『JM』:1995、アメリカ&カナダ

西暦2021年。コンピューター・ネットワークが広がる世界では、ハイテク企業が用心棒としてヤクザを雇っている。不治の病NASが猛威を振るい、多くの人々が感染している。そんな中、ジョニー・ネモニックは情報を脳内のチップに記録して運ぶ“記憶屋”をしている。だが、脳へのチップ埋め込みは体に悪く、ジョニーは引退を考えている。
ジョニーは最後の仕事として、北京からアメリカのニューアークへ極秘情報を運ぶ仕事を引き受けた。ジョニーはソフトウェアをインストールして脳内の容量をアップし、北京へ向かった。アップした容量でも必要容量に足りないことを知ったジョニーだが、データをダウンロードし、暗号解読のIDコードとなる3つの画像を記録した。
ファーマコム社に雇われたヤクザのタカハシは、部下のシンジ達にジョニーを襲撃させた。ジョニーは逃亡するが、画像の1枚を焼失し、残る1枚と半分をシンジに奪われる。一方、娘を亡くしているタカハシは、コンピューターの端末に現れるファーマコムの創設者アンナ・コールマンの映像から、シンジ達が裏切るだろうと警告される。
ニューアークに到着したジョニーは、エージェントのラルフィーのアジトに向かうが、捕まってしまう。ラルフィーを逆恨みするジェニーという女性に救われたジョニーは、J−ボーン率いるローテク集団の協力を得て、逃走に成功した。
タカハシは説教師と名乗る殺し屋カールを雇い入れ、ジョニーの抹殺を命じた。一方、ジョニーはNASに冒されているジェニーを助けるため、肉体改造屋のスパイダーを訪れた。スパイダーは、ジョニーの脳内の情報がNASの治療法だと告げる。ファーマコム社は会社の利益のために、治療法を秘密にしようと企んでいたのだ…。

監督はロバート・ロンゴ、原作&脚本はウィリアム・ギブソン、製作はドン・カーモディー、製作総指揮はロバート・ラントス&ヴィクトリア・ハンバーグ&B・J・ラック、製作監修はジーン・デザーモ、撮影はフランソワ・プロタ、編集はロナルド・サンダース、美術はニーロ・ローディス・ジャメロ、衣装はオルガ・ディミトロフ、ヴィジュアル・コンサルタントはシド・ミード、音楽はマイケル・ダナ(本国版はブラッド・フリーデル)。
主演はキアヌ・リーヴス、共演はタケシ(北野武)、ドルフ・ラングレン、アイス−T、ディナ・メイヤー、ウド・キアー、デニス・アキヤマ、バルバラ・スコヴァ、ヘンリー・ロリンズ、トレイシー・トゥイード、ドン・フランクス、ファルコナー・エイブラハム、ディエゴ・チェンバース、シェリー・ミラー、アーサー・エング、ヴォン・フローレス、ヴィクトリア・テンジェリス、ウォーレン・スラティキー他。


サイバーパンク小説の旗手ウィリアム・ギブソンの初期短編『記憶屋ジョニイ』を、彼自身の脚本で映画化した作品。アート界出身のロバート・ロンゴは、これが長編映画初監督。ビデオではタイトルが『JM/ジョニー・ネモニック』となる。音楽担当は、日本公開版ではマイケル・ダナだが、本国版ではブラッド・フリーデルとなっている。
ジョニーをキアヌ・リーヴス、タカハシを北野武、カールをドルフ・ラングレン、J−ボーンをアイス−T、ジェーンをディナ・メイヤー、ラルフィーをウド・キアー、シンジをデニス・アキヤマ、アンナをバルバラ・スコヴァ、スパイダーをヘンリー・ロリンズが演じている。

冒頭、この映画に登場する世界観の説明が、わずか30秒程度のテロップとナレーションで説明される。この時点で、この映画のスタンスが分かる。この映画が分かる奴だけ付いて来い、理解できない奴は置いて行くという、そういうスタンスなのだ。
では、この映画がどういう映画なのかというと、もちろん表面上は本格SF映画である。
しかし、さすがにロバート・ロンゴ監督がアーティストということで、ストレートな表現を押し出すことは避けているようだが、実はこれ、ひねくれたB級SFコメディー映画なのだ。
ブレードランナー的世界の中で、細かいギャグが繰り広げられる映画なのだ。

まず、「データ記録のために脳味噌を使う意味はどこにあるんだろう?」と考えた時に、そこからギャグが始まっているんだと気付く人もいるかもしれない。インターネットにアクセスするのためにグローブを使ってヴァーチャル空間を操作する場面は、ディレクトリを開いたり、置いたりするパントマイムを演じるキアヌの動きが、なかなか滑稽だ。
細かいギャグの中でも、例えばシンジがジョニーに猿ぐつわを噛ませる時、手品で使うような赤いスポンジ玉を使うという部分などは、分かりやすいだろう。まさに、文字通りのギャグである(口の拘束具のことを、英語でギャグと言う)。

筋肉強化手術を受けた用心棒志望の女、娘を亡くしたヤクザの親分、でっかい肩パットをしたヤクザの手下(だけど外国人だ)、説教師の殺し屋、何がやりたいのか良く分からないローテク集団など、B級スピリットに溢れたキャラクター達が揃っている。
タカハシは悪党のボスでありながら悩める男で、実はキャラ設定としてはジョニーよりも深いのだが、その描写は浅い。カールはドルフ・ラングレンが演じていることも含めてインパクトはあるが、扱いは半端(そのくせ、最後の敵になるのだが)。濃い設定のキャラクターを揃えておいて、ほとんど生かさないというのも、ひねくれたギャグなのだろう。

最大のギャグは、ローテク集団の最後の切り札がイルカだということだ。
で、イルカの能力を使ってデータを引き出すことになる。
つまり、人間よりも、イルカの方が優れた能力を持っているらしい。
この辺りは、アメリカ人のイルカ崇拝のバカバカしさが覗える。
ところが、このイルカ、ヤク漬けにされている上、色んな機械を装着させられている。
イルカ崇拝がイルカ虐待に結び付くという辺り、かなりブラックなユーモアが感じられる。
おまけに、このイルカ、人間を攻撃したりもするのだから、愉快な奴である。

問題は、世界観の設定に凝っている上、映像にも凝ってしまったので、ギャグが分かりにくい上に埋没しているということだろう。
どこかでアーティストとしてのプライドが邪魔をしたのかもしれないが、開き直って分かりやすいB級バカSFにすれば良かったのに。


第16回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低主演男優賞[キアヌ・リーヴス]
<*『JM』『雲の中で散歩』の2作でのノミネート>


第18回スティンカーズ最悪映画賞

受賞:創設者賞

 

*ポンコツ映画愛護協会