『ジョー・ブラックをよろしく』:1998、アメリカ

メディア王である大富豪ビル・パリッシュは、65歳の誕生日を間近に控えている。既に妻は亡くなっているが、彼には愛する2人の娘アリソンとスーザンがいる。アリソンはビルの誕生パーティーの準備に忙しく、スーザンは医者として働いている。
アリソンはクインスと結婚しており、スーザンにはドリューという恋人がいる。クインスもドリューも、ビルの会社に務めている。ドリューはビルの右腕として働いており、今は他の会社との合併交渉で中心的な役割を担っている。
ある日、スーザンはコーヒーショップで若い男と出会う。その男はスーザンに親しく話し掛け、恋愛感情を抱いたと告げ、スーザンも彼に心惹かれるものを感じる。2人が店を出て別れた後、その男は自動車に衝突されてしまった。
ここ最近、ビルは不思議な声を耳にするようになっていた。そして、その声の主は姿を現した。スーツを着た若い男は、コーヒーショップでスーザンが出会った男だった。しかし、それは彼自身ではなく、死神が彼に乗り移ったのだった。
ビルが耳にしていたのは、死神の声だった。ビルの死期が近いため、死神は彼を迎えに来たのだ。しかし、死ぬまでにはまだ時間があった。人間に興味を持ったという死神は、ビルを案内役にして人間社会の暮らしを楽しむことにした。
死神はジョー・ブラックという名前で、パリッシュ家に居座ることになった。ジョーとスーザンは次第に惹かれ合うようになっていく。やがて、ビルの死ぬ日がやって来た。その時、ジョーはスーザンを一緒に連れて行くつもりだとビルに告げる…。

監督&製作はマーティン・ブレスト、原作はアルベルト・カセッラ、脚本はロン・オズボーン&ジェフ・レノ&ケヴィン・ウェイド&ボー・ゴールドマン、共同製作はデヴィッド・ウォーリー、製作協力はセリア・コスタス、製作総指揮はロナルド・L・シュワリー、撮影はエマニュエル・ルベツキー、編集はジョー・ハッシング&マイケル・トロニック、美術はダンテ・フェレッティー、衣装はオード・ブロンソン=ハワード&デヴィッド・C・ロビンソン、視覚効果監修はマイケル・オーウェンス、音楽はトーマス・ニューマン。
出演はブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス、クレア・フォーラニ、ジェイク・ウェバー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェフリー・タンバー、デヴィッド・S・ハワード、ロイス・ケリー=ミラー、ジャーニ・セント・ジョン、リチャード・クラーク、メアリールイーズ・バーク、ダイアン・ケイガン、ジューン・スクウィッブ、ジーン・キャンフィールド他。


1920年代の舞台劇を基にした1934年の作品『明日なき抱擁』からヒントを得て作られた作品。ただし、内容は全く違うらしい。『明日なき抱擁』の上映時間は78分で今作品は181分だから、倍以上の時間を掛けているわけだ。

ジョーをブラッド・ピット、ビルをアンソニー・ホプキンス、スーザンをクレア・フォーラニ、ドリューをジェイク・ウェバー、アリソンをマーシャ・ゲイ・ハーデンが演じている。
最初に書いておくが、決してブラッド・ピットのプロモーション・ビデオではない。

現代社会においては、私を含めて「耐える」ということを忘れている人々が多い。
ちょっとしたことでイライラしたり、ささいなことで怒鳴ってしまったり。
ストレス社会の中で、我々は我慢する力を失ってしまったのかもしれない。

この作品は、そんな我々の忍耐力を試す、いわばテストのような映画である。
「陳腐な内容を、ろくに編集もせずに垂れ流してみました。長いだけの淡々とした作品を見て、どれだけ退屈せずに耐えられますか」というテストなのだ。

我々が「すぐに苛立つことを止めて、冷静な人間であろう」と願うのならば、このテストに合格するよう努力すべきだ。つまり、辛抱強く最後まで見るべきだ。
待ち受けている結末がそれほど面白くないとしても、それも含めて耐えるべきだ。

この作品は、かなりゆったりしたテンポで始められる。
普通の映画ならば、途中でテンポが速くなったりするのだろう。
しかし、これは忍耐テスト映画である。
だから、最後までゆったりとしたテンポを貫き通す。
我々は、退屈と戦わねばならない。

序盤、死神に乗り移られる前の男が車に衝突されて吹っ飛んでしまうシーンがある。
そのCGを使ったシーンは、非常に上手く出来ている。
ただし、わざわざショッキングな映像を提示する必要は無い。
しかし、そこで疑問を抱いてはいけない。

死神は「最近、ちょっと人間に関心を抱き始めた」と言う。
だが、かなりの年数を生きている死神が、なぜ今になって急に人間に対して興味を抱くようになったのか、その理由は教えてくれない。
しかし、そこで疑問を抱いてはいけない。

死神はビルを案内役にした理由を、「第一級の人物だから」と言う。
それは、理由としては弱い。
「最初からスーザン目当てだったんじゃないのか」などと勘繰りたくなってしまう。
しかし、そこで疑問を抱いてはいけない。

ジョー・ブラックは身勝手で傲慢な男にしか見えないし、スーザンは何の中身も無いアーパーな女にしか見えない。アリソンとクインスは、まともに見せ場を与えてもらえず、ほとんど存在感を示せずに消えていく。
ドリューはスーザンを巡ってジョーと三角関係を作るのかと思ったら、あっさりと恋愛ドラマからは降りてしまい、スーザンとジョーの仲を邪魔することも無い。では悪党としての存在感を見せるのかと思ったら、ストーリーからも消えている時間が長い。

ジョー、ビル、スーザン以外のキャラクターは、まるで装飾品の如くに扱われる。
つまり、長い上映時間があるにも関わらず、ほぼ放置されているのだ。
しかし、そのことに文句を付けてはいけない。

我々は、すぐに疑問を抱いたり、批判をしたりしてしまう。
それに対し、この作品は「全てを受け入れなさい」というメッセージを発している。
例え作品が退屈でも、例え内容が薄いのに上映時間が長すぎても、腹を立てたり不満を述べたりするのではなく、それを受け入れるべきだと訴えるのだ。
でも、私はゴメンだ。


第19回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低リメイク・続編賞

 

*ポンコツ映画愛護協会