『ザ・ビーチ』:2000、アメリカ

アメリカ人のリチャードは、バックパッカーとしてアジアを旅している。ある時、彼はタイのバンコクに到着した。ダフィーという男と出会ったリチャードは、彼から“ビーチ”と呼ばれる孤島の話を聞いた。翌朝、リチャードは、部屋のドアにピンで止められた紙切れを発見した。それは、ダフィーが島の位置を記した地図だった。
リチャードはダフィーに会いに行くが、彼は手首を切って死んでいた。リチャードは隣室に泊まっていた若いフランス人カップル、エチエンヌとフランソワーズを誘って、ビーチを探して旅立つことにした。3人は旅を続けて、孤島の隣の島までやって来た。
泳いでビーチまで辿り着いたリチャード達は、20人ほどの人々が暮らすコミュニティーを発見した。コミュニティーでは、サルという女性がリーダーを務めていた。島には農民も暮らしていたが、人を増やさないという条件で島での生活を許されているらしい。
サル達に迎えられた3人は、楽園の生活を満喫する。だが、ある日、コミュニティーの住人スタンとクリストが鮫に襲われる。スタンは死亡し、クリストは重傷を追ってしまった。コミュニティーの住人達は、クリストをジャングルの奥地に捨ててしまう…。

監督はダニー・ボイル、原作はアレックス・ガーランド、脚本はジョン・ホッジ、製作はアンドリュー・マクドナルド、共同製作はカラム・マクドゥーガル、撮影はダリウス・コンジ、編集はマサヒロ・ヒラクボ、美術はアンドリュー・マッカルパイン、衣装はレイチェル・フレミング、音楽はアンジェロ・バダラメンティー。
主演はレオナルド・ディカプリオ、共演はティルダ・スウィントン、ヴィルジニー・ルドワイヤン、ギョーム・カネ、パターソン・ジョセフ、ロバート・カーライル、ラース・アレンツ=ハンセン、ピーター・ヤングブラッド・ヒルズ、ジェリー・スウィンドール、ゼルダ・ティンスカ、ヴィクトリア・スマーフィット、ダニエル・カルタジローネ他。


アレックス・ガーランドのベストセラー小説を映画化した作品。
リチャードをレオナルド・ディカプリオ、サルをティルダ・スウィントン、フランソワーズをヴィルジニー・ルドワイヤン、エチエンヌをギョーム・カネ、ダフィーをロバート・カーライルが演じている。

ハードな『青い鳥』をやりたいようだが、前提となる「アメリカで退屈を感じ、閉鎖区間から抜け出したいと思っていた」というリチャードの気持ちは伝わらない。
かなりの労力を使ってビーチまで行くのだから、強い好奇心や渇望する意欲が必要なはずだが、それは感じ取れない。
軽い気持ちで、大変な労力を使ったように見える。

『タイタニック』の次にレオナルド・ディカプリオが出演作として選んだこともあってか、彼が二枚目スターのイメージから抜け切れなかったことは痛かった。
話としては、ディカプリオがどんどん狂っていくのだが、カッコ良さ、モテ男のスターのイメージは保ったままだ。

序盤で強烈な個性を発揮したロバート・カーライルが消えた後、彼に取って代わるような個性の持ち主が登場しない。
リーダーのサルにしろ彼女の恋人バッグズにしろ、印象が薄い。
だから、ダフィーの幻覚を後半になって登場させざるを得ない。
ロバート・カーライルは、コミュニティーの住人として出演させた方が良かったのではないか。

これは、「楽園に思えたコミュニティーが、実は理想とはまったく違うものだった」という話のはず。だから、前半は楽園の素晴らしさが存分に見えなければいけない。
しかしながら、前半の段階で、コミュニティーがちっとも楽園に見えないのだから、これは苦しい。最初にコミュニティーの連中が登場した時点で、時代遅れのヒッピーもどきにしか見えない。
美しい風景を映し出すことで、楽園らしさを見せたいのかもしれない。
しかし、それなりにキレイではあるのだが、それだけで楽園だと思えるほどのモノではない。浜辺で遊んでいるシーンで楽園の素晴らしさを見せようとしているのなら、ズレている。

非日常の中にある理想郷として、コミュニティーの良さが伝わってこない。
そりゃあ、それなりに頑張っているんだろうとは思う。
だが、自然の美しさや原始的な生活の良さを、もっと表現すべきだろう。
楽園に魅力が無いことは、致命的な欠陥だ。
そもそも、楽園での生活風景の描写が流し気味で、薄いってのは問題があるだろう。
そもそも、自然の楽園として描かれている段階で、住人が石鹸を使ったり、写真を撮ったりしていることに違和感を覚える。新入りにタトゥーを入れるのも、楽園の良さを感じない。
前半の内に、そこがインチキな楽園であることが見えてしまう。

楽園の暮らしぶりを描くのに、三角関係、四角関係の恋愛劇は邪魔である。
楽園でのハッピーな生活に、恋愛のゴタゴタで傷が入るのは違うだろう。
コミュニティーの裏の顔が見えるまでは、何の問題もなくハッピーな暮らしが続くべきだろう。

結局、これって、もっとリチャードを暴走させるべきだったと思うのだ。
過剰な排他主義や絶対的な秘密主義、偽りの自然主義が見える辺りから、コミュニティーのほころびが見え始め、そんなコミュニティーに感化されて、リチャードが狂っていくべきだと思うのだ。
しかし、実際には、リチャードは終盤、コミュニティーに感化されたわけでもなく、急に狂ってしまう。
コミュニティーの一員として、先鋭的に狂ったわけではない。
勝手にトチ狂っただけだし、すぐに我に返る。
それって、ただマリファナ吸いすぎてイカれただけじゃん。

楽園の終焉にも、違和感がある。
サルがトチ狂って破滅に繋がるのなら、もっと彼女の存在感が強くなければならないはずだ。サルのコミュニティーに対する執着心が、それほど印象付けられていないから、幕引きのシーンにも弱さが見えてしまう。
この映画の内容で、晴れやかなハッピーエンドが待っているというのも、あんぱんに砂糖を塗りたくったように甘すぎる。
身勝手に人を殺しておいて、「ただのリゾート旅行から戻りました」とでも言わんばかりの爽やかなハッピーエンドは、違和感が強い。


第21回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[レオナルド・ディカプリオ]

 

*ポンコツ映画愛護協会