『スーパーマン リターンズ』:2006、アメリカ&オーストラリア

スーパーマンはクリプトン星の残骸が発見されたと知り、地球から姿を消した。失踪から5年後、彼は人間としての姿“クラーク・ケント” の育ての母である、マーサの家に現れた。同じ頃、悪党レックス・ルーサーは情婦キティーや刑務所で出会った手下スタンフォードたちと共 に、客船で北極へ向かっていた。そこにはスーパーマンの秘密基地があるのだ。
秘密基地に到着したレックスはクリスタルを操作し、スーパーマンの父ジョー=エルのヴィジョンを呼び出した。レックスはジョー=エル に質問し、情報を手に入れた。一方、クラークはマーサに、故郷が墓場になっていたことを語った。クラークはデイリー・プラネット社に 出社し、カメラマンのジミーや編集長のペリーと再会した。最愛の人であるロイス・レインは、新型スペース・シャトルの取材でジェット機に 乗り込んでいた。そのシャトルは、ジェット機を発射台にして宇宙へ飛び立つのだ。
クラークはロイスの机を見て、彼女がピューリッツァー賞を受賞したと知った。だが、受賞した記事のタイトルを見て、彼は愕然とする。 それは「なぜ私たちはスーパーマンを必要としないか」というタイトルだったのだ。クラークは、飾られている写真を見つけた。ジミーは クラークに、ロイスがジェイソンという息子を産み、リチャードという男と交際していることを教えた。リチャードはロイスと未入籍だが 、ジェイソンは彼のことをパパと呼んでいるらしい。
レックスは隠れ家に戻り、クリプトン星のテクノロジーを使った計画を進めていた。その実験を行った結果、一時的に大規模な停電が発生 した。その影響でスペースシャトルが故障し、連結解除が不可能になった。シャトルは発進し、連結されたままのジェット機も猛スピード で引っ張られた。テレビのニュースでロイスの危機を知ったクラークは、スーパーマンに変身して現場へ急行した。スーパーマンは連結を 解除し、ジェット機をスタジアムに着地させた。
スーパーマンの復活を受け、ペリーは部下に徹底取材を指示した。ロイスは反発し、命令を無視して停電の取材に集中する。クラークは、 オフィスに現れたリチャード&ジェイソンと遭遇した。リチャードは、デイリー・プラネット社の編集部員だった。ジェイソンは体が弱く 、喘息持ちだった。リチャードとロイスが目の前で熱いキスを交わす様子を、クラークは複雑な表情で見ていた。
夜、レックスは変装し、博物館に潜入した。同じ頃、キティーはブレーキが壊れた暴走車の中で悲鳴を上げていた。そこへスーパーマンが 現れ、彼女を救出した。同じ頃、レックスは博物館から目当ての隕石を盗み出した。邸宅に戻ったキティーは、レックスをなじった。車の 暴走は、そちらにスーパーマンの目を引き付け、博物館に来られないようにするための策略だった。しかしキティーは、ブレーキが本当に 壊れているとは知らされていなかったのだ。
クラークはスーパーマンとしてロイスの前に出現し、インタビューを受けると申し出た。ロイスはスーパーマンに、どこに行っていたのか 質問した。スーパーマンは、クリプトン星が存在しているという学者の研究発表を知り、確認のため故郷に戻っていたことを説明した。 ロイスは彼に、「見捨てられたが、立ち直った。私にも世界にも、もうヒーローは必要無い」と告げた。スーパーマンはロイスを空中 デートに誘い、「毎日、誰かが助けを求めている。僕には聞こえる」と語った。
ロイスはジェイソンを車で迎えに行った後、そのまま最初に停電が起きた邸宅へ取材に向かった。そこでレックスに遭遇したロイスと ジェイソンは、彼の客船に連行された。レックスはロイスに、新しい大陸を生み出し、アメリカを海底に沈める計画を語った。レックスは 、ジェイソンがスーパーマンの息子ではないかと疑いを抱いた。しかしレックスがクリプト・ナイトを近付けても、ジェイソンは何の反応 も示さなかった。
レックスは部下のブルータスに監視を任せ、ロイスとジェイソンを大広間に残して立ち去った。ロイスはブルータスの目を盗み、助けを 求めるファックスを会社に送った。それに気付いたブルータスは、ロイスに暴行を加えた。その時、ジェイソンは超能力を発揮してピアノ を動かし、ブルータスを退治した。駆け付けた他の部下達によって、ロイスとジェイソンは地下室に監禁された。
会社に届いたファックスを見たクラークとリチャードは、そこに記された数字が座標だと気付いた。リチャードは小型機を用意し、ロイス とジェイソンの元へ向かう。クラークはスーパーマンに変身して客船へ向かおうとするが、海中の異変に気付いた。既にレックスは計画を 始動し、新大陸を誕生させようとしていたのだ。スーパーマンはメトロポリスに引き返し、ペリーを危機から救った。
リチャードは客船に到着し、ロイスとジェイソンを救い出した。しかしレックスの計画によって発生した地殻変動により、客船は真っ二つ に崩壊した。ロイスは海に沈み、気を失った。そこへスーパーマンが現れ、3人を救出した。スーパーマンはリチャードの小型機が離陸 するのを手助けした後、レックス一味が待つ新大陸へ向かう。だが、その大陸はスーパーマンの弱点であるクリプト・ナイトで形成されて いた。パワーを失ったスーパーマンは、レックス一味の激しい暴行を受けて海に転落した…。

監督はブライアン・シンガー、キャラクター創作はジェリー・シーゲル&ジョー・シャスター、原案はブライアン・シンガー&マイケル・ ドハーティー&ダン・ハリス、脚本はマイケル・ドハーティー&ダン・ハリス、製作はギルバート・アドラー&ジョン・ピーターズ& ブライアン・シンガー、共同製作はスティーヴン・ジョーンズ、製作総指揮はウィリアム・フェイ&クリス・リー&スコット・メドニック &トーマス・タル、撮影はニュートン・トーマス・サイジェル、編集はエリオット・グレアム&ジョン・オットマン、美術はガイ・ ヘンドリックス・ディアス、衣装はルイーズ・ミンゲンバック、音楽はジョン・オットマン、テーマ音楽はジョン・ウィリアムズ。
出演はブランドン・ラウス、ケイト・ボスワース、ケヴィン・スペイシー、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、エヴァ・ マリー・セイント、パーカー・ポージー、カル・ペン、サム・ハンティントン、トリスタン・レイク・リーブ、ジェームズ・カレン、 デヴィッド・ファブリシオ、ジャック・ラーソン、ノエル・ニール、 マーロン・ブランド、イアン・ロバーツ、ヴィンセント・ストーン、スティーヴン・ベンダー、ペータ・ウィルソン他。


1987年の第4作から約18年ぶりとなるスーパーマンの新作。
スーパーマンをブランドン・ラウス、ロイスをケイト・ボスワース、レックス をケヴィン・スペイシー、リチャードをジェームズ・マースデン、ペリーをフランク・ランジェラ、マーサをエヴァ・マリー・セイント、 キティーをパーカー・ポージー、スタンフォードをカル・ペン、ジミーをサム・ハンティントン、ジェイソンをトリスタン・レイク・ リーブ、ブルータスをデヴィッド・ファブリシオが演じている。
1950年代のTVシリーズでジミーを演じていたジャック・ラーソンが、老バーテンダー役で出演している。同じくTVシリーズでロイスを 演じていたノエル・ニールが、レックスに騙されて遺産を譲渡する老婦人役で出演している。また、1978年の映画シリーズ第1作でジョー =エルを演じていたマーロン・ブランドが、フッテージという形で登場している。

この映画が完成するまでには、すったもんだがあった。
スーパーマンのシリーズ5作目が最初に企画されたのは、まだ1990年代の頃。ケヴィン・スミスが脚本を書き、ティム・バートンが監督を 務め、スーパーマンをニコラス・ケイジが演じるということで準備が進んだ。
ケヴィン・スミスの脚本が破棄されたものの、新たな脚本は完成した。しかし予算超過などが原因で、ティム・バートンは降板した。
ブレット・ラトナーもオファーを受けたが、主演俳優を巡ってワーナー幹部と意見が合わずに降板した。
その後、マックGが監督、ブレンダン・フレイザー主演ということで製作が決まりかけるが、「ロケ地はオートスラリア」というワーナー ・ブラザーズの意向(それまでに金を使いすぎていたため、アメリカ国内よりも、なるべく安く撮影できるオーストラリアを選んだ)を マックGが嫌がって降板(させられたと言うべきか)。

ワーナーは『X−MEN』シリーズ3作目を撮る予定だったブライアン・シンガーを引き抜いて、ようやく製作に漕ぎ付けた。
ブライアン・シンガーは引き受ける際、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲とマーロン・ブランドのフッテージの使用を要求した。
主演俳優にはジム・カヴィーゼルが名乗りを挙げたが、ブライアン・シンガーは「有名すぎる」という理由で拒否。無名の新人ブランドン ・ラウスをオーディションで抜擢した。
ブライアン・シンガーはゾッド将軍役にジュード・ロウの起用を望んでいたが、ジュード・ロウがオファーを受けなかったため、ゾッド 将軍というキャラそのものの登場を無くした。

この作品は、パナビジョン社が開発したデジタルシネマカメラ“ジェネシス”よって撮影された、世界初の映画だ。
全体的に映像が薄暗く見えるのは、デジタルシネマカメラの問題なんだろうか。
それとも、監督が意図的に薄暗くしたんだろうか。
もし意図的なものなら感覚が間違っていると思うし、カメラの問題で薄暗くなってしまうのなら、そんな物を使うべきじゃないよな。

製作費は2億7千万ドルだが、製作に入るまでの開発費や広告費も含めると3億5千万ドルほどになるのではないかと言われている。
で、アメリカでの興行収入は約2億ドル。
完全に赤字である。
海外での興行収入を合わせて、ようやくトントンになるぐらいだ。
ただし「何とか赤字にならずに済む」という程度の結果に終わったのは、興行成績が悪かったからではない。
2億ドルも稼いだのだから、興行成績だけで見れば大ヒットと言っていい。
しかし、製作が始まるまでの紆余曲折、及び宣伝費に莫大な費用を使ってしまったため、収入が支出を越えられなかったのだ。
ただし、この結果を受けてパート2の企画を中止したのは、正解だと思うけどね。
それにしても、ブライアン・シンガーはスーパーマンの大ファンだったらしいが、『Xメン』の3作目を蹴って本作品のオファーを 受けたのは大失敗だったな。

ただし、ティム・バートンが監督をやっていれば良かった、とは思わない。
この人が考えていた内容だと、コスチュームは緑を基調とした地味なカラーリングだ。そしてスーパーマンは中年のオッサンという設定 だった。
それって、もはやセルフ・パロディーに近い。
マックGも『チャーリーズ・エンジェル』みたいな作品にされることを考えると、賛同しかねる。
その2人に比べれば、ブライアン・シンガーは悪くないと思っていたのだが、オープニングがテンションの最高潮で、それ以降は下がって いく一方だ。
しかもオープニングの高揚感も、ジョン・ウィリアムスの音楽でノスタルジーを感じるというだけであって、この映画が持っているパワー じゃないからね。
いっそのこと、またリチャード・ドナーにやらせても良かったんじゃないの。

この作品は、シリーズ第2作『スーパーマン II/冒険篇』の5年後という形を取っており、3作目と4作目は無かったことにされて いる。
なぜスーパーマンを復活させるに当たって、「第2作の続きから」という形にしたのだろうか。
続編として作るのであれば、第3作は無視しちゃイカンだろう。
あれは「超人の力を持つのはスーパーマンだが、正義の心を持つのはクラーク・ケント。クラークは単なるダメ男ではない」という定型を 作り出した、スーパーマンの世界において重要な分岐点となる作品だった。

っていうか、そもそも続編として作ること自体に疑問を覚えるんだよな。
続編としての意識は徹底されていて、だから登場人物や相関関係などの説明も全く無いんだけどさ。
でも、もう前作から18年も経過しているのよ。
だから、前4作とは全くの別物として仕切り直し、スーパーマンが初めて地球にやって来るところから物語を始めた方が良かったんじゃ ないのかなあ。

ブライアン・シンガー監督はリチャード・ドナー版に対するリスペクトの気持ちが強いようだが、こっちとしては、「そこにあったロイス の不快感まで踏襲してるのね」という感じ。
リチャード・ドナー版のロイスってのは、スーパーマンに惚れたくせに弱点を記事に堂々と掲載するようなキャラだった。そして スーパーマンを愛しているが、クラークは全く眼中に無かった。
今回もロイスは、クラークのことなんか全く眼中に無い。ロイスはクラークが久しぶりに出社しても、大したリアクションを示さない。
ジェイソンも、ロイスからクラークのことは一度も聞いたことが無いと証言している。
個人的には、そんなロイスよりも、クラークの優しさや正義感に気付いている幼馴染みラナ(3作目に登場)の方が、ヒロインとして遥か に適正だと思っている。

主人公のスーパーマンだが、ほとんど記憶に残らない。
いや、もちろん出番は多いし、「色んなことをやっていた」という意味では、ちゃんと記憶には残る。
でも、キャラクターとしての中身が全く見えてこないのよね。
それはブランドン・ラウスの表情の乏しさも影響しているけど。
あと、007シリーズに登場するブロフェルドの物真似かと思ってしまった、ケヴィン・スペイシー演じるレックス・ルーサーは、これと いった面白味も無い凡庸な悪人、っていうか単なるアンポンタンに終わっている。

あと、息子は要らないなあ。
久しぶりにスーパーマンが戻って来たんだし、スーパーマンの話に絞ろうぜ。ジェイソンがスーパーマンの息子で能力を引き継いでいる とか、そんなネタはカットして、もっとシェイプアップしてほしい。
どうしても描きたいのなら、続編でやればいい。
いや、個人的には、続編でも描かなくていいとは思うけど。
まあね、マーロン・プランドのフッテージを使っていることからしても、「父から息子に受け継がれるもの」という部分に意識があるん だろうけどさ。

スーパーマンがロイスの新しい恋を応援するならともかく、元サヤになろうとするのなら、リチャードも登場させない方がいいんじゃ ないか。
だって、ロイスは今もスーパーマンを愛していて、そのスーパーマンは5年ぶりに戻ったと思ったらヨリを戻そうとするんだぜ。
でもロイスは今もスーパーマンを愛したまま、リチャードとの関係を続行するんだよな。しかもリチャードは、何も知らずにスーパーマン の息子を育てるんだよな。
なんかリチャードって、哀れでしょうがないよ。

作られる時期が悪くて、スーパーマンが単純明快に活躍しにくい状況ではある。
「アメリカこそ正義。その正義のために戦う」という主張を、堂々と信念を持って言えないような時代だ。
そんな時勢を鑑みてか、TVのニュースでは各地の戦争やテロが映し出され、ロイスはスーパーマン不必要論を唱えて賞を貰っている。
その辺りからすると、この映画には「今の世の中でスーパーマンは必要なのか、何のために戦うべきなのか」というテーマがあるように 思える。
だが、そこに絞って話を進めるのかと思いきや、スーパーマンはロイスのことで悩む。
そもそもウジウジと悩む行為自体、スーパーマンの持ち味である明朗快活さからすると、望ましいことだとは思えないが。
それを考えると、ご時世のことなんか深く考えさせない能天気なアクション・コメディーに仕立て上げるであろうマックGに委ねるのが、 実はベターだったのかもしれない。

スーパーマンは自分の必要性や「何のために戦うべきか」という問題に関しては、全く悩んでいない。
空中デートで「みんなが僕を呼んでいる。だから戦うんだよ」的なことを、あっけらかんと口にしている。
それで、もうテーマの処理は終了してしまう。
いやいや、そんなに簡単に処理してしまうのなら、そんな要素を最初から持ち込むなよ。
そりゃウジウジと陰気に悩み続けるスーパーマンを延々と見せられるのも困るけどさ。

テンポが悪いし、やたらと長いし、やけにモタモタしているという印象を受ける。
劇中で初めてスーパーマンが変身するまでの部分、つまり序盤の段階で、もうモタついている。
レックスがミニチュアのメトロポリスを眺めるシーンなど、時間を無駄遣いしているとしか思えない部分は色々とあるぞ。
もうちょっとシェイプアップできなかったのか。

モタつきは序盤だけに留まらない。
ロイスたちが捕まってから、スーパーマンが動き出すまでにも時間が掛かりすぎ。
ようやくスーパーマンがロイスの危機に気付いて飛び立つが、地殻変動に気付いたため、すぐにメトロポリスへと戻ってしまう。
そこは「ロイスたちを救出する」→「レックスは別の場所で計画を始動させる」→「それを阻止するために出動する」という風に、ロイス 救出とレックスの計画阻止は完全に分離して、一つを片付けてから次に移行すべきだった。

スーパーマンとロイスとのロマンスも、邪魔にしか思えないんだよな。
ブライアン・シンガー監督の中では、ロマンスを描こうとする意識が強かったようだが、そういう映画に仕上げようとした意味が不明。
『Xメン』との差別化を意識したんだろうか。
聞くところによるとブライアン・シンガーは女性をターゲットに考えて、だから恋愛要素を強くしたみたいだけど、そりゃ賢明とは 思えない。
スーパーマンって、どう考えても男の子の映画でしょ。

(観賞日:2008年11月9日)


第27回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低助演女優賞[ケイト・ボスワース]


第29回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【ザ・スペンサー・ブレスリン・アワード(子役の最悪な芝居)】部門[トリスタン・レイク・リーブ]
ノミネート:【最悪のヘアスタイル】部門[トリスタン・レイク・リーブ]

 

*ポンコツ映画愛護協会