニックと子供たちが一緒に行く」という話にして、その途中で起きるドタバタ劇を描くという算段だ。
しかし、その要素を受け継ぐこともやっていない。
まあ前作でもロード・ムービーとしての面白さなんて皆無だったけど、ホントに徹底して前作の要素を受け継ぐ気が無いのね。

繰り返しになるけど、そもそも前作で「子供嫌いの主人公が、反抗的なガキどもと一緒に過ごす羽目になり、最初はいがみ合っていたが次第に仲良くなる」という話をやって、ニックはリンジー&ケヴィンと仲良くなり、スザンヌとも結婚したんだから、そこで話としては完全に終わっているのだ。
その枠組みで描くべきことは、もう残っていない。
そして、それ以外の部分でも、前作のパターンを全く踏襲していない。
だったら、これが続編である意味、そして続編を作る意味って何なのかと。

『ボクらのママに近づくな!』に登場するキャラクターが、とても魅力的だったということであれば、続編を作るってのも理解できる。
キャラに魅力があれば、人間関係が変化しても、まだ色々と物語を続ける余地は充分にあるだろう。
しかし、まるで魅力的なトコなんて無いんだからさ。
じゃあ続編で魅力的や新キャラが登場するのかというと、そんな奴は1人もいない。
っていうか、1作目で魅力的な人物がいなかったから新キャラに期待しなきゃいけないという時点で、だったら続編を作らなきゃいいだろって話だけどね。

「続編として云々」ということを抜きにして、この映画を単独で捉えても、つまらないってことに変わりは無い。全てが雑だし、全てがテキトーだ。
例えば冒頭シーン、ニックはスザンヌから妊娠を告げられ、「誰の子?」と尋ねる。そこでカットが切り替わり、ニックがバーでジミーと話している様子が写る。
そもそもカットを切り替えるタイミングからして間違っているとは思うけど、そこをひとまず置いておくとして、じゃあバーのシーンで妊娠に対する気持ちを表現するのかというと、それも無い。
ジミーに「引っ越さないと。赤ん坊も生まれるし」とは言っているが、その様子や口調からは、赤ん坊が生まれることに対する彼の気持ちが全く伝わらない。

妊娠報告に対してニックが「誰の子?」と言っているってことは、歓迎していないのかというと、そこまで敬遠している感じでもない。しかし、嬉しさはこれっぽっちも表現していない。
ようするに、妊娠に対する反応が、ほぼ「無」なのだ。
そこは、もっとハッキリとしたリアクションを示すべきだろう。
別に喜びじゃなくてもいい。「家が狭いし、新しい仕事を始めようとしている時期だし」ということで困惑しているのなら、そういう反応でもいい。
とにかく、ニックの気持ちが全く見えないってのがダメなのだ。

相変わらず仏頂面で不機嫌な時が大半のニックは物語を引っ張る力を持っていないし、前述したようにキャラとしての魅力的も皆無だ。
お喋り&お調子者のチャックも、ただ不愉快なだけで魅力は無い。
たぶん、っていうか明らかに「チャックが複数の職業を兼ねており、次々に別の業務でやって来る」というトコで笑いを作ろうとしているんだけど、これっぽっちも笑えない。
しかも、乾燥腐敗の専門業者に関しては別の連中が来るので、中途半端になっちゃうし。

チャックには「複数の仕事を掛け持ちしている」というだけでなく、「様々な経歴を自称し、広い分野に関する詳しい知識を披露する」という設定も用意されている。
しかし残念ながら、それもキャラクターの魅力や物語の面白さに繋がっているとは言い難い。
あと、マジックに関して「一緒にプレーしたことがある」ってのは、「他の経歴も含め全て嘘っぽく、ニックは全く信じていないが、本当にマジックと親しかったことが終盤になって判明する」という展開に繋げるためのネタ振りってのがバレバレ。
まあ別にバレバレだからダメってわけでもないんだけど、その事実が分かった時の盛り上がりも無いのよね。

チャックに不愉快な思いをするのがニックだけで、子供たちは懐くしスザンヌも「いい人」と感じているのは、話の作り方としては理解できる。
しかし、金銭的な問題を何も知らない子供たちが、人当たりが良くて一緒に遊んでくれるチャックに好感を抱くのはともかく、スザンヌまで気に入っているのは解せない。
チャックは複数の業者を兼ねており、事前に家の実情を明かさずに修理を請け負い、他にも何かと理由を付けて金をせびり取っているのに、なぜスザンヌは全面的にチャックの味方なのか。そこは全く解せないのだ。
前述した「チャックを嫌うのはニックだけで、すっりり彼は四面楚歌」という状況を作りたいのであれば、その状況を納得させられるような描写を用意すべきだ。そこを雑にやってしまうから、違和感が生じてしまう。

しかも、映画としてもチャックを善人として描こうとしているんだよね。
でも、どう頑張っても、チャックってホントに不愉快な奴でしかないのよ。
だから周囲の全員がチャックを擁護し、ニックを批判するという構図に、全く乗れない。
ただし、だから基本的にはニックに同情できるんだけど、そのニックも決して好感度が高いキャラではないだけに、あくまでも「チャックがいるから、比較したら同情できる」というだけに過ぎないのだ。

ようするに、ニックとチャックの関係は、「好感度の高くない奴と、もっと好感度の高くない奴が対立する」という構図でしかないのよね。
終盤になって「数年前にチャックが妻を亡くし、そのショックから立ち直れずにいる」ということが明らかになるけど、「だから今までの態度や行動も全て仕方が無い」とはならんぞ。
そこで同情を誘っても、今までの罪を全てチャラにできるわけではない。
『逆境ナイン』のサカキバラ・ゴウが放った名言を借りるならば、「それはそれ、これはこれ」でしょ。

(観賞日:2015年3月7日)


第28回ゴールデン・ラズベリー賞(2007年)

ノミネート:最低リメイク&盗作賞(『ウチの亭主と夢の宿』のリメイクか盗作)

 

*ポンコツ映画愛護協会